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二章

限界なのは、心か、体か 【ロディアス】

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陽が登ると、ミュチュスカが執務室に現れる。
手には、事前に言付けていた報告書がある。ずいぶんな量だ。
ロディアスはちらりとミュチュスカを見て、軽い声で言った。

「何かわかった?」

朝の挨拶も省略し、尋ねたロディアスに、ミュチュスカは静かに執務机まで歩みを進めた。

「事細かに調べさせましたが、明確な証拠は得られませんでした。証言も取れていません」

ばさ、と執務机に紙の束が置かれる。
それは、ロディアスがミュチュスカに命じ、調査の指揮を取らせていたものだった。
直接ロディアスが動いては、相手に警戒されしっぽを掴めないと読んだのだ。
ロディアスは、分厚い書類に手を伸ばすと、ぱらぱらとそれに目を通し始めた。

「婚姻前の素行不良を持ち出せばすぐに済む話だけど、それだけじゃ子の王位継承権までは取り上げられないね」

ロディアスは、ルエインと初夜を終えていない。
それはつまり、ルエインが子を孕む可能性がないことを意味していた。
それなのに、ルエインは子を成したと声高に叫んでいる。
彼女に妊娠の兆候が見られてもなお、懐妊の報せを出さないのは、子の父はロディアスではないからだ。
ルエインもそれを知っているはずだ。
それなのに、子は、ロディアスとの間に成されたものだと全く引く様子を見せない。
彼女の主張はこうだった。

『あの日、ロディアス陛下はとても酔っておられました。覚えていらっしゃらないのです』

──と。
しかし、ロディアスは深酔いしても記憶は失わない質だ。
彼の記憶では、第二妃の私室に足を運んだのは、初夜のあの時一度きり。
もちろん、彼女に触れたことすらなかった。

であれば、ルエインの子は、ロディアス以外の男に仕込まれたもの、ということになる。

そして、ミュチュスカに命じ、暗部をもって調べさたところ、ルエインの素行不良が明らかになった。
かなり巧妙に隠されていたが、王家に仕える暗部が調べあげたのだ。
時間は多少かかったものの、求める情報を入手することに成功した。

暗部によりもたらされた報告によると、ルエインは婚姻前より、性生活がかなり乱れていたようだった。

特に、お気に入りの舞台俳優を家に引き込むことを好んでいた。
未婚の娘でありながら色に溺れる生活を送っていたようだ。
気に入りの俳優は数人もおり、愛人として遇していたのが実情だ。
婚姻を機に、関係は清算されたようだったが、これが明るみに出れば、社交界での立場はもちろん、ステファニー公にまでその影響は及ぶだろう。
今すぐそうしても構わないところだが、しかしそれにはひとつだけ問題があった。

それは、ルエインが間違いなく子を孕んでいる、ということだ。

俳優たちとの関係を清算し、ロディアスと婚姻を結んでから半年以上が経過する。その期間を見るに、子は、愛人との間に成されたものではないだろう。

では、ルエインの子の父親は誰か?

ルエインの身の回りの人間全てを洗い出し、彼女の交友関係を洗い出し、更には従僕から騎士まで範囲を広げる。
そうまでしても、彼女が異性と関わった──少なくとも、二人きりで、行為に励むに足る時間を過ごした記録は見当たらなかった。
このままでは、ロディアス自身に覚えがないのに、ルエインの子を、自身の子として受け入れなければならなくなる。

そんなのは、死んでもごめんだった。

(血の繋がりもない子供を、僕の子供として遇する……)

養子なら、養子として接することができる。
だけど、その子を、彼は自分の子として。
血の繋がった子として、扱わなければならないのだ。

父として、子を見守り、育む。
親愛、慈愛をもって、家族として、慈しむのだ。

──あの女が産んだ子を。

ルエインの、子を。

「───」





中庭で、日傘を指したひとりの女が笑っている。
金色の髪が、太陽の光に揺らされる。
紅を塗ったくちびるが、楽しそうに弧を描いていた。

紫の瞳が潤み、愛おしそうな色を浮かべる。

女の隣には、小さな子どもの姿が見える。
その子はとことこと歩き、時折母親を見上げては、何か笑い、楽しげな様子を見せている。
ふたりは、何かを話していた。
その様子をロディアスがぼうっと見ていると、幼子はハッとした様子で振り向いてみせた。
輝くような、にぱー!とした、子供特有の愛らしい笑みを浮かべて。

『おとうしゃま!』

「陛下」

「っ……!」

ミュチュスカの言葉に、我に返る。
今、自分は何を考えていたのだろう。
メイドに白い日傘を持たせ、まるで愛されていることを疑わないようなルエインと、その隣で笑う──。

「──、ぐ」

ロディアスは咄嗟に口元を手で覆った。
そおもむろに席を立ち、そのまま執務室を出て、続き部屋の私室を通り、さらに浴室へと向かった。
湯を浴びる時に使う盥を手に取ると、その場に蹲り、彼は抑えきれないものを吐き出した。

「うっ、はぁ……ッ」

しかし、目が覚めてから何も口にしていないのだ。生理的な反応で嘔吐を繰り返しても、出てくるのは胃液ばかり。
それでも、気持ちの悪さは止まらない。
彼は何度も嘔吐いた。
何も吐き出せないのに、嘔吐く音だけが止まらない。
何度、咳き込んだろう。
胃液が喉を灼き、生理的な涙が流れる。

数秒、あるいは、数分。

気持ちの悪さを、胃が冷える感覚を、生理的な嫌悪感を。

──胸を巣くう絶望を。

全て盥に、体内から消し去るように、吐き出してゆく。
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