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二章
建前で隠された本音 【ロディアス】
しおりを挟むその日、ミュチュスカは休暇とはいえ儀式の進捗を報告するために王太子ロディアスの執務室にいた。
執務室には、宰相の縁戚であるビジョンも同席していた。
ビジョンは人前に出ることが苦手な人間だが、研究者としては突出した才があった。
五大貴族の一員でありながら、研究を許されているのはひとえに彼が優秀だからだ。
ビジョンは、予め揃えた資料をロディアスに提出した。史実に照らし合わせ、儀式に必要な聖力を数値化したものである。
慣例通りであれば、遅くても二週間以内に儀式は完遂できるだろう。彼らがそう結論づけた時だった。
慌ただしい足音が執務室に近づいてきたのだ。
警戒してミュチュスカが剣の柄に手をかける。じっと見ていれば、扉の外から焦りを帯びた声が聞こえてきた。
「至急、殿下にご報告がございます!」
「所属を言え」
ロディアスは慌ただしい様子に軽く眉間に皺を寄せた。
誰何すれば、見知った所属と名前が口にされる。それを聞いて、ロディアスもまた声と顔が一致したので、入室の許可を出す。
転がり込むようにして入ってきた従僕が、血相を変えて報告した。
「ご報告いたします。聖女様──アカネ・アリサワ様がどこにもいらっしゃいません!また、メンデル公爵家のご令嬢の姿もございません!」
「………」
ロディアスは息を詰めた。
ミュチュスカもまた、静かに従僕を見つめる。
聖女とメリューエルが同時に姿を消した。
常識的に考えるなら、ふたり同時にトラブルに巻き込まれたと見るべきだ。
しかし、相手は|あの(・・)メリューエル。
彼女の婚約者、ミュチュスカが聖女の護衛騎士に指名されていることを照らし合わせれば、メリューエルの企みと疑われても仕方がなかった。
しかし、何も把握できていないこの状況でメリューエルを犯人だと決めつけるのはあまりに早計すぎるし、さすがのあのメリューエルも聖女相手にそんな大胆な真似はしないだろう。
ロディアスはメリューエルの犯行である線は薄いと思ったが、いや、と考え直した。
あの手の女は、追い詰められたら何をしでかすか分からない。
以前はただツンケンしていたいけ好かない娘だったが、今はどこか──なにかを恐れている様子があり、それが強気な彼女にアンバランスな印象を与えた。ミュチュスカもそんなメリューエルを何かと気にしていたようだし、メリューエルの仕業とは思えない。
(メリューエルなら、なぜこのタイミングかも気になるところだし)
とにかく、まずは聖女の最後の足取りを辿るべきだ。ちらりとロディアスはミュチュスカを見た。涼しい顔をしているこの男は一体、何を考えているのだろうか。
狼狽え顔を青ざめさせるビジョンは役に立たなそうだったのでそのまま執務室に置いてくる。
道すがら、ミュチュスカに尋ねた。
「どう思う」
「どう、とは?」
「聖女ときみの婚約者が失踪している」
短い言葉に、しかし優秀な側近はすぐにロディアスの意図を理解したようだった。
彼は変わらず落ち着いた声で答えた。
「可能性の話で言うなら、トラブルに巻き込まれた線が濃厚ですね。あるいは、メリューエルが聖女様を攫ったか」
「……」
あっさりと婚約者を疑う発言をするミュチュスカに、ロディアスは苦々しい気持ちになった。
ミュチュスカはメリューエルのことを気に入ってるように見えたが、あれはただ子供が玩具に興味を示したのと同じ感情なのかもしれない。
ミュチュスカの様子を見るに、彼に惚れ込んでいるメリューエルが暴走した可能性も捨てきれなくなった。
ロディアスがそう考えていると、ミュチュスカが変わらず落ち着いた声で続けた。
「トラブルに巻き込まれたなら彼女の身が心配です。聖女様を意図的に攫ったのであれば、最悪の事態は防がなければ」
「……最悪の事態?」
「取り返しのつかない状況になる前に、ということです」
はっきりとは口にしなかったがミュチュスカは、メリューエルが罪人となることを防ごうとしているようだった。
なぜなら彼は『彼女の身も』ではなく、『彼女の身が』と言った。
聖女を指しているのかと思ったが、『聖女様を意図的に攫った』の主語はメリューエルだ。
つまりミュチュスカは、メリューエルの身を案じている。
彼女への信頼はないようだがそれでもなお、様々な意味をもって、ミュチュスカはメリューエルを守ろうとしている。
それだけでミュチュスカの気持ちを推し量るには十分だ。
ロディアスはうっかり足を止めそうになった。
こんな状況でもなければミュチュスカを呼び止めて、はっきり聞いていたことだろう。
メンデル公爵家の令嬢のこと、どう思ってるの?
と。そして貴族らしい回答ではなく、そのベールに隠された彼の偽りない本心を聞き出してみたい。
きっとこれは、かなり拗れている。ロディアスが考えている以上に。
(なるほどな……)
素直になれないのはメリューエルだけではなかったようだ。
以前の夜会で、ロディアスは彼女に言いかけた言葉があった。
『ミュチュスカは聖女が気になってるみたいですから』
何食わぬ顔で言った彼女の言葉を思い出す。
気にしていないように見せて、その実彼女はとても思い悩んでいたのだろう。
『ミュチュスカが?それはないんじゃない?』
『あら、どうしてそう言いきれますの?ねえ、殿下。その場限りの慰めなど、私は求めておりませんのよ。だって、それを信じてぬるま湯に浸れば痛い目を見るのは、私なんですもの』
それを聞いてロディアスは、この娘はいくら自分が言葉を尽くしても考えを変える気は無いだろう、と悟った。
まるでミュチュスカは聖女に惹かれ始めていることは運命だと定められているような、その現場を目の当たりにしたかのような頑なさだ。
それを見てロディアスは意外にも似た思いを抱いた。
そして、最近ミュチュスカがメリューエルを気にしている理由がこれか、とも納得した。
その日の夜会も、ミュチュスカはメリューエルが気になるという、完全な私用で席を外した。聖女護衛騎士でありながら、その場をアレンに任せて。
彼が私的な理由で職務中にその場を離れるのは、非常に珍しい。
今まで過去に数回、あったかないか。そんな程度だ。
そして今ままでの私用の理由は全て、彼の血縁者の危篤によるものだった。
そんなミュチュスカが、メリューエルが気になるから、というあまりにも弱すぎる理由で聖女の傍から離れた。聖女護衛騎士の身でありながら。
(名目上は、目を離すとメリューエルが何をするか分からない、とのことだったけど)
それも、どこまで本心なのか。
あの日。
あの夜会の場で、ロディアスはメリューエルにこう言おうとしていた。
『……そっか、きみは』
素直になれないんだね、と。
そう続けるはずだった。
従僕が仕事の報せさえ持ってこなければ。
……もっとも、素直になれないのはメリューエルだけではなさそうだが。
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