上 下
86 / 117
二章

きみに会うために 【ロディアス】

しおりを挟む
彼女のいない夏が来て、秋が来て、冬が来て、春がまた、訪れる。

ミュチュスカの子は、早くも三歳を迎えた。
ラズレインの娘と、ビジョンもまた、婚約期間を経て婚姻し、ふたりの間には子も生まれた。
放蕩者だったルドアール公爵の息子、バルセルトですら婚姻したのだから、三年という月日の長さを思わせる。

しかし──ロディアスは未だ、再婚していない。

すぐにでも妃を迎え、急ぎ次世代の子を成すべきだ、という意見が高まる中、ロディアスはそれを却下した。
今はまだ、ランフルアとの関係を持ち出して貴族の意見を押しとどめてはいるが、それも時間の問題だろう。
だからこそ、ロディアスは早くに行動に移す必要があった。
扉が叩かれると、控えていた騎士が訪ね人を確認する。
そして、相手の名をロディアスに告げる。
ロディアスは頷いて、入室を許可した。

執務室に入ってきたのは、ロディアスの実弟、アレンだ。臣籍降下し、今はアレン・ルムアールと名乗り、公爵位を叙爵されている。

「失礼します。以前、兄上が仰っていた東部地方の灌漑工事の件と、国境騎士駐屯地の計画について、意見書を持ってきました」

やや自信がなさそうだったが、ロディアスはそれには構わずアレンから紙の束を受け取った。
手に持つと、ずしりと重みがあるほどの量だ。
この量の紙に書くのは、書類仕事が大の苦手なアレンにはさぞ苦行だったことだろう。
だけど、それでも努力して何とか形にしてみせたのだ。
ロディアスは目を細めて紙面に視線を走らせると、軽く頷いた。

「分かった。読んでおく。父上にはもう見せたのかい?」

「はい。ですが……現実的ではない、費用と人材はどこから調達する、と叱られてしまいました。あと……過去の文献を引用するのはいいがまるまる全文もってきた上に、それを鵜呑みにするな、とも……多角的に物事を見よ、と……」

「そう。お前の意見自体は否定されなかったんだから、そこさえ押さえれば実現は可能かもしれないね。僕も見ておく。騎士団の方はどう?」

ロディアスが水を向けると、今まで思い悩んでいたようなアレンの顔がぱっと明るくなった。

「はい!やはり、新人は活きがいいですね。特に、平民上がりのやつは骨がある。俺が王族であると知ってなお、噛み付いてくる気概のあるやつもいて──」

聞いていると、いつまでも話していそうなアレンの言葉をロディアスはやんわりと遮った。

「うんうん。やっぱりお前は貴族よりも市井の人間に好かれるね。お前を騎士団監督官に命じたのは|良(よ)い選択だったね」

「は……!」

アレンが畏まって頭を下げる。
ステファニー公爵の一連の事件の後、ロディアスはいくつか改革を行った。
ドゥランでの革命の影響を受けて、レーベルトもこのまま停滞を決め込むのではなく、変化の時だと考えたのだ。
それは、ドゥランで施行されている裁判制度を実際にレーベルトでも試用したり、今までは王侯貴族の好意で行われていた慈善事業の一部を、義務化させたり。
あるいは、今までは貴族か、あるいは金のある裕福な商家しか受験資格のなかった文官や秘書官登用試験に平民も参加資格を認めさせたり、と。
貴族の反感を買いかねない政策ばかりだが、地道にそれを実現化しようとしている最中だ。
このまま、君主制を保ちつつ、貴族特権ばかりが旨味を吸う制度では、いずれ規模の差はあれど、レーベルトでも内乱が起きかねない。
過去の歴史でも何度か内乱が起きたことはあるが、その度に甚大な被害を受け、国庫の逼迫に繋がっている。

そして、ロディアスは実弟のアレンに、権力に関わらせるようになった。彼の叔父、ディミアンは、王位を継げずにアレン同様臣籍降下し、反五大派に与した。
そして、権力を求めるあまりレーベルトでタブーと言われている禁忌を犯し、ロディアスが処刑した。
実弟の犯した罪を憂いた王は、これ以上無益な争いを生まないよう、ロディアスに玉座を譲ったのだ。

実の叔父をその手にかけ、殺したロディアスを周囲は血も涙もない、残虐な男だ、と言った。
虫も殺さないような顔をして、何食わぬ顔で血の繋がった肉親を殺したのだ。なんて非道で、人の心のない、道徳心に欠けた男なのだ、と。
その噂を知っているからこそ、ロディアスはより慎重になった。

