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二章
愛なんて、ただのまやかし
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それから、ロディアス陛下は次の日も、その次の日も食事処を訪れた。
公務はどうなっているのか尋ねると、アレン殿下──ルムアール公爵が彼の名代として執り行っているらしい。
(ルムアール公爵が?)
以前、彼と交した言葉を思い出す。
『私は国政に聡くありません。兄のように、執政向きの人間では無いのです。私はひとの上に立つよりも、みなと剣を振るう方が性に合っている。ですので、今のレーベルトの状況を正しく把握しているとは言いきれない』
政が苦手だと話していたが、彼にも変化があったのだろうか。そう思っていると、ロディアス陛下がさらりと付け足した。
『かなり四苦八苦しているようだけど、父上がサポートしてくださっている』
と。その言葉に、私はとても驚いた。
彼は、前国王──お父上の介入を厭っていたように見えた。
ひとりで執政を行うことにこそ、意義を抱いているように見えたのに。
心情の変化があったのだろうか。
彼をまじまじとみていると、彼は短く苦笑した。
『今まで、僕は他人を信じなさすぎたんだ。……独りよがりの政治では、誰もついてこない。他人に【僕】という人間を信じてもらうには、まず、僕が誰かを信じなければならない。……それを痛感した』
『……そうですか』
『それを気付かせてくれたのは、きみだよ』
『そうなのですか?』
単純に疑問だった。
なぜ?私が?
彼が考えを変えるように進言したことも、変化のきっかけとなるようなことをした覚えもない。
不思議に思っていると、彼が瞳を細めて笑った。
『愛することは、ひとを信じることだから』
『…………』
彼はずいぶん、素直になったと思う。
てらいなく愛の言葉を吐き、誤魔化したり、煙に巻くような言い方をしなくなった。
その変化が、彼の言う【愛】によるものなのか──私には良く、分からない。
その日も、彼は私の仕事終わりを待っていた。
裏口の扉を開けると、ここ数日で見慣れてしまった金の髪が見えた。
見慣れてしまった、それはずいぶん、彼がこの景色に馴染んできてしまったことを意味する。
私はため息を吐いた。
いい加減、決着をつけなければならない。
春の訪れが近いとはいえ、まだまだ冬は冷える。
私は冷たい息を吐きながら、彼を見て言った。
「いつまでディエッセンにいらっしゃるのですか?」
顔を合わせると、彼は私を見て嬉しそうに瞳をやわらげる。
その柔らかな眼差しが、苦痛だった。
何もかも、壊して、おしまいにしてしまいたくなる。
そんな目で、見ないで欲しかった。
私が尋ねると、それでも彼は堪えた様子を見せなかった。
彼は、再会してからずっとそう。
私がどんなに辛辣な言葉を口にしても。
彼を傷つけようと、わざと悪く言っても。
彼は決して怒らず、困ったように笑うか──あるいは、苦笑するだけだった。
それに、静かな余裕を感じて、また、腹が立つ。
まるで、心をささくれだたせているのは、私だけだと言われているようで。
彼は白い息を吐いた。
鼻の頭が赤い。
いつからここで待っていたのだろう。
待たなくて良いと言ったのに。
迷惑だからやめて欲しい、とも。
それでも、彼は私もまだ話したいことがある、と言った。
まるでストーカーだと毒づいたこともある。
彼は笑って、それを否定しなかった。
「僕がここにいるのは、迷惑かな」
「はい」
すぐに答えた私に、彼は悲しげに笑う。
なぜ、私にここまで悪く言われて。
ここまで否定されてなお、ここに留まるのか。
彼を引き付けるものは、なに?
愛なんて、ただの見せかけで、まやかしだ。
そこに真実はない。
「エレメンデール。……エリィ。僕は、どちらでも構わない。どちらのきみも、愛しているから」
「私は愛していません」
「うん。でも、僕は愛している」
「愛の押し売りなら結構です。王城では、陛下のご帰還を待っている方が大勢いらっしゃるのではないですか?早く帰城なさってください」
「……嫌だ、と言ったらきみは僕に幻滅する?」
「幻滅?何にですか?」
「王としての責務を果たさずに、きみのそばに留まることを選んだら──きみは、僕に失望するのかな、と思って」
「……。そうですね。ですが、陛下はそうされない方だと思っています」
そうでしょう?と視線を向ければ、彼が苦笑した。
「あのね、エレメンデール」
「エリィと呼んでください」
「エリィ。……僕は、そこまでできた人間じゃない」
「そうですね」
確かに、逃げた王妃を見つけて、することが連れ戻すことではなく愛の告白なのだから、できた人間では無いのだろう。
それもまた、人間味があるとは思うが。
無機物ではなく、感情のある人間らしくて大いに結構なことだと思うけど、何をそんなに気まずそうな顔をしているのだろうか。
「……僕はただ、きみを愛するひとりの男なんだよ」
「ですから、愛の押し売りは結構です。……そもそも、三年経過して、今更仰られても。私には私の生活がありますし、陛下もそうなのでは?」
うんざりして言うと、彼は悲しげに笑う。
そうやって、傷ついたとでもいうような顔をしながら、私を一切責めない彼が──嫌いだ。
「二年前の時点で、きみがディエッセンに滞在していたことは知っていた」
公務はどうなっているのか尋ねると、アレン殿下──ルムアール公爵が彼の名代として執り行っているらしい。
(ルムアール公爵が?)
