上 下
41 / 79
二章

悪女は聖女にはなれない

しおりを挟む

呼び出したのに私がなかなか来なければ、きっとミュチュスカは私を探しに来る。私の部屋にミュチュスカが来れば、聖女はようやくベッドの下から出てくるだろう。そこで私が身代わりになった事実が発覚すればいい。

ああ、どうしたって私は──
私は、聖女アカネになれない。

聖女は泣くだろう。
私を犠牲にしてしまったことを悔やみ、苦しんでミュチュスカに抱きつくかもしれない。そんな彼女に、ミュチュスカは何を言うだろう?

あなたのせいではない?
メリューエルは立派に貴族の義務を──ノブレス・オブリージュを果たした、と。
あなたは悪くない、と。

あの声で聖女を慰めるのだろうか。
肩を抱くのだろうか。

だから泣き止んで、と言うのか。

紙に記したミュチュスカのセリフを思い出した。

『泣かないで。あなたに泣かれると、私はどうしようもなく苦しいんだ』

また、そのようなことを言うのだろう。
抱きしめて慰めたいけれど、婚約者わたしがいる手前、それも出来ない、というジレンマと切なさを抱えて。

あの紙は、今日を迎える前に既に暖炉に放って処分している。大丈夫。誰にも気づかれることは無い。気を失ったと思っている彼らは、私を馬車に無造作に放り込むと、そのまま馬車を走らせた。
一緒にアーベルトも乗り込んだが、アーベルトは聖女に全く興味がないのか一切こちらを見ない。
いや、興味が無いのではなく下手に手を出してディミアンの怒りを買うことを恐れているのかもしれなかった。
薄目を開けると、アーベルトは窓の外をじっと見ていた。窓の外は、一面雪景色。私の銀髪のような色合いが広がっている。

ディミアンは聖女を処分するつもりは無いだろう。彼もまた、ローベルトの人間だ。聖女がいなければ儀式を行うことはできず、儀式を行わなければ春は訪れない。
今代の聖女が亡くなれば、また百年、次の聖女が訪れるまで人々は冬に耐え忍ばなければならない。
それはディミアンも分かっているだろう。
だからこそ、ディミアンは聖女を孕ませようとしている。子を孕ませてしまえば、聖女は自分のものになる。聖女がこの国に残ることを決め、ディミアンが聖女の夫となれば彼の立場は今以上に強くなるだろう。
聖女に選ばれた栄えある王族として、王よりも玉座にふさわしいと言われるかもしれなかった。
ディミアンの狙いは恐らくそこだ。
アーベルトの話を聞くに、ただ聖女を気に入っている、という理由もあるだろうが。
どちらにせよこのままでは監禁のち、陵辱される。好きでもない男の子を宿すなど死んでもごめんである。
今はまだ、その時ではない。
何より、馬車にはアーベルトも同乗している。
機を誤れば、二度目はない。
私は目を閉じて、馬車の振動をただ感じていた。





体感にして一時間ほどだろうか。
馬車が停止した。アーベルトは私を起こすことなく、事務的に抱き上げると馬車から降りた。顔をじっくり見ていないためか、私がメリューエルであることはまだ気づかれていないらしい。今気づかれたとしても口封じのために処分されるだけだろう。いや、アーベルトは私に手を出そうとしてきた。そのことを考えるに、相手がディミアンからアーベルトに代わるだけかもしれなかった。
人の話し声が聞こえる。
だけどそれは、私を起こさないようにするためか必要最低限で、アーベルトは静かに歩き進め、時に階段を登り、目的地に辿り着いたようだった。
扉を開ける音がする。ふ、と瞼の裏からでも室内が暗いことが分かる。
陽も沈んだというのに、灯りは小さなランタンのみのようだった。
部屋全体が薄暗いので目を開けても、アーベルトに気づかれることはない。慎重に室内を探る。木製の調度品は、ひと目で高価だと分かる意匠が施されていた。この部屋の持ち主は、好きな職人でもいるのか、同じ人物のみに造らせているようだ。その職人の作品であるサインが調度品には掘られていた。
ここはどうやら寝室のようだった。
シーツにそっと降ろされて、私はまた目を閉じる。
アーベルトは私を一度見ると、すぐに踵を返した。ぱたん、と扉を閉める音が聞こえた。

