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一章
天真爛漫な聖女『様』
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回復した私はまた、ライラと共に聖女にマナーレッスンを教える日が続いた。残り二日しかないとはいえ、私は聖女にちくちくと牽制し続けた。
ミュチュスカの婚約者は私であり、私は婚約者を愛している、と。
ほかの女が婚約者のそばにいたら心配になるのは当然よね?と。
あまりにも『女』らしい、陰湿な方法だけど聖女は私の言わんとすることを理解しているようだった。
ある日、聖女が私に聞いてきた。
「メリューエルは、ミュチュスカさんのどこを好きになったの?好きになったきっかけが知りたい」
その時はちょうど刺繍の練習の時間だった。
私とライラはさすが公爵家の娘と言うだけあり、さすがの出来だが聖女は不器用で何度も指に針を刺していた。どうせ、その傷もミュチュスカを心配させる道具になるのだろう。
危なっかしくて頑張り屋。だけどまだ異世界に慣れていない聖女を護衛騎士候補たちは心配しているようだった。日に日に聖女に対する気持ちが強くなっているのは、彼らを見ていればすぐ分かった。ああ、腹立たしい。
私が刺繍を失敗して指に針でも刺そうものなら、すぐに鞭が飛んできたというのに、甘やかされている聖女は失敗よりも傷を心配される。
妬ましい。ずるい。羨ましい。
色んな感情が綯い交ぜになった。
私は針を動かす手を止めて、にっこりと笑って答えた。
「顔ですわ、聖女様」
「……かお?」
きょとんとした様子。
きっと、そう答えられるとは思っていなかったのだろう。もっと甘酸っぱいエピソードを期待していたのかもしれない。だけど私たちにそんなものはない。ただの一目惚れ。
私は頷いて答えた。肩を滑り落ちて流れてきた銀髪を背中に払う。
「私の一目惚れです。ミュチュスカは幼い頃から美しかったの」
「……そう、ですか」
聖女が今、何を考えているか私には手に取るように分かる。あれからも聖女はミュチュスカと何度か話したのだろう。話して、きっと彼女はミュチュスカというひとを知った。
彼の美しさばかりに目がいきがちだが、その誠実な性格に。私は針をくぐらせて、糸をぴんと張り詰めさせる。聖女の方は見なかった。
「いけないことでしょうか?顔で惚れるということは」
「え?い、いや悪いってわけじゃ……。でも、残念だな、と思います」
「……残念?」
ぴたり、手が止まった。
私がそちらを見ると、聖女は考え込んでいるようだった。きっと今、失言をした自覚が彼女にはない。
ライラは紅茶の用意のため席を外している。今彼女がいたら、きっとフォローしてくれていただろうに。
「ミュチュスカさんは、とっても優しい人ですよ。親切ですし、あと真面目ですよね。ちょっと真面目すぎるというか。この前も蔵書室に行ったら──」
そして聖女は、ミュチュスカを語った。
よりによって私の前で。ミュチュスカの婚約者である、私の前で。
ほかの女に婚約者の性格を細かくあげつらえられて、仕舞いにはお前はそれを知らないだろうと言わんばかりに言われたら誰だって怒るだろう。これは無意識?
もしかしてこれが、天然と言うやつなの?
聖女は天然だとライラに言われていたのを思い出す。
だけど、他人の感情を察することができずに自分の言いたいことだけ言う性格を【天然】と呼ぶのなら、私は天然と呼ばれる人間全てを嫌いになる自信がある。
気持ちが乱れたからか、ぷすりと指に針が刺さった。ああ、やってしまった。
私は血の玉をじっと見つめていた。聖女は未だにミュチュスカの美点を上げている。
彼女の話が終わるのを待って顔を上げた。私の顔を見て、聖女がハッとしたように押し黙る。きっと今の私は、蝋人形のごとく能面のような顔をしている。
それを自覚しているから、意図的に口端を持ち上げた。
「……仰せの通りですね。私もミュチュスカの良さは存じ上げてますよ?きっかけが顔と言うだけで。美しさに魅せられてなにがいけないのでしょう」
ああ、だめ。
攻撃的なことを言ってしまう。
抑えないと。口を閉じないと。
取り返しのないことを言ってしまいそう。
だから私は、目を細めて柔らかな笑みを浮かべるように表情を作る。
私が怒っているのではと不安に思っていたのだろう、聖女は私の顔にすぐほっとしたように息を吐いた。
「人間、見た目が九割と言うでしょう?それと同じです。ですが──その心魂に惹かれて恋をする、というのはとても美しいですね。相手を深く知ると同時に、婚約を意味する貴族社会では難しいかと思いますが……聖女様の理想が実現化する社会になったなら、もっと生きやすいかもしれません。私も、ライラも」
柔らかな言葉に、びっしりと棘を含ませた。
所詮聖女のいうことは理想郷に過ぎない。
相手の性格を深く知る、ということは相手と親密になるということ。日本の学校生活なら一般的だろう。相手の性格を知り、関わるうちに惹かれていく。
だけどここは異世界、レーベルトの社交界。
日本の常識を持ち込まないで欲しい。
