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二章:逃げられないのなら

愛の告白?

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泣いているようだな、と思った。
実際、リュシアン殿下は涙ひとつ見せなかったけれど。

何となく、本当に、何となく。
彼が、どういう人なのかほんの少し、理解した気がした。
きっと彼は、どうしようもなく【エルフ】で、人間ではない。
他人を理解しないのではなく、元々理解する気がない人だ。
それはきっと、理解できない、と言い換えても良かった。
そんな人が、自分の感情を持て余している。
人間なら持ってて当たり前の感情を整理できなくて、名前を付けられなくて、どうすればいいのか分からずにいる。

可哀想な人だ、と思った。
そして、この可哀想な人は、きっと私がいなければどこまでも、どこまでも堕ちていくのだろうな、とも。

私は、短剣の柄に触れた。
かつん、と指先が硬質なものに触れ、音を立てた。
短剣を取り上げて、柄から引き抜く。
磨きあげられた刃が鈍色に煌めく。
私は、それをじっと見たあと、彼に刃先を向けた。
彼は、何も言わなかった。

「……あなたが」

その声は、思った以上に落ち着いていた。
可哀想な人だ、とミレーゼとして最期に口にした言葉はきっと、当たっていた。
自分の感情に振り回され、持て余し、どうすればいいか分からず、怯えている。
稚拙で、幼稚で、子供のよう。
だから、彼には必要なのだと思う。
彼に、善悪を教える人間が。
そして、彼を導く杖、あるいは本になる人間が。
このままいけば、きっと彼は破滅する。
緩やかに、穏やかに、この国を生贄にして、きっと彼は身を滅ぼすだろう。
それを、ざまぁみろと、笑って見ていられるほど、私は無感情ではいられなかった。
それは、同情なのか。
あるいは、憐憫なのか。

「あなたが、私の人形になるなら……あなたのそばにいてもいい」

彼の頬に、ぴたりと刃先を押し当てた。
リュシアン殿下は、眉を寄せて考え込むように私を見ていた。
そんなに、難しい話はしていない。
ただ、彼は答えるだけだ。

私に全てを捧げる。
あるいは、また、私を殺すか。

その、二択。
それ以外の選択肢などありはしない。

「どうしますか」

尋ねた私の声は、やはり酷く落ち着いていた。



リュシアン殿下と別れた私は、やはり近衛騎士に案内されてオーブリーたちの元に戻った。
向かうと、そこは先程とはまた別の雰囲気となっていた。空気はどんよりとして重く、メロディ様は俯いている。
アークは彼女から視線を逸らし、オーブリーはそんなふたりから少し距離をとっていた。
緊張感すら漂う空間に足を踏み入れると、三人がそれぞれパッと私を見た。

「殿下は」

オーブリーが尋ねたので、私は頷いて答えた。

「ご自身の部屋に戻られると仰っておりました」

「わかりました。では、私はこれで失礼します」

オーブリーは手早く頭を下げると、バルコニーから去った。

私は、というと、そんな彼を見ながら、なんだかずいぶん吹っ切れた思いに溢れていた。

ミレーゼであった時、あんなに悩んだのが馬鹿みたいだ。
そして、フェリスとなって、新しい人生を歩み、今度こそ【普通】の生き方をしてみたいと思ったのも──きっと、心の奥底では、ミレーゼ出会った時の過去を無かったことにしようと思っていたからだろう。

スッキリして、でも、どうしてだろう。
酒を呑みたいような、煙草を喫みたいような、そんな気分に陥った。最も、私は煙草の匂いが嫌いなので、口にしたことは無いけれど。

続いてメロディ様を見ると、彼女はなぜかキッとこちらを睨みつけてきた。
それに正直、驚いた。
よくよく見れば、彼女は瞳に涙をめいっぱい溜めている。彼女の様子を見るに、アークがなにか言ったか、したか、そのどちらかだろう。