その音を聞いてからむくりと体を起こす。
薄暗い室内だが、だんだんと目が慣れてきた。

「………」

手探りで触れたそれは、変わらず巾着の中に入っていた。
聖女が武器になるものを持っているとは全く思っていないのか、持ち物検査のひとつもなかった。
もし、この巾着の中のこれに気がついていれば、恐らく取り上げられていたことだろう。

私はぐるりと周りを見渡した。
サイドチェストの上には、白の手巾が一枚。ほかには水が入った桶、錠剤が詰め込まれた小瓶が置いてある。今から何をするのか、ひと目で理解出来る品揃えだ。

それを見て鼻で笑う。
そのうちの小瓶の蓋を開けた。
中には星屑を象った砂糖菓子のような錠剤。
これが錠剤だと知っているのは社交界で度々話題に上がるからだ。
砂糖菓子に見えるが、実際は処女も娼婦にしてしまうほど強い媚薬だ、と。
依存性が高い違法薬物としても知られているこの錠剤の名前は『黒夢の幻』。
以前ディミアンが聖女に盛り、私が口にした薬だ。

話には聞いていたが、本当にただの砂糖菓子に見える。
足音が聞こえてくる。部屋の外から聞こえてくるそれは、だんだんとこちらに近づいてきているようだ。

私はそちらを見ると、巾着から目的のものを取り出した。
ひとつは、ミュチュスカに貰ったすみれの砂糖漬け。
そしてもうひとつは──ヒ素が含まれた、カプセル。

父が用意したものだから、およそひとの致死量0.3グラムを大幅に超える量が含まれているのだろう。

私は最後の賭けに出ることにした。
勝てば尊厳は失われない。
負ければ、私は死してなお辱められることになるだろう。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

断罪された公爵令嬢に手を差し伸べたのは、私の婚約者でした

カレイ
恋愛
 子爵令嬢に陥れられ第二王子から婚約破棄を告げられたアンジェリカ公爵令嬢。第二王子が断罪しようとするも、証拠を突きつけて見事彼女の冤罪を晴らす男が現れた。男は公爵令嬢に跪き…… 「この機会絶対に逃しません。ずっと前から貴方をお慕いしていましたんです。私と婚約して下さい!」     ええっ!あなた私の婚約者ですよね!?

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈 
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

あなたの嫉妬なんて知らない

abang
恋愛
「あなたが尻軽だとは知らなかったな」 「あ、そう。誰を信じるかは自由よ。じゃあ、終わりって事でいいのね」 「は……終わりだなんて、」 「こんな所にいらしたのね!お二人とも……皆探していましたよ…… "今日の主役が二人も抜けては"」 婚約パーティーの夜だった。 愛おしい恋人に「尻軽」だと身に覚えのない事で罵られたのは。 長年の恋人の言葉よりもあざとい秘書官の言葉を信頼する近頃の彼にどれほど傷ついただろう。 「はー、もういいわ」 皇帝という立場の恋人は、仕事仲間である優秀な秘書官を信頼していた。 彼女の言葉を信じて私に婚約パーティーの日に「尻軽」だと言った彼。 「公女様は、退屈な方ですね」そういって耳元で嘲笑った秘書官。 だから私は悪女になった。 「しつこいわね、見て分かんないの?貴方とは終わったの」 洗練された公女の所作に、恵まれた女性の魅力に、高貴な家門の名に、男女問わず皆が魅了される。 「貴女は、俺の婚約者だろう!」 「これを見ても?貴方の言ったとおり"尻軽"に振る舞ったのだけど、思いの他皆にモテているの。感謝するわ」 「ダリア!いい加減に……」 嫉妬に燃える皇帝はダリアの新しい恋を次々と邪魔して……?

婚約破棄?王子様の婚約者は私ではなく檻の中にいますよ?

