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一章
氷の騎士と常春の聖女
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ミュチュスカの婚約者は私だ。
ミュチュスカは長い金髪を後ろでひとつに束ね、長めの前髪に意志の強そうな切れ長の青い瞳をしている。
左目の目尻には、涙ボクロがあり彼の美貌に拍車をかけている。
彼には精悍という言葉より、美人という形容詞の方が良く似合う。そんな男だ。
私は彼の、寒い冬の湖面の底のような深い青色の瞳を見るのが大好きだった。
この婚約は、私の一目惚れで、メンデル公爵家がアリアン公爵家に持ち込んで決まったのものだ。五大貴族の血が薄れてきている、という理由もあり、私たちの婚約はすぐに決まった。
彼はいつも礼儀正しかった。
私とは一定の距離を保ち、紳士的に接した。
私はそれが不満だった。
彼は決して、私に砕けた態度を取らない。
いつだって、どんな時だって紳士的。
露出の多いドレスを身にまとっても、「ええ、良くお似合いですよ」といつもと同じような言葉しか貰えない。
抱きついたり、くっついたりしてアプローチしてみても「失礼、婚約者には不適切な距離かと思います」と離れてしまう。
彼はいつも礼儀正しいが──それだけだ。
決して、私を好きなわけではない。
彼の心が私にないと気がついた時、全てが悔しくなった。
なぜ、どうして私を見てくれないの。
私にあなたの心をくれないの。
私はあなたのことを心から愛してるのに──どうして、どうして、どうして!!
気がつけば私は、ミュチュスカの周りに群がる女たちを牽制し、時には蹴落とし、遠ざけた。
ミュチュスカが少し楽しげに女性と話せば、その女が好きなのかと疑心暗鬼に陥った。
私には決して親しげに話したりしないのに、見知らぬ女と気安げに話す彼を見ると、もうどうにもならなかった。
彼は私のものだ。私だけのものなはずなのに。
それなのになぜ。
どうして……彼はそんな瞳を向けるのか。
いつの間にか彼は凍りついた氷の瞳で私を見ていた。
エスコートも礼儀に則った最低限。
身を寄せれば、さりげなく、だけど必ず彼は私を引き剥がした。
嫌われている、のかもしれない。
それに気がついた時には全てが遅かった。
「そう……。そうよね、嫌われてもおかしくないわ」
むしろ当然だ。今まで私がやってきたことを考えれば。
室内の暖炉に目をやる。
炎がごうごうと燃えている。
彼に少しでも近づく女がいれば、邪魔な女を消すため手を打った。
手段は選ばなかった。時にはメンデル公爵家という名を使って圧力をかけて、噂を操り、社交界から追放した。
彼はそんな私を軽蔑し、私を遠ざけるようになった。
彼に距離を取られて、ますます私は精神的に不安定になった。彼に嫌われる。それはあまりにも恐ろしいことだった。
だけど。記憶の戻った今なら分かる。
「……こんな性格の悪い、悪女を好きになるはずがないわね」
ああ、だけど。それでも。
この狂おしい感情だけは消すことが出来ない。
いずれ、身を滅ぼさせる重たい感情だ。
わかっているのに、消し去ることは出来なかった。
☆
国王から召集がかかり、私もまた王城に向かった。
召喚されたばかりで心細いだろう聖女様をお慰めする、という理由で。
謁見の間に行けば、そこには聖女アカネがいた。想像よりも背が大きい。165……cmくらいだろうか。猫目の彼女は大きな瞳で威嚇するように入室した私を見た。
陛下が私を見て頷いた。
「彼女はメンデル公爵家の娘、メリューエル・メンデルだ。歳はアカネ殿のひとつ上、十七。困り事があればこのメリューエルか、そこのライラに頼るといい」
ちらりと見ると、室内には私の他にラズレイン公爵家の娘もいた。ライラ・ラズレイン。
私と同じ公爵家の娘で、彼女とは昔から何かと反りが合わない。彼女は私の視線に気がついたようだったけど、ツンと無視を決め込んだようだった。
聖女アカネは私とライラを交互に見る。
「初めまして。アリサワアカネです。色々教えてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします」
アカネは深くお辞儀した。
それにライラが安心させるような笑みを浮かべて答えた。
「ええ。何でも仰せくださいませね、聖女様」
私もなにか言うべきだろう。
だけど何を言えばいい?
