50 / 50
三章:愛されない妃
私たちの正解
しおりを挟む
聖暦1948年12月23日。
国王の結婚式が執り行われた。
厳かな結婚式を終えた後は、披露宴が三日三晩行われる。
国内外から多くの参加者が訪れ、目が回るほどの忙しさだった。
エルフの王の結婚式は、その寿命の長さから三百年に一度しか見ることが適わない。
三百年に一度の祝祭を目に焼き付けようと国民も城下に集い、あちこちでお祭り騒ぎだ。辺境のちいさな村であっても、王の結婚式ばかりは祭りにするという。
パーティの参加者も、常の比ではない。
次から次に挨拶に来る招待客にいい加減目が回りそうだ。
既に初日の披露宴でかなり疲れていたが、しかしティファーニの王妃となった以上、そんなことも言っていられない。
(以前もこんなに凄かった……かしら)
ミレーゼであった時も、結婚式は上げたし、三日三晩の披露宴も同様に行った。だけど、こんなに疲れたものだっただろうか?
いまいち、思い出せない。フェリスとして生きた十七年と、ミレーゼの人生で結婚式を挙げてから死ぬまでの八年。合計、二十五年。
記憶が薄れてきているのだろうか。
(あと一日……乗り越えれば通常通りに戻るはず)
それだけを励みに、私は笑みを貼り付けて披露宴を乗りきった。
そして三日目の夜。
私はヘロヘロになりながら国王夫妻の寝室に案内された。
そのまま、ベッドに横になる。
ぼんやりと思うのは、やはり一度目の結婚の時のことだ。
以前は極度の緊張で、ベッドに横になって彼を待つことなんて出来なかった。
しかも、顔を合わせた直後。
私はその時のことを思い出して、笑みを浮かべた。まさか、あの時のことを思い出して笑みを浮かべる日がくるとは思わなかった。
全身が泥のように疲れているが、眠気は訪れなかった。手の甲を目元に押し当てる。
『僕に愛されてる、と思った?』
初夜で、彼は私を乱暴に押し倒すと、そう笑った。残酷なまでに美しく、冷酷なまでに端然とした笑みを浮かべて。
『──残念、僕はきみを愛していない。愛されていると思ってるなら、間違いだね』
ずいぶんな物言いだと思う。
思い出すと、悲しみより不快感を覚えた。
ぼんやりと過去のことを思い返していると、扉が控えめにノックされた。
ちら、と見ると、現れたのは白い人間だった。
リュシアン陛下だ。彼は私を見ると、なぜかホッとした様子を見せた。
もしかして、私が逃げるとでも思ったのだろうか。
私は、無礼にも寝転んだまま彼を見た。
リュシアン陛下は、私に近づくと、私の頬に手を伸ばした。ほんの僅かに体を固くさせたが、彼の指先はそのまま上をめざし、私の目元に触れた。
「……今日は、寝る?」
問いかけられた言葉に、しばらく理解が追いつかなかった。瞬きを繰り返していると、私の隣に彼が腰かける。
「目の下にくまが出来てる。……疲れてるんじゃない?」
私も、同じように体を起こした。
彼の隣に座り、彼の顔を覗き込んだ。
「初夜は拒否すると、そう言いたいのですか?」
「えっ?いや、そういう意味じゃなくて」
狼狽えたように、彼は言い淀んだ。
私は、あからさまに動揺した様子の彼をじっと見つめて、彼の真っ白なシャツを掴み、引き倒した。驚いたように、彼が目を見開いた。長い白銀のまつ毛が跳ね上がる。
それは一瞬のことで、私はリュシアン陛下の上に馬乗りになった。
「あなたは、私を愛していないのですよね?」
「……フェリス」
ぐっと顔を近づけて、額を合わせる。
至近距離で見た彼の瞳は冬の湖の底のようで、どこまでも澄んでいた。
エルフ族は美形が多い、と純人間の間で噂されるその内容は、真実だ。