私の痛烈な嫌味に、聖女は私が気分を害したことには気がついたようだったが、その意味にまで気がついてはいないようだった。
ミュチュスカの婚約者は私であり、私は婚約者を愛している、と。
ほかの女が婚約者のそばにいたら心配になるのは当然よね?と。
あまりにも『女』らしい、陰湿な方法だけど聖女は私の言わんとすることを理解しているようだった。
ある日、聖女が私に聞いてきた。
「メリューエルは、ミュチュスカさんのどこを好きになったの?好きになったきっかけが知りたい」
その時はちょうど刺繍の練習の時間だった。
私とライラはさすが公爵家の娘と言うだけあり、さすがの出来だが聖女は不器用で何度も指に針を刺していた。どうせ、その傷もミュチュスカを心配させる道具になるのだろう。
危なっかしくて頑張り屋。だけどまだ異世界に慣れていない聖女を護衛騎士候補たちは心配しているようだった。日に日に聖女に対する気持ちが強くなっているのは、彼らを見ていればすぐ分かった。ああ、腹立たしい。
私が刺繍を失敗して指に針でも刺そうものなら、すぐに鞭が飛んできたというのに、甘やかされている聖女は失敗よりも傷を心配される。
妬ましい。ずるい。羨ましい。
色んな感情が綯い交ぜになった。
私は針を動かす手を止めて、にっこりと笑って答えた。
「顔ですわ、聖女様」
「……かお?」
きょとんとした様子。
きっと、そう答えられるとは思っていなかったのだろう。もっと甘酸っぱいエピソードを期待していたのかもしれない。だけど私たちにそんなものはない。ただの一目惚れ。
私は頷いて答えた。肩を滑り落ちて流れてきた銀髪を背中に払う。
「私の一目惚れです。ミュチュスカは幼い頃から美しかったの」
「……そう、ですか」
聖女が今、何を考えているか私には手に取るように分かる。あれからも聖女はミュチュスカと何度か話したのだろう。話して、きっと彼女はミュチュスカというひとを知った。
彼の美しさばかりに目がいきがちだが、その誠実な性格に。私は針をくぐらせて、糸をぴんと張り詰めさせる。聖女の方は見なかった。
「いけないことでしょうか?顔で惚れるということは」
「え?い、いや悪いってわけじゃ……。でも、残念だな、と思います」
「……残念?」
ぴたり、手が止まった。
私がそちらを見ると、聖女は考え込んでいるようだった。きっと今、失言をした自覚が彼女にはない。
ライラは紅茶の用意のため席を外している。今彼女がいたら、きっとフォローしてくれていただろうに。
「ミュチュスカさんは、とっても優しい人ですよ。親切ですし、あと真面目ですよね。ちょっと真面目すぎるというか。この前も蔵書室に行ったら──」
そして聖女は、ミュチュスカを語った。
よりによって私の前で。ミュチュスカの婚約者である、私の前で。
ほかの女に婚約者の性格を細かくあげつらえられて、仕舞いにはお前はそれを知らないだろうと言わんばかりに言われたら誰だって怒るだろう。これは無意識?
もしかしてこれが、天然と言うやつなの?
聖女は天然だとライラに言われていたのを思い出す。
だけど、他人の感情を察することができずに自分の言いたいことだけ言う性格を【天然】と呼ぶのなら、私は天然と呼ばれる人間全てを嫌いになる自信がある。
気持ちが乱れたからか、ぷすりと指に針が刺さった。ああ、やってしまった。
私は血の玉をじっと見つめていた。聖女は未だにミュチュスカの美点を上げている。
彼女の話が終わるのを待って顔を上げた。私の顔を見て、聖女がハッとしたように押し黙る。きっと今の私は、蝋人形のごとく能面のような顔をしている。
それを自覚しているから、意図的に口端を持ち上げた。
「……仰せの通りですね。私もミュチュスカの良さは存じ上げてますよ?きっかけが顔と言うだけで。美しさに魅せられてなにがいけないのでしょう」
ああ、だめ。
攻撃的なことを言ってしまう。
抑えないと。口を閉じないと。
取り返しのないことを言ってしまいそう。
だから私は、目を細めて柔らかな笑みを浮かべるように表情を作る。
私が怒っているのではと不安に思っていたのだろう、聖女は私の顔にすぐほっとしたように息を吐いた。
「人間、見た目が九割と言うでしょう?それと同じです。ですが──その心魂に惹かれて恋をする、というのはとても美しいですね。相手を深く知ると同時に、婚約を意味する貴族社会では難しいかと思いますが……聖女様の理想が実現化する社会になったなら、もっと生きやすいかもしれません。私も、ライラも」
柔らかな言葉に、びっしりと棘を含ませた。
所詮聖女のいうことは理想郷に過ぎない。
相手の性格を深く知る、ということは相手と親密になるということ。日本の学校生活なら一般的だろう。相手の性格を知り、関わるうちに惹かれていく。
だけどここは異世界、レーベルトの社交界。
日本の常識を持ち込まないで欲しい。
私の痛烈な嫌味に、聖女は私が気分を害したことには気がついたようだったが、その意味にまで気がついてはいないようだった。
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