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二章
王妃としての命令
しおりを挟む思い出す。ランフルアにいた日々のことを。
思い出す。レーベルトに来てからの日々を。
『この国は、居心地がよろしいでしょう……?貴女にとって』
彼女の言う通りだ。
この国は、私に優しすぎた。
魔女など、本来なら畏怖され、嫌悪され、忌避されるものなのに。
それを受け入れ、未知のものの存在を許してくれる。
『何もかも私から取り上げて。……私はずっと、ずっとあの方だけを見ていたんです。幼少の頃から。それこそ、幼馴染だと公言できるほどに』
きっと、彼女は『返して欲しい』と言いたかったのだ。
でも、言えなかった。
それは、私が【王妃】で【王女】だから。
第二妃で、レーベルトの一貴族に過ぎない彼女には、言えなかった。
(……元々、彼は私のものでは無いけれど)
内心、苦笑した。
火の手が広がり、煙が空気に混ざる。
煙たくて、目がしみる。
少しだけ、空咳が出た。
この国に来たばかりの頃。
私の夫である、ロディアス陛下は。
私が魔女の血を引いていることを知った上で、彼は私を受け入れてくれた。
所詮、ただの迷信だ、と仰って。
昔話のようなものに怯える必要はないと言い切った彼に、私がどれほど救われたか、きっと彼は知らない。
それでいい。それだけでいい。
優しさがあった。
あたたかさがあった。
人と人の、触れる心を知った。
(……この国に来れて、良かった)
魔女の身でありながら、普通の人のように過ごせた。
幸福を、感じることが出来た。
私はじゅうぶん、幸せだ。
幸せだった。
風が一弾と強く吹いて、ごう、と炎が燃え広がった。
「お待ちください……!!」
ラディールが、腕を掴む。
「…………」
それを優しく振りほどく。
そして、ほんの少し、微笑んでみせた。
それが、引き攣ってないといい。
自然な笑みに見えたらいい。
「……ありがとう」
私は、ルエイン様にナイフを突きつける男に向き直ると、声高に叫んだ。
「お前たちは誤解しています。王妃は私です!私こそが……エレメンデール・ランフルア・エレンであり、エレメンデール・レーベルト・エレンです。ランフルアの王女で、レーベルトの王妃は、この私です!!」
「王妃陛下……!」
背後で、ラディールの悲鳴のような声が聞こえる。それを聞いて、ほんの少しだけ、胸が締め付けられる。
でも、それで良かった。
今、この場において名乗りをあげることがきっと正解だ。
それはただの私の自己満足的な思いとは別に、ルエイン様は──彼女は、ロディアス陛下の子を宿しているのだから。
その子は、王位継承権を持つ、王族となる。
もしかしたら、次世代の王になるかもしれないのだ。
『私が憎いですか?憎いでしょうね……!!貴女は堕胎薬を飲ませられて、私は妊娠して──』
ルエイン様の、鬼気迫る声を思い出す。
もしかしたらロディアス陛下はとうに、私との子ではなく、次の王は、ルエイン様の子を、とお考えだったのかもしれない。
それが正解でも、不正解でも、もういいの。
私の取る行動はもう、決まっているのだから。
私が名乗りをあげると、男はちらりと私を見た。
「あン?お前が王妃だぁ?証拠を見せな!本物を庇ってるだけの貴族の女かもしれねぇだろうが!」
「新聞を見たことがないのですか。レーベルトの王妃は銀髪だと書いてあったでしょう」
「…………」
男が、仲間と思わしき別の男にしゃくって見せる。
それを受けて、仲間の数人がどこかに走っていった。
急ぎ、新聞を取りに行くのだろうか。
だけどそれには時間が無い。
火の手はどんどん広がりを見せている。
早く消火しなければ周囲一体を巻き込む大火事となる
「ランフルア王家に連なるものは、その瞳に特殊な色が現れます。虹彩に薄紅の色が現れるのです。私もまた、同様です!」
声を、張り上げる。
大声を出すことは慣れなくて、腹にしっかりと力を込めた。
いつの日か、彼に泉に咲くコスモスのようだと言われたことがある。
この瞳こそが、私がランフルア王家のものであることを示す証拠。
「そんなの知らねぇなァ!!」
男が笑い飛ばす。
「っ……」
悔しさに、歯噛みする。
じりじり、じわじわ。
火の手が広がる。
顔が、頬が、肌が、熱気に炙られて熱い。
「であれば!せめて他のものだけでも下がらせてください。このままでは火に呑まれてしまいます!私は残ります。だからっ……いいでしょう!?」
このままここに全員いたのでは、怪我人が出てしまう。
それどころか死傷者が出てもおかしくない。
それほどまでに、火の手は勢いを増していた。
炎の爆ぜる音は大きく、叫ばなければ相手にも声が届かない。
男は、風上にいるから、あまり火の影響を受けていないのだろう。
彼は少し黙り込んだが、やがて言った。
「いいぜ。だけど、お前の隣のその女」
「ひっ」
ラディールが息を呑む。
私もまた、彼女が名指しされたことに体が強ばる。
「お前も残れ。王妃サマさらったところで自死されたら意味ねぇからな。人質だ」
「そんなことしなくても私は……!」
「うるせえ!!今すぐこいつの腹かっさばいてもいいんだぞ!!」
「ひぃっ!!」
怒鳴るように男が言うと、ルエイン様が悲鳴をあげた。
彼女の肩は震え、今にも崩れ落ちそうだ。
「乱暴はやめてください!彼女は関係ありません。王妃は私なのですから!!」
悲鳴のような声を上げる。
男は、つまらなそうに私を見た。
「ふん。で、どうする」
それは、ラディールに向けられた言葉だ。
どうにもならない現実に、悔しさにくちびるを噛んだ。
ラディールの顔も真っ青だ。
「……。…………」
やがてゆっくり、ラディールが頷いた。
(ラディール……)
恐ろしく怖いだろうに。
この先、どうなるかも分からない状況なのに。
彼女は、頷いてみせた。
恐らくルエイン様の──彼女の安全のために。
「……よし、交渉成立だ。ホラッ!早く逃げねぇと、お偉い騎士さんや王宮勤めのエリート階級の方々が丸焦げだぜぇ?」
せせら笑うその声に、身震いするような怒りを覚える。
「──」
だけどそれを、歯を食いしばって堪える。
まだ、【その時】ではない。
まだ、あと、もう少しだけ。
意図して、深く息を吐く。
怒りに呑まれてはだめ。
恐れに囚われてはだめ。
私にできることがあるでしょう。
私にしかできないことがあるでしょう。
私は男から視線を逸らさずに周囲に命じた。
「みな!!聞きましたね!一刻も早くこの場を去ってください!ここはいずれ、火の海に呑まれます!!」
声を、張り上げる。
「ですが、王妃陛下!」
騎士のひとりが叫んだ。
私はそれを遮るようにさらに言った。
「これは命令です!陛下がご不在の今、王宮に務めるものの命令指揮権は王妃の私にあります。国に仕える騎士なら、王族に仕えるものなら、私の命令通りに動いて!!……動きなさい!ッ早く!!」
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