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二章
泣き顔もうつくしいひと
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後片付けは構わないから、早く話しておいで、と女将さんに言われ、私は追い立てられるように店を出た。
外はすっかり真っ暗だ。
早く帰らなければ、エレノアが待っている。
まだ幼いエレノアは、私が日中働いている時は、近所に住む老夫婦に預けているのだ。
早く迎えに行かなければ、エレノアも不安に思うだろうし、老夫婦にも迷惑をかける。
エレノアが生まれた当時──今から三年前。
日中働くことが難しくなった私が困っているのを見て、女将さんが昔なじみの夫婦に、エレノアの世話を頼めないか、話をもちかけてくれたのだ。
老夫婦は、子が独り立ちして久しく、赤ん坊の世話を快く買ってくれた。
『金なんかいらない』と言ってくれたが、エレノアの面倒を見てくれている以上、そうもいかない。
気持ちばかりの金額にはなってしまっているが、何とか金銭を捻出し、僅かながら老夫婦に支払っている。
時間が気になる。
私はロディアス陛下を真っ直ぐに見つめて、尋ねた。
「私を咎めますか」
「…………」
彼が、ゆっくりと私を見る。
私が店の外に出た時、彼は夜空を見上げていた。
港町は夜も活気に溢れている場所だが、このあたりは早い時間に店じまいするところも多い。
空を見上げれば、満面の星空を眺めることが出来る。
「咎めないよ」
彼は、静かに答えた。
「歩こうか」
「…………」
「エレメンデール。……いや、エリィ。僕はどちらできみを呼べばいい?」
「お話とは、何ですか?話が済めば、私は帰ります。それとも、私を王城に連れ戻しますか。務めを果たせと仰いますか」
「エレメンデール」
「その女はもう死にました」
「──、」
打てば響くような早さで、私と彼は会話を交わした。こんなに長く彼と話すのは、初めてのことかもしれない。
私は真っ直ぐに、彼を見つめる。
決して、瞳は逸らさない。
「ロディアス陛下。もう一度、伺います。お話とは、何ですか?あなたは何をしにこの地に──ディエッセンまで来られたのですが」
硬い声になる。
彼の狙いは、何だ。
私か、エレノアか。
つい、きつくなる眼差しに、彼が何か言いかけて──言葉を呑み込んだ。
それを見て、妙に腹が立った。
「なにか、言いたいことがあるのでは?ロディアス陛下。あなたは──以前から、私になにか言おうとして、その度に口を噤んでおられましたね。私への叱責ですか。ご不満に思うことがあるのですか。それならば、素直に仰ってください。何も言わないのでは、何もわかりません」
「そうじゃない」
「では、何ですか?無益な会話は、あなたも求めていないでしょう。あなたは何よりも、効率的に物事を考えるひとだったはず。……互いに無意味な時間を過ごすなど、ばからしいです」
言葉が、止まらない。
これ以上言っては不敬になる、と。
死んだはずの|エレメンデール(わたし)が言う。咎める。
だけど、もう我慢するのはうんざりだった。
言いたいことを言わないから、苦しんだ。
言いたいことを言えなかったから、辛かった。
もう、その繰り返しはうんざりだ。
「それで?ご用向きは」
捨て鉢な気分で彼に尋ねる。
およそ、国の王に対する態度ではない。
それを理解している。自覚している。
それでも、改める気にはなれなかった。
「……愛してる」
「…………。…………は、ぁ?」
ぽつり、零されたその言葉に、私は一瞬固まった。
そして、数秒経過して、ようやくその意味を理解する。
あいしてる。
愛してる。
愛して、る?
何を?誰が?誰を?何で?
