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二章
「お前はおかしい」
しおりを挟む私だって、望んで聖女に教えている訳では無い。
陛下からの命だから仕方なく教えているだけなのに。
それなのに、砂で足をかけるように「学ばなくていいじゃん」と、なぜ私に言えるのだろう?
これが金銭の発生する仕事なら私も聖女をただ慰めるだけで不快には思わなかっただろう。
だけどこれは、いわば慈善事業。
公爵令嬢という身分の女が家庭教師の真似事など本来なら有り得ない。
その常識を破ってまで、私は聖女に教えていると言うのに、教わる側の態度がこれでは、あんまりではないか。
黙り込んだ私の様子には気が付かず、聖女がぐっと伸びをした。
「メリューエルもライラもすごいよね。私には無理。メリューエルも疲れない?いつも肩肘張ってさぁ」
「……さぁ、どうでしょうか。それが私どもの日常ですので」
「……そっか」
聖女は何か言いたげだったが、短く答えた。
そして、背筋を伸ばして居住まいを正し、手をぎゅっと握りしめてまっすぐ私を見た。
本題に入るのだろう、とすぐに気がついた。
「メリューエル。私ね……」
「………」
「私、ミュチュスカさんが好き」
ぐっと息を詰めた。
ライラが来なくて、聖女が私に話があると言った時から予想はしていた。それでもその言葉を聞いて、音を聞いて、初めて私はその可能性に思い当たったかのごとく、ショックを受けていた。
呆然とする私に、聖女が勢いよく頭を下げた。
「ごめんなさい!メリューエルを裏切っちゃった……。酷いよね、私」
「………」
何も言えなかった。
場を取り繕うような慰めも、意地でも口にしたくなかった。ただただ、無言の私に、聖女は言葉を続けていく。
「でも、どうしてももう、この気持ちに嘘はつけなかった。だから……メリューエルには言うべきだと思ったの」
「……それで」
固く、ひび割れた声だった。
どこかぼんやりとした思いで聖女を見る。
彼女は焦った様子を見せた。
とても気まずそうで、だけど真摯であろうとする誠実さを見せている。
誠実?誠実な人は、婚約者のいる男を好きになって、それを婚約者に告げたりしない。
まるで宣戦布告。
わかっているのだろうか。聖女は。
気持ちを誤魔化したくない、婚約者に誠実にでありたいから言った。
それは一見、私に筋を通すための礼儀正しさと言える。だけど実際のところは宣戦布告に過ぎないのではないだろうか。そう取られてもおかしいことに、なぜ聖女は気が付かないのだろう。なぜ、考えないのだろう。
考える頭を持ちながら、なぜ、その先を考えないのだろう。短絡的で、先が見えていない。
こんな女が『素直』?
貴族の娘でこんな性格の女はいないだろう。当然だ。こんな単純な思考しか持っていないようであれば、社交界ではすぐ食い物にされる。
十八歳まで未成年として守られる日本と違い、レーベルトは十五歳を迎えると成人とされ、大人の社交場に連れていかれる。
無知は格好のいい獲物だ。
聖女は動揺し、顔色が悪かったが覚悟を決めたようだった。キッと睨むようにこちらを見つめてきて──力強い声で言った。
「私、諦めたくないんです。この恋を諦めたくない。こんな気持ちは初めてだから……」
「……だから、ミュチュスカを寄越せ、と?」
「……ミュチュスカさんはものじゃありません」
軽蔑を含んだ目で、聖女が見てくる。
そんな些細なことに腹を立てる聖女が面白くて仕方ない。
ミュチュスカの気持ちにはそえるくせに、なぜ私の気持ちは分からないのだろう?
ヒステリックな笑いが込み上げそうで、それをどうにかして飲み下した。
「私は……メリューエルがミュチュスカさんを大切にしてるようには思えない。メリューエルはただ、綺麗なものが好きだから、アクセサリー感覚でミュチュスカさんをそばに置いているんでしょ?」
聖女の言葉は的確なようでいて、どこか的外れだった。ミュチュスカが綺麗だから手に入れたいと思う。それは正しい。アクセサリー感覚。それもまあ、正しいのだろう。私にはミュチュスカを連れて見せびらかしたいという気持ちがある。
だけどそれが全てではない。私は彼の表面上の美しさに魅せられているのではなく、彼のすべてを欲しているのだから。
それが分からない聖女はまだまだ子供だ。
「メリューエルがミュチュスカさんを大事にしないのなら、私にください。今のメリューエルは、ミュチュスカさんを」
「本当の意味で愛してないように見える、って?」
「っ……」
図星だったのだろう。聖女は口を噤んだ。
私は微笑んでみせた。
「ねえ、聖女様。愛って何かしら?私の気持ちが愛ではないと、なぜ他人のあなたが決めつけられるの」
「それは、私がミュチュスカさんを好きだから。メリューエルはミュチュスカさんを愛してない」
「……そう。聖女様は眩しいわね」
ただ、ひたすら真っ直ぐで。
自分が正しいと思いこみ、それを疑わない。
それが許される環境で育ってきた彼女が酷く眩しくて、羨ましくて──憎い。
「じゃあ、聖女様が私に『真実の愛』というものを教えてくださる?どうやら薄汚れた魂を持つ私には、純粋に想う、ということは難しいようだから」
「……いいんですか?」
なぜか聖女は敬語だった。
最低限私に敬意を払っているのだろう。
私は笑みを浮かべた。自嘲するようなものになってしまったが、そんな気分だった。
「いいもなにも、私には聖女様をお止めするだけの権利はありませんから。気持ちを持つだけなら、誰でも自由。……ですが、私のこの気持ちは変わらなくてよ。私の愛は、聖女様の言う崇高で尊い感情ではない俗欲かもしれないけれど──それでも、この気持ちが本物であることには変わりない」
私が言い切ると、聖女は私を睨みつけてきた。
彼女が悪意を込めてひとを睨むところを私は初めて見た。まるで狂った女を、頭のおかしい異常者を見る、警戒に満ちた瞳だった。
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