何より、エルフの頂点に立つ彼は、生き物とは思えないほど美しい。長いまつ毛も、性別すらあやふやになってしまいそうな繊細な顔立ちも。それでいて、今の彼はどこか気まずそうな、後ろめたそうに視線を逸らしている。
その様子はあまりに人間臭く、彼が生きていることを私に伝えてくる。生身の人間である、と。
彼からは、白檀の香りがする。
それに気がついたのは、自然と共に在るエルフらしく、彼が使用するのは白檀の香水だ。
「あなたは、私を愛さない」
愛さないで欲しい、と言う思いは彼に伝わっだろうか。リュシアン陛下は、瞳を細めて私を見つめた。胸ぐらを掴んだまま、私は彼を見つめ返す。
今にも口付けてしまいそうな至近距離で、私は彼に言った。
「私もまた……あなたを愛しません」
「……きみが、そばにいてくれるなら、それでいい」
彼の答えは、どこかズレていて、私たちの会話はなにか噛み合っていない。それでも、彼が頷いたことに私はほっとした。
愛されない妃のままで、いい。
愛されない妃だから、いい。
愛など、ない方が。
それよりずっと重い言葉を私は知っている。
こんな感情が、愛、のはずがない。
こんな感情が、愛、などであってほしくない。
私は、そっと、彼のくちびるに自分のそれを重ねた。
重い、重い、感情を知ってしまった。
憎しみも、悲しみも、苦しみも。
愛しさも、切なさも、嬉しさも。
全ての感情が綯い交ぜになっている。
全ての感情を含んだこの気持ちを何と称するのか、私には分からない。
だけどひとつ分かっていることは、私はリュシアン陛下のそばにいるし、彼もまた、私のそばにいる。
ただ、それだけだ。それだけでいい。
結局、感情や関係よりも、こうしてそばにいることが、何よりの答えなのだ。
押し倒した彼に、今度は私が押し倒される。
シーツに背をつけて、天井を見るこの景色は、初めて見るものだ。彼の長い銀の髪がさらさらと落ちてくる。頬をくすぐり、胸元に擦れる。
くすぐったくて笑みを零すと、彼が切なそうに瞳を細めた。
また、口付けを交わす、互いを求めて。
私と彼は、きっと似たもの同士だ。
互いが互いに、執着している。
歪んでいるし、きっと私たちは間違えてもいるのだろう。
間違えているけれど、私たちはこれでいい。
そう、思った。
私は、彼の腕を掴んだ。
「……ミレーゼ?」
彼が、過去の私の名を呼ぶ。
私は、まつ毛を伏せて、視界を閉ざしながら彼に言った。
言ってしまった。
「愛している、と言ってみてください。昔の、私の名を呼んで」
熱に浮かされて、翻弄されて、そんなことを口走ってしまった。彼が、困惑した気配を感じた。それでも言葉を撤回する気は無い。
私は、彼のその言葉を聞いてどう思うのだろう。ミレーゼであった時に聞いていたら、きっと涙を流して喜んでいた。
では、今は?
「……僕には、きみしかいない」
「そうではなく」
「聞いて。フェリス」
彼は、今の私の名を呼んだ。
私を宥めようとしているのか、額に、頬に、鼻に、口付けを受けた。
「……好きだよ。……愛してる。きみのことを。フェリスでも、ミレーゼでも、どちらでも構わないんだ」
「……ミレーゼと呼んで、と言ったのに」
私は、彼に答えられなかった。
代わりに、目を開ければ、なんだか情けないリュシアン陛下の表情が目に入った。ふ、と笑みがこぼれた。そのまま彼の首の後ろに手を伸ばして、彼を引き寄せた。
鼻の頭に口付けて、くちびるを合わせる。
口付けに、何の意味があるのだろう。口付けは、行為には関係がない。しなくても、構わないはずだった。舌を絡めて、深くくちびるを合わせた。
