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二章
認めたら愚かだと突きつけられる気がして 【ミュチュスカ】
しおりを挟むミュチュスカにとって、聖女アカネは少女をそのまま体現したような娘だった。今も彼女は庭園に目を輝かせては楽しそうに駆け回っている。淑女なら絶対にしないだろう行為だ。
彼女を見ているとどこか──犬っぽく見えてくる。それも小型犬だ。あちこち興味を持っては駆け寄っていくので、リードを持つ側としては制御が大変だ。
「あまりはしゃがれますと、転びます。花は逃げませんから」
「そうだけど……。あ、ごめんなさい、はしたなかったかな。よくメリューエルにも注意されるんだよね、マナーを失してますよって」
その言葉を聞いて、ミュチュスカは意外に思った。あのメリューエルが思ったよりもしっかりと聖女の面倒を見ているからだ。
(ふぅん……?)
自分以外の女が近寄ることを許さず、少し話しただけで嫉妬に狂う女が、聖女に穏やかに接する、か。自分の婚約者が聖女護衛騎士に指名されたのだからてっきり荒れ狂うかと思ったが、あまりにも落ち着いた様子を見せるので、肩透かしを食らった気分だった。
自分への興味が薄れてきている訳では無い、と思う。いや、ミュチュスカはそう思いたいのかもしれなかった。
今までさんざんメリューエルには迷惑をかけれられてきたのだ。そんな彼女が、飽きたからもういいとミュチュスカを捨てるなど、自分勝手もいいところだった。
またどこかでメリューエルを捕まえて、本心を吐かせないとな、と考えていたミュチュスカに聖女が恥ずかしそうに言った。
「どうしても私、まだこっちのマナーとか礼儀には疎くて……。向いてないのかな、嫌になっちゃう」
「聖女様はこちらにいらしてまだ一ヶ月も経っておりません。今はこの国に慣れることを第一に考え、お身体を大事になさってください。冬解けの儀式は大切ですが、無理を押して行うものではありません」
ただでさえ、聖女は三日目に無理をして倒れているのだ。あれが何度も続いては体を壊しかねないし、結果として儀式が長引く。
そう思っての言葉だったが、聖女はぱっと顔を上げて嬉しそうにはにかんだ。表情豊かな娘だと思う。どこまでもメリューエルとは真逆だ。
嬉しそうに笑った聖女だが、しかしすぐにその表情をくもらせた。
「でも、春が来ないと困るんでしょ?少しくらいなら大丈夫だよ!ほら、私って頑丈だし」
聖女が腕を握る。
この国の女性から見たら身長は高い方だが、全体的に骨ばっていて筋肉はありそうにない。純粋な防御力は本の虫、根暗研究者のビジョンとさほど変わらなそうだ。
「……とても、そうには見えませんが」
「え?見えない?あ、服着てるからか。ちょっと待って」
そう言って聖女は服の袖を捲りあげようとした。
恐らくこういうところが、メリューエルに注意されるのだろう。ミュチュスカはため息をついた。
「服の袖をまくるのは淑女のマナーに反していると教わりませんでしたか?」
「えー、これもだめなの?ミュチュスカさんに見てもらいたかったんだけど。私結構力こぶあるんだよ。これでも中学は陸部……えーと、走ることが趣味だった?みたいな」
「それは変わった趣味ですが、それとこれとは話が別です。体力は大切ですが、一番重要なのは聖力ですので」
世間話をしながら空を見上げた。
灰色の空は、もういくらもしないうちに雪が降ってくるだろう。
聖女は騎士であるミュチュスカに比べ、鍛えておらず寒さにも弱いので長居したら風邪をひきかねない。
そろそろ室内に戻ろうと提案しようとした時、聖女がぽつりと言った。
「どうして、ミュチュスカさんの婚約者がメリューエルなの?」
聖女の突拍子もない言葉に、ミュチュスカは僅かに面食らった。
なぜミュチュスカの婚約者がメリューエルなのか。
それは五大貴族の血をこれ以上薄めないようにするためであり、その結束を強めるためだ。
ミュチュスカが馬鹿正直にそう答えようとした時、さらに聖女は問いを重ねてきた。
「メリューエルはミュチュスカさんを大事にしてないよ。メリューエルが感じてるのは、独占欲……。ネックレスとか指輪とか見て、綺麗だな、欲しいな、っていう感情と一緒だよ……」
それを聞いて、ようやく理解する。
どこまでいっても真面目、面白みのない性格と揶揄されることもあるミュチュスカだが、聖女が何やら自分を案じているらしいということには気がついた。
真面目で愚直な騎士は、自身に向けられる好意に疎かった。
下心を含んだ媚びた視線には敏感なのに、純粋な恋心には気が付きにくい質なのである。
もっとも、性的な眼差しに敏感になったのは、メリューエルが原因だが。
「ミュチュスカさんも分かってるんでしょ……!?なのになんで……?どうして……どうして、あんなひとがミュチュスカの婚約者なの?婚約を破棄することはできないの……!?」
婚約を破棄。それを考えた時もあったなと今更のように思い出した。
だけど今、そうしたいかと聞かれたらそうは思わない。
あれを手放すことはもはや惜しいとすら感じていた。
聖女アカネは思いもしないだろう。
静かな静謐さを湛えた瞳でじっと自身を見下ろす、騎士服に身を包んだ品のある男が、実際はその脳内で自身の婚約者をめちゃくちゃに陵辱してやりたいと考えているなどとは。
ミュチュスカはため息をついて不埒な妄想をかき消すと、もっともらしいことを口にした。
「……出来ません。それは、私が貴族だからです。貴族は、義務に従わなければならない。私は彼女と結婚しなければならない」
「どうして……!」
「それが貴族だからですよ、聖女様」
こういう時、貴族という言葉は便利だ。
愛だの恋だのといった感情を理由付けにしなくても、それだけで説明に足るのだから。ミュチュスカの言葉に聖女はますます顔を歪めた。
心優しい少女は、ミュチュスカを心配してくれているのかもしれない。そう思うと、多少は自分も本心を言うべきか、とミュチュスカは悩みながら口を開いた。
「それに私は、メリューエルを──。婚約破棄したいと思うほど彼女を嫌っているわけではありません。愛はありませんが、貴族ならそういうものです」
「で、でも」
「聖女様は自由を確約された、優しい環境でお育ちになられたのですね。優しいあなたに、この世界は酷かもしれない」
ミュチュスカの気遣いの言葉に、なぜか聖女は泣きそうな顔をした。
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