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二章
きみに会うために 【ロディアス】
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彼女のいない夏が来て、秋が来て、冬が来て、春がまた、訪れる。
ミュチュスカの子は、早くも三歳を迎えた。
ラズレインの娘と、ビジョンもまた、婚約期間を経て婚姻し、ふたりの間には子も生まれた。
放蕩者だったルドアール公爵の息子、バルセルトですら婚姻したのだから、三年という月日の長さを思わせる。
しかし──ロディアスは未だ、再婚していない。
すぐにでも妃を迎え、急ぎ次世代の子を成すべきだ、という意見が高まる中、ロディアスはそれを却下した。
今はまだ、ランフルアとの関係を持ち出して貴族の意見を押しとどめてはいるが、それも時間の問題だろう。
だからこそ、ロディアスは早くに行動に移す必要があった。
扉が叩かれると、控えていた騎士が訪ね人を確認する。
そして、相手の名をロディアスに告げる。
ロディアスは頷いて、入室を許可した。
執務室に入ってきたのは、ロディアスの実弟、アレンだ。臣籍降下し、今はアレン・ルムアールと名乗り、公爵位を叙爵されている。
「失礼します。以前、兄上が仰っていた東部地方の灌漑工事の件と、国境騎士駐屯地の計画について、意見書を持ってきました」
やや自信がなさそうだったが、ロディアスはそれには構わずアレンから紙の束を受け取った。
手に持つと、ずしりと重みがあるほどの量だ。
この量の紙に書くのは、書類仕事が大の苦手なアレンにはさぞ苦行だったことだろう。
だけど、それでも努力して何とか形にしてみせたのだ。
ロディアスは目を細めて紙面に視線を走らせると、軽く頷いた。
「分かった。読んでおく。父上にはもう見せたのかい?」
「はい。ですが……現実的ではない、費用と人材はどこから調達する、と叱られてしまいました。あと……過去の文献を引用するのはいいがまるまる全文もってきた上に、それを鵜呑みにするな、とも……多角的に物事を見よ、と……」
「そう。お前の意見自体は否定されなかったんだから、そこさえ押さえれば実現は可能かもしれないね。僕も見ておく。騎士団の方はどう?」
ロディアスが水を向けると、今まで思い悩んでいたようなアレンの顔がぱっと明るくなった。
「はい!やはり、新人は活きがいいですね。特に、平民上がりのやつは骨がある。俺が王族であると知ってなお、噛み付いてくる気概のあるやつもいて──」
聞いていると、いつまでも話していそうなアレンの言葉をロディアスはやんわりと遮った。
「うんうん。やっぱりお前は貴族よりも市井の人間に好かれるね。お前を騎士団監督官に命じたのは|良(よ)い選択だったね」
「は……!」
アレンが畏まって頭を下げる。
ステファニー公爵の一連の事件の後、ロディアスはいくつか改革を行った。
ドゥランでの革命の影響を受けて、レーベルトもこのまま停滞を決め込むのではなく、変化の時だと考えたのだ。
それは、ドゥランで施行されている裁判制度を実際にレーベルトでも試用したり、今までは王侯貴族の好意で行われていた慈善事業の一部を、義務化させたり。
あるいは、今までは貴族か、あるいは金のある裕福な商家しか受験資格のなかった文官や秘書官登用試験に平民も参加資格を認めさせたり、と。
貴族の反感を買いかねない政策ばかりだが、地道にそれを実現化しようとしている最中だ。
このまま、君主制を保ちつつ、貴族特権ばかりが旨味を吸う制度では、いずれ規模の差はあれど、レーベルトでも内乱が起きかねない。
過去の歴史でも何度か内乱が起きたことはあるが、その度に甚大な被害を受け、国庫の逼迫に繋がっている。
そして、ロディアスは実弟のアレンに、権力に関わらせるようになった。彼の叔父、ディミアンは、王位を継げずにアレン同様臣籍降下し、反五大派に与した。
そして、権力を求めるあまりレーベルトでタブーと言われている禁忌を犯し、ロディアスが処刑した。
実弟の犯した罪を憂いた王は、これ以上無益な争いを生まないよう、ロディアスに玉座を譲ったのだ。
実の叔父をその手にかけ、殺したロディアスを周囲は血も涙もない、残虐な男だ、と言った。
虫も殺さないような顔をして、何食わぬ顔で血の繋がった肉親を殺したのだ。なんて非道で、人の心のない、道徳心に欠けた男なのだ、と。