「私は、何年生きるのですか?ミレーゼの時と同じ?」
深い口付けの余韻で、声が掠れた。
至近距離で、目が合う。彼の瞳は──嫌いじゃない。どこまでも澄んだ、冬の湖面のような、そんな色の瞳。見ていて寒々しいのに、澄んだ空気のようなものを感じる。
彼が、ゆっくりと口を開いた。薄いくちびるは、私と何度も口付けを交わしたために濡れていた。
「きみはどうしたい?」
「……あなたと、同じ時を生きたいです」
正直に答えた。リュシアン陛下と同じ時を生きる、ということはつまり三百年の時を生きるということだ。
私は、彼のそばにいるべきだ、と思った。
私と彼は、共にいなければならない。
私の言葉に、彼が笑った。
氷が溶けるような、雪解けのような。あるいは、冬の終わりを告げるような、そんな優しい笑みだった。
どちらともなく、口付けを交わす。
私はまつ毛を伏せて彼の口付けを受けていたが、ふと思い立って彼を見た。
彼は、私と目が合うと僅かに首を傾げた。さらりと、銀の髪が揺れる。
私は、彼の髪に手を差し込んだ。滑らかな感触だ。
「僕の……私の生涯をかけて、きみを愛するから」
彼が、宣言するように言った。
愛してる、と言って欲しくないのに。
私は笑って彼に言う。
「愛されない妃ですので、そういうのは結構です」
「押し付けがましい?」
「はい」
また笑って答えると、彼が困ったように笑みを浮かべた。私たちは、何をしているのだろう。
初夜のベッドで、こんな会話を繰り広げている。
口付けを解くと、彼が熱の篭った息を吐いた。
彼の目尻はほのかに赤く染まっている。抱き合った体は熱を持っていた。いつも、ひんやりとしているのに。
そんなことを考えながら、私は目を閉じた。
「……ふたりの時だけなら」
「ん……?」
「ミレーゼ、と呼んでも構いません」
「……いいの?」
「ええ。……良いんです」
過去を清算することはできないし、なかったことにもできない。過去があるから、今がある。
それを理解しているから、だから。
「ミレーゼであったことも……今、私がフェリスであることも、事実ですから」
どちらも捨てずに、受け入れて生きていくしかたないのだろう。
あれだけ感じていた苦しみや辛さは、もうなかった。私はふたたび目を閉じる。
ミレーゼであった時に感じたこと。
フェリスになってから、決意したこと。
過去、ミレーゼであった時に。
一度でも、愛しています、と彼に告げていたなら──。
今更、考えても仕方ない、甘い夢想にゆっくりと沈んでいく。
あと十年、百年、二百年が経ったら。
いつかまた、その言葉を口にできるだろうか。言いたい、と思うだろうか。
分からないけど、今はまだ、このままで。
【愛されない妃ですので。 完】
国王の結婚式が執り行われた。
厳かな結婚式を終えた後は、披露宴が三日三晩行われる。
国内外から多くの参加者が訪れ、目が回るほどの忙しさだった。
エルフの王の結婚式は、その寿命の長さから三百年に一度しか見ることが適わない。
三百年に一度の祝祭を目に焼き付けようと国民も城下に集い、あちこちでお祭り騒ぎだ。辺境のちいさな村であっても、王の結婚式ばかりは祭りにするという。
パーティの参加者も、常の比ではない。
次から次に挨拶に来る招待客にいい加減目が回りそうだ。
既に初日の披露宴でかなり疲れていたが、しかしティファーニの王妃となった以上、そんなことも言っていられない。
(以前もこんなに凄かった……かしら)
ミレーゼであった時も、結婚式は上げたし、三日三晩の披露宴も同様に行った。だけど、こんなに疲れたものだっただろうか?
