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二章
魔法の代償
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旅は想定以上に金が要った。
用立てた金は直ぐに使い果たしてしまい、私は困り果てていた。
もう売れるものなど、この体くらいしかない。
だがそれは、最終手段にしたい。
思い悩んだ私がふと顔を上げると、さらりとした銀髪が揺れた。それを見てふと、考える。
(髪って……売れないかしら?)
そもそも、この銀髪はあまりに目立ちすぎる。
レーベルトで銀髪はさほど珍しくないが、この国の銀髪と言えば、雪のような白い髪を指す。
私のこの髪は、灰を混ぜたような、文字通り銀の色をしている。
レーベルトではあまり見られない色だ。
瞳もそうだが、レーベルトでは珍しい色合いなのだ、私の容姿は。
【|王妃(エレメンデール)】の捜索が始まるとなると、この目立つ外見はどうにかした方がいい。
そう思えば、行動は早かった。
私は途中街で出会った商人に、髪を売れないか尋ねてみた。
髪を売る女は私が考えた以上に多いようだった。
商人は慣れた様子で頷くと、トントン拍子で話は進んだ。
店内に招かれ、立ったまま髪に鋏が入れられてゆく。
長い髪が次々と切られていき、一気に頭が軽くなった。
「…………」
「お嬢さん、こんな綺麗な髪、ほんとに切っちまってよかったのかね。今更ではあるがねぇ」
店主が、その言葉とは裏腹に容赦なく鋏を入れながら尋ねてきた。私はそちらを見ずに答える。
どんどん頭が軽くなる。
それは、心の軽さにも比例していくようだった。
「構いません。不要なものですから」
「そうかい。しかしまあ、お貴族様みてぇな美しさだ……。こりゃあ、ずいぶん大切にしてたみてぇだが」
商人の言葉に、苦笑する。
エレメンデール・ランフルア・エレンは死んだ。
今ここにいるのは、もう、別の人間。
なにかに囚われ、なにかに苦しみ、なにかを渇望する娘は、もういない。
私は、ランフルア王家に生まれ、魔女の娘として、生を受けた。
王家の生まれでありながら、私の存在は忌むべきものだった。
父王の顔はもう、思い出せない。
母の顔も、朧気だ。
だけど、その手の温かさは今も尚、忘れることが出来ない。
『エレメンデール。私の可愛い、エレメンデール』
当時、私を可愛がってくれるひとは母しかいなかった。その母もまた、私ではなく、父の訪れだけを、日々の糧にしていた。
『お前は魔女にはなれなかった。……だけどね、エレメンデール。それはお前が魔法を使えないことの証明にはならないの』
今思うに、あの魔法を私に伝えた、ということは。
母はきっと、私に忠告したかったのだろう。
自身が破滅の道を、誤った先に進んでしまったと、そう思っていたのだろう。
だからこそ、母は私に言った。
『お前にひとつだけ、お前でも使える魔法を教えましょう。良い?これは、生涯一度きりしか使えないの。使う時は、ちゃんと考えて使うのよ。この魔法を行使すれば、お前は大切なものを失うでしょう。だけどエレメンデール。魔法を使うということは、そういうことなの』
魔法を使うことの恐れを、恐怖を、きっと母がいちばん理解していた。
だからこそ、ランフルア王妃の嫌がらせをあえて甘受し、その罠にかかってもなお、抗議することなく、死を選んだ。
『この魔法を使えば、お前はひとを愛するこころを失うでしょう。なによりも、大切なひとへの想い。【ひとを愛する】。尊くもうつくしい、その感情を──お前は失うでしょう』
『あいする、こころ?』
幼い私は聞き返した。
愛、というものがまだ明確に分からなかった時分だ。そんな私に、母は微笑んだ。
悲しくも美しく、そして儚い笑みだった。
『いずれお前も、分かるでしょう。ひとを愛する気持ち。誰かを失いたくないと、願うその気持ち。それこそが、私たちの想う【愛】なのです。……それを代償にして、お前は魔法を使えますか?』
『……わからない、わ』
『ええ。まだ、分からないでしょう。分からなくてよいのです。……この感情は、あまりにも重たくて──鉛のように、私たちを縛り付ける。……エレメンデール。覚えておいて。母は、私は──お前を世界でいちばん、愛していますよ』
『……おとうさまのことは?』
『あの方のことも、もちろん。だから私は、幸せで在れるのです』
ねえ、お母様。
私は死んだ娘として、他人の私として、母に尋ねる。
お母様は、幸せだった?
