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二章
聖女にはなれないが、身代わりには
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その男はずいぶんと酔っ払っているようだった。勝利の酒にでも浸っていたのか、泥酔した様子だ。その足取りすら危うい。
それをじっと見ている私に気がつくと、男──ディミアンは明らかな喜悦を顔に浮かべた。
「やあ、聖女様。ご機嫌いかがかな?」
明らかな酔っ払いはふらつきながらも私の座るベッドに腰掛けるといきなり肩を掴み寄せてきた。一切加減されていない、乱暴な手つきだ。それに顔を顰めるが、ディミアンは気がついていないようだった。
「甘い香りがするねぇ……。ラズレイン公爵令嬢あたりにおすすめされた香水かな?ん?」
首筋に男の鼻息がかかって、全身に鳥肌が立った。私は生唾を飲み込んで覚悟を決めると、彼の手に自身のそれを重ねた。
そっとさりげなく体を離してはディミアンを見つめる。彼が深酒していて助かった。ディミアンはまだ私がメリューエルであると気がついていない。私はできるだけ取り繕っていない、素の声を出すよう努めた。
「ディミアンさん……?」
聖女はロディアス殿下やアレン殿下のことを、ロディアス王子、アレン王子と呼んでいた。ディミアンは王族だが、王子ではない。
彼女ならディミアン『さん』と呼ぶだろうと予想した結果だった。
私の声に、ディミアンはやに下がった顔となった。怪しまれてはいない、みたい。
「怖いかな?でも安心なさい。すぐに天国に連れて行ってあげるよ。もう二度と、私から離れたくないと思うほどの楽園にね」
「………それは、ここにあるこのお菓子のことですか?」
私は小瓶を持ち上げた。
星屑を象った色とりどりの錠剤がびっしりと詰め込まれている。それを見て、ディミアンは意外そうに私を見た後、にっこりと笑った。含みのある、いやらしい瞳だ。
「そうだよ。食べてみる?」
「……ひとりでは怖いので、ディミアンさんも食べるなら」
「へえ、意外と乗り気だね。泣いて騒がれるかと心配していたんだけど」
「こう見えて私も、嫌がる女を組み敷く趣味はないんだ」とディミアンは苦笑した。
それを聞いて内心鼻白んだ。何が嫌がる女を組み敷く趣味はない、だ。
嫌がる女をその気にさせる媚薬を盛り、強姦を企てていた男が、常識人ぶるとは笑わせる。
私は砂糖菓子に似た媚薬をひとつ手に取った。そしてそれを──食べるふりをする。
さく、と甘い味が口内に広がった。
濃厚な花の香り。舌が痺れるような攻撃的な甘さ。まるでミュチュスカのようだ。再びそう思った。私がそれを飲み下すさまを見て、ディミアンはご機嫌そうだった。
私は「あ」と声をこぼす。
慣れない演技だったが、ミュチュスカを思い出せば簡単にその気を帯びた声を出すことが出来た。
「あ……なんだか、熱い」
「どれ、確かめてやろう」
ディミアンの手が私の胸に伸びてくるのを、彼の手を取って抑える。その代わりに私は熱に浮かされた女の媚態を演じながらディミアンに言った。
「待って……?ディミアンさんも食べて。私だけ……なんて、嫌だよ」
「ふむ。可愛いことを言う。元よりそのつもりだった。きみを手に入れた喜びでうっかり酒が進みすぎてしまった。きみの痴態を見ても男の責務を果たせないかもしれないからな」
私は小瓶から砂糖菓子に似せた媚薬を取る──そぶりを見せて、隠し持っていたカプセルを口に含んだ。そして、焦りを見せないよう細心の注意を払い、ディミアンの唇に口付けた。
ミュチュスカとは違う、柔らかさのない唇だった。乾燥して唇がささくれだっている。
髭が触れてチクチクとした痛みをもたらした。
その全てが全て、相手がミュチュスカではないことを私に知らせて、より死にたくなった。だけど私の目的のためにはここは耐えなければならない。
大丈夫。
私はメリューエル・メンデル。