荷居人(にいと)
恋愛
「貴様とは婚約破棄だ!」 そうかっこつけ王子に言われたのは私でした。しかし、そう言われるのは想定済み……というより、前世の記憶で知ってましたのですでに婚約者は代えてあります。 「殿下、お言葉ですが、貴方の婚約者は私の妹であって私ではありませんよ?」 「妹……?何を言うかと思えば貴様にいるのは兄ひとりだろう!」 「いいえ?実は父が養女にした妹がいるのです。今は檻の中ですから殿下が知らないのも無理はありません」 「は?」 さあ、初めての感動のご対面の日です。婚約破棄するなら勝手にどうぞ?妹は今日のために頑張ってきましたからね、気持ちが変わるかもしれませんし。 荷居人の婚約破棄シリーズ第八弾!今回もギャグ寄りです。個性な作品を目指して今回も完結向けて頑張ります! 第七弾まで完結済み(番外編は生涯連載中)!荷居人タグで検索!どれも繋がりのない短編集となります。 表紙に特に意味はありません。お疲れの方、猫で癒されてねというだけです。

婚約者の浮気相手が子を授かったので

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ファンヌはリヴァス王国王太子クラウスの婚約者である。 ある日、クラウスが想いを寄せている女性――アデラが子を授かったと言う。 アデラと一緒になりたいクラウスは、ファンヌに婚約解消を迫る。 ファンヌはそれを受け入れ、さっさと手続きを済ませてしまった。 自由になった彼女は学校へと戻り、大好きな薬草や茶葉の『研究』に没頭する予定だった。 しかし、師であるエルランドが学校を辞めて自国へ戻ると言い出す。 彼は自然豊かな国ベロテニア王国の出身であった。 ベロテニア王国は、薬草や茶葉の生育に力を入れているし、何よりも獣人の血を引く者も数多くいるという魅力的な国である。 まだまだエルランドと共に茶葉や薬草の『研究』を続けたいファンヌは、エルランドと共にベロテニア王国へと向かうのだが――。 ※表紙イラストはタイトルから「お絵描きばりぐっどくん」に作成してもらいました。 ※完結しました

元侯爵令嬢は冷遇を満喫する

cyaru
恋愛
第三王子の不貞による婚約解消で王様に拝み倒され、渋々嫁いだ侯爵令嬢のエレイン。 しかし教会で結婚式を挙げた後、夫の口から開口一番に出た言葉は 「王命だから君を娶っただけだ。愛してもらえるとは思わないでくれ」 夫となったパトリックの側には長年の恋人であるリリシア。 自分もだけど、向こうだってわたくしの事は見たくも無いはず!っと早々の別居宣言。 お互いで交わす契約書にほっとするパトリックとエレイン。ほくそ笑む愛人リリシア。 本宅からは屋根すら見えない別邸に引きこもりお1人様生活を満喫する予定が・・。 ※専門用語は出来るだけ注釈をつけますが、作者が専門用語だと思ってない専門用語がある場合があります ※作者都合のご都合主義です。 ※リアルで似たようなものが出てくると思いますが気のせいです。 ※架空のお話です。現実世界の話ではありません。 ※爵位や言葉使いなど現実世界、他の作者さんの作品とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。

【完結】お飾りの妻からの挑戦状

おのまとぺ
恋愛
公爵家から王家へと嫁いできたデイジー・シャトワーズ。待ちに待った旦那様との顔合わせ、王太子セオドア・ハミルトンが放った言葉に立ち会った使用人たちの顔は強張った。 「君はお飾りの妻だ。装飾品として慎ましく生きろ」 しかし、当のデイジーは不躾な挨拶を笑顔で受け止める。二人のドタバタ生活は心配する周囲を巻き込んで、やがて誰も予想しなかった展開へ…… ◇表紙はノーコピーライトガール様より拝借しています ◇全18話で完結予定

いじめられ続けた挙げ句、三回も婚約破棄された悪役令嬢は微笑みながら言った「女神の顔も三度まで」と

鳳ナナ
恋愛
伯爵令嬢アムネジアはいじめられていた。 令嬢から。子息から。婚約者の王子から。 それでも彼女はただ微笑を浮かべて、一切の抵抗をしなかった。 そんなある日、三回目の婚約破棄を宣言されたアムネジアは、閉じていた目を見開いて言った。 「――女神の顔も三度まで、という言葉をご存知ですか?」 その言葉を皮切りに、ついにアムネジアは本性を現し、夜会は女達の修羅場と化した。 「ああ、気持ち悪い」 「お黙りなさい! この泥棒猫が!」 「言いましたよね? 助けてやる代わりに、友達料金を払えって」 飛び交う罵倒に乱れ飛ぶワイングラス。 謀略渦巻く宮廷の中で、咲き誇るは一輪の悪の華。 ――出てくる令嬢、全員悪人。 ※小説家になろう様でも掲載しております。

処理中です...