いまいち、思い出せない。フェリスとして生きた十七年と、ミレーゼの人生で結婚式を挙げてから死ぬまでの八年。合計、二十五年。
記憶が薄れてきているのだろうか。
(あと一日……乗り越えれば通常通りに戻るはず)
それだけを励みに、私は笑みを貼り付けて披露宴を乗りきった。
そして三日目の夜。
私はヘロヘロになりながら国王夫妻の寝室に案内された。
そのまま、ベッドに横になる。
ぼんやりと思うのは、やはり一度目の結婚の時のことだ。
以前は極度の緊張で、ベッドに横になって彼を待つことなんて出来なかった。
しかも、顔を合わせた直後。
私はその時のことを思い出して、笑みを浮かべた。まさか、あの時のことを思い出して笑みを浮かべる日がくるとは思わなかった。
全身が泥のように疲れているが、眠気は訪れなかった。手の甲を目元に押し当てる。
『僕に愛されてる、と思った?』
初夜で、彼は私を乱暴に押し倒すと、そう笑った。残酷なまでに美しく、冷酷なまでに端然とした笑みを浮かべて。
『──残念、僕はきみを愛していない。愛されていると思ってるなら、間違いだね』
ずいぶんな物言いだと思う。
思い出すと、悲しみより不快感を覚えた。
ぼんやりと過去のことを思い返していると、扉が控えめにノックされた。
ちら、と見ると、現れたのは白い人間だった。
リュシアン陛下だ。彼は私を見ると、なぜかホッとした様子を見せた。
もしかして、私が逃げるとでも思ったのだろうか。
私は、無礼にも寝転んだまま彼を見た。
リュシアン陛下は、私に近づくと、私の頬に手を伸ばした。ほんの僅かに体を固くさせたが、彼の指先はそのまま上をめざし、私の目元に触れた。
「……今日は、寝る?」
問いかけられた言葉に、しばらく理解が追いつかなかった。瞬きを繰り返していると、私の隣に彼が腰かける。
「目の下にくまが出来てる。……疲れてるんじゃない?」
私も、同じように体を起こした。
彼の隣に座り、彼の顔を覗き込んだ。
「初夜は拒否すると、そう言いたいのですか?」
「えっ?いや、そういう意味じゃなくて」
狼狽えたように、彼は言い淀んだ。
私は、あからさまに動揺した様子の彼をじっと見つめて、彼の真っ白なシャツを掴み、引き倒した。驚いたように、彼が目を見開いた。長い白銀のまつ毛が跳ね上がる。
それは一瞬のことで、私はリュシアン陛下の上に馬乗りになった。
「あなたは、私を愛していないのですよね?」
「……フェリス」
ぐっと顔を近づけて、額を合わせる。
至近距離で見た彼の瞳は冬の湖の底のようで、どこまでも澄んでいた。
エルフ族は美形が多い、と純人間の間で噂されるその内容は、真実だ。
何より、エルフの頂点に立つ彼は、生き物とは思えないほど美しい。長いまつ毛も、性別すらあやふやになってしまいそうな繊細な顔立ちも。それでいて、今の彼はどこか気まずそうな、後ろめたそうに視線を逸らしている。
その様子はあまりに人間臭く、彼が生きていることを私に伝えてくる。生身の人間である、と。
彼からは、白檀の香りがする。
それに気がついたのは、自然と共に在るエルフらしく、彼が使用するのは白檀の香水だ。
「あなたは、私を愛さない」
愛さないで欲しい、と言う思いは彼に伝わっだろうか。リュシアン陛下は、瞳を細めて私を見つめた。胸ぐらを掴んだまま、私は彼を見つめ返す。
今にも口付けてしまいそうな至近距離で、私は彼に言った。
「私もまた……あなたを愛しません」
「……きみが、そばにいてくれるなら、それでいい」
彼の答えは、どこかズレていて、私たちの会話はなにか噛み合っていない。それでも、彼が頷いたことに私はほっとした。
愛されない妃のままで、いい。
愛されない妃だから、いい。
愛など、ない方が。
それよりずっと重い言葉を私は知っている。
こんな感情が、愛、のはずがない。
こんな感情が、愛、などであってほしくない。
私は、そっと、彼のくちびるに自分のそれを重ねた。
重い、重い、感情を知ってしまった。
憎しみも、悲しみも、苦しみも。
愛しさも、切なさも、嬉しさも。
全ての感情が綯い交ぜになっている。
全ての感情を含んだこの気持ちを何と称するのか、私には分からない。
だけどひとつ分かっていることは、私はリュシアン陛下のそばにいるし、彼もまた、私のそばにいる。
ただ、それだけだ。それだけでいい。
結局、感情や関係よりも、こうしてそばにいることが、何よりの答えなのだ。
押し倒した彼に、今度は私が押し倒される。
シーツに背をつけて、天井を見るこの景色は、初めて見るものだ。彼の長い銀の髪がさらさらと落ちてくる。頬をくすぐり、胸元に擦れる。
くすぐったくて笑みを零すと、彼が切なそうに瞳を細めた。
また、口付けを交わす、互いを求めて。
私と彼は、きっと似たもの同士だ。
互いが互いに、執着している。
歪んでいるし、きっと私たちは間違えてもいるのだろう。
間違えているけれど、私たちはこれでいい。
そう、思った。
私は、彼の腕を掴んだ。
「……ミレーゼ?」
彼が、過去の私の名を呼ぶ。
私は、まつ毛を伏せて、視界を閉ざしながら彼に言った。
言ってしまった。
「愛している、と言ってみてください。昔の、私の名を呼んで」
熱に浮かされて、翻弄されて、そんなことを口走ってしまった。彼が、困惑した気配を感じた。それでも言葉を撤回する気は無い。
私は、彼のその言葉を聞いてどう思うのだろう。ミレーゼであった時に聞いていたら、きっと涙を流して喜んでいた。
では、今は?