その噂を知っているからこそ、ロディアスはより慎重になった。
残虐な王は、恐怖を煽り、独裁になりがちだ。
民に寄り添わない王は、いずれ憎まれるだけだ。
そして、畏怖される王の結末はいつだって──裏切りをもっての死、と相場は決まっている。
だからこそ、ロディアスは当初ステファニー公爵の排除ではなく、共存を選んだのだが、今はその選択を誤りだったと言わざるを得ない。
排除するものは排除し、受容するものは受容する。その線引きを、間違えてはならない。
実の叔父が、罪を犯した。
王位を継げない苦しみから、憎しみから、権力を求めて。
今までロディアスは、第二の叔父を生まないよう、極力アレンに政治に関わらせることはしなかった。もっとも、アレン自体が政に苦手意識を持っていた、というのも理由のひとつだが。
だけど、ここ最近、彼はアレンを積極的に政治に巻き込み始めた。
騎士団監督官に命じたのもそうだし、政治を教え始めたのもそうだ。
ロディアスは、アレンを信じている。
彼は、ロディアスを裏切らないと。
王は、孤独なものだ。
だけど、だからといって全てを排除していれば、それでは周囲の人間は誰もついてこない。
信じること。それもまた、きっと王には必要なことだ。
王として、誰かを信じる。
それは、弱みを晒すのと同義だ。
だから今まで、ロディアスは誰も信頼してこなかったし、進んで信用としようとは思わなかった。
『僕はきみを、信頼している』
エレメンデールに言った言葉を思い出す。
あの時、伝えたかった言葉は違うものだったかもしれない。だけど、その言葉もまた、彼にとっての真実だ。
信頼は、ただ弱みになるだけではない。
心の内を見せるからこそ、相手もまた、ロディアスを信じようと思えるのだ。
ロディアスは、羽根ペンをペンスタンドに戻すと、顔を上げた。
「ちょうど良かった。お前に、話があったんだ、アレン」
「は……」
「しばらく、王城を空ける。僕の名代は、お前だよ」
「は……!?」
目を見開き、ギョッとした様子を見せるアレンに、ロディアスは苦笑した。
腹芸が苦手はアレンは、政治に向いていないと思ったが、案外裏表のない真っ直ぐな彼の方が、ひとを引きつける魅力があるかもしれない。
ただの、可能性の話だ。
「期間はそうだな……。二ヶ月、程度」
「ど、どちらに向かわれるのですか……!?」
「ん?……ランフルアとの、国境あたりかな」
「また、ランフルアですか……」
アレンが苦々しい顔をする。
ギッと歯を食いしばり、顔を上げた。
「また、お怪我をされたらどうなさるのですか!兄上、以前大怪我をされて生死を彷徨われたのをお忘れですか!兄上は大事なお体なのですから、あまり王城を離れるのは、」
「アレン」
ロディアスは、弟の言葉を遮るように彼の名を呼んだ。
そして、静かに彼を見る。
慈愛をもって、親しみをもって。
諌めるように、諭すように。
「僕がただ、お前ほど剣の腕が達者でなかった。それだけの話だよ」
「……俺は、その件についてずっと考えていることがあります。用心深い兄上が、襲撃者に遅れを取るなど考えにくい。ですから──」
「アレン」
ふたたび、弟の名を呼ぶ。
ロディアスはため息を吐くと、そのまま立ち上がった。
「とにかく、決めたことだ。判断に悩むものがあれば、父上を頼るといい。父は王の座を退いたが、長年王としての責務を果たしてきた。王としての手腕はもちろん、僕以上だ。あまり頼りすぎるのも良くないが、不安に思うことがあるなら必ず相談しなさい」
「は、……で、ですが」
「しっかりしなよ、アレン。お前は現時点での王位継承権、第二位なのだから。僕に何かあれば、次の王はお前だ。わかってる?」
「そんなことは……有り得ません。兄上、陛下は……ご壮健なままです」
アレンは言葉に思い悩むようにしながら、それでもはっきりと、それが決まっているかのように言った。
「僕も健やかに生き長らえたいとは思うけどね。それは誰にも分からない。だから、代わりにお前がいるんだよ。……お前の剣の腕は大したものだ。王家に生まれたために、剣の道が閉ざされたことを、僕は心苦しく思う。……だけど、それが王家だ。僕たちには、その責務がある。お前もまた、人の上に立つ人間なんだよ、アレン」
「…………。…………はい」
長い沈黙の末、アレンは頷いた。
それでもやや納得がいかなそうな様子だが、今はまだ仕方のないことだろう。
