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二章
ひとの形をした魔物 【ロディアス】
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第二妃の私室に向かうと、ロディアスが来ることを知っていたようにルエインが迎えた。
何が起きたのか、王城で何の騒ぎが起きているのか知っているはずなのに、不自然なほどの笑みだった。
分かってはいたが、この女の本性を見た思いだった。
「まあ、陛下。早いお戻りでしたのね」
「なぜ私がここに来たのか、理解してる?」
ロディアスは間髪を容れずに尋ねた。
ルエインは腹をひと撫ですると、こてん、と首を傾げる。
まるで、何も知らない無垢の少女のようなあどけなさだ。
しかし、ロディアスはこの女のその本性を知っている。
彼女の演技はただただ、反吐が出るほどの嫌悪感しかもたらさない。
ロディアスは、眉を寄せてその生理的嫌悪に堪えた。
ルエインは少し考えるような素振りを──顎にほっそりとした指先を当てて視線を持ち上げると、やがてにっこりと笑った。
「私を気遣いに来てくださったのですか?」
「本心からそう思っているのだとしたら、きみには心の治療が必要なんじゃない?」
「何のことを仰っているのですか?」
「その子は、僕の子ではない。公にそう周知する」
ロディアスがばっさりとそう言うと、ルエインの顔から笑みが消えた。
「…………」
にっこりと笑っていた彼女はやがて、ロディアスの心情を推し量るように眺めてみせた。
それは、まるで相手を値踏みするような視線だった。
「へえ。そう。それが、どんな意味を持つかご存知なのかしら」
「それは、脅迫かな」
「いいえ?ただ──子を孕んだ妃を、いまさら!認知せずに追い出すなんて──。社交界の皆々様が知ったらどう言うだろうと。そう思っただけですわ」
鼻で笑うようにルエインが言う。
ロディアスはその様子を見て、眉を寄せた。
万が一、を考えてロディアスは自身の腹心であるミュチュスカを置いていった。
ルエインがなにか仕掛けようとも、それで事足りると思っていた。
以前、エレメンデールに言った言葉を思い出す。
『ステファニー公爵家のルエインはなかなか気の強い令嬢だけど、エレメンデールなら上手くやれると思うんだよね。とはいえ、相手が何を仕掛けてくるか分からないから、あまり顔は合わせなくていいよ。公務ではいやでも対面することになるけど、まさかそんなところで彼女もなにかしてくることはないだろうし』
見通しが甘かった。
ルエインは、ロディアスの想像以上に強かな女だった。
自身の判断ミスと言わざるを得ない。
ロディアスは内心、舌打ちをした。
これでは、ミュチュスカには太刀打ちできないだろう。手段を選ばない非道さを考えるに、メンデルの娘ですら遅れを取りかねない相手だ。
もっとよく、考えるべきだった。
相手は、五大公爵家を廃し、権力を得ようと企んでる、ステファニーの娘なのだから。
虎視眈々と機会を伺い、その隙を逃すようなことをするはずがなかった。
しかし、まさかここまで。
ロディアスの子を妊娠したと嘘を吐き、情報操作を行う。
正しく貴族らしい貴族。
手段を問わない残虐さもまた、傲慢な貴族らしさがあった。
ロディアスは薄く笑みを浮かべた。
「そう──。そうだね。僕は少し、甘すぎたみたいだ。相手がひとでないのなら、僕もまた、人道に則る必要は無いのにね?」
にっこりと笑ってみせる。
化かし合いのような会話だ。
ルエインは目を細めてロディアスを見ていた。
しかしやがて、ため息を吐いて彼に言う。
「立ったままお話するなんて、あんまりですわ。せめてお茶でも用意させましょう?お腹が重たくて、仕方ありませんのよ」
「そう。でも、その必要は無いよ。話はすぐに済む」
「…………」
ロディアスの冷たい声に、ルエインが怪訝な顔をする。
「その子は僕の子ではない。王以外の子を孕んでいるのだから、罰を受けるのは当然の流れだ。王を謀っているのだから、その責はきみだけで収まるはずがない。それも理解しているよね」
「はあ……。またそのお話ですか?ですから、この子は確かに陛下のお子だと言っていますでしょう。あの日、陛下はとても酔っていらっしゃって──」
「知らないな。例え、万が一、億が一、実際に有ったのだとしても、無かったことにする。……この意味がわかる?ステファニーの娘」
「…………」
ピリつくようか緊張感が走る。
ロディアスは真っ直ぐにルエインを見て──いや、睨み据えて、言った。
「きみは、社交界の反応を気にしていたが──そもそも、それは王が成すことを覆すに値するほどのことなのかな。もっと分かりやすく言ってあげよう。……王が決めたことだ。誰にも、例え前王である父にだって、反対はさせない。きみの言う【皆】がどんなに口汚く喚いたところで、何を騒ぎ立てたとして、それは何も変わらないんだよ」