残虐な王は、恐怖を煽り、独裁になりがちだ。
民に寄り添わない王は、いずれ憎まれるだけだ。

そして、畏怖される王の結末はいつだって──裏切りをもっての死、と相場は決まっている。

だからこそ、ロディアスは当初ステファニー公爵の排除ではなく、共存を選んだのだが、今はその選択を誤りだったと言わざるを得ない。

排除するものは排除し、受容するものは受容する。その線引きを、間違えてはならない。

実の叔父が、罪を犯した。
王位を継げない苦しみから、憎しみから、権力を求めて。

今までロディアスは、第二の叔父ディミアンを生まないよう、極力アレンに政治に関わらせることはしなかった。もっとも、アレン自体が政に苦手意識を持っていた、というのも理由のひとつだが。
だけど、ここ最近、彼はアレンを積極的に政治に巻き込み始めた。
騎士団監督官に命じたのもそうだし、政治を教え始めたのもそうだ。

ロディアスは、アレンを信じている。
彼は、ロディアスを裏切らないと。

王は、孤独なものだ。
だけど、だからといって全てを排除していれば、それでは周囲の人間は誰もついてこない。

信じること。それもまた、きっと王には必要なことだ。

王として、誰かを信じる。
それは、弱みを晒すのと同義だ。
だから今まで、ロディアスは誰も信頼してこなかったし、進んで信用としようとは思わなかった。

『僕はきみを、信頼している』

エレメンデールに言った言葉を思い出す。
あの時、伝えたかった言葉は違うものだったかもしれない。だけど、その言葉もまた、彼にとっての真実だ。
信頼は、ただ弱みになるだけではない。
心の内を見せるからこそ、相手もまた、ロディアスを信じようと思えるのだ。

ロディアスは、羽根ペンをペンスタンドに戻すと、顔を上げた。

「ちょうど良かった。お前に、話があったんだ、アレン」

「は……」

「しばらく、王城を空ける。僕の名代は、お前だよ」

「は……!?」

目を見開き、ギョッとした様子を見せるアレンに、ロディアスは苦笑した。
腹芸が苦手はアレンは、政治に向いていないと思ったが、案外裏表のない真っ直ぐな彼の方が、ひとを引きつける魅力があるかもしれない。
ただの、可能性の話だ。

「期間はそうだな……。二ヶ月、程度」

「ど、どちらに向かわれるのですか……!?」

「ん?……ランフルアとの、国境あたりかな」

「また、ランフルアですか……」

アレンが苦々しい顔をする。
ギッと歯を食いしばり、顔を上げた。

また・・、お怪我をされたらどうなさるのですか!兄上、以前大怪我をされて生死を彷徨われたのをお忘れですか!兄上は大事なお体なのですから、あまり王城を離れるのは、」

「アレン」

ロディアスは、弟の言葉を遮るように彼の名を呼んだ。
そして、静かに彼を見る。
慈愛をもって、親しみをもって。
諌めるように、諭すように。

「僕がただ、お前ほど剣の腕が達者でなかった。それだけの話だよ」

「……俺は、その件についてずっと考えていることがあります。用心深い兄上が、襲撃者に遅れを取るなど考えにくい。ですから──」

「アレン」

ふたたび、弟の名を呼ぶ。
ロディアスはため息を吐くと、そのまま立ち上がった。

「とにかく、決めたことだ。判断に悩むものがあれば、父上を頼るといい。父は王の座を退いたが、長年王としての責務を果たしてきた。王としての手腕はもちろん、僕以上だ。あまり頼りすぎるのも良くないが、不安に思うことがあるなら必ず相談しなさい」

「は、……で、ですが」

「しっかりしなよ、アレン。お前は現時点での王位継承権、第二位なのだから。僕に何かあれば、次の王はお前だ。わかってる?」

「そんなことは……有り得ません。兄上、陛下は……ご壮健なままです」

アレンは言葉に思い悩むようにしながら、それでもはっきりと、それが決まっているかのように言った。

「僕も健やかに生き長らえたいとは思うけどね。それは誰にも分からない。だから、代わりにお前がいるんだよ。……お前の剣の腕は大したものだ。王家に生まれたために、剣の道が閉ざされたことを、僕は心苦しく思う。……だけど、それが王家だ。僕たちには、その責務がある。お前もまた、人の上に立つ人間なんだよ、アレン」

