64 / 117
二章
限界なのは、心か、体か 【ロディアス】
しおりを挟む
陽が登ると、ミュチュスカが執務室に現れる。
手には、事前に言付けていた報告書がある。ずいぶんな量だ。
ロディアスはちらりとミュチュスカを見て、軽い声で言った。
「何かわかった?」
朝の挨拶も省略し、尋ねたロディアスに、ミュチュスカは静かに執務机まで歩みを進めた。
「事細かに調べさせましたが、明確な証拠は得られませんでした。証言も取れていません」
ばさ、と執務机に紙の束が置かれる。
それは、ロディアスがミュチュスカに命じ、調査の指揮を取らせていたものだった。
直接ロディアスが動いては、相手に警戒されしっぽを掴めないと読んだのだ。
ロディアスは、分厚い書類に手を伸ばすと、ぱらぱらとそれに目を通し始めた。
「婚姻前の素行不良を持ち出せばすぐに済む話だけど、それだけじゃ子の王位継承権までは取り上げられないね」
ロディアスは、ルエインと初夜を終えていない。
それはつまり、ルエインが子を孕む可能性がないことを意味していた。
それなのに、ルエインは子を成したと声高に叫んでいる。
彼女に妊娠の兆候が見られてもなお、懐妊の報せを出さないのは、子の父はロディアスではないからだ。
ルエインもそれを知っているはずだ。
それなのに、子は、ロディアスとの間に成されたものだと全く引く様子を見せない。
彼女の主張はこうだった。
『あの日、ロディアス陛下はとても酔っておられました。覚えていらっしゃらないのです』
──と。
しかし、ロディアスは深酔いしても記憶は失わない質だ。
彼の記憶では、第二妃の私室に足を運んだのは、初夜のあの時一度きり。
もちろん、彼女に触れたことすらなかった。
であれば、ルエインの子は、ロディアス以外の男に仕込まれたもの、ということになる。
そして、ミュチュスカに命じ、暗部をもって調べさたところ、ルエインの素行不良が明らかになった。
かなり巧妙に隠されていたが、王家に仕える暗部が調べあげたのだ。
時間は多少かかったものの、求める情報を入手することに成功した。
暗部によりもたらされた報告によると、ルエインは婚姻前より、性生活がかなり乱れていたようだった。
特に、お気に入りの舞台俳優を家に引き込むことを好んでいた。
未婚の娘でありながら色に溺れる生活を送っていたようだ。
気に入りの俳優は数人もおり、愛人として遇していたのが実情だ。
婚姻を機に、関係は清算されたようだったが、これが明るみに出れば、社交界での立場はもちろん、ステファニー公にまでその影響は及ぶだろう。
今すぐそうしても構わないところだが、しかしそれにはひとつだけ問題があった。
それは、ルエインが間違いなく子を孕んでいる、ということだ。
俳優たちとの関係を清算し、ロディアスと婚姻を結んでから半年以上が経過する。その期間を見るに、子は、愛人との間に成されたものではないだろう。
では、ルエインの子の父親は誰か?
ルエインの身の回りの人間全てを洗い出し、彼女の交友関係を洗い出し、更には従僕から騎士まで範囲を広げる。
そうまでしても、彼女が異性と関わった──少なくとも、二人きりで、行為に励むに足る時間を過ごした記録は見当たらなかった。
このままでは、ロディアス自身に覚えがないのに、ルエインの子を、自身の子として受け入れなければならなくなる。
そんなのは、死んでもごめんだった。
(血の繋がりもない子供を、僕の子供として遇する……)
養子なら、養子として接することができる。
だけど、その子を、彼は自分の子として。
血の繋がった子として、扱わなければならないのだ。
父として、子を見守り、育む。
親愛、慈愛をもって、家族として、慈しむのだ。
──あの女が産んだ子を。
ルエインの、子を。
「───」
中庭で、日傘を指したひとりの女が笑っている。
金色の髪が、太陽の光に揺らされる。
紅を塗ったくちびるが、楽しそうに弧を描いていた。
紫の瞳が潤み、愛おしそうな色を浮かべる。
女の隣には、小さな子どもの姿が見える。
その子はとことこと歩き、時折母親を見上げては、何か笑い、楽しげな様子を見せている。
ふたりは、何かを話していた。
その様子をロディアスがぼうっと見ていると、幼子はハッとした様子で振り向いてみせた。
輝くような、にぱー!とした、子供特有の愛らしい笑みを浮かべて。
『おとうしゃま!』
「陛下」
「っ……!」
ミュチュスカの言葉に、我に返る。
今、自分は何を考えていたのだろう。
メイドに白い日傘を持たせ、まるで愛されていることを疑わないようなルエインと、その隣で笑う──。
「──、ぐ」
ロディアスは咄嗟に口元を手で覆った。
そおもむろに席を立ち、そのまま執務室を出て、続き部屋の私室を通り、さらに浴室へと向かった。
湯を浴びる時に使う盥を手に取ると、その場に蹲り、彼は抑えきれないものを吐き出した。
「うっ、はぁ……ッ」
しかし、目が覚めてから何も口にしていないのだ。生理的な反応で嘔吐を繰り返しても、出てくるのは胃液ばかり。
それでも、気持ちの悪さは止まらない。
彼は何度も嘔吐いた。
何も吐き出せないのに、嘔吐く音だけが止まらない。
何度、咳き込んだろう。
胃液が喉を灼き、生理的な涙が流れる。
数秒、あるいは、数分。
気持ちの悪さを、胃が冷える感覚を、生理的な嫌悪感を。
──胸を巣くう絶望を。
全て盥に、体内から消し去るように、吐き出してゆく。
