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二章:逃げられないのなら
気持ち悪い関係
しおりを挟む「久しぶり、ミレーゼ」
彼が、笑う。
とても綺麗に。
まるで、あの記憶などなかったかのように。最初から存在すらしていなかったかのように。
呆然としていた私は、リュシアン殿下がグラスをテーブルに置いた音で我に返った。
「ミレーゼは何から聞きたい?きみがフェリスという少女になったこと。それとも、なぜ二十年の時を遡っていたか、どちらから聞きたい?ああ、きみが他に聞きたいことがあるなら、それでも構わないよ」
リュシアン殿下が立ち上がった。
「…………なぜ、そんな普通に……何事も無かったこのように話せるのですか?」
私の声は、ひび割れていて、乾ききっていた。
私の言葉にリュシアン殿下がほんの少し、困ったような顔をする。
だけどそれすらも造り物のよう。
「……僕はね、嬉しかったんだ」
淡々と、彼が言う。
嬉しかった。
……何が?
この男は、何を言っているのだろう。
これ以上、この人と話すことを本能的に私は拒んだ。警告するかのように、頭がガンガンと鳴る。
リュシアン殿下が、私の前に立つ。
記憶よりも、少し華奢なように思えた。
最期の記憶の時、彼は二十八歳。
今の彼は、十八歳。
あの時より十年歳若い彼は、記憶より少し細く見えた。
リュシアン殿下が私を静かに見つめる。
まるで、何も考えていないかのように。
「……きみは、僕に無関心だと思っていたから。だから、例えきみが向ける感情が負のものでも僕は嬉しいと思う」
「……意味が、分かりません」
ハッキリとした拒絶に、リュシアン殿下は薄く微笑んだ。
「ふふ。そうかもね」
ねえ、ミレーゼ、と彼は私を呼びかけた。
彼は、私を未だにミレーゼと呼ぶ。
彼がちらりと背後に視線を向けた。
私室の奥には、一枚の絵が飾られている。
【悠久と永久】だ。空が青色に描かれいるので、二枚目の作品だろう。彼はそちらに視線を向けて、静かに言った。
「きみに僕の……いや、王家の秘密を教えてあげる」
それは、『このお菓子は有名なパティスリーのものなんだ』と口にしているかのような軽さがあった。
その声の軽さと、言葉の重さが一致しなくて私はしばし息を呑む。
私が何を言うより先に、リュシアン殿下が私を見た。その瞳は、どこか輝きを帯びている。
「僕はね、きみを逃す気は無い」
ゾッとした。
まるで、彼の視線は蛇のようだと思った。
怯んで、後退しそうになるのを既で堪える。
臆しては、だめだ。
特に、この人と相対している時は。
気を強く持って、呑み込まれないようにしないと。
私は、意図して細く息を吐く。
「……殿下は、何がしたいのですか?私は、言いました。あの時──あなたが嫌いだ、と。あの時は……私も余裕がなくて、頭が回っていませんでしたから安易な言葉を選んでしまいました。実際は少し違います。嫌い、なのではありません。関わりたくないのです。嫌悪ではなく、忌避、と言った方が正しいでしょうか」
「それで?」
リュシアン殿下が、随分涼しい顔で話を促す。
私は、足に力を込めて彼をぐっと睨みつけた。
私が何を言っても、何をしても、彼に傷はつけられないだろう。傷つけられた分、やり返したいという感情はない。
だけど、私の言葉全てを弾き、彼の中で特別気にする必要の無いものだと判断されるのは、いやだった。
例えるなら、それは親が子供の言うことを「はいはい」と言って真剣に聞かないのと、ほんの少しだけ類似関係にある気がした。
「なぜ、ミチュア様とロザリア様の諍いを……。いえ、あなたならわかっていたはずです。宙ぶらりんなままにしている以上、いずれ薄氷を踏む関係は瓦解する、と。それでいて、なぜ放置されていたのですか?」
私は一拍、呼吸をして間を開けた。
頭が雑然としていて、まるで煮立っているかのように思考が散らばっている。
何を言えばいいのか、何が言いたいのか。
慎重にそれをすくいあげる。
今しか、言う機会はきっとない。
ずっと、ずっと彼には言えなかった。
言わずにいたのだから、彼ばかりは責められないのもよく理解していた。
真に相手に理解を求め、対話をしたいと思うなら、きっと私ももっと早くに彼に本音でぶつかるべきだった。
でも、私はできなかった。
それは、立場とか、置かれた環境だとか、そういったしがらみがあったから。でも、それが言い訳に過ぎないことも、重々承知している。
それら全てをひっくるめて、私はもう、彼には関わりたくないと思った。フェリスとしての人生、他人の顔色を伺うばかりの日々は嫌だと思った。
ある意味、一度死んだからこそ吹っ切れたとも言える。
「あなたは、彼女らがなにかしでかした際、どうにかするくらいの力は持っていると仰いましたね。確かに、ティファーニの王ならどうとでもできるのでしょう。騒動を握りつぶす、黒を白にする、あなたなら容易にそれが出来る」
「……話の意図が読めない。きみは何が言いたいの」
リュシアン殿下の声に、僅かに険が混ざる。
それを耳にして、私は脈拍が早くなるのを感じた。それはときめきとは全く違う種類だけど、緊張や興奮、と言ったものに近しい気がした。
まるで、麻薬でも摂取したかのように心臓がどくどくと言う。
初めて、彼の素顔に触れた気がした。
もっと、もっと感情を見せればいい。
絵画の住人を、現実の世界に引っ張りこみたい。
私は、覚悟を決めた。
今度は、あなたの番。
私との対話を望んだのは、リュシアン殿下だ。
以前のように、腹の探り合いのような、表面上の会話だけするのは、真っ平御免だった。
ここまできたのだ。
こうなったらもう、泥臭い、エルフが忌み嫌う人間のようにぐちゃぐちゃな感情を吐露させてもらおう、と思った。
以前の私が──ミレーゼが、言えなかった分まで。
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