貴族としてふさわしく在れと昔から教育を受け、その矜恃を最期まで守りきれと、例え命と引き換えになったとしても貴族として死ねと言われ、育てられた。
だから、私にはできる。できるはずだ。
一瞬、ミュチュスカの顔が思い浮かんだ。
それを無理やり頭から追い出した。
今、ミュチュスカのことを考えたらきっと私の付け焼き刃な演技など、すぐに見破られてしまう。
泣くのは、後で。
絶望するのも、苦しむのも、後悔するのも、悲しむのも、嘆くのも。
全部全部、終わってからにしよう。
私はディミアンの肩にそっと手を乗せた。
まるで閨ごとに慣れきっていない娘を演じるように。そして、彼と唇を合わせるとそっと口を開き、カプセルを押し込んだ。
「ん……」
ディミアンがカプセルに気が付き、それを飲み下した。
カプセルの原料は主にゼラチンとデンプンだ。肝臓を通過して血液にいきわたるまで、およそ十五分から三十分。
その間、私はディミアンの相手をしなければならない。聖女の代わりとして。
先程、媚薬の代わりにすみれの砂糖漬けを食した私の口内は甘味を帯びている。
それもあり、ディミアンは私が含ませたそれは媚薬だと勘違いしたようだった。
それを狙って、すみれの砂糖漬けを代わりに食べたのだけど。
口付けが濃厚なものになる。
ディミアンは積極的に舌を絡めてきた。
吐きそうで、吐きそうで、今にも男を突き飛ばしてサイドチェストの上に置いてある盥の水をぶちまけて、盥で頭を殴打したかった。
だけど恐らく、部屋の外にはディミアンの護衛が控えている。ここでディミアンに反抗することは許されない。
男の手が、私のドレスの胸元をずり下げる。
ベルラインドレスを着ていたのが仇になった。
あっさりとコルセットに覆われた私の胸があらわになる。ディミアンは私の胸を見て舌なめずりした。
「聖女様のお胸はささやかなものかと思っていましたが……いやはや、着痩せするタイプとは」
「……あまり見ないで。恥ずかしいよ」
聖女が言うであろう言葉をなぞる。
ああ、今の私はとんでもなく惨めだ。
相手はメリューエル・メンデルを求めているのではない。あくまで彼が欲しているのは聖女。私は、聖女の代わり。
聖女になれない私は、聖女の身代わりにはなれたらしい。
それをじっと見ている私に気がつくと、男──ディミアンは明らかな喜悦を顔に浮かべた。
「やあ、聖女様。ご機嫌いかがかな?」
明らかな酔っ払いはふらつきながらも私の座るベッドに腰掛けるといきなり肩を掴み寄せてきた。一切加減されていない、乱暴な手つきだ。それに顔を顰めるが、ディミアンは気がついていないようだった。
「甘い香りがするねぇ……。ラズレイン公爵令嬢あたりにおすすめされた香水かな?ん?」
首筋に男の鼻息がかかって、全身に鳥肌が立った。私は生唾を飲み込んで覚悟を決めると、彼の手に自身のそれを重ねた。
そっとさりげなく体を離してはディミアンを見つめる。彼が深酒していて助かった。ディミアンはまだ私がメリューエルであると気がついていない。私はできるだけ取り繕っていない、素の声を出すよう努めた。
「ディミアンさん……?」
聖女はロディアス殿下やアレン殿下のことを、ロディアス王子、アレン王子と呼んでいた。ディミアンは王族だが、王子ではない。
彼女ならディミアン『さん』と呼ぶだろうと予想した結果だった。
私の声に、ディミアンはやに下がった顔となった。怪しまれてはいない、みたい。
「怖いかな?でも安心なさい。すぐに天国に連れて行ってあげるよ。もう二度と、私から離れたくないと思うほどの楽園にね」
「………それは、ここにあるこのお菓子のことですか?」
私は小瓶を持ち上げた。
星屑を象った色とりどりの錠剤がびっしりと詰め込まれている。それを見て、ディミアンは意外そうに私を見た後、にっこりと笑った。含みのある、いやらしい瞳だ。
「そうだよ。食べてみる?」
「……ひとりでは怖いので、ディミアンさんも食べるなら」
「へえ、意外と乗り気だね。泣いて騒がれるかと心配していたんだけど」
「こう見えて私も、嫌がる女を組み敷く趣味はないんだ」とディミアンは苦笑した。