どちらにせよ、私もアークの婚約者に彼女はおすすめできないと思っていたので、この辺りで切り上げようとは思っていた。

「本日はありがとうございました。今度はもう少し、私ともお話できましたら嬉しいです」

私が言うと、メロディ様はますます私を睨みつけてきた。今にも射殺さんばかりに。

「フェリス様。私はどうしても彼と結婚したいのです!お許しいただけませんか!?」

「あら……。この少しの時間で、ずいぶん仲良くなられたのですね。お義兄様?」

アークに尋ねると、彼は鼻にシワを寄せてハ、と笑い飛ばした。

「……帰ります。失礼します、エバンス伯爵令嬢」

「待って!次はシェリンソンのタウンハウスに伺っても宜しくて?」

「結構です」

「どうして?一緒に舞台を見に行きましょう?もうすぐ有名な戯曲をやるのよ。ちょうどフェリス様と同じ名前の……」

「申し訳ありませんが、興味がありません」

アークはにべもない返答をした。
取り付く島もない、というのはこういうことを言うのだろう。
しかし、令嬢相手にこの対応はあまり褒められたものでは無い。社交嫌いとはいえ、もう少し上手く断るべきだ。
あまりにも冷たい義兄の発言をフォローすべきか、と思っていると彼に手首を握られた。
驚いたが、私が何か言うより先に、彼は私の手を引いてバルコニーから抜け出した。
早くこの場を出たいのだろう。私の手首を掴んで強引に歩き出すアークの手からは、その思いがよく伝わった。

バルコニー、ホールを抜けた咲先の廊下で、ようやくアークの手は緩んだ。
そして、彼は細く息を吐く。

「……お疲れ様。お義兄様」

隣を並んで歩きながら彼に小さく言うと、彼もまた、私をちらりと見た。
そして、少しの沈黙の後、彼は静かに言う。

「僕は……結婚はしたくないんだ」

あまりに静かな声だった。
それでいて、切実な声音だった。
絞り出すような、掠れた、小さな声だ。
いつもなら、私は『シェリンソンの次期当主として結婚は避けられない』と彼に言っていたが、今、同じような返答は口にできなかった。
それぐらい、彼の言葉に切羽詰まったものを感じたから。

「…………お義兄様は、エルフと結婚がしたくないの?」

「そうじゃない。……僕は、人間が嫌いなんだ」

廊下を抜け、玄関ホールに出る。
まだ早い時間帯だからか、私たち以外に招待客はいない。そういえば、結局私はリュシアン殿下としかダンスを踊っていない。
社交デビューだというのに、これはだめだろう。ミレーゼであった時ならありえない失態に、私は苦笑する。
ウブルクの家にいた時であれば、三日は食事を抜かれるだろう失敗だった。
でも、今日はこれでいい。
もう誰かとダンスを踊る気分でもなければ、紳士や令嬢と話をする気にもなれない。

今日は、色んなことがあった。
色々な真実を知り、様々な思考を巡らせた。

少し、疲れた。

馬車留めには、シェリンソンの馬車が待っていた。馬車がふたつあるので、お父様とお母様はまだ残っているだ。そのうちのひとつ──来る時に乗った馬車に乗り込むと、私は対面に座るアークの顔をじっと見た。
彼も彼で疲れたのだろう。顔には色濃い疲労の色があった。

「お義兄様は、人間も、エルフも嫌い。……では、誰が好きなの?」

アークは、少し考えたようだった。
そして、つぶやくように答えた。

「誰も」

「誰も?あなたは、誰にも心を許せていない?」

「どうだろう。ひとりは、いるかな」

「そう。誰?」

お母様か、お父様か。
もしくは、社交界で知り合った誰かか。
そんなことを考えながら尋ねると、アークは顔を上げて私をじっと見つめた。
その、強い眼差しに少し、驚いた。

「……お前だよ、フェリス」
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