「…………。…………はい」

長い沈黙の末、アレンは頷いた。
それでもやや納得がいかなそうな様子だが、今はまだ仕方のないことだろう。
ロディアスは苦笑する。

「出立は三日後だ。それまでにさっきの書類、目を通しておく」
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

王太子の子を孕まされてました

杏仁豆腐
恋愛
遊び人の王太子に無理やり犯され『私の子を孕んでくれ』と言われ……。しかし王太子には既に婚約者が……侍女だった私がその後執拗な虐めを受けるので、仕返しをしたいと思っています。 ※不定期更新予定です。一話完結型です。苛め、暴力表現、性描写の表現がありますのでR指定しました。宜しくお願い致します。ノリノリの場合は大量更新したいなと思っております。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

ヤケになってドレスを脱いだら、なんだかえらい事になりました

杜野秋人
恋愛
「そなたとの婚約、今この場をもって破棄してくれる!」 王族専用の壇上から、立太子間近と言われる第一王子が、声高にそう叫んだ。それを、第一王子の婚約者アレクシアは黙って聞いていた。 第一王子は次々と、アレクシアの不行跡や不品行をあげつらい、容姿をけなし、彼女を責める。傍らに呼び寄せたアレクシアの異母妹が訴えるままに、鵜呑みにして信じ込んだのだろう。 確かに婚約してからの5年間、第一王子とは一度も会わなかったし手紙や贈り物のやり取りもしなかった。だがそれは「させてもらえなかった」が正しい。全ては母が死んだ後に乗り込んできた後妻と、その娘である異母妹の仕組んだことで、父がそれを許可したからこそそんな事がまかり通ったのだということに、第一王子は気付かないらしい。 唯一の味方だと信じていた第一王子までも、アレクシアの味方ではなくなった。 もう味方はいない。 誰への義理もない。 ならば、もうどうにでもなればいい。 アレクシアはスッと背筋を伸ばした。 そうして彼女が次に取った行動に、第一王子は驚愕することになる⸺! ◆虐げられてるドアマットヒロインって、見たら分かるじゃんね?って作品が最近多いので便乗してみました(笑)。 ◆虐待を窺わせる描写が少しだけあるのでR15で。 ◆ざまぁは二段階。いわゆるおまいう系のざまぁを含みます。 ◆全8話、最終話だけ少し長めです。 恋愛は後半で、メインディッシュはざまぁでどうぞ。 ◆片手間で書いたんで、主要人物以外の固有名詞はありません。どこの国とも設定してないんで悪しからず。 ◆この作品はアルファポリスのほか、小説家になろうでも公開します。 ◆過去作のヒロインと本作主人公の名前が丸被りしてたので、名前を変更しています。(2024/09/03) ◆9/2、HOTランキング11→7位!ありがとうございます! 9/3、HOTランキング5位→3位!ありがとうございます!

「一晩一緒に過ごしただけで彼女面とかやめてくれないか」とあなたが言うから

キムラましゅろう
恋愛
長い間片想いをしていた相手、同期のディランが同じ部署の女性に「一晩共にすごしただけで彼女面とかやめてくれないか」と言っているのを聞いてしまったステラ。 「はいぃ勘違いしてごめんなさいぃ!」と思わず心の中で謝るステラ。 何故なら彼女も一週間前にディランと熱い夜をすごした後だったから……。 一話完結の読み切りです。 ご都合主義というか中身はありません。 軽い気持ちでサクッとお読み下さいませ。 誤字脱字、ごめんなさい!←最初に謝っておく。 小説家になろうさんにも時差投稿します。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

【完結】婚約者の義妹と恋に落ちたので婚約破棄した処、「妃教育の修了」を条件に結婚が許されたが結果が芳しくない。何故だ?同じ高位貴族だろう?

つくも茄子
恋愛
国王唯一の王子エドワード。 彼は婚約者の公爵令嬢であるキャサリンを公の場所で婚約破棄を宣言した。 次の婚約者は恋人であるアリス。 アリスはキャサリンの義妹。 愛するアリスと結婚するには「妃教育を修了させること」だった。 同じ高位貴族。 少し頑張ればアリスは直ぐに妃教育を終了させると踏んでいたが散々な結果で終わる。 八番目の教育係も辞めていく。 王妃腹でないエドワードは立太子が遠のく事に困ってしまう。 だが、エドワードは知らなかった事がある。 彼が事実を知るのは何時になるのか……それは誰も知らない。 他サイトにも公開中。

処理中です...