「……僕には、きみしかいない」
「そうではなく」
「聞いて。フェリス」
彼は、今の私の名を呼んだ。
私を宥めようとしているのか、額に、頬に、鼻に、口付けを受けた。
「……好きだよ。……愛してる。きみのことを。フェリスでも、ミレーゼでも、どちらでも構わないんだ」
「……ミレーゼと呼んで、と言ったのに」
私は、彼に答えられなかった。
代わりに、目を開ければ、なんだか情けないリュシアン陛下の表情が目に入った。ふ、と笑みがこぼれた。そのまま彼の首の後ろに手を伸ばして、彼を引き寄せた。
鼻の頭に口付けて、くちびるを合わせる。
口付けに、何の意味があるのだろう。口付けは、行為には関係がない。しなくても、構わないはずだった。舌を絡めて、深くくちびるを合わせた。
「私は、何年生きるのですか?ミレーゼの時と同じ?」
深い口付けの余韻で、声が掠れた。
至近距離で、目が合う。彼の瞳は──嫌いじゃない。どこまでも澄んだ、冬の湖面のような、そんな色の瞳。見ていて寒々しいのに、澄んだ空気のようなものを感じる。
彼が、ゆっくりと口を開いた。薄いくちびるは、私と何度も口付けを交わしたために濡れていた。
「きみはどうしたい?」
「……あなたと、同じ時を生きたいです」
正直に答えた。リュシアン陛下と同じ時を生きる、ということはつまり三百年の時を生きるということだ。
私は、彼のそばにいるべきだ、と思った。
私と彼は、共にいなければならない。
私の言葉に、彼が笑った。
氷が溶けるような、雪解けのような。あるいは、冬の終わりを告げるような、そんな優しい笑みだった。
どちらともなく、口付けを交わす。
私はまつ毛を伏せて彼の口付けを受けていたが、ふと思い立って彼を見た。
彼は、私と目が合うと僅かに首を傾げた。さらりと、銀の髪が揺れる。
私は、彼の髪に手を差し込んだ。滑らかな感触だ。
「僕の……私の生涯をかけて、きみを愛するから」
彼が、宣言するように言った。
愛してる、と言って欲しくないのに。
私は笑って彼に言う。
「愛されない妃ですので、そういうのは結構です」
「押し付けがましい?」
「はい」
また笑って答えると、彼が困ったように笑みを浮かべた。私たちは、何をしているのだろう。
初夜のベッドで、こんな会話を繰り広げている。
口付けを解くと、彼が熱の篭った息を吐いた。
彼の目尻はほのかに赤く染まっている。抱き合った体は熱を持っていた。いつも、ひんやりとしているのに。
そんなことを考えながら、私は目を閉じた。
「……ふたりの時だけなら」
「ん……?」
「ミレーゼ、と呼んでも構いません」
「……いいの?」
「ええ。……良いんです」
過去を清算することはできないし、なかったことにもできない。過去があるから、今がある。
それを理解しているから、だから。
「ミレーゼであったことも……今、私がフェリスであることも、事実ですから」
どちらも捨てずに、受け入れて生きていくしかたないのだろう。
あれだけ感じていた苦しみや辛さは、もうなかった。私はふたたび目を閉じる。
ミレーゼであった時に感じたこと。
フェリスになってから、決意したこと。
過去、ミレーゼであった時に。
一度でも、愛しています、と彼に告げていたなら──。
今更、考えても仕方ない、甘い夢想にゆっくりと沈んでいく。
あと十年、百年、二百年が経ったら。
いつかまた、その言葉を口にできるだろうか。言いたい、と思うだろうか。
分からないけど、今はまだ、このままで。
【愛されない妃ですので。 完】
1,692
お気に入りに追加
4,202
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(110件)
あなたにおすすめの小説
【完結】側妃は愛されるのをやめました
なか
恋愛
「君ではなく、彼女を正妃とする」
私は、貴方のためにこの国へと貢献してきた自負がある。
なのに……彼は。
「だが僕は、ラテシアを見捨てはしない。これから君には側妃になってもらうよ」
私のため。
そんな建前で……側妃へと下げる宣言をするのだ。
このような侮辱、恥を受けてなお……正妃を求めて抗議するか?
