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一章

いわゆる『理解らせ』

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ライラが戻ってきて、どこか様子のおかしい聖女を見て私を睨みつけてきた。
何もしていない、というかむしろ聖女の方が私に喧嘩を売ってきたのだけど?
とはいえ、それを口にできるはずもなくすまし顔で手巾で指の先を抑えて止血する。
怪我したことをライラに気付かれる訳にはいかない。この女のことだ。あることないこと勘ぐってはミュチュスカに告げ口するだろう。
注意喚起の名のもとに。

それから聖女はどこか上の空だったが、刺繍の時間が終わりダンスレッスンが始まった頃にはいつも通りの様子だった。これくらいのことで感情を乱す聖女に嫌気がさす。少しくらい取り繕うということは出来ないのだろうか。
いくら女子高校生と言えど、もう少し何とかなるだろう。空気を読むことくらいできるだろう。個人差もあるのかもしれないけど。ため息をつきたい気分だった。
本日のカリキュラムが全て終わると、私は聖女の部屋を後にした。
自室に戻ると、部屋の前にミュチュスカがいた。彼が私の部屋の近くにいることは珍しい。何か用だろうか。思わず駆け寄りそうになったがそれを抑えて、静かに歩いていった。
ミュチュスカは私の部屋の扉の横。壁に背を預けて立っていた。難しい顔をして悩んでいるさまだったが、やはり絵になる。
今ここに絵師を読んで描かせたいとすら思ったほどだった。ミュチュスカは私の姿に気がつくと壁から背を離し、私と付き合った。
長い足だ。腰のラインは優美で、繊細さのある美しい顔とは裏腹に体はしっかりと騎士のものだった。やはりアンバランスだと感じる。
私がじっと見つめていると、ミュチュスカもまた何か言いにくそうに躊躇いを見せた。
だから私は小首を傾げて彼を見る。

「なぁに、ミュチュスカ。デートのお誘い?」

「そんな余裕が俺にあると思うか?」

驚いた。俺がきみを誘うはずがないだろ、くらい言うと思ったのに。
じわじわと悦びにも似た感情がかけ上る。そっと彼の腕に手を添える。ミュチュスカは振り払わなかった。

「どういう風の吹き回しかしら」

そういった時、ふと遠くに黒髪がちらりと見えた。ちょうどいいところなのに、誰なの。そう思って顔を上げると、その女は驚いたように目を見開いていた。手には何か箱のようなものを持っている。

──聖女だ。

私になにか用だったのだろうか?
どちらにせよ、ちょうどいい。聖女に牽制したかったし、ミュチュスカがどこまで私に許してくれているのかを知りたいと思っていた。私はミュチュスカの腕に手を添えたまま、顔を上げる。媚びるように瞳を細めて、甘い声で言った。

「口付けを」

「は……?」

「キスをして。ミュチュスカ」

「なに、」

「キスをして。あなたは私に触れられるのでしょう。口付けすら、あなたはくれないの?そんなに私が嫌?ねえ、ミュチュスカ」

だんだん苛立ってくる。ミュチュスカは眉を寄せ、私を見下ろしていた。彼の感情が見えない。私の手を振りほどかないくせに、くちびるは奪ってくれない。聖女は私たちを見ていたが、そのままこちらに向かってこようとした。
場を改める、という考えが彼女にはないようだった。
だから私は、ミュチュスカのシャツをぐいっと引っ張って無理に彼を引き寄せると、彼の唇を奪った。全力で掴み寄せたからか、油断していたミュチュスカはあっさり私に引き寄せられた。狙ったのはくちびるだったけど、目測はずれて、口端に触れた。
遠目に、聖女が驚いた顔をしているのが見えたから、私はミュチュスカの背に手を回した。このまま聖女が諦めて帰ればいいのに。そう思って。ミュチュスカを抱きしめると、息を詰めたような声が聞こえた。ミュチュスカだ。
ぐい、と乱暴な力で肩を押された。
少し痛いくらいだったが、構わない。今、私はとてもいい気分だった。

「乱暴ね。あなたが悪いのよ。私に口付けをくれないのだから」

「俺はいいと言ってない」

「だから?婚約者にキスされたくらいで怒るほど狭量なのかしら、あなた。社交界きっての貴公子が笑わせるわね」

「メリューエル、俺はきみのそういうところが本当に──」

ミュチュスカはそこで言葉を切った。
本当に、なんだろう?
本当に、嫌いだ、と続くのだろう。
それくらいわかってる。何年の付き合いだと思っているのだろう。余裕の笑みを浮かべる私に、ミュチュスカが言った。

「俺は、自信満々で傲慢なきみを見ていると本当に──めちゃくちゃにしてやりたくなる」

「……は?」
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