「…………」
ルエインは、ギラつく瞳でロディアスを見た。
それは怒りにも、縋っているようにも見えた。
ロディアスは、彼女を見て、いっそ優しいほどの笑みを浮かべる。
「きみの小細工は、僕の権力には及ばない」
「──」
ぎり、と歯ぎしりが聞こえそうなほど、ルエインは悔しげな顔をした。
そして、憎悪のこもった目をロディアスに向ける。
「臣下の気持ちを無視する気でいらっしゃるのですか。世が乱れますよ」
「反五大派が王家を裏切ると?」
「どうでしょうか。しかし、反五大派筆頭貴族のステファニーの娘である私が、陛下からこのような仕打ちを受けたら……」
ねえ?とルエインが笑う。
だけどもはやそれは、強がりにしか聞こえない。
「そうであれば、徹底的に叩き潰すだけだ。いずれ、権力の均衡は崩れるものだ。そして、争いが生まれ、勝者が生まれる。今までの歴史もそれを物語っている。そうは思わないかい?」
「ご自身の意に沿わないから殺すのですか。陛下は、ご自身の感情を優先し、反五大派が、ステファニーが気に食わないから排する、と?それは何ともまあ……感情論で、利己的で、視野の狭いお考えですわね」
「そもそもの発端は、火種を意図的に放ったのは、きみだろう?そして、それはステファニー家のはずだ。違う?……もっとも、きみが思いたいように思ってくれて構わないよ。きみが何を思おうが、何をしようが、|王(ぼく)は徹底的に潰すだけだ」
「…………」
「最期まで惨めに足掻けばいいよ。貴族の娘としての矜恃も、ひととしての倫理観も人徳も、人としての心も、全てを擲って──いや、そもそもきみには具わっていなかったのかな。どちらにせよ、せいぜいもがけばいい。きみが何を仕掛けようと、僕は僕に持ち得る全ての力を使って、きみと、ステファニーの家を潰す」
ハッキリと宣言されて、ついにルエインは顔色を変えた。指先が小刻みに震える。
恐らくそれは、演技ではない。
それを無感情にロディアスは見つめて──言った。
「そうだね。認めようか。僕は、僕の感情を優先して──きみを憎んでいる。エレメンデールを追い詰めて、苦しめたきみが、心底憎いし、恨んでいるよ」
言いながら、それは自分にも当てはまると理解していた。
ルエインが憎い。
ルエインを恨んでいる。
だけどそれ以上に、この事態を招いてしまった自身の愚かさが何よりも──。
殺意が、湧く。
何が起きたのか、王城で何の騒ぎが起きているのか知っているはずなのに、不自然なほどの笑みだった。
分かってはいたが、この女の本性を見た思いだった。
「まあ、陛下。早いお戻りでしたのね」
「なぜ私がここに来たのか、理解してる?」
ロディアスは間髪を容れずに尋ねた。
ルエインは腹をひと撫ですると、こてん、と首を傾げる。
まるで、何も知らない無垢の少女のようなあどけなさだ。
しかし、ロディアスはこの女のその本性を知っている。
彼女の演技はただただ、反吐が出るほどの嫌悪感しかもたらさない。
ロディアスは、眉を寄せてその生理的嫌悪に堪えた。
ルエインは少し考えるような素振りを──顎にほっそりとした指先を当てて視線を持ち上げると、やがてにっこりと笑った。
「私を気遣いに来てくださったのですか?」
「本心からそう思っているのだとしたら、きみには心の治療が必要なんじゃない?」
「何のことを仰っているのですか?」
「その子は、僕の子ではない。公にそう周知する」
ロディアスがばっさりとそう言うと、ルエインの顔から笑みが消えた。
「…………」
にっこりと笑っていた彼女はやがて、ロディアスの心情を推し量るように眺めてみせた。
それは、まるで相手を値踏みするような視線だった。
「へえ。そう。それが、どんな意味を持つかご存知なのかしら」
「それは、脅迫かな」
「いいえ?ただ──子を孕んだ妃を、いまさら!認知せずに追い出すなんて──。社交界の皆々様が知ったらどう言うだろうと。そう思っただけですわ」
鼻で笑うようにルエインが言う。
ロディアスはその様子を見て、眉を寄せた。
万が一、を考えてロディアスは自身の腹心であるミュチュスカを置いていった。
ルエインがなにか仕掛けようとも、それで事足りると思っていた。
以前、エレメンデールに言った言葉を思い出す。
『ステファニー公爵家のルエインはなかなか気の強い令嬢だけど、エレメンデールなら上手くやれると思うんだよね。とはいえ、相手が何を仕掛けてくるか分からないから、あまり顔は合わせなくていいよ。公務ではいやでも対面することになるけど、まさかそんなところで彼女もなにかしてくることはないだろうし』
見通しが甘かった。
ルエインは、ロディアスの想像以上に強かな女だった。