否。
そのような恥を晒す気は無い。
「承知いたしました。セリム陛下……私は側妃を受け入れます」
側妃を受けいれた私は、呼吸を挟まずに言葉を続ける。
今しがた決めた、たった一つの決意を込めて。
「ですが陛下。私はもう貴方を支える気はありません」
これから私は、『捨てられた妃』という汚名でなく、彼を『捨てた妃』となるために。
華々しく、私の人生を謳歌しよう。
全ては、廃妃となるために。
◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです!
【完結】殿下、自由にさせていただきます。
なか
恋愛
「出て行ってくれリルレット。王宮に君が住む必要はなくなった」
その言葉と同時に私の五年間に及ぶ初恋は終わりを告げた。
アルフレッド殿下の妃候補として選ばれ、心の底から喜んでいた私はもういない。
髪を綺麗だと言ってくれた口からは、私を貶める言葉しか出てこない。
見惚れてしまう程の笑みは、もう見せてもくれない。
私………貴方に嫌われた理由が分からないよ。
初夜を私一人だけにしたあの日から、貴方はどうして変わってしまったの?
恋心は砕かれた私は死さえ考えたが、過去に見知らぬ男性から渡された本をきっかけに騎士を目指す。
しかし、正騎士団は女人禁制。
故に私は男性と性別を偽って生きていく事を決めたのに……。
晴れて騎士となった私を待っていたのは、全てを見抜いて笑う副団長であった。
身分を明かせない私は、全てを知っている彼と秘密の恋をする事になる。
そして、騎士として王宮内で起きた変死事件やアルフレッドの奇行に大きく関わり、やがて王宮に蔓延る謎と対峙する。
これは、私の初恋が終わり。
僕として新たな人生を歩みだした話。
【完結】私が貴方の元を去ったわけ
なか
恋愛
「貴方を……愛しておりました」
国の英雄であるレイクス。
彼の妻––リディアは、そんな言葉を残して去っていく。
離婚届けと、別れを告げる書置きを残された中。
妻であった彼女が突然去っていった理由を……
レイクスは、大きな後悔と、恥ずべき自らの行為を知っていく事となる。
◇◇◇
プロローグ、エピローグを入れて全13話
完結まで執筆済みです。
久しぶりのショートショート。
懺悔をテーマに書いた作品です。
もしよろしければ、読んでくださると嬉しいです!
