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二章:逃げられないのなら
決めたこと
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「…………お義兄様は」
私は、ゆっくり言葉を紡いだ。
アークは、私の言葉の続きを聞くことなく首を横に振る。
「僕には、選択肢はない」
「…………」
「分かってる。分かっているんだ。……それでも」
アークは、真っ直ぐ前を向いた。
私は、言葉を呑み込んだ。
「今はまだ、考えたくない」
──お義兄様はきっと、この国で生きていくのは向いていない。
そして、それは私も。
あぶれたもの同士、仲良くこの国を去れれば良かった。
『私と、逃げる?』
尋ねたら、彼はどう答えるのだろう。
きっと驚いて、そして、苦痛を覚えたような顔をするのだ。
だって彼は、シェリンソンの家を捨てられない。
恩義を感じているから。
お母様に、お父様に。
あの、見世物小屋から連れ出された彼は、少なからずシェリンソンの家に恩を感じているのだ。
だから、彼は言わない。
エルフを心底憎んでいても、ここから逃げ出そうとしない、理由。
私も、言えなかった。
だって、私もまた、逃げられない理由がある。
(リュシアン殿下……)
私が、いなければあのひとは。
また、罪を犯す。
罪を、罪とも思わずに、手を汚す。
そして、きっとそれを咎めるひとはいない。
多くのひとがまた、犠牲になる。
そして、それを幸と思うのだろう。
歪んでいる。それが、ティファーニ。
そうすることが、当然の在り方。
私が異常に思う方が異常なのだろう。
分かっている。それでも、私はそれを無関係と、好きにすればいいと彼の手を放すことは出来なかった。
もう、私のせいで、知らないところでひとが死ぬのは嫌だった。
アークも、私も、きっと囚われている。
アークは、シェリンソンへの恩。
私は、リュシアン殿下への、情。
「メロディ様は、結婚相手には向いていないと思う」
馬車に乗り込んで、アークに言う。
彼は、ふん、と皮肉げに鼻を鳴らすだけだった。
「ねえ。でも、もしかしたら……ほかに、いいひとがいるかもしれない」
「それを、お前が探してくれるの?」
明らかに、彼が嫌がっていることは理解している。
それでも、私は、少しでもいい未来が訪れるように。引き寄せられるように、行動したいと、そう思っている。例えそれが、自分勝手に過ぎない、自己中心的な思いであっても。
「まだ出会っていないだけで、お義兄様が好きになる方がいるかもしれないじゃない」
「は。そんなやつも、僕が純人間だと知れば手のひらを返す」
「そんなこと……」
「そうだろ?それを……お前がいちばん、知っているはずだ」
言いきられて、私は何も言えなくなってしまった。
☆
三日後、王城から親書が届いた。
送り主は、リュシアン殿下。
予想していたことだ。
お父様の書斎に呼び出され、リュシアン殿下の手紙を差し出される。宛名は、私の名前になっていた。傍に控える侍従にペーパーナイフを手渡されて、封を切る。
中には、一枚の便箋。
そこに書かれていることも、予想していた通りだった。
私への、婚約の打診。
私は、それをお父様に差し出した。
お父様は手紙をじっと見つめて、短い文章をじゅうぶん過ぎるほどに読み返してから、顔を上げた。
「お前は、どうしたい」
「…………私は」
リュシアン殿下への、感情はもう、一言では言い表せられない。
憎いし、恨んでいるし、嫌悪しているし、腹を割って話してからは、どうしようもないひとだと思っている。
まるで、倫理観を教えられなかった幼子のよう。無垢に無邪気に、同じくらい残酷だ。
虫の足をいたずらに引きちぎり、蝶の羽を捥ぐ子供と、なんら変わらない。
この気持ちがなにか、私には分からなかった。
それでも、答えは決まっている。
「お受けします」
以前は、物心ついた時には、私と彼の婚約は決まっていた。
私の意思は、そこにはなかった。
彼に愛されようと、彼に受け入れてもらおうと、必死だった。ただ、それだけ。
私の、物事の基準は彼だった。
彼に嫌われないだろうか。彼にどう思われるだろうか。そんなことを常に考えていたような気がするし、どうあっても彼に愛されないと気がついてからは、静かに生きていこうと思った。
同じくらい、きっと、死にたいとも思っていた。
「お父様。……殿下に、ぜひお会いしたいと……そう、伝えてください」
もう、そんなのはうんざりだ。
ひとの顔色を伺って、ジメジメと生きていくのは、もう、二度と。
私が時を戻るために犠牲になった命があった。
リュシアン殿下は、とんでもないことをした。そを彼は、自覚していない。
だから、私は彼に償わせたいと思った。
それはやはり、私の傲慢で、自己満足なのだろう。それでも、私が彼にそれを教えることが、彼らへの……この国の民への──いや、私の贖罪になるだろうと思っていた。
私の強い声に、お父様は少し驚いたようだった。戸惑い気味に、それでも頷いて答えた。
「分かった。……それにしても、いつ殿下とお会いしたんだい?」
リュシアン殿下は、来月、正式に即位することが決められている。
つまり私は、王の婚約者となるわけだ。
私は、お父様の言葉に曖昧に笑った。
「社交デビューの夜です。……運命のようですわね」
そう、運命のよう。
周りのひとをたくさん巻き込んで、振り回して、私も、彼も、同じくらいどうしようもない。
