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二章
何のための王【ロディアス】
しおりを挟むロディアスが城に戻った時、城内は上を下への大騒ぎとなっていた。
ドゥランから戻る際、早馬が飛ばされたので既に報告は受けている。
旅装束を解くこともせず足早に廊下を歩くロディアスのもとに、従僕が駆けつけてきた。
「お帰りなさいませ!陛下!」
「……エレメンデールのメイドは?」
「医務室で寝かされております。ずいぶん、精神的に不安定となっておりますので……。記憶も混濁しているようです」
「分かった」
「ルエイン妃とはお会いには……」
「いい」
ロディアスは短く言うと、そのまま医務室へと足を運んだ。
私室に戻るよりも先にそちらに向かった彼に、医務室に詰めていた老齢の医者が驚愕に息を呑む。
「陛下……お戻りでしたか。早いお戻りで」
「それはいい。ラディールは」
切って捨てるような言葉だった。
それに医者の男は息を呑み、やがて素早く腰を上げた。
ロディアスはドゥランから戻って身を清めてすらいない。
本来なら、王と言えど医務室にそのような状態で足を運んだことを咎め、追い返すところだが、今はそんなことを言っている場合ではなさそうだった。
医者に案内された先では、ひとりの女性がぼうっとベッドに寝かされていた。
起き上がり、窓の外を眺めている。
扉が開いた音に気がついたのだろう。
パッとロディアスを見ると、泣きそうに顔を歪めた。
「陛下……!」
「既にされた質問だと思うが、私も尋ねたい。……何があった」
「それが……」
ラディールはぽつぽつと話し出した。
俯いたせいで、髪がほつれ、はらりと垂れた。
「……思い、出せないのです」
それも、報告に聞いていた通りだ。
ロディアスはベッドサイドにつけられたスツールに腰掛けた。膝を組み、静かにラディールを見る。
それは、冷たくも、静かな瞳だった。
彼女が嘘をついていないか、その話の整合性を確かめようとしているような。
今の彼にはそんな鋭さがある。
「私は……たしかに誰かにお仕えしておりました。それは……この国の、王……妃……?いや……ちが、う?誰か……高貴、な……。申し訳ありません。記憶が混在して……なにが正しいのか分からないのです」
「貴女は、気がついたら草原で倒れていた、と言ったね。その時に、女性に声をかけられ、助けられた、とも」
ロディアスの言葉にラディールは力強く頷いた。
思い悩むような表情は失せ、しっかりとロディアスを見返している。
「はい。ローブを被っていたので顔はハッキリと覚えていませんが……。彼女は自身を魔女、と名乗りました」
「…………」
ロディアスは静かに彼女の話を聞いていた。
窓の外で、ちゅんちゅん、と鳥のさえずりが聞こえる。
「……魔女、というものがどういう存在なのか、私には分からないのですが……とにかく私は、彼女の不思議な力?で、助けられたようです。半信半疑だったのですが、周りには倒れ伏した男たちがいましたし……実際のところは、よく分かりません。とにかく、この場を離れた方がいいと彼女に助言され、私もまたそう思いました」
「……彼女は、その後どこに?」
「……分かりません。そのまま、彼女とはそこで別れました。……彼女は、私が王妃付きのメイドであると知って……私が王妃付きのメイドだと、思っているようでした。なぜそう思っているのか尋ねると、それも『魔女だから』と答えがあり……」
「それで?」
そこで、ラディールはほんの僅かに思い悩むような表情になった。
しかし、意を決した様子で顔を上げ、ロディアスを見つめる。
「……これは。陛下がお戻りになるまで口を噤んでいたことではありますが。王妃の私室にあるライティングデスクを検めるよう……言っていました。明らかに怪しい人物ではあったのですが、倒れていた男たちもまた、素性の怪しそうな風体に見えましたので、ひとまずその場を離れることを優先し……。申し訳ありません。私の判断は誤りでしたでしょうか……」