手には、事前に言付けていた報告書がある。ずいぶんな量だ。
ロディアスはちらりとミュチュスカを見て、軽い声で言った。
「何かわかった?」
朝の挨拶も省略し、尋ねたロディアスに、ミュチュスカは静かに執務机まで歩みを進めた。
「事細かに調べさせましたが、明確な証拠は得られませんでした。証言も取れていません」
ばさ、と執務机に紙の束が置かれる。
それは、ロディアスがミュチュスカに命じ、調査の指揮を取らせていたものだった。
直接ロディアスが動いては、相手に警戒されしっぽを掴めないと読んだのだ。
ロディアスは、分厚い書類に手を伸ばすと、ぱらぱらとそれに目を通し始めた。
「婚姻前の素行不良を持ち出せばすぐに済む話だけど、それだけじゃ子の王位継承権までは取り上げられないね」
ロディアスは、ルエインと初夜を終えていない。
それはつまり、ルエインが子を孕む可能性がないことを意味していた。
それなのに、ルエインは子を成したと声高に叫んでいる。
彼女に妊娠の兆候が見られてもなお、懐妊の報せを出さないのは、子の父はロディアスではないからだ。
ルエインもそれを知っているはずだ。
それなのに、子は、ロディアスとの間に成されたものだと全く引く様子を見せない。
彼女の主張はこうだった。
『あの日、ロディアス陛下はとても酔っておられました。覚えていらっしゃらないのです』
──と。
しかし、ロディアスは深酔いしても記憶は失わない質だ。
彼の記憶では、第二妃の私室に足を運んだのは、初夜のあの時一度きり。
もちろん、彼女に触れたことすらなかった。
であれば、ルエインの子は、ロディアス以外の男に仕込まれたもの、ということになる。
そして、ミュチュスカに命じ、暗部をもって調べさたところ、ルエインの素行不良が明らかになった。
かなり巧妙に隠されていたが、王家に仕える暗部が調べあげたのだ。
時間は多少かかったものの、求める情報を入手することに成功した。
暗部によりもたらされた報告によると、ルエインは婚姻前より、性生活がかなり乱れていたようだった。
特に、お気に入りの舞台俳優を家に引き込むことを好んでいた。
未婚の娘でありながら色に溺れる生活を送っていたようだ。
気に入りの俳優は数人もおり、愛人として遇していたのが実情だ。
婚姻を機に、関係は清算されたようだったが、これが明るみに出れば、社交界での立場はもちろん、ステファニー公にまでその影響は及ぶだろう。
今すぐそうしても構わないところだが、しかしそれにはひとつだけ問題があった。
それは、ルエインが間違いなく子を孕んでいる、ということだ。
俳優たちとの関係を清算し、ロディアスと婚姻を結んでから半年以上が経過する。その期間を見るに、子は、愛人との間に成されたものではないだろう。
では、ルエインの子の父親は誰か?
ルエインの身の回りの人間全てを洗い出し、彼女の交友関係を洗い出し、更には従僕から騎士まで範囲を広げる。
そうまでしても、彼女が異性と関わった──少なくとも、二人きりで、行為に励むに足る時間を過ごした記録は見当たらなかった。
このままでは、ロディアス自身に覚えがないのに、ルエインの子を、自身の子として受け入れなければならなくなる。
そんなのは、死んでもごめんだった。
(血の繋がりもない子供を、僕の子供として遇する……)
養子なら、養子として接することができる。
だけど、その子を、彼は自分の子として。
血の繋がった子として、扱わなければならないのだ。
父として、子を見守り、育む。
親愛、慈愛をもって、家族として、慈しむのだ。
──あの女が産んだ子を。
ルエインの、子を。
「───」
中庭で、日傘を指したひとりの女が笑っている。
金色の髪が、太陽の光に揺らされる。
紅を塗ったくちびるが、楽しそうに弧を描いていた。
紫の瞳が潤み、愛おしそうな色を浮かべる。
女の隣には、小さな子どもの姿が見える。
その子はとことこと歩き、時折母親を見上げては、何か笑い、楽しげな様子を見せている。
ふたりは、何かを話していた。
その様子をロディアスがぼうっと見ていると、幼子はハッとした様子で振り向いてみせた。
輝くような、にぱー!とした、子供特有の愛らしい笑みを浮かべて。
『おとうしゃま!』
「陛下」
「っ……!」
ミュチュスカの言葉に、我に返る。
今、自分は何を考えていたのだろう。
メイドに白い日傘を持たせ、まるで愛されていることを疑わないようなルエインと、その隣で笑う──。
「──、ぐ」
ロディアスは咄嗟に口元を手で覆った。
そおもむろに席を立ち、そのまま執務室を出て、続き部屋の私室を通り、さらに浴室へと向かった。
湯を浴びる時に使う盥を手に取ると、その場に蹲り、彼は抑えきれないものを吐き出した。
「うっ、はぁ……ッ」
しかし、目が覚めてから何も口にしていないのだ。生理的な反応で嘔吐を繰り返しても、出てくるのは胃液ばかり。
それでも、気持ちの悪さは止まらない。
彼は何度も嘔吐いた。
何も吐き出せないのに、嘔吐く音だけが止まらない。
何度、咳き込んだろう。
胃液が喉を灼き、生理的な涙が流れる。
数秒、あるいは、数分。
気持ちの悪さを、胃が冷える感覚を、生理的な嫌悪感を。
──胸を巣くう絶望を。
全て盥に、体内から消し去るように、吐き出してゆく。
275
お気に入りに追加
894
あなたにおすすめの小説
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる