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二章
あなたが嫌いです
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食事を終えて、エレノアを老夫婦に預ける。
少ないながらに礼金を支払い、彼の元に戻る。彼は、空を見上げていた。
「……どこに行くのですか?」
尋ねると、彼が私を見る。
彼の瞳は、苦手だ。
以前は、その瞳に恐怖を覚えた。
彼の瞳に、その仕草に、その言葉に、その声に。
【王者の気質】を感じたから。
彼の生まれ持った堂々たる品格が、他者を凌駕する王者のオーラが。
出来損ないの私には──恐れ多く感じたのだ。
だけど、今は。
もっと、違う感情をもって、その瞳が苦手だと思う。
苛立つのだ。腹が立つのだ。
見ていると、目にしているだけで。
その物言いたげな瞳が。
──ひどく、優しいその瞳が。
まるで、█████とでも、いいたげな、その、瞳が。
「私は、あなたが嫌いです」
「……うん」
静かに、彼が言う。
苦しいくらい、悲しいくらい、静かさ。
(うん、って何よ)
それ以外、言うことは無いの。
ああ、これでは私。
まるで──。
まるで、変わっていない。
変わらず面倒な女のまま。
私はため息を吐いた。
「苛立たないのですか?王妃の責務を投げ出し、逃げ出し、あまつさえ他の男の子を産んだ。その女にこんな辛辣に当たられて、どうして怒らないのです?」
「どうしてだと思う?」
「質問を質問で返すのはやめてください」
真っ直ぐ、彼を見て言う。
彼は少し考えて、空を仰ぎ、目を閉じた。
「どうしてかな。……でも、たぶん、僕はどうでもいいんだと思う」
「……」
「きみが王妃としての立場を捨て、逃げようが、他の男の子を産もうが。そんなのは些末事で、大したことではない。……僕は、きみが生きている。生きて、楽しそうに笑ってくれる。……幸福を、感じてくれている。……それだけで、じゅうぶんだ。僕は、それが見たかった。ただそれだけなんだよ」
「意味がわかりません」
「分からなくていいよ。これは僕のエゴで、自分勝手なワガママで、ただのひとりの男としての、願いだ」
「……。…………」
「おめでとう。エリィ。僕は、きみを祝福する。きみが、その責務から逃れ──穏やかな日々を得ていることを、僕は祝う。例え、ほかの誰がきみを責めようとも、僕はきみの選択を支持するし、祝いたいと思う。エリィ……いや、エレメンデール。……エレノアは、とてもかわいい子だね」
彼が、穏やかにそう言うから。
彼が、優しくそう言うから。
「──、──っ……」
なぜか。
どうしてだか。
分からないけれど──目の奥が、熱くなった。
気がついた時にはぼろぼろと、涙を零していた。
静かに、ただひたすら。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、と。
忙しなく、涙がこぼれる。
頬を熱いものが流れて、顎から伝い落ちて、それでようやく私は泣いていることに気がついた。
ハッと、泣いている自分に酷く動揺した。
それは彼もまた、同様のようだった。
「エリィ」
「呼ばないで」
「だけど、」
「なにも……なにも、言わないでください。……ただ、そう。目に、ゴミが入っただけだから」
なぜ、涙が零れたのかは分からない。
悲しくはない。
苦しくもない。
それなのに──涙が、止まらない。
それから、私たちは──ロディアス陛下は、黙って私の手を引き、山の麓へと向かった。
涙で滲む世界はまるで輝いているようで、きらきらと光っている。
母となったのに。
もう、二十歳を超え、少女の時代は終わったのに。
どうしてこうも、私は弱くなってしまうの。
私は頬に手を押しつけるようにしながら、涙をはらった。
「……魔女の隠れ里に行ったと話したよね」
彼が、不意に話を切り出した。
顔を上げる。
涙に濡れた頬を優しく風が撫でて、ほんの少し冷たい。
「見つけるのはとても大変だったけど──以前、きみが教えてくれたヒントを頼りに、しらみつぶしに探した」
「ヒント……?」