以前、彼と交した言葉を思い出す。
『私は国政に聡くありません。兄のように、執政向きの人間では無いのです。私はひとの上に立つよりも、みなと剣を振るう方が性に合っている。ですので、今のレーベルトの状況を正しく把握しているとは言いきれない』
政が苦手だと話していたが、彼にも変化があったのだろうか。そう思っていると、ロディアス陛下がさらりと付け足した。
『かなり四苦八苦しているようだけど、父上がサポートしてくださっている』
と。その言葉に、私はとても驚いた。
彼は、前国王──お父上の介入を厭っていたように見えた。
ひとりで執政を行うことにこそ、意義を抱いているように見えたのに。
心情の変化があったのだろうか。
彼をまじまじとみていると、彼は短く苦笑した。
『今まで、僕は他人を信じなさすぎたんだ。……独りよがりの政治では、誰もついてこない。他人に【僕】という人間を信じてもらうには、まず、僕が誰かを信じなければならない。……それを痛感した』
『……そうですか』
『それを気付かせてくれたのは、きみだよ』
『そうなのですか?』
単純に疑問だった。
なぜ?私が?
彼が考えを変えるように進言したことも、変化のきっかけとなるようなことをした覚えもない。
不思議に思っていると、彼が瞳を細めて笑った。
『愛することは、ひとを信じることだから』
『…………』
彼はずいぶん、素直になったと思う。
てらいなく愛の言葉を吐き、誤魔化したり、煙に巻くような言い方をしなくなった。
その変化が、彼の言う【愛】によるものなのか──私には良く、分からない。
その日も、彼は私の仕事終わりを待っていた。
裏口の扉を開けると、ここ数日で見慣れてしまった金の髪が見えた。
見慣れてしまった、それはずいぶん、彼がこの景色に馴染んできてしまったことを意味する。
私はため息を吐いた。
いい加減、決着をつけなければならない。
春の訪れが近いとはいえ、まだまだ冬は冷える。
私は冷たい息を吐きながら、彼を見て言った。
「いつまでディエッセンにいらっしゃるのですか?」
顔を合わせると、彼は私を見て嬉しそうに瞳をやわらげる。
その柔らかな眼差しが、苦痛だった。
何もかも、壊して、おしまいにしてしまいたくなる。
そんな目で、見ないで欲しかった。
私が尋ねると、それでも彼は堪えた様子を見せなかった。
彼は、再会してからずっとそう。
私がどんなに辛辣な言葉を口にしても。
彼を傷つけようと、わざと悪く言っても。
彼は決して怒らず、困ったように笑うか──あるいは、苦笑するだけだった。
それに、静かな余裕を感じて、また、腹が立つ。
まるで、心をささくれだたせているのは、私だけだと言われているようで。
彼は白い息を吐いた。
鼻の頭が赤い。
いつからここで待っていたのだろう。
待たなくて良いと言ったのに。
迷惑だからやめて欲しい、とも。
それでも、彼は私もまだ話したいことがある、と言った。
まるでストーカーだと毒づいたこともある。
彼は笑って、それを否定しなかった。
「僕がここにいるのは、迷惑かな」
「はい」
すぐに答えた私に、彼は悲しげに笑う。
なぜ、私にここまで悪く言われて。
ここまで否定されてなお、ここに留まるのか。
彼を引き付けるものは、なに?
愛なんて、ただの見せかけで、まやかしだ。
そこに真実はない。
「エレメンデール。……エリィ。僕は、どちらでも構わない。どちらのきみも、愛しているから」
「私は愛していません」
「うん。でも、僕は愛している」
「愛の押し売りなら結構です。王城では、陛下のご帰還を待っている方が大勢いらっしゃるのではないですか?早く帰城なさってください」
「……嫌だ、と言ったらきみは僕に幻滅する?」
「幻滅?何にですか?」
「王としての責務を果たさずに、きみのそばに留まることを選んだら──きみは、僕に失望するのかな、と思って」
「……。そうですね。ですが、陛下はそうされない方だと思っています」
そうでしょう?と視線を向ければ、彼が苦笑した。
「あのね、エレメンデール」
「エリィと呼んでください」
「エリィ。……僕は、そこまでできた人間じゃない」
「そうですね」
確かに、逃げた王妃を見つけて、することが連れ戻すことではなく愛の告白なのだから、できた人間では無いのだろう。
それもまた、人間味があるとは思うが。
無機物ではなく、感情のある人間らしくて大いに結構なことだと思うけど、何をそんなに気まずそうな顔をしているのだろうか。
「……僕はただ、きみを愛するひとりの男なんだよ」
「ですから、愛の押し売りは結構です。……そもそも、三年経過して、今更仰られても。私には私の生活がありますし、陛下もそうなのでは?」
うんざりして言うと、彼は悲しげに笑う。
そうやって、傷ついたとでもいうような顔をしながら、私を一切責めない彼が──嫌いだ。
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