ロディアスは苦笑する。
「出立は三日後だ。それまでにさっきの書類、目を通しておく」
ミュチュスカの子は、早くも三歳を迎えた。
ラズレインの娘と、ビジョンもまた、婚約期間を経て婚姻し、ふたりの間には子も生まれた。
放蕩者だったルドアール公爵の息子、バルセルトですら婚姻したのだから、三年という月日の長さを思わせる。
しかし──ロディアスは未だ、再婚していない。
すぐにでも妃を迎え、急ぎ次世代の子を成すべきだ、という意見が高まる中、ロディアスはそれを却下した。
今はまだ、ランフルアとの関係を持ち出して貴族の意見を押しとどめてはいるが、それも時間の問題だろう。
だからこそ、ロディアスは早くに行動に移す必要があった。
扉が叩かれると、控えていた騎士が訪ね人を確認する。
そして、相手の名をロディアスに告げる。
ロディアスは頷いて、入室を許可した。
執務室に入ってきたのは、ロディアスの実弟、アレンだ。臣籍降下し、今はアレン・ルムアールと名乗り、公爵位を叙爵されている。
「失礼します。以前、兄上が仰っていた東部地方の灌漑工事の件と、国境騎士駐屯地の計画について、意見書を持ってきました」
やや自信がなさそうだったが、ロディアスはそれには構わずアレンから紙の束を受け取った。
手に持つと、ずしりと重みがあるほどの量だ。
この量の紙に書くのは、書類仕事が大の苦手なアレンにはさぞ苦行だったことだろう。
だけど、それでも努力して何とか形にしてみせたのだ。
ロディアスは目を細めて紙面に視線を走らせると、軽く頷いた。
「分かった。読んでおく。父上にはもう見せたのかい?」
「はい。ですが……現実的ではない、費用と人材はどこから調達する、と叱られてしまいました。あと……過去の文献を引用するのはいいがまるまる全文もってきた上に、それを鵜呑みにするな、とも……多角的に物事を見よ、と……」
「そう。お前の意見自体は否定されなかったんだから、そこさえ押さえれば実現は可能かもしれないね。僕も見ておく。騎士団の方はどう?」
ロディアスが水を向けると、今まで思い悩んでいたようなアレンの顔がぱっと明るくなった。
「はい!やはり、新人は活きがいいですね。特に、平民上がりのやつは骨がある。俺が王族であると知ってなお、噛み付いてくる気概のあるやつもいて──」
聞いていると、いつまでも話していそうなアレンの言葉をロディアスはやんわりと遮った。
「うんうん。やっぱりお前は貴族よりも市井の人間に好かれるね。お前を騎士団監督官に命じたのは|良(よ)い選択だったね」
「は……!」
アレンが畏まって頭を下げる。
ステファニー公爵の一連の事件の後、ロディアスはいくつか改革を行った。
ドゥランでの革命の影響を受けて、レーベルトもこのまま停滞を決め込むのではなく、変化の時だと考えたのだ。
それは、ドゥランで施行されている裁判制度を実際にレーベルトでも試用したり、今までは王侯貴族の好意で行われていた慈善事業の一部を、義務化させたり。
あるいは、今までは貴族か、あるいは金のある裕福な商家しか受験資格のなかった文官や秘書官登用試験に平民も参加資格を認めさせたり、と。
貴族の反感を買いかねない政策ばかりだが、地道にそれを実現化しようとしている最中だ。
このまま、君主制を保ちつつ、貴族特権ばかりが旨味を吸う制度では、いずれ規模の差はあれど、レーベルトでも内乱が起きかねない。
過去の歴史でも何度か内乱が起きたことはあるが、その度に甚大な被害を受け、国庫の逼迫に繋がっている。
そして、ロディアスは実弟のアレンに、権力に関わらせるようになった。彼の叔父、ディミアンは、王位を継げずにアレン同様臣籍降下し、反五大派に与した。
そして、権力を求めるあまりレーベルトでタブーと言われている禁忌を犯し、ロディアスが処刑した。
実弟の犯した罪を憂いた王は、これ以上無益な争いを生まないよう、ロディアスに玉座を譲ったのだ。
実の叔父をその手にかけ、殺したロディアスを周囲は血も涙もない、残虐な男だ、と言った。
虫も殺さないような顔をして、何食わぬ顔で血の繋がった肉親を殺したのだ。なんて非道で、人の心のない、道徳心に欠けた男なのだ、と。
その噂を知っているからこそ、ロディアスはより慎重になった。
残虐な王は、恐怖を煽り、独裁になりがちだ。
民に寄り添わない王は、いずれ憎まれるだけだ。
