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二章
意図しないその一言が、
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夜会の翌日、私は父に手紙を出すことにした。
『親愛なるお父様。
この度は私の力不足により、公爵家の恥となるような噂を許してしまい、大変申し訳ございません。この咎は、邸宅に戻り次第、いかようにもお受けいたします。
また、謝罪の手紙でこのような願いをすることはたいへん不躾かと存じますが、お父様にお願いがございます。
どうか──』
羽根ペンの先をしっかりと押し付けて、公爵令嬢として恥じない文体で書き連ねた。最後に全体の文章を眺めて、書き損じやスペルミス、文字の美しさが損なわれていないかを確認する。
文字の美しさはともかく、スペルミスや型に則った文章をかけていないとなると、父はますますお怒りになるだろう。邸宅で過ごす兄と義姉に飛び火するような真似はしたくない。
十分すぎるほど手紙を見返すと、私はそれをラズレッラに預けた。ラズレッラは私の手紙を恭しく受け取り、部屋を去った。
早ければ数日以内には目的のものが手に入るだろう。父は仕事が早い人だ。
そして、目的のために手段を選ばない人だ。
そう考えて、まさに悪役の父にピッタリな人だと一人笑ってしまった。
手紙を書き終えて、聖女のマナーレッスンのために部屋に向かえば、ライラは不在のようだった。いつも私より先についているライラがまだ来ていないのは珍しい。
何かあったのかと表面上はいつもと変わらず穏やかな笑みを貼り付けながら、室内を観察した。
テーブルの上には、既に用意されたアフタヌーンティーのセット。
どこか緊張した様子を見せる聖女。
ティーセットは二人分のみのようだ。
……なるほど、これはライラが遅れているわけではなく、聖女が意図的に彼女を呼んでいないのだろう。恐らく、私に何か話したいことがあるために。
聖女は落ち着きがなさそうに視線をあちこちにさまよわせ、手を握ったり開いたりしていた。このままでは埒が明かないと思い、聖女に話しかける。
「……ライラ様はまだいらっしゃってないようですね?」
私の言葉に、聖女がハッと顔を上げる。
そして動揺を色濃く見せる顔で、ぎこちなく頷いた。
「……今日はメリューエルに話したいことがあったから、呼んだの」
「なんでしょうか?」
「まずは座って?このいちごのタルト、すごい美味しいんだよ。メリューエルも食べて?」
聖女はアフタヌーンティースタンドの一番上のタルトを指し示した。マナーレッスンで、アフタヌーンティーを楽しむ時は軽食の一番下、三段目から手に取るようにと教わったのを忘れたのだろうか。内心ため息をつきながら、私も聖女の対面のソファに座った。
「……せっかくですが、遠慮いたしますわ」
「えっ?どうして?すごい美味しいんだよ?甘酸っぱくていちごのソースがぶわって広がって」
「残念なことに私、甘いものが苦手ですの」
それに甘いものは食すとすぐに太るから嫌いだ。苦手な食べ物を口にして肥えるなんて、一体何の罰だ。私が答えると聖女は残念そうな顔になったが、すぐになにかに気がついたのかパッと顔を明るくした。
「じゃ、じゃあ私が食べても……?」
「………公の場ではおやめくださいね」
食べる気もなかったし、私の分を聖女が食べることに何ら問題は無い。
しかし、ひとの分まで強請るとは卑しいとは思わないのだろうか。
なぜこんなに気分を害しているのか考えて、その理由に思い当たる。
さほど仲が良くないからだ。
親密な間柄であれば茶目っ気を感じ、くすりと笑えるものでも、嫌いな相手ではそれは悪感情しか働かない。
これがもし、メイドのラズレッラだったら珍しいとしか思わなかっただろう。甘いものが好きなら好きに食べればいいわ、とも言ったかもしれなかった。
もっとも、公爵家のメイドとしてよく教育されたラズレッラが主人の食べ物を強請るような真似をするとは思えないが。
用意されたハーブティーに口をつける。これはさっぱりとした味わいで、さわやかなミントとスパイスの香りが鼻をぬけた。
聖女は喜んで案の定、一番上から手をつけようとしたので静かに注意する。
「アフタヌーンティーを楽しむ時は下から、とお伝えしたはずですわ」
「あ、そっか。うー……ほんと不便。なんで礼儀とかマナーとか学ばなきゃならないんだろ。好きなものを好きなように食べちゃいけないの?」
それは聖女の素直な感想だったのだろう。
社交界のマナー、暗黙の了解であるしきたりといったものをいきなり詰め込まれて、嫌気がさしているのは私も理解している。
でもそれは、私の前で言うべき言葉ではなかった。私とライラは、聖女のマナーレッスンのためだけに王城に呼び出されている。当然、その間ほかのことは何も行えない。
私もライラも五大貴族の妙齢の娘だ。一時的とはいえ、女性の社交界であるサロンに顔を出せないのは大きい。私とライラという、同年代の女性を統制し、牽制する存在がいなくなればまた新たな派閥が生まれ、私とライラに成り変わる人物も生まれてくるはずだ。
社交界に戻った時、サロンの空気を元通りに戻すことは、それなりに苦労するだろう。もっとも、苦労するのはライラだけかもしれないが。
聖女も頑張っている。それは私も理解している。
だけど教える側の私やライラもまた、慣れないことに四苦八苦しているのだと、なぜ気が付かないのだろう。
私と一個しか年齢な変わらないのに、なぜ。
レッスンを苦痛だと教師役である私に愚痴ることは、私に対しての侮辱だと、なぜ気が付かない?