これから私の婚約者を奪い、彼に愛される女に。私は何を言えばいいのだろうか。
聖女の目が私を映す。
警戒心が見え隠れする黒の瞳。
それを見て、私は口角を持ち上げて笑みを作った。作り笑いを浮かべるのは得意だ。
「なにか、お力になれることがあれば教えてくださいね。聖女様」
「アカネ様は私と同じ黒髪ですのね。親近感が湧きますわ。アカネ様の故郷はみな黒髪なのですか?」
ライラは聖女のすぐ側まで歩いていくと、にっこりと笑いかけた。
ライラは墨のような黒髪に、血のような赤い瞳を持つ女だ。毒々しい色合いを持つ彼女は、見た目と違わずその性格にも刺がある。
似たような性格の私とは昔から相性が悪い。
聖女はライラの言葉にびっくりしたように目を見開いた。
「え?えーと、日本は黒髪が多いけど海外は違うからなぁ……。私の育ったところでは、ですかね?あ、でもあなたのように綺麗な黒髪は見たことないかも」
「ま、お世辞でも嬉しいですわ。聖女様と同じだなんて、光栄です」
聖女の素直な賛辞はライラの警戒を少し解いたようだった。
そうだ、と思い出す。
物語ではライラは聖女の良き味方だった。
性悪なメリューエルより聖女の方がミュチュスカにはお似合いだ、と彼女をよく励ましていた。
気が強く、性格に難のある彼女には仲のいい友人がいない。ライラは初めてできた友人──物語では親友、と書かれていたか。
友達の恋を応援していた。
私はライラと聖女を白けた思いで見ていた。
ぽっと出の女が。
過去のミュチュスカを何一つ知らない女が、ミュチュスカを奪う。
悔しくて悔しくて、気を抜いたら罵声を浴びせてしまいそうだった。
(せっかく前世の記憶というものがあるのに、私の人格はあまり変わらないなんて)
あと少しでも前世の記憶を取り戻せれば、多少はこの歪んだ性格も矯正されるだろうか。それとも、前世の私もまた辛辣な性格をしていたのだろうか。だとしたら、救えない。
そんなことを考えていると、扉がノックされた。
ハッとして振り返る。
「ミュチュスカ・アリアンです。ご入室の許可を」
「入れ」
陛下が許可を出す。
謁見の間に現れたのは私の婚約者。
──そして、聖女の運命の相手である、ミュチュスカ。
ミュチュスカは長い金髪を後ろでひとつに束ね、長めの前髪に意志の強そうな切れ長の青い瞳をしている。
左目の目尻には、涙ボクロがあり彼の美貌に拍車をかけている。
彼には精悍という言葉より、美人という形容詞の方が良く似合う。そんな男だ。
私は彼の、寒い冬の湖面の底のような深い青色の瞳を見るのが大好きだった。
この婚約は、私の一目惚れで、メンデル公爵家がアリアン公爵家に持ち込んで決まったのものだ。五大貴族の血が薄れてきている、という理由もあり、私たちの婚約はすぐに決まった。
彼はいつも礼儀正しかった。
私とは一定の距離を保ち、紳士的に接した。
私はそれが不満だった。
彼は決して、私に砕けた態度を取らない。
いつだって、どんな時だって紳士的。
露出の多いドレスを身にまとっても、「ええ、良くお似合いですよ」といつもと同じような言葉しか貰えない。
抱きついたり、くっついたりしてアプローチしてみても「失礼、婚約者には不適切な距離かと思います」と離れてしまう。
彼はいつも礼儀正しいが──それだけだ。
決して、私を好きなわけではない。
彼の心が私にないと気がついた時、全てが悔しくなった。
なぜ、どうして私を見てくれないの。
私にあなたの心をくれないの。
私はあなたのことを心から愛してるのに──どうして、どうして、どうして!!