私はまつ毛を伏せた。
視界を閉ざせば、静かな世界。
答えは明確だった。
──ええ。幸せ、だったでしょうね。
だって、エレメンデールもそうだった。
きっと最期は、『幸せな人生だった』と、悲哀に呑まれて、死んだのでしょう。
それが、幸福だと信じて。
それが、不幸だと思いたくなくて。
信じるように、希うように、死んだのでしょう。
私にはわかる気がする。
だって、私もまた、同じようなものだったから。
母が母なら、子も子とは、よく言ったもの。
似たような末路をたどった私は、だけど母の最期の言葉のおかげで、エレメンデールを殺せた。
『お前が魔法を使えば、対象の相手からお前にまつわる記憶を消すことができます。……恐ろしい、魔法です。ひとの記憶を操るのですから。でも……この魔法がいずれ、お前を助けることがあるよう、母は望みます』
愛している。
母は、そう言った。
バチン、と鋏の音が大きく響き、私を過去の記憶から引き戻した。
ハッとして視線を持ち上げると、首元がとても涼しいことに気がついた。
「よぉし、これでいいだろう。うん、お嬢さん。短いのもよく似合ってるじゃないか」
商人が、私に手鏡を渡す。
古びていて、鏡は曇っている。
それでも、その向こうには新たな姿の私がいた。
首元で切りそろえた、銀の髪。
そこには、今までのように鬱屈とした表情の女はいなかった。
むしろ──。
「……ありがとう。商人さん、とてもすっきりしたわ」
新たな名を付けよう。
自分に。私に。
エレメンデールをやめた私に、新たな名を。
(そうね。長い名前はあまり好きではなかったから──)
エリィ、とか。どうかしら?
用立てた金は直ぐに使い果たしてしまい、私は困り果てていた。
もう売れるものなど、この体くらいしかない。
だがそれは、最終手段にしたい。
思い悩んだ私がふと顔を上げると、さらりとした銀髪が揺れた。それを見てふと、考える。
(髪って……売れないかしら?)
そもそも、この銀髪はあまりに目立ちすぎる。
レーベルトで銀髪はさほど珍しくないが、この国の銀髪と言えば、雪のような白い髪を指す。
私のこの髪は、灰を混ぜたような、文字通り銀の色をしている。
レーベルトではあまり見られない色だ。
瞳もそうだが、レーベルトでは珍しい色合いなのだ、私の容姿は。
【|王妃(エレメンデール)】の捜索が始まるとなると、この目立つ外見はどうにかした方がいい。
そう思えば、行動は早かった。
私は途中街で出会った商人に、髪を売れないか尋ねてみた。
髪を売る女は私が考えた以上に多いようだった。
商人は慣れた様子で頷くと、トントン拍子で話は進んだ。
店内に招かれ、立ったまま髪に鋏が入れられてゆく。
長い髪が次々と切られていき、一気に頭が軽くなった。
「…………」
「お嬢さん、こんな綺麗な髪、ほんとに切っちまってよかったのかね。今更ではあるがねぇ」
店主が、その言葉とは裏腹に容赦なく鋏を入れながら尋ねてきた。私はそちらを見ずに答える。
どんどん頭が軽くなる。
それは、心の軽さにも比例していくようだった。
「構いません。不要なものですから」
「そうかい。しかしまあ、お貴族様みてぇな美しさだ……。こりゃあ、ずいぶん大切にしてたみてぇだが」
商人の言葉に、苦笑する。
エレメンデール・ランフルア・エレンは死んだ。
今ここにいるのは、もう、別の人間。
なにかに囚われ、なにかに苦しみ、なにかを渇望する娘は、もういない。
私は、ランフルア王家に生まれ、魔女の娘として、生を受けた。
王家の生まれでありながら、私の存在は忌むべきものだった。
父王の顔はもう、思い出せない。
母の顔も、朧気だ。
だけど、その手の温かさは今も尚、忘れることが出来ない。
『エレメンデール。私の可愛い、エレメンデール』
