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三章:愛されない妃

強制力

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ひとしきり泣くと、さすがに冷静になった。
自分でもぐちゃぐちゃで纏まっていなかった感情が、正しく整理された。
私は、アークに過去の自分を重ねていた。
いや、あるいは助けられなかったミレーゼの代わりに、彼を救いたいとすら思っていたのかもしれない。それはあまりにもおこがましくて、押し付けがましい感情だ。
私はそろりとリュシアン陛下の胸元から顔を上げた。彼の白い服は私の涙で濡れ、色を変えている。

「……落ち着いた?」

彼に問われ、私は頷いた。
彼に手を取られる。
もう、振り払う気はなかった。

「ホールまで送るよ」

「……リュシアン陛下」

私は、彼に手を取られながら扉へ向かう。
激しい く泣いたために、化粧は禿げてしまっているだろう。みっともない顔を隠すように俯いた。彼が、私に視線を向けるのがわかった。

「私たちの婚約に……私たちの関係に、愛はありませんよね?」

ほんの一瞬、私の手を掴む彼の手に力が入ったように感じた。だけどそれは勘違いだったかのように、すぐ緩められる。

「……そう、だね」

妙に歯切れの悪い言葉だ。
顔を上げると、彼はまっすぐ前を向いていた。

「愛なんてない、ね。互いに」

「私はあなたを愛しませんし、あなたも私を愛さない。……それでも、契約がある以上私たちの関係は絶対、ですね」

半ば独り言のように呟いた。
それは、婚約、婚姻、という関係よりも絶対的なもので、確かなもののように思えた。
愛、なんて目に見えない不確かなものよりもずっと、正確で信じられるもの。

応接室を出て、回廊を歩くと視界の端に薔薇園が見えた。私たちの間に会話はなかった。
静かに歩いいていると、ようやく玄関ホールが目に入る。
彼は馬車留めまで見送ってくれるようだった。エルフの王たるひとにそこまでされるのは体裁が悪かったが、彼のすることは絶対だ。
精々、恐縮し感謝するふりでもしていよう──と思ったところで。
名を呼ばれた。

「フェリス」

陛下よりも低く、落ち着いた声。
視線を向ければ、そこにいたのはアークだった。どうやら、まだ王城に残っていたようだ。
彼は私を見て、それからリュシアン陛下に視線を向けた。一瞬、その瞳に鋭さが宿る。
エルフを心底憎むアークだ。
公の場で非礼を働かないかと冷や冷やするが、さすがに彼も理解しているようだった。
アークは口を噤むとその場に跪いた。
背景と変わらない城内の近衛騎士は別として、基本、王族の許しなく顔を上げることは許されていない。許可なく拝顔することは、不敬に値するからだ。
私は、リュシアン陛下の婚約者という立場ゆえに許されているだけだ。

「顔を」

短く陛下が許可をだす。
アークはゆっくりと顔を上げた。
曇天に燃える火のような炎を宿した瞳は静かで、何を考えているのか全くわからない。

「立ちなさい」

リュシアン陛下が続けて命じる。
私も、アークもその言葉に僅かに動揺した。
しかし、やはりエルフの王の言葉は絶対。
ほかの人間の目もある以上断るわけにもいかない。アークは無言で立ち上がった。
ふたりの身長はあまり変わらなかったが、リュシアン陛下の方が幾ばくか高いようだった。
私は内心、気が気ではなかった。
どこか幻のような、現実味のない容姿の陛下と、闇を感じさせる容姿のアーク。
リュシアン陛下はじっとアークを見つめていた。

「……きみが、シェリンソンの養子?」

「……は」

短くアークが答える。
リュシアン陛下は何のつもりなのだろう。
何をする気なのだろう。
アークはリュシアン陛下をまっすぐ見つめ返している。それを、リュシアン陛下はつまらなそうに見返していたが──やがて、なにかに気がついたようにほんのわずかに、目を見開いた。
それは一瞬で、些細な変化だった。
だけど、長い時間を共にしているためか。
私はその変化に気がついた。
アークは僅かに眉を寄せる。
怪訝に思っているのが分かる仕草だった。

「アーク・シェリンソン。シェリンソン家は、次の代も養子を迎えるといい」

「は……?」

(な……!?)

動揺を呑んでリュシアン陛下を見る。
彼は淡々としており、いつもの無表情だ。
その心の内は伺えない。
ちらり、と彼の瞳が私を見る。
そして、僅かにくちびるの端を持ち上げた。

「フェリスをよろしくね」

「──はい」

はくはくと、口を開閉してなにか言おうとしていたアークは──是、と返した。
リュシアン陛下は心做しか笑ったように見えた。
人前で、このひとは全く表情を崩さない。
自身の発した言葉は紛れもない命令だと知っているからか、それ以外の感情を決して見せないのだ。ひとをそれは、堂々としている、と評するのかもしれない。
だけどその姿こそがまさに人形のようだと、思っている人間はいるのではないだろうか。

「フェリス」

「……はい」

彼に呼びかけられて、私はリュシアン陛下を見る。彼の指が、私のくちびるをなぞった。
なにかの意味を孕むように。

「……忘れないでね」

くちびるを撫でられて思い出すのは、血の盟約だ。だけど、この状況では、ほかのひとには口付けを意味しているようにしか見えないだろう。
彼とは、確かにキスをしたけれど。だけとどあれは、恋人のような甘さとはかけ離れた行為だった。
くちびるを触れる彼の指はあまりに艶っぽい。
ふと、私は思った。
私は、彼とどんな夜を過ごすのだろうか、と。
リュシアン陛下はそれだけ言うと、戴冠式の後処理が残っているのだろう。
若き国王は忙しいのだろう。
そのまま踵を返した。
途端、重たい空気が霧散する。
人知れず緊張していたのかもしれない。私は短く息を吐いた。

「……フェリス」

アークに呼びかけられて、私はちいさく頷いた。
両親は既に邸宅に戻っているようで、私とアークのふたりで馬車に乗り込んだ。
ふたりきりになって、ようやく彼が口を開く。

「……陛下は、どんなひと?」

私は目を瞬いた。
まさか、アークがリュシアン陛下に興味を抱くとは思わなかったから。
私は返答に少し悩んだ。
どんなひと、と聞かれても一言では答えられない。悩みに悩んで、ようやく回答を用意することが出来た。

「エルフらしいひと……かしら」

「そう……」

ぽつりと言ったきり、アークは黙り込んだ。
何かを、考えているようだった。


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