ラディールの不安と恐れを隠せない目に、ロディアスは沈黙を保っていたが、やがて首を横に振る。
「いや、貴女の判断は間違っていない。──恐らく、貴女の記憶の混濁は、エレメンデール……王妃によるものだと思う」
「王妃、陛下ですか?」
ここまで、ラディールは誰にも情報を与えられずにいた。
それは、彼女の精神状態や記憶が混濁していることを鑑みてのことだったが、ロディアスは彼女には、全てを知る権利があると思った。
何も知らないことは、ひどくもどかしく、恐ろしいことだ。
ロディアスは軽く頷き、窓の外に視線を向ける。
「貴女の仕えるひとは、この国の王妃だった。……隣国ランフルアからレーベルトに嫁いだ、王女だったひとだよ」
「……そう、なの、です……か」
ラディールはいまいち実感がわかない様子で答えた。
それを見て、ロディアスは砂を噛む思いだった。
彼女の、エレメンデールを思う気持ちを知っていたからこそ。
ラディールは、エレメンデールをいちばん気にし、親身になっていたメイドだった。
他国から嫁いだエレメンデールのために何かと骨を砕いていたのを、ロディアスもまた報告を受け、知っている。
それは仕事の域を超え、個人的な感情──ひとはそれを、親愛、友情、絆、と呼ぶのかもしれない。
彼女にはそれがあった。
その思いをもって、エレメンデールを支えていたのだ。
そのラディールが、エレメンデールの存在自体を、忘れた。
「…………」
以前、ロディアスは彼女に尋ねたことがある。
魔女の力を有しているのか、と。
『きみは、なにか特別な力を持っている?』
彼のその質問の答えは、否、だった。
『私は魔女のなりそこないなので……お母様のような力は持っていません』
今思うに、あれは、偽りだったのだのだろう。
エレメンデールには、魔女の力がある。
彼は細く息を吐き出した。
やるべきことは、たくさんある。
成すべきことも。
ラディールの話や状況を統合して考えるに、恐らくエレメンデールは魔女の力を有している。
そして、その力を使ってラディールの記憶を奪ったのだろう。
報告によると、エレメンデールは、祈りの儀式の後、襲撃を受けた。
そこでルエインの身代わりとなったのだ。
いや、賊が本来求めていたのが【王妃】であるのなら、身代わりという言葉はおかしいのかもしれない。
だけど確かに彼女は、囚われていたルエインの代わりとなり、攫われたのだ。
ラディールと共に。
そして、彼女だけを城に帰した。
「…………」
深く、息を吐く。
意図して感情を落ち着かせなければ、すぐにでも暴走してしまいそうだった。
意味をなさない言葉を吐き、意味をなさない行動をとってしまいそうだ。
(──冷静になれ。ロディアス・レーベルト・ルムアール。僕はこの国の王だろう。このような時だからこそ、落ち着くべきだ。感情的になって、何が解決する)
考えなければならない。
今、まずは何をしなければならない?
エレメンデールを探す?
それも大切だ。
だけど今、まずしなければならないことは。
やらなければならないことは。
成さなければならないことは。
恐ろしいくらい、頭は冷えきっていた。
氷のように、感情が凍りついてゆく。
白金のまつ毛をふせ、ロディアスは考え込んでいたが、やがて顔を上げた。
沈黙するロディアスに狼狽えていたラディールは、彼と視線がぱちりと交わると、あからさまに動揺した様子を見せた。
一介のメイドが、王と言葉を交わす機会など滅多にない。
ロディアスは静かに言った。
「ありがとう。貴女の話はとても参考になった」
「そ、それはよろしゅうございました……。あまり、お役に立てず申し訳ございません」
「いや……」
いつもならもう少し気の利いた声が言えただろう。
だけどロディアスはそれだけ言うと腰を上げ、医務室を後にした。
向かう先は、第二妃の、私室。
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