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二章
子の幸せは、母の幸せ
しおりを挟む家に帰ると、エレノアが不思議そうに私を見た。
二歳でも、なにか感じるところはあったのかもしれない。
私はそのちいさな体を抱きしめた。
柔らかくて、あたたかい。
(私の……光)
何よりも大事で、大切な。
「……ごめんね、エレノア」
「んぅ……?」
エレノアが不思議そうに私を見る。
私とよく似た、銀の瞳に、薄紅の虹彩。
私の娘だ。私が産んだ、子。
「愛してるわ。誰よりも……何よりも」
過去の私は、ロディアス陛下を愛していたのかもしれない。
それは確かな事実。
だけど今は、誰よりも、何よりも。
この子が愛おしい。
この子を守りたいと思う。
「さぁ。そろそろ寝ましょうか。今日は一日、何をしていたの?」
「んー?ん~」
むずがるようにエレノアは唸って、そしてにぱーっと笑った。
子育ては難しいし、まだまだ娘のことを理解しているとは言えない。
それでも、私にとって大切な存在であることには変わりない。
(ごめんね……ごめんなさい。エレノア)
あなたに、あなたのお父様ですよ、と。
そう、教えてあげられなくて。
あなたから父親を奪ってしまって、ごめんなさい。
いつか、教えてあげられたらいい。
あなたのお父様は、確かに私を愛してくださっていたのですよ、と。
だから、あなたが生まれたの、と。
☆
三日後、彼は私の家まで迎えにくると言った。
不要だと言ったが、目的地を考えると、私の家を集合場所にした方がいいと押し切られてしまったのだ。
嫌な予感に、胸がざわめく。
このままではずるずる、ずるずると、彼に侵食されてしまいそうだった。
早く話を終わらせなければ。
その日、私は朝早くに起きて手早く家事を済ませていった。ロディアス陛下が迎えに来るのは、昼過ぎ。今はまだ、陽が昇ったばかりの時間帯。エレノアはまだベッドの中で、健やかな眠りについている。
彼女の寝息を聞いていると、どんなに辛くても頑張ろう、という気になれる。
私はエレノアの寝顔を見て、微笑んだ。
光。
あなたの人生に、光が指しますように。
窓辺の椅子に腰かけて、かぎ針と、レース糸を手に取る。
そして、この三年で日課となったレース編みをしていく。
本来、レース糸は高価なものだが、二年ほど前から急激にランフルアの輸入品が増え、安価に入手することが叶った。
ドゥランの革命を受けて、レーベルトはランフルアとエルブレムとの国交を見直し、新たに三国同盟が結ばれたのだ。
輸入品が増えたのは、その影響だった。
そのおかげで、レース編みを続けることが出来ているのだ。
昼は食事処で働き、夜は眠るギリギリまで繕いものをし、朝は買取に出す刺繍やレースコースターを縫っていく。
最初の一年は、働くことに慣れていないのもあってしょっちゅう体調を崩していたが、今は何とかルーチンワークとしてこなせるようになっていた。
陽が登り始めるのを見て、私は席を立つ。
そろそろエレノアを起こして、朝ごはんを食べさせなければ。
その後は、いつものように老夫婦にエレノアを預けに行く。
長く座って作業していたので、肩がこる。
疲労のため息を吐いて、エレノアを起こした。
「エレノア、朝よ。起きて」
☆
エレノアが朝食を取り、出かける準備を整えていた時だ。扉がとんとんとん、と叩かれる。
この家は、港町から程遠い、山の麓という寂れた場所にある。わざわざこの家を訪ねるひとは、老夫婦か女将さん以外にいない。
「はい……?」
身を粉にしてようやく借り受けたボロ屋ではあるけれど、玄関にはしっかりと錠がついている。
私は扉越しに声をかけた。
「おはよう。いい朝だね。もう朝食は食べた?」
その声は、昼過ぎに聞くはずのひとのものだった。
私はうんざりして、扉を開けないまま返事をした。
「……時間が早すぎるのではありませんか?」
「楽しみすぎて早くに目が覚めてしまったんだ」
「そうですか。では、寝直されたらいかがですか?まだまだ時間はありますし」
「お土産を持ってきたんだ。クルミのパンプディング、きみの子が好きだと女将さんから聞いた。……隣町で買ってきたものなんだけど、良かったら食べてくれないかな。僕は、甘いものはあまり食べないから、持て余してるんだ」
「……ご自分で食べないならなぜ買ったのですか」
固い声で答えた直後、後ろからててて、と走る音が聞こえてきた。
見れば、朝食を摂り終えたエレノアが、扉の向こうに視線を向けている。
「だぁれ?」
「……。知り合いの方よ」
何と言えばいいかわからず答えると、エレノアは私の答えには興味がないように「ふぅん」とだけ答えた。
そして。
「あっ、エレノア……!」
ちいさな手で、あっさりと錠を外してしまった。
つい最近まで、歩くことすらままならなかった娘は、日に日に新しいことができるようになっている。
子の成長はあっという間だと言うが、子を持つ母となってようやくそれを理解する。
「おはよぉ!」
止めようとした時には既に遅い。
エレノアがにぱーとした明るい笑顔を浮かべている。
この子は、私に似ずにとても明るい。
性格はロディアス陛下に似たのだろうか。
扉が開いてしまったのなら仕方ない。
私はため息を吐いて、玄関の扉を大きく開けた。
「……何も無い粗末な家ですが、どうぞ」
素っ気なく言うと、彼は嬉しそうに微笑んだ。
(……なに、その顔)
まるで、幸せとでも言わんばかりの、顔。
先日私が言ったことを忘れたのだろうか。
あなたの子ではないと、はっきり言ったのに。
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