当時、私を可愛がってくれるひとは母しかいなかった。その母もまた、私ではなく、父の訪れだけを、日々の糧にしていた。
『お前は魔女にはなれなかった。……だけどね、エレメンデール。それはお前が魔法を使えないことの証明にはならないの』
今思うに、あの魔法を私に伝えた、ということは。
母はきっと、私に忠告したかったのだろう。
自身が破滅の道を、誤った先に進んでしまったと、そう思っていたのだろう。
だからこそ、母は私に言った。
『お前にひとつだけ、お前でも使える魔法を教えましょう。良い?これは、生涯一度きりしか使えないの。使う時は、ちゃんと考えて使うのよ。この魔法を行使すれば、お前は大切なものを失うでしょう。だけどエレメンデール。魔法を使うということは、そういうことなの』
魔法を使うことの恐れを、恐怖を、きっと母がいちばん理解していた。
だからこそ、ランフルア王妃の嫌がらせをあえて甘受し、その罠にかかってもなお、抗議することなく、死を選んだ。
『この魔法を使えば、お前はひとを愛するこころを失うでしょう。なによりも、大切なひとへの想い。【ひとを愛する】。尊くもうつくしい、その感情を──お前は失うでしょう』
『あいする、こころ?』
幼い私は聞き返した。
愛、というものがまだ明確に分からなかった時分だ。そんな私に、母は微笑んだ。
悲しくも美しく、そして儚い笑みだった。
『いずれお前も、分かるでしょう。ひとを愛する気持ち。誰かを失いたくないと、願うその気持ち。それこそが、私たちの想う【愛】なのです。……それを代償にして、お前は魔法を使えますか?』
『……わからない、わ』
『ええ。まだ、分からないでしょう。分からなくてよいのです。……この感情は、あまりにも重たくて──鉛のように、私たちを縛り付ける。……エレメンデール。覚えておいて。母は、私は──お前を世界でいちばん、愛していますよ』
『……おとうさまのことは?』
『あの方のことも、もちろん。だから私は、幸せで在れるのです』
ねえ、お母様。
私は死んだ娘として、他人の私として、母に尋ねる。
お母様は、幸せだった?
私はまつ毛を伏せた。
視界を閉ざせば、静かな世界。
答えは明確だった。
──ええ。幸せ、だったでしょうね。
だって、エレメンデールもそうだった。
きっと最期は、『幸せな人生だった』と、悲哀に呑まれて、死んだのでしょう。
それが、幸福だと信じて。
それが、不幸だと思いたくなくて。
信じるように、希うように、死んだのでしょう。
私にはわかる気がする。
だって、私もまた、同じようなものだったから。
母が母なら、子も子とは、よく言ったもの。
似たような末路をたどった私は、だけど母の最期の言葉のおかげで、エレメンデールを殺せた。
『お前が魔法を使えば、対象の相手からお前にまつわる記憶を消すことができます。……恐ろしい、魔法です。ひとの記憶を操るのですから。でも……この魔法がいずれ、お前を助けることがあるよう、母は望みます』
愛している。
母は、そう言った。
バチン、と鋏の音が大きく響き、私を過去の記憶から引き戻した。
ハッとして視線を持ち上げると、首元がとても涼しいことに気がついた。
「よぉし、これでいいだろう。うん、お嬢さん。短いのもよく似合ってるじゃないか」
商人が、私に手鏡を渡す。
古びていて、鏡は曇っている。
それでも、その向こうには新たな姿の私がいた。
首元で切りそろえた、銀の髪。
そこには、今までのように鬱屈とした表情の女はいなかった。
むしろ──。
「……ありがとう。商人さん、とてもすっきりしたわ」
新たな名を付けよう。
自分に。私に。
エレメンデールをやめた私に、新たな名を。
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