尋ねると、彼はしたり顔で笑う。
泣いている私を励まそうとしているのか、いつもより悪戯っぽい顔だ。
(……もっと、嫌いになれればよかったのに)
あなたなんて大嫌いだ、と。
二度と顔を見せないで、と。
そう言えたら──どんなに、良かったか。
「僕が、当時──魔女と英雄が争ったとされる時代の風俗考証をしている学者はいないのか、と尋ねた時。きみはこう言ったでしょう。探せばいるかもしれないが、表立って活動はしていない、と」
「あ……」
記憶を探れば、すぐに思い出すことが出来た。
確かに、そう答えた覚えがある。
だけどあれはベッドの上の話で、行為の延長線上──言葉遊びのたぐいだと思っていた。
まさか、彼がそこまではっきりと覚えているとは思わなかった。
だって、今から四年前の話だ。
彼はまつ毛を伏せて、静かに話し出した。
「それっぽい学者や活動をしているものを片っ端からピックアップして、話を聞いて回ったんだ」
「……なぜ、そんなことを」
そんなの、想像しただけでもとんでもない時間がかかると知れる。
ランフルアで、魔女の起源を──その正体を探そうとするなど。命知らずにも程があるし、誰もが口を閉ざし、話などしないに決まっている。
私が尋ねると、彼がまた笑った。
「なぜ?好きな子のことを知りたいと思った。ただ、それだけだよ」
「そんな、」
「聞いて。エレメンデール。半年ほどかけて、ようやく僕は魔女の隠れ里の場所を知った。長く王城を離れることもまだ難しかったから、かなり骨が折れたし時間もかかったけど、ようやく──。それで、きみの血族に会った」
「──」
魔女。
ランフルアでは、忌み嫌われ、嫌悪され、忌避される存在。
その魔女が今も、生きている。
隠れ里があると聞いていたが、幻のように思っていた。
私の母の──縁者が、いる。生きているのだ。
それは、思いがけない衝撃を私に与えた。
息を呑む私に、彼が言葉を続けた。
「そこで、記憶を奪う魔法について知った。きみの母君が、きみに教えた魔法だね」
ひゅ、とか細く息を吸い込む音がした。
「魔法の代償は──【恋情】。きみはあの当時、好きなひとがいた。……そして、それは、……恐らく、僕、だった。……違うかな」
少ないながらに礼金を支払い、彼の元に戻る。彼は、空を見上げていた。
「……どこに行くのですか?」
尋ねると、彼が私を見る。
彼の瞳は、苦手だ。
以前は、その瞳に恐怖を覚えた。
彼の瞳に、その仕草に、その言葉に、その声に。
【王者の気質】を感じたから。
彼の生まれ持った堂々たる品格が、他者を凌駕する王者のオーラが。
出来損ないの私には──恐れ多く感じたのだ。
だけど、今は。
もっと、違う感情をもって、その瞳が苦手だと思う。
苛立つのだ。腹が立つのだ。
見ていると、目にしているだけで。
その物言いたげな瞳が。
──ひどく、優しいその瞳が。
まるで、█████とでも、いいたげな、その、瞳が。
「私は、あなたが嫌いです」
「……うん」
静かに、彼が言う。
苦しいくらい、悲しいくらい、静かさ。
(うん、って何よ)
それ以外、言うことは無いの。
ああ、これでは私。
まるで──。
まるで、変わっていない。
変わらず面倒な女のまま。
私はため息を吐いた。
「苛立たないのですか?王妃の責務を投げ出し、逃げ出し、あまつさえ他の男の子を産んだ。その女にこんな辛辣に当たられて、どうして怒らないのです?」
「どうしてだと思う?」
「質問を質問で返すのはやめてください」
真っ直ぐ、彼を見て言う。
彼は少し考えて、空を仰ぎ、目を閉じた。
「どうしてかな。……でも、たぶん、僕はどうでもいいんだと思う」
「……」
「きみが王妃としての立場を捨て、逃げようが、他の男の子を産もうが。そんなのは些末事で、大したことではない。……僕は、きみが生きている。生きて、楽しそうに笑ってくれる。……幸福を、感じてくれている。……それだけで、じゅうぶんだ。僕は、それが見たかった。ただそれだけなんだよ」
「意味がわかりません」
「分からなくていいよ。これは僕のエゴで、自分勝手なワガママで、ただのひとりの男としての、願いだ」