唖然とする私に、彼は俯いて、静かに話し出した。
「今更だと思っている。……それでも、伝えたかった。僕は今まで、間違えてばかり来た。後悔ばかりが人生だ、と言うけれど……僕は」
理路整然とした彼らしくない、何を言いたいのかよく分からない言葉だった。
唖然としたまま、内心呆れながら彼の声を聞く。
彼は不意に、小さく笑った。
「だめ、だな。これでも色々考えてきたんだ。きみと会ったらこう言おう、とか。こうしよう、とか。……それでも、だめだ。……きみと会ったら。きみを、見たら。それだけで、」
自嘲するような声だ。
声に嗚咽が混ざる。
一筋、雫が流れた。
透明の瞳から零れる、透明の涙。
「──…………」
私は、このひとが泣くところを初めて見た。
このひとは、泣いてもなお綺麗なのか、と変なところで感心する。
ロディアス陛下は、静かに涙を流していた。
白金のまつ毛が、涙の飛沫を弾いて、頬を伝う。
彼は涙を拭うことすらせず、私を見ていた。
強い瞳だ。
強い眼差しだ。
まるで、火傷してしまいそう。
そんなチープなフレーズが、思い浮かんでしまうほどに。
私はため息をついた。
「……それで」
「…………うん」
「そうですね。確かに今更です。愛している、と仰られましても……それで?としか。それで、何を求められているのですか?時間があまりありませんので、手短にお願いします」
「……」
彼はほんの少し、悲しげな瞳をしたけど、すぐにまつ毛をふせ、静かに話し出した。
そういう切り替えの早さは、嫌いではない。
「魔女の里に行った」
外はすっかり真っ暗だ。
早く帰らなければ、エレノアが待っている。
まだ幼いエレノアは、私が日中働いている時は、近所に住む老夫婦に預けているのだ。
早く迎えに行かなければ、エレノアも不安に思うだろうし、老夫婦にも迷惑をかける。
エレノアが生まれた当時──今から三年前。
日中働くことが難しくなった私が困っているのを見て、女将さんが昔なじみの夫婦に、エレノアの世話を頼めないか、話をもちかけてくれたのだ。
老夫婦は、子が独り立ちして久しく、赤ん坊の世話を快く買ってくれた。
『金なんかいらない』と言ってくれたが、エレノアの面倒を見てくれている以上、そうもいかない。
気持ちばかりの金額にはなってしまっているが、何とか金銭を捻出し、僅かながら老夫婦に支払っている。
時間が気になる。
私はロディアス陛下を真っ直ぐに見つめて、尋ねた。
「私を咎めますか」
「…………」
彼が、ゆっくりと私を見る。
私が店の外に出た時、彼は夜空を見上げていた。
港町は夜も活気に溢れている場所だが、このあたりは早い時間に店じまいするところも多い。
空を見上げれば、満面の星空を眺めることが出来る。
「咎めないよ」
彼は、静かに答えた。
「歩こうか」
「…………」
「エレメンデール。……いや、エリィ。僕はどちらできみを呼べばいい?」
「お話とは、何ですか?話が済めば、私は帰ります。それとも、私を王城に連れ戻しますか。務めを果たせと仰いますか」
「エレメンデール」
「その女はもう死にました」
「──、」
打てば響くような早さで、私と彼は会話を交わした。こんなに長く彼と話すのは、初めてのことかもしれない。
私は真っ直ぐに、彼を見つめる。
決して、瞳は逸らさない。
「ロディアス陛下。もう一度、伺います。お話とは、何ですか?あなたは何をしにこの地に──ディエッセンまで来られたのですが」
硬い声になる。
彼の狙いは、何だ。
私か、エレノアか。
つい、きつくなる眼差しに、彼が何か言いかけて──言葉を呑み込んだ。
それを見て、妙に腹が立った。
「なにか、言いたいことがあるのでは?ロディアス陛下。あなたは──以前から、私になにか言おうとして、その度に口を噤んでおられましたね。私への叱責ですか。ご不満に思うことがあるのですか。それならば、素直に仰ってください。何も言わないのでは、何もわかりません」
「そうじゃない」
「では、何ですか?無益な会話は、あなたも求めていないでしょう。あなたは何よりも、効率的に物事を考えるひとだったはず。……互いに無意味な時間を過ごすなど、ばからしいです」
言葉が、止まらない。
これ以上言っては不敬になる、と。
死んだはずの|エレメンデール(わたし)が言う。咎める。
だけど、もう我慢するのはうんざりだった。
言いたいことを言わないから、苦しんだ。
言いたいことを言えなかったから、辛かった。
もう、その繰り返しはうんざりだ。
「それで?ご用向きは」
捨て鉢な気分で彼に尋ねる。
およそ、国の王に対する態度ではない。
それを理解している。自覚している。
それでも、改める気にはなれなかった。
「……愛してる」
「…………。…………は、ぁ?」
ぽつり、零されたその言葉に、私は一瞬固まった。
そして、数秒経過して、ようやくその意味を理解する。
あいしてる。
愛してる。
愛して、る?
何を?誰が?誰を?何で?
唖然とする私に、彼は俯いて、静かに話し出した。
「今更だと思っている。……それでも、伝えたかった。僕は今まで、間違えてばかり来た。後悔ばかりが人生だ、と言うけれど……僕は」
理路整然とした彼らしくない、何を言いたいのかよく分からない言葉だった。
唖然としたまま、内心呆れながら彼の声を聞く。
彼は不意に、小さく笑った。
「だめ、だな。これでも色々考えてきたんだ。きみと会ったらこう言おう、とか。こうしよう、とか。……それでも、だめだ。……きみと会ったら。きみを、見たら。それだけで、」
自嘲するような声だ。
声に嗚咽が混ざる。
一筋、雫が流れた。
透明の瞳から零れる、透明の涙。
「──…………」
私は、このひとが泣くところを初めて見た。
このひとは、泣いてもなお綺麗なのか、と変なところで感心する。
ロディアス陛下は、静かに涙を流していた。
白金のまつ毛が、涙の飛沫を弾いて、頬を伝う。
彼は涙を拭うことすらせず、私を見ていた。
強い瞳だ。
強い眼差しだ。
まるで、火傷してしまいそう。
そんなチープなフレーズが、思い浮かんでしまうほどに。
私はため息をついた。
「……それで」
「…………うん」
「そうですね。確かに今更です。愛している、と仰られましても……それで?としか。それで、何を求められているのですか?時間があまりありませんので、手短にお願いします」
「……」
彼はほんの少し、悲しげな瞳をしたけど、すぐにまつ毛をふせ、静かに話し出した。
そういう切り替えの早さは、嫌いではない。
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