迷惑で、自己中心的で、破滅的だ。
【二章 完】
私は、ゆっくり言葉を紡いだ。
アークは、私の言葉の続きを聞くことなく首を横に振る。
「僕には、選択肢はない」
「…………」
「分かってる。分かっているんだ。……それでも」
アークは、真っ直ぐ前を向いた。
私は、言葉を呑み込んだ。
「今はまだ、考えたくない」
──お義兄様はきっと、この国で生きていくのは向いていない。
そして、それは私も。
あぶれたもの同士、仲良くこの国を去れれば良かった。
『私と、逃げる?』
尋ねたら、彼はどう答えるのだろう。
きっと驚いて、そして、苦痛を覚えたような顔をするのだ。
だって彼は、シェリンソンの家を捨てられない。
恩義を感じているから。
お母様に、お父様に。
あの、見世物小屋から連れ出された彼は、少なからずシェリンソンの家に恩を感じているのだ。
だから、彼は言わない。
エルフを心底憎んでいても、ここから逃げ出そうとしない、理由。
私も、言えなかった。
だって、私もまた、逃げられない理由がある。
(リュシアン殿下……)
私が、いなければあのひとは。
また、罪を犯す。
罪を、罪とも思わずに、手を汚す。
そして、きっとそれを咎めるひとはいない。
多くのひとがまた、犠牲になる。
そして、それを幸と思うのだろう。
歪んでいる。それが、ティファーニ。
そうすることが、当然の在り方。
私が異常に思う方が異常なのだろう。
分かっている。それでも、私はそれを無関係と、好きにすればいいと彼の手を放すことは出来なかった。
もう、私のせいで、知らないところでひとが死ぬのは嫌だった。
アークも、私も、きっと囚われている。
アークは、シェリンソンへの恩。
私は、リュシアン殿下への、情。
「メロディ様は、結婚相手には向いていないと思う」
馬車に乗り込んで、アークに言う。
彼は、ふん、と皮肉げに鼻を鳴らすだけだった。
「ねえ。でも、もしかしたら……ほかに、いいひとがいるかもしれない」
「それを、お前が探してくれるの?」
明らかに、彼が嫌がっていることは理解している。
それでも、私は、少しでもいい未来が訪れるように。引き寄せられるように、行動したいと、そう思っている。例えそれが、自分勝手に過ぎない、自己中心的な思いであっても。
「まだ出会っていないだけで、お義兄様が好きになる方がいるかもしれないじゃない」
「は。そんなやつも、僕が純人間だと知れば手のひらを返す」
「そんなこと……」
「そうだろ?それを……お前がいちばん、知っているはずだ」
言いきられて、私は何も言えなくなってしまった。
☆
三日後、王城から親書が届いた。
送り主は、リュシアン殿下。
予想していたことだ。
お父様の書斎に呼び出され、リュシアン殿下の手紙を差し出される。宛名は、私の名前になっていた。傍に控える侍従にペーパーナイフを手渡されて、封を切る。
中には、一枚の便箋。
そこに書かれていることも、予想していた通りだった。
私への、婚約の打診。
私は、それをお父様に差し出した。
お父様は手紙をじっと見つめて、短い文章をじゅうぶん過ぎるほどに読み返してから、顔を上げた。
「お前は、どうしたい」
「…………私は」
リュシアン殿下への、感情はもう、一言では言い表せられない。
憎いし、恨んでいるし、嫌悪しているし、腹を割って話してからは、どうしようもないひとだと思っている。
まるで、倫理観を教えられなかった幼子のよう。無垢に無邪気に、同じくらい残酷だ。
虫の足をいたずらに引きちぎり、蝶の羽を捥ぐ子供と、なんら変わらない。
この気持ちがなにか、私には分からなかった。
それでも、答えは決まっている。
「お受けします」
以前は、物心ついた時には、私と彼の婚約は決まっていた。
私の意思は、そこにはなかった。
彼に愛されようと、彼に受け入れてもらおうと、必死だった。ただ、それだけ。
私の、物事の基準は彼だった。
彼に嫌われないだろうか。彼にどう思われるだろうか。そんなことを常に考えていたような気がするし、どうあっても彼に愛されないと気がついてからは、静かに生きていこうと思った。
同じくらい、きっと、死にたいとも思っていた。
「お父様。……殿下に、ぜひお会いしたいと……そう、伝えてください」
もう、そんなのはうんざりだ。
ひとの顔色を伺って、ジメジメと生きていくのは、もう、二度と。
私が時を戻るために犠牲になった命があった。
リュシアン殿下は、とんでもないことをした。そを彼は、自覚していない。
だから、私は彼に償わせたいと思った。
それはやはり、私の傲慢で、自己満足なのだろう。それでも、私が彼にそれを教えることが、彼らへの……この国の民への──いや、私の贖罪になるだろうと思っていた。
私の強い声に、お父様は少し驚いたようだった。戸惑い気味に、それでも頷いて答えた。
「分かった。……それにしても、いつ殿下とお会いしたんだい?」
リュシアン殿下は、来月、正式に即位することが決められている。
つまり私は、王の婚約者となるわけだ。
私は、お父様の言葉に曖昧に笑った。
「社交デビューの夜です。……運命のようですわね」
そう、運命のよう。
周りのひとをたくさん巻き込んで、振り回して、私も、彼も、同じくらいどうしようもない。
迷惑で、自己中心的で、破滅的だ。
【二章 完】
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