自身の判断ミスと言わざるを得ない。
ロディアスは内心、舌打ちをした。
これでは、ミュチュスカには太刀打ちできないだろう。手段を選ばない非道さを考えるに、メンデルの娘ですら遅れを取りかねない相手だ。
もっとよく、考えるべきだった。
相手は、五大公爵家を廃し、権力を得ようと企んでる、ステファニーの娘なのだから。
虎視眈々と機会を伺い、その隙を逃すようなことをするはずがなかった。
しかし、まさかここまで。
ロディアスの子を妊娠したと嘘を吐き、情報操作を行う。
正しく貴族らしい貴族。
手段を問わない残虐さもまた、傲慢な貴族らしさがあった。
ロディアスは薄く笑みを浮かべた。
「そう──。そうだね。僕は少し、甘すぎたみたいだ。相手がひとでないのなら、僕もまた、人道に則る必要は無いのにね?」
にっこりと笑ってみせる。
化かし合いのような会話だ。
ルエインは目を細めてロディアスを見ていた。
しかしやがて、ため息を吐いて彼に言う。
「立ったままお話するなんて、あんまりですわ。せめてお茶でも用意させましょう?お腹が重たくて、仕方ありませんのよ」
「そう。でも、その必要は無いよ。話はすぐに済む」
「…………」
ロディアスの冷たい声に、ルエインが怪訝な顔をする。
「その子は僕の子ではない。王以外の子を孕んでいるのだから、罰を受けるのは当然の流れだ。王を謀っているのだから、その責はきみだけで収まるはずがない。それも理解しているよね」
「はあ……。またそのお話ですか?ですから、この子は確かに陛下のお子だと言っていますでしょう。あの日、陛下はとても酔っていらっしゃって──」
「知らないな。例え、万が一、億が一、実際に有ったのだとしても、無かったことにする。……この意味がわかる?ステファニーの娘」
「…………」
ピリつくようか緊張感が走る。
ロディアスは真っ直ぐにルエインを見て──いや、睨み据えて、言った。
「きみは、社交界の反応を気にしていたが──そもそも、それは王が成すことを覆すに値するほどのことなのかな。もっと分かりやすく言ってあげよう。……王が決めたことだ。誰にも、例え前王である父にだって、反対はさせない。きみの言う【皆】がどんなに口汚く喚いたところで、何を騒ぎ立てたとして、それは何も変わらないんだよ」
「…………」
ルエインは、ギラつく瞳でロディアスを見た。
それは怒りにも、縋っているようにも見えた。
ロディアスは、彼女を見て、いっそ優しいほどの笑みを浮かべる。
「きみの小細工は、僕の権力には及ばない」
「──」
ぎり、と歯ぎしりが聞こえそうなほど、ルエインは悔しげな顔をした。
そして、憎悪のこもった目をロディアスに向ける。
「臣下の気持ちを無視する気でいらっしゃるのですか。世が乱れますよ」
「反五大派が王家を裏切ると?」
「どうでしょうか。しかし、反五大派筆頭貴族のステファニーの娘である私が、陛下からこのような仕打ちを受けたら……」
ねえ?とルエインが笑う。
だけどもはやそれは、強がりにしか聞こえない。
「そうであれば、徹底的に叩き潰すだけだ。いずれ、権力の均衡は崩れるものだ。そして、争いが生まれ、勝者が生まれる。今までの歴史もそれを物語っている。そうは思わないかい?」
「ご自身の意に沿わないから殺すのですか。陛下は、ご自身の感情を優先し、反五大派が、ステファニーが気に食わないから排する、と?それは何ともまあ……感情論で、利己的で、視野の狭いお考えですわね」
「そもそもの発端は、火種を意図的に放ったのは、きみだろう?そして、それはステファニー家のはずだ。違う?……もっとも、きみが思いたいように思ってくれて構わないよ。きみが何を思おうが、何をしようが、|王(ぼく)は徹底的に潰すだけだ」
「…………」
「最期まで惨めに足掻けばいいよ。貴族の娘としての矜恃も、ひととしての倫理観も人徳も、人としての心も、全てを擲って──いや、そもそもきみには具わっていなかったのかな。どちらにせよ、せいぜいもがけばいい。きみが何を仕掛けようと、僕は僕に持ち得る全ての力を使って、きみと、ステファニーの家を潰す」
ハッキリと宣言されて、ついにルエインは顔色を変えた。指先が小刻みに震える。
恐らくそれは、演技ではない。
それを無感情にロディアスは見つめて──言った。
「そうだね。認めようか。僕は、僕の感情を優先して──きみを憎んでいる。エレメンデールを追い詰めて、苦しめたきみが、心底憎いし、恨んでいるよ」
言いながら、それは自分にも当てはまると理解していた。
ルエインが憎い。
ルエインを恨んでいる。
だけどそれ以上に、この事態を招いてしまった自身の愚かさが何よりも──。
殺意が、湧く。
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