気がつけば私は、ミュチュスカの周りに群がる女たちを牽制し、時には蹴落とし、遠ざけた。
ミュチュスカが少し楽しげに女性と話せば、その女が好きなのかと疑心暗鬼に陥った。
私には決して親しげに話したりしないのに、見知らぬ女と気安げに話す彼を見ると、もうどうにもならなかった。
彼は私のものだ。私だけのものなはずなのに。
それなのになぜ。
どうして……彼はそんな瞳を向けるのか。
いつの間にか彼は凍りついた氷の瞳で私を見ていた。
エスコートも礼儀に則った最低限。
身を寄せれば、さりげなく、だけど必ず彼は私を引き剥がした。
嫌われている、のかもしれない。
それに気がついた時には全てが遅かった。
「そう……。そうよね、嫌われてもおかしくないわ」
むしろ当然だ。今まで私がやってきたことを考えれば。
室内の暖炉に目をやる。
炎がごうごうと燃えている。
彼に少しでも近づく女がいれば、邪魔な女を消すため手を打った。
手段は選ばなかった。時にはメンデル公爵家という名を使って圧力をかけて、噂を操り、社交界から追放した。
彼はそんな私を軽蔑し、私を遠ざけるようになった。
彼に距離を取られて、ますます私は精神的に不安定になった。彼に嫌われる。それはあまりにも恐ろしいことだった。
だけど。記憶の戻った今なら分かる。
「……こんな性格の悪い、悪女を好きになるはずがないわね」
ああ、だけど。それでも。
この狂おしい感情だけは消すことが出来ない。
いずれ、身を滅ぼさせる重たい感情だ。
わかっているのに、消し去ることは出来なかった。
☆
国王から召集がかかり、私もまた王城に向かった。
召喚されたばかりで心細いだろう聖女様をお慰めする、という理由で。
謁見の間に行けば、そこには聖女アカネがいた。想像よりも背が大きい。165……cmくらいだろうか。猫目の彼女は大きな瞳で威嚇するように入室した私を見た。
陛下が私を見て頷いた。
「彼女はメンデル公爵家の娘、メリューエル・メンデルだ。歳はアカネ殿のひとつ上、十七。困り事があればこのメリューエルか、そこのライラに頼るといい」
ちらりと見ると、室内には私の他にラズレイン公爵家の娘もいた。ライラ・ラズレイン。
私と同じ公爵家の娘で、彼女とは昔から何かと反りが合わない。彼女は私の視線に気がついたようだったけど、ツンと無視を決め込んだようだった。
聖女アカネは私とライラを交互に見る。
「初めまして。アリサワアカネです。色々教えてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします」
アカネは深くお辞儀した。
それにライラが安心させるような笑みを浮かべて答えた。
「ええ。何でも仰せくださいませね、聖女様」
私もなにか言うべきだろう。
だけど何を言えばいい?
これから私の婚約者を奪い、彼に愛される女に。私は何を言えばいいのだろうか。
聖女の目が私を映す。
警戒心が見え隠れする黒の瞳。
それを見て、私は口角を持ち上げて笑みを作った。作り笑いを浮かべるのは得意だ。
「なにか、お力になれることがあれば教えてくださいね。聖女様」
「アカネ様は私と同じ黒髪ですのね。親近感が湧きますわ。アカネ様の故郷はみな黒髪なのですか?」
ライラは聖女のすぐ側まで歩いていくと、にっこりと笑いかけた。
ライラは墨のような黒髪に、血のような赤い瞳を持つ女だ。毒々しい色合いを持つ彼女は、見た目と違わずその性格にも刺がある。
似たような性格の私とは昔から相性が悪い。
聖女はライラの言葉にびっくりしたように目を見開いた。
「え?えーと、日本は黒髪が多いけど海外は違うからなぁ……。私の育ったところでは、ですかね?あ、でもあなたのように綺麗な黒髪は見たことないかも」
「ま、お世辞でも嬉しいですわ。聖女様と同じだなんて、光栄です」
聖女の素直な賛辞はライラの警戒を少し解いたようだった。
そうだ、と思い出す。
物語ではライラは聖女の良き味方だった。
性悪なメリューエルより聖女の方がミュチュスカにはお似合いだ、と彼女をよく励ましていた。
気が強く、性格に難のある彼女には仲のいい友人がいない。ライラは初めてできた友人──物語では親友、と書かれていたか。
友達の恋を応援していた。
私はライラと聖女を白けた思いで見ていた。
ぽっと出の女が。
過去のミュチュスカを何一つ知らない女が、ミュチュスカを奪う。
悔しくて悔しくて、気を抜いたら罵声を浴びせてしまいそうだった。
(せっかく前世の記憶というものがあるのに、私の人格はあまり変わらないなんて)
あと少しでも前世の記憶を取り戻せれば、多少はこの歪んだ性格も矯正されるだろうか。それとも、前世の私もまた辛辣な性格をしていたのだろうか。だとしたら、救えない。
そんなことを考えていると、扉がノックされた。
ハッとして振り返る。
「ミュチュスカ・アリアンです。ご入室の許可を」
「入れ」
陛下が許可を出す。
謁見の間に現れたのは私の婚約者。
──そして、聖女の運命の相手である、ミュチュスカ。
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