あなたなんて大嫌い
みおな
恋愛
私の婚約者の侯爵子息は、義妹のことばかり優先して、私はいつも我慢ばかり強いられていました。
そんなある日、彼が幼馴染だと言い張る伯爵令嬢を抱きしめて愛を囁いているのを聞いてしまいます。
そうですか。
私の婚約者は、私以外の人ばかりが大切なのですね。
私はあなたのお財布ではありません。
あなたなんて大嫌い。
【完結】私は死んだ。だからわたしは笑うことにした。
彩華(あやはな)
恋愛
最後に見たのは恋人の手をとる婚約者の姿。私はそれを見ながら階段から落ちた。
目を覚ましたわたしは変わった。見舞いにも来ない両親にー。婚約者にもー。わたしは私の為に彼らをやり込める。わたしは・・・私の為に、笑う。
【完結】この運命を受け入れましょうか
なか
恋愛
「君のようは妃は必要ない。ここで廃妃を宣言する」
自らの夫であるルーク陛下の言葉。
それに対して、ヴィオラ・カトレアは余裕に満ちた微笑みで答える。
「承知しました。受け入れましょう」
ヴィオラにはもう、ルークへの愛など残ってすらいない。
彼女が王妃として支えてきた献身の中で、平民生まれのリアという女性に入れ込んだルーク。
みっともなく、情けない彼に対して恋情など抱く事すら不快だ。
だが聖女の素養を持つリアを、ルークは寵愛する。
そして貴族達も、莫大な益を生み出す聖女を妃に仕立てるため……ヴィオラへと無実の罪を被せた。
あっけなく信じるルークに呆れつつも、ヴィオラに不安はなかった。
これからの顛末も、打開策も全て知っているからだ。
前世の記憶を持ち、ここが物語の世界だと知るヴィオラは……悲運な運命を受け入れて彼らに意趣返す。
ふりかかる不幸を全て覆して、幸せな人生を歩むため。
◇◇◇◇◇
設定は甘め。
不安のない、さっくり読める物語を目指してます。
良ければ読んでくだされば、嬉しいです。
【完結】潔く私を忘れてください旦那様
なか
恋愛
「子を産めないなんて思っていなかった
君を選んだ事が間違いだ」
子を産めない
お医者様に診断され、嘆き泣いていた私に彼がかけた最初の言葉を今でも忘れない
私を「愛している」と言った口で
別れを告げた
私を抱きしめた両手で
突き放した彼を忘れるはずがない……
1年の月日が経ち
ローズベル子爵家の屋敷で過ごしていた私の元へとやって来た来客
私と離縁したベンジャミン公爵が訪れ、開口一番に言ったのは
謝罪の言葉でも、後悔の言葉でもなかった。
「君ともう一度、復縁をしたいと思っている…引き受けてくれるよね?」
そんな事を言われて……私は思う
貴方に返す返事はただ一つだと。
【完結】貴方達から離れたら思った以上に幸せです!
なか
恋愛
「君の妹を正妻にしたい。ナターリアは側室になり、僕を支えてくれ」
信じられない要求を口にした夫のヴィクターは、私の妹を抱きしめる。
私の両親も同様に、妹のために受け入れろと口を揃えた。
「お願いお姉様、私だってヴィクター様を愛したいの」
「ナターリア。姉として受け入れてあげなさい」
「そうよ、貴方はお姉ちゃんなのよ」
妹と両親が、好き勝手に私を責める。
昔からこうだった……妹を庇護する両親により、私の人生は全て妹のために捧げていた。
まるで、妹の召使のような半生だった。
ようやくヴィクターと結婚して、解放されたと思っていたのに。
彼を愛して、支え続けてきたのに……
「ナターリア。これからは妹と一緒に幸せになろう」
夫である貴方が私を裏切っておきながら、そんな言葉を吐くのなら。
もう、いいです。
「それなら、私が出て行きます」
……
「「「……え?」」」
予想をしていなかったのか、皆が固まっている。
でも、もう私の考えは変わらない。
撤回はしない、決意は固めた。
私はここから逃げ出して、自由を得てみせる。
だから皆さん、もう関わらないでくださいね。
◇◇◇◇◇◇
設定はゆるめです。
読んでくださると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
とても楽しく読ませて頂きました。
まるでメリーゴーランドのように、縺れあった糸のように……
読み応えのある、そんな感じのお話でした。
お疲れさまでした、そして有難うございました。
2章 エルフらしい人
まだ読み進めているところなので読み込めていないのですが、フェリスがアークの義姉と書かれていました。フェリスはアークより年下の設定ではなかったでしょうか。
完結投稿お疲れ様でした✨
お互いに『共依存』の関係でしたね😌