『親愛なるお父様。
この度は私の力不足により、公爵家の恥となるような噂を許してしまい、大変申し訳ございません。この咎は、邸宅に戻り次第、いかようにもお受けいたします。
また、謝罪の手紙でこのような願いをすることはたいへん不躾かと存じますが、お父様にお願いがございます。
どうか──』
羽根ペンの先をしっかりと押し付けて、公爵令嬢として恥じない文体で書き連ねた。最後に全体の文章を眺めて、書き損じやスペルミス、文字の美しさが損なわれていないかを確認する。
文字の美しさはともかく、スペルミスや型に則った文章をかけていないとなると、父はますますお怒りになるだろう。邸宅で過ごす兄と義姉に飛び火するような真似はしたくない。
十分すぎるほど手紙を見返すと、私はそれをラズレッラに預けた。ラズレッラは私の手紙を恭しく受け取り、部屋を去った。
早ければ数日以内には目的のものが手に入るだろう。父は仕事が早い人だ。
そして、目的のために手段を選ばない人だ。
そう考えて、まさに悪役の父にピッタリな人だと一人笑ってしまった。
手紙を書き終えて、聖女のマナーレッスンのために部屋に向かえば、ライラは不在のようだった。いつも私より先についているライラがまだ来ていないのは珍しい。
何かあったのかと表面上はいつもと変わらず穏やかな笑みを貼り付けながら、室内を観察した。
テーブルの上には、既に用意されたアフタヌーンティーのセット。
どこか緊張した様子を見せる聖女。
ティーセットは二人分のみのようだ。
……なるほど、これはライラが遅れているわけではなく、聖女が意図的に彼女を呼んでいないのだろう。恐らく、私に何か話したいことがあるために。
聖女は落ち着きがなさそうに視線をあちこちにさまよわせ、手を握ったり開いたりしていた。このままでは埒が明かないと思い、聖女に話しかける。
「……ライラ様はまだいらっしゃってないようですね?」
私の言葉に、聖女がハッと顔を上げる。
そして動揺を色濃く見せる顔で、ぎこちなく頷いた。
「……今日はメリューエルに話したいことがあったから、呼んだの」
「なんでしょうか?」
「まずは座って?このいちごのタルト、すごい美味しいんだよ。メリューエルも食べて?」
聖女はアフタヌーンティースタンドの一番上のタルトを指し示した。マナーレッスンで、アフタヌーンティーを楽しむ時は軽食の一番下、三段目から手に取るようにと教わったのを忘れたのだろうか。内心ため息をつきながら、私も聖女の対面のソファに座った。
「……せっかくですが、遠慮いたしますわ」
「えっ?どうして?すごい美味しいんだよ?甘酸っぱくていちごのソースがぶわって広がって」
「残念なことに私、甘いものが苦手ですの」
それに甘いものは食すとすぐに太るから嫌いだ。苦手な食べ物を口にして肥えるなんて、一体何の罰だ。私が答えると聖女は残念そうな顔になったが、すぐになにかに気がついたのかパッと顔を明るくした。
「じゃ、じゃあ私が食べても……?」
「………公の場ではおやめくださいね」
食べる気もなかったし、私の分を聖女が食べることに何ら問題は無い。
しかし、ひとの分まで強請るとは卑しいとは思わないのだろうか。
なぜこんなに気分を害しているのか考えて、その理由に思い当たる。
さほど仲が良くないからだ。
親密な間柄であれば茶目っ気を感じ、くすりと笑えるものでも、嫌いな相手ではそれは悪感情しか働かない。
これがもし、メイドのラズレッラだったら珍しいとしか思わなかっただろう。甘いものが好きなら好きに食べればいいわ、とも言ったかもしれなかった。
もっとも、公爵家のメイドとしてよく教育されたラズレッラが主人の食べ物を強請るような真似をするとは思えないが。
用意されたハーブティーに口をつける。これはさっぱりとした味わいで、さわやかなミントとスパイスの香りが鼻をぬけた。
聖女は喜んで案の定、一番上から手をつけようとしたので静かに注意する。
「アフタヌーンティーを楽しむ時は下から、とお伝えしたはずですわ」
「あ、そっか。うー……ほんと不便。なんで礼儀とかマナーとか学ばなきゃならないんだろ。好きなものを好きなように食べちゃいけないの?」
それは聖女の素直な感想だったのだろう。
社交界のマナー、暗黙の了解であるしきたりといったものをいきなり詰め込まれて、嫌気がさしているのは私も理解している。
でもそれは、私の前で言うべき言葉ではなかった。私とライラは、聖女のマナーレッスンのためだけに王城に呼び出されている。当然、その間ほかのことは何も行えない。
私もライラも五大貴族の妙齢の娘だ。一時的とはいえ、女性の社交界であるサロンに顔を出せないのは大きい。私とライラという、同年代の女性を統制し、牽制する存在がいなくなればまた新たな派閥が生まれ、私とライラに成り変わる人物も生まれてくるはずだ。
社交界に戻った時、サロンの空気を元通りに戻すことは、それなりに苦労するだろう。もっとも、苦労するのはライラだけかもしれないが。
聖女も頑張っている。それは私も理解している。
だけど教える側の私やライラもまた、慣れないことに四苦八苦しているのだと、なぜ気が付かないのだろう。
私と一個しか年齢な変わらないのに、なぜ。
レッスンを苦痛だと教師役である私に愚痴ることは、私に対しての侮辱だと、なぜ気が付かない?
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