「……。…………」
「おめでとう。エリィ。僕は、きみを祝福する。きみが、その責務から逃れ──穏やかな日々を得ていることを、僕は祝う。例え、ほかの誰がきみを責めようとも、僕はきみの選択を支持するし、祝いたいと思う。エリィ……いや、エレメンデール。……エレノアは、とてもかわいい子だね」
彼が、穏やかにそう言うから。
彼が、優しくそう言うから。
「──、──っ……」
なぜか。
どうしてだか。
分からないけれど──目の奥が、熱くなった。
気がついた時にはぼろぼろと、涙を零していた。
静かに、ただひたすら。
ぽろぽろ、ぽろぽろ、と。
忙しなく、涙がこぼれる。
頬を熱いものが流れて、顎から伝い落ちて、それでようやく私は泣いていることに気がついた。
ハッと、泣いている自分に酷く動揺した。
それは彼もまた、同様のようだった。
「エリィ」
「呼ばないで」
「だけど、」
「なにも……なにも、言わないでください。……ただ、そう。目に、ゴミが入っただけだから」
なぜ、涙が零れたのかは分からない。
悲しくはない。
苦しくもない。
それなのに──涙が、止まらない。
それから、私たちは──ロディアス陛下は、黙って私の手を引き、山の麓へと向かった。
涙で滲む世界はまるで輝いているようで、きらきらと光っている。
母となったのに。
もう、二十歳を超え、少女の時代は終わったのに。
どうしてこうも、私は弱くなってしまうの。
私は頬に手を押しつけるようにしながら、涙をはらった。
「……魔女の隠れ里に行ったと話したよね」
彼が、不意に話を切り出した。
顔を上げる。
涙に濡れた頬を優しく風が撫でて、ほんの少し冷たい。
「見つけるのはとても大変だったけど──以前、きみが教えてくれたヒントを頼りに、しらみつぶしに探した」
「ヒント……?」
尋ねると、彼はしたり顔で笑う。
泣いている私を励まそうとしているのか、いつもより悪戯っぽい顔だ。
(……もっと、嫌いになれればよかったのに)
あなたなんて大嫌いだ、と。
二度と顔を見せないで、と。
そう言えたら──どんなに、良かったか。
「僕が、当時──魔女と英雄が争ったとされる時代の風俗考証をしている学者はいないのか、と尋ねた時。きみはこう言ったでしょう。探せばいるかもしれないが、表立って活動はしていない、と」
「あ……」
記憶を探れば、すぐに思い出すことが出来た。
確かに、そう答えた覚えがある。
だけどあれはベッドの上の話で、行為の延長線上──言葉遊びのたぐいだと思っていた。
まさか、彼がそこまではっきりと覚えているとは思わなかった。
だって、今から四年前の話だ。
彼はまつ毛を伏せて、静かに話し出した。
「それっぽい学者や活動をしているものを片っ端からピックアップして、話を聞いて回ったんだ」
「……なぜ、そんなことを」
そんなの、想像しただけでもとんでもない時間がかかると知れる。
ランフルアで、魔女の起源を──その正体を探そうとするなど。命知らずにも程があるし、誰もが口を閉ざし、話などしないに決まっている。
私が尋ねると、彼がまた笑った。
「なぜ?好きな子のことを知りたいと思った。ただ、それだけだよ」
「そんな、」
「聞いて。エレメンデール。半年ほどかけて、ようやく僕は魔女の隠れ里の場所を知った。長く王城を離れることもまだ難しかったから、かなり骨が折れたし時間もかかったけど、ようやく──。それで、きみの血族に会った」
「──」
魔女。
ランフルアでは、忌み嫌われ、嫌悪され、忌避される存在。
その魔女が今も、生きている。
隠れ里があると聞いていたが、幻のように思っていた。
私の母の──縁者が、いる。生きているのだ。
それは、思いがけない衝撃を私に与えた。
息を呑む私に、彼が言葉を続けた。
「そこで、記憶を奪う魔法について知った。きみの母君が、きみに教えた魔法だね」
ひゅ、とか細く息を吸い込む音がした。
「魔法の代償は──【恋情】。きみはあの当時、好きなひとがいた。……そして、それは、……恐らく、僕、だった。……違うかな」
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