〈完結〉魔女のなりそこない。

ごろごろみかん。

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二章

何がおかしい

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それから数時間ほど経過しただろうか。
今、王城はどうなっているだろう。
もう、すっかり夜の帳が落ちているはずだ。

馬車は緩やかに速度を落としていき、やがて停まった。
ついにその時が来たのだ。
心臓がばくばくと音を立て始める。
私は、首尾よく事を成せるだろうか。
男たちに怪しまれずに、魔法を発動することが出来るだろうか?
胸元でしゃらり、と首飾りが揺れた。

「────」

見えないけれど、それは陛下からいただいた首飾りだ。その音を聞いて、その存在に気がついて、私はゆっくりと深呼吸をする。

(……大丈夫)

大丈夫だ。
私には、貴方がくれたお守りがある。
貴方がくれたこの首飾りと耳飾りが、私の希望を繋いでくれている。
貴方を想う気持ちが、ただ、私を突き動かしている。

『家のため、つまり──王妃陛下にとっては、国のためではなく、愛するもののために。……強い覚悟というものはきっと、泥沼に陥った際、新たな道を切り開く一助となるはずです』

ええ、そうね。メリューエル。
貴女の言う通りだわ。

『貴族の娘であれば、家のため、名誉を守るため──必要に応じて、相応しい死を得るよう、生まれながらに教育を受けています。……ですが私は、それに重きを置くのではなく、愛するもののために手段を探し、行動を選び取る。……そちらの方がよほど、【自分らしく】在れるのではないか、と思いました』

その通りね。
私も、そう思うわ。

だって私、今の自分がそんなに──嫌いじゃないの。

今まで私は、自分のことが大嫌いだった。
自分を自分で否定して、その生まれも、この体に流れる血も、全て全て、嫌いだった。
嫌悪していたし、苦しかった。とても、苦しかったの。

でもね、今は。
今だけは──私が、魔女の娘で。
魔女の力を使えること。
誇らしく思っているのよ。
だってそれで、大切なひとを守れるのだから。

ロディアス陛下、ラディール。

あなたたちの力になれること、私は今誇らしく思っているのよ。
ただ、守られているだけではない。
ただ、怯えるだけの自分ではないことに。

「……王妃陛下」

ラディールが怯えた声を出す。
だから私は、意図して落ち着いた声を出した。

「いよいよ、正念場ね。安心して、ラディール。私は……ランフルアでは恐れられ、怖がられる、未知の力を持った魔女なの。数人程度、どうにだってしてみせるわ」

ラディールが鼻を啜った。
上手く笑えただろうか。
それが私の強がりだと知られていないことを願って、私はその時をただひたすら待った。

降りろ、と男が馬車の扉を開ける。

布越しにも、冷えた空気を感じた。
やはり、夜、もしくは真夜中と言って差支えのない時間帯なのかもしれなかった。

頭に被らされた布が取り払われる。
外は、草原が広がっていた。
それは、どこか王城の中庭に似ている。

私は周りを見渡して──男に尋ねた。

「ここは、どこ?」

「ハ。そんなの答えるかよ、って言いたいとこだが。いいぜ、冥土の土産に教えてやるよ」

男が、手にしたナイフを舐める。
猟奇的で、生理的嫌悪感を催す仕草だった。

「ここは、レーベルト北方部。ネーヴェ海沿岸部だ。……分かるか?つまり、あんたらの命はここでオシマイ、ってわけだ」

「陛下を呼び出すつもりではなかったの」

想像以上に落ち着いた声が出た。
私が思ったような反応を示さなかったからか、男は眉を寄せた。

彼がリーダー格なのだろう。周囲には、私たちを取り囲むように男たちが立っているが、みなフードを取り払っている。
私たちに顔を見られても問題ないと思っているのだろう。
それはつまり、私たちを生きて返すつもりは、彼らには毛頭ない、というわけだ。