そして、畏怖される王の結末はいつだって──裏切りをもっての死、と相場は決まっている。
だからこそ、ロディアスは当初ステファニー公爵の排除ではなく、共存を選んだのだが、今はその選択を誤りだったと言わざるを得ない。
排除するものは排除し、受容するものは受容する。その線引きを、間違えてはならない。
実の叔父が、罪を犯した。
王位を継げない苦しみから、憎しみから、権力を求めて。
今までロディアスは、第二の叔父を生まないよう、極力アレンに政治に関わらせることはしなかった。もっとも、アレン自体が政に苦手意識を持っていた、というのも理由のひとつだが。
だけど、ここ最近、彼はアレンを積極的に政治に巻き込み始めた。
騎士団監督官に命じたのもそうだし、政治を教え始めたのもそうだ。
ロディアスは、アレンを信じている。
彼は、ロディアスを裏切らないと。
王は、孤独なものだ。
だけど、だからといって全てを排除していれば、それでは周囲の人間は誰もついてこない。
信じること。それもまた、きっと王には必要なことだ。
王として、誰かを信じる。
それは、弱みを晒すのと同義だ。
だから今まで、ロディアスは誰も信頼してこなかったし、進んで信用としようとは思わなかった。
『僕はきみを、信頼している』
エレメンデールに言った言葉を思い出す。
あの時、伝えたかった言葉は違うものだったかもしれない。だけど、その言葉もまた、彼にとっての真実だ。
信頼は、ただ弱みになるだけではない。
心の内を見せるからこそ、相手もまた、ロディアスを信じようと思えるのだ。
ロディアスは、羽根ペンをペンスタンドに戻すと、顔を上げた。
「ちょうど良かった。お前に、話があったんだ、アレン」
「は……」
「しばらく、王城を空ける。僕の名代は、お前だよ」
「は……!?」
目を見開き、ギョッとした様子を見せるアレンに、ロディアスは苦笑した。
腹芸が苦手はアレンは、政治に向いていないと思ったが、案外裏表のない真っ直ぐな彼の方が、ひとを引きつける魅力があるかもしれない。
ただの、可能性の話だ。
「期間はそうだな……。二ヶ月、程度」
「ど、どちらに向かわれるのですか……!?」
「ん?……ランフルアとの、国境あたりかな」
「また、ランフルアですか……」
アレンが苦々しい顔をする。
ギッと歯を食いしばり、顔を上げた。
「また、お怪我をされたらどうなさるのですか!兄上、以前大怪我をされて生死を彷徨われたのをお忘れですか!兄上は大事なお体なのですから、あまり王城を離れるのは、」
「アレン」
ロディアスは、弟の言葉を遮るように彼の名を呼んだ。
そして、静かに彼を見る。
慈愛をもって、親しみをもって。
諌めるように、諭すように。
「僕がただ、お前ほど剣の腕が達者でなかった。それだけの話だよ」
「……俺は、その件についてずっと考えていることがあります。用心深い兄上が、襲撃者に遅れを取るなど考えにくい。ですから──」
「アレン」
ふたたび、弟の名を呼ぶ。
ロディアスはため息を吐くと、そのまま立ち上がった。
「とにかく、決めたことだ。判断に悩むものがあれば、父上を頼るといい。父は王の座を退いたが、長年王としての責務を果たしてきた。王としての手腕はもちろん、僕以上だ。あまり頼りすぎるのも良くないが、不安に思うことがあるなら必ず相談しなさい」
「は、……で、ですが」
「しっかりしなよ、アレン。お前は現時点での王位継承権、第二位なのだから。僕に何かあれば、次の王はお前だ。わかってる?」
「そんなことは……有り得ません。兄上、陛下は……ご壮健なままです」
アレンは言葉に思い悩むようにしながら、それでもはっきりと、それが決まっているかのように言った。
「僕も健やかに生き長らえたいとは思うけどね。それは誰にも分からない。だから、代わりにお前がいるんだよ。……お前の剣の腕は大したものだ。王家に生まれたために、剣の道が閉ざされたことを、僕は心苦しく思う。……だけど、それが王家だ。僕たちには、その責務がある。お前もまた、人の上に立つ人間なんだよ、アレン」
「…………。…………はい」
長い沈黙の末、アレンは頷いた。
それでもやや納得がいかなそうな様子だが、今はまだ仕方のないことだろう。
ロディアスは苦笑する。
「出立は三日後だ。それまでにさっきの書類、目を通しておく」
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