それを聞いて内心鼻白んだ。何が嫌がる女を組み敷く趣味はない、だ。
嫌がる女をその気にさせる媚薬を盛り、強姦を企てていた男が、常識人ぶるとは笑わせる。
私は砂糖菓子に似た媚薬をひとつ手に取った。そしてそれを──食べるふりをする。
さく、と甘い味が口内に広がった。
濃厚な花の香り。舌が痺れるような攻撃的な甘さ。まるでミュチュスカのようだ。再びそう思った。私がそれを飲み下すさまを見て、ディミアンはご機嫌そうだった。
私は「あ」と声をこぼす。
慣れない演技だったが、ミュチュスカを思い出せば簡単にその気を帯びた声を出すことが出来た。
「あ……なんだか、熱い」
「どれ、確かめてやろう」
ディミアンの手が私の胸に伸びてくるのを、彼の手を取って抑える。その代わりに私は熱に浮かされた女の媚態を演じながらディミアンに言った。
「待って……?ディミアンさんも食べて。私だけ……なんて、嫌だよ」
「ふむ。可愛いことを言う。元よりそのつもりだった。きみを手に入れた喜びでうっかり酒が進みすぎてしまった。きみの痴態を見ても男の責務を果たせないかもしれないからな」
私は小瓶から砂糖菓子に似せた媚薬を取る──そぶりを見せて、隠し持っていたカプセルを口に含んだ。そして、焦りを見せないよう細心の注意を払い、ディミアンの唇に口付けた。
ミュチュスカとは違う、柔らかさのない唇だった。乾燥して唇がささくれだっている。
髭が触れてチクチクとした痛みをもたらした。
その全てが全て、相手がミュチュスカではないことを私に知らせて、より死にたくなった。だけど私の目的のためにはここは耐えなければならない。
大丈夫。
私はメリューエル・メンデル。
貴族としてふさわしく在れと昔から教育を受け、その矜恃を最期まで守りきれと、例え命と引き換えになったとしても貴族として死ねと言われ、育てられた。
だから、私にはできる。できるはずだ。
一瞬、ミュチュスカの顔が思い浮かんだ。
それを無理やり頭から追い出した。
今、ミュチュスカのことを考えたらきっと私の付け焼き刃な演技など、すぐに見破られてしまう。
泣くのは、後で。
絶望するのも、苦しむのも、後悔するのも、悲しむのも、嘆くのも。
全部全部、終わってからにしよう。
私はディミアンの肩にそっと手を乗せた。
まるで閨ごとに慣れきっていない娘を演じるように。そして、彼と唇を合わせるとそっと口を開き、カプセルを押し込んだ。
「ん……」
ディミアンがカプセルに気が付き、それを飲み下した。
カプセルの原料は主にゼラチンとデンプンだ。肝臓を通過して血液にいきわたるまで、およそ十五分から三十分。
その間、私はディミアンの相手をしなければならない。聖女の代わりとして。
先程、媚薬の代わりにすみれの砂糖漬けを食した私の口内は甘味を帯びている。
それもあり、ディミアンは私が含ませたそれは媚薬だと勘違いしたようだった。
それを狙って、すみれの砂糖漬けを代わりに食べたのだけど。
口付けが濃厚なものになる。
ディミアンは積極的に舌を絡めてきた。
吐きそうで、吐きそうで、今にも男を突き飛ばしてサイドチェストの上に置いてある盥の水をぶちまけて、盥で頭を殴打したかった。
だけど恐らく、部屋の外にはディミアンの護衛が控えている。ここでディミアンに反抗することは許されない。
男の手が、私のドレスの胸元をずり下げる。
ベルラインドレスを着ていたのが仇になった。
あっさりとコルセットに覆われた私の胸があらわになる。ディミアンは私の胸を見て舌なめずりした。
「聖女様のお胸はささやかなものかと思っていましたが……いやはや、着痩せするタイプとは」
「……あまり見ないで。恥ずかしいよ」
聖女が言うであろう言葉をなぞる。
ああ、今の私はとんでもなく惨めだ。
相手はメリューエル・メンデルを求めているのではない。あくまで彼が欲しているのは聖女。私は、聖女の代わり。
聖女になれない私は、聖女の身代わりにはなれたらしい。
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