私たちの前に立つ男は、鼻で笑った。

「それは、あんたらが知る必要のないことだ!」

そのまま、男はナイフを振り上げた。
見れば、周囲を取り囲む男たちもそれぞれ武器を手にしている。

「運が悪かったな、アンタも。その女も!」

男のその声が、合図だったのだろう。
男たちが、武器を手に、私たちを殺そうとじりじりと迫る。
ラディールが悲鳴をあげた。

「きゃあああ!」

私はじっと息を殺して、集中して男たちを見た。
静かに呟くのは、いつの日か、母から教えられた──呪文。

「Ο Θεός」

決して、瞬きはしてはいけない。
瞬きすれば、呪文は破棄される。
そうすれば、もうこの術は使えない。

これは、生涯一度きりしか使えないと、母は言っていた。
失敗は、許されない。
男たちは私のくちびるが動いていることにまだ気づいていない。
背後にいるラディールだけが、私の口からもたらされる声の異様さに気がついた。

「Δώσε μας τη δύναμη να προστατεύουμε ό,τι αγαπάμε. Ζωή」

レーベルトの言語でもない。
ランフルアで一般的に使われる言語でもない。
これは、古の時代、ランフルアで用いられていたという古語だ。

そして、魔女が魔法を行使する時に使う、正式詠唱。
魔女は呪文を口にせずとも魔法を行使できると言われているが、魔女のなりそこないの私は、全文詠唱しなければ、魔法を行使することは叶わない。

あと少し。
あと少しだから。

昔、母から教えられた呪文は、記憶に違わず声にすることが出来た。
意外と、覚えているものだ。

それに心から安堵した。
まさか、魔女の魔法を。
母に教えられたそれを、使う日が来るとは思わなかった。

「Ψυχή──。Ελπίδα. Απελπισία. Θλίψη. Οδύνη.Ευτυχία. Τα προσφέρω όλα」
 
まだ、あと、少し。
男たちが、私の口にする呪文に気づき始めた。
眉を寄せ、理解できない、という顔をしたあとなにかに気がついた様子を見せた。

「ッ!!おい!あれは魔女の魔法・・・・・だ!!殺せ!魔女を殺せぇ!!」

私が滔滔と呟く言葉が呪文の類であると察した、リーダー格の男が叫ぶ。
ナイフを振り上げて、私の頭上に影が射す。
私は、は、と自棄的な気持ちで嗤った。
それは恐らく──私が思う以上に、【魔女】らしい顔だったのだろう。
男の顔が、歪む。

(遅い)

「Ορκίζομαι σ' αυτό το όνομα και δεν μετανιώνω που τα πληρώνω!」

呪文を最後まで唱えた瞬間。
ぶわりと光の粒が走る。
正式に魔法が発動したのだ。

私が使える、唯一の、魔法。

『お前は魔女にはなれなかった。……だけどね、エレメンデール。それはお前が魔法を使えないことの証明にはならないの』

母の言葉を思い出す。

『この魔法を行使すれば、お前は大切なものを失うでしょう』

ぱちぱちと弾けるような光の泡。
それに包まれて──なにかが、まとわりつくような、感覚。きっとこれが、魔力。

そして、この瞬間になって気がつく。

ああ、私は──。
王城で、魔法など使っていない。

だって、魔法を使うというのはこんなにも暖かく、穏やかで、揺蕩う水に浮かぶような感覚なのだ。
無意識に、自身の意図とは関係なく魔法を行使する、など。
土台、ありえない話だったのだ。
それに気が付き、苦笑する。
どうやら私はルエインの策に陥ったらしい。

でも、もういい。

周囲の時間が止まったように感じた。
いや、感じるのではない。
実際、時が止まっているのだ。

瞬きをすれば、この魔法は解ける。
ゆっくり、私は目の前に立つ男を見る。

そして、周囲の男たちを見、次にラディールを見た。瞬きをしていないせいで、目が乾く。

じゅうぶんに周囲に視線を走らせてから──私は、瞬きをした。途端、硝子が砕けるような、光が消滅するような、そんな微かな音を聞いた。

まつ毛を持ち上げてまた目を開ければ、そこには唖然とした男の顔。
男は私を見て──そして、白目を向いて倒れ込んだ。周囲の男たちも同様だ。
どさ、と物音がした。

私はそれを静かに見渡して──そして、自覚する。

私はもう、以前のエレメンデールではない。
そのことを。
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