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二章
初恋は実らない【ロディアス】
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|感情(こころ)と|理性(あたま)は別だと思っていた。
|感情(こころ)は別のところにあっても、体はほかの女を抱ける。
必要な刺激を与えれば、彼のそれは役割を果たすはずだった。
その程度、何食わぬ顔でこなしてみせる。
それが出来るからこそ、自身は年若くあっても国を継ぐことができたのだと自負していた。
だけど結果は、彼を裏切った。
いつの間に。
思った以上に。
心と体は、真っ直ぐに繋がってしまっていた。
もはや、手の施しようもないほどに。
……触れられなかった。
求められた口付けさえ、満足に返せずに、違和感を覚えた。
違和感はやがて、嫌悪感に変化した。
違う、と脳内が騒ぐ。
手が、動かない。
体が、拒否をする。
脳は、彼女を抱けと命令するのにその手先はその通りに動かない。
その時になって、初めて自覚した。
──抱けない、と。
指先は強ばり、動揺に息を呑む。
僅かな逡巡の後、彼は保身を選んだ。
伸ばした指先を下ろし、何食わぬ顔で微笑んでみせた。
演じるのは慣れている。
偽りの笑みを乗せるのも。
『今日は疲れただろうから、早めに眠ろう。私はまだ仕事が残っているから、先に寝ていて構わない』
妻となったその夜に、明確に行為をしないと告げられたのだ。
ルエインは当然のように不満を露わにした。
『疲れてなどおりませんわ。この日を待ち望んでおりました』
『言い方を変えるね。仕事が立て込んでるんだ。後日にしよう』
『……後日とはいつですか?』
女性の身で、行為をせがむような言葉を口にする。
矜持の高い彼女には、かなりの屈辱だっただろう。それでも、折れることなく食いついてきた彼女に、ロディアスは言いようのない感情を覚えた。
今思うにそれは、妃にしたのに触れられない後ろめたさであったり、罪悪感であったり。
……あからさまに性を求める彼女への嫌悪感であったり。
様々な感情が綯い交ぜになった結果、彼は困ったような笑みを浮かべるに留めた。
『うーん。私が貴女を望んだ時、かな』
答えは求めなかった。
それが決定事項のように言うと、ロディアスは第二妃の寝室に持ち込んだ書類を取り出し、カウチに腰掛けた。
数日、あるいは数週間は、ルエインの元に通わなければならない。
ステファニー公爵家への体裁もあるし、新婚早々、妃を放置するのは外聞が悪い。
だけど、夜の行為に没頭するほど悠長には過ごしていられない。
初夜だけは手順通りに進め、残りの日数は捌ききれなかった書類仕事に取り掛かろうと予め決めていたのだった。
もっとも、初夜すら完遂できなかったのは彼もまた、想定外だったが。
この時はまだ、気がついていなかった。
エレメンデールと婚姻を結んだ頃。
今からおよそ一年ほど前だ。
即位してからまだ日が浅いのもあり、彼は多忙を極めていた。通常業務に加え、隣国ドゥランの革命による余波を受けている今ほどではないが、それでも国王の公務に慣れていない彼は、まず慣れることから始めなければならなかった。
疲労具合で言えば今とさほど変わらない。
くたくたに疲れて寝室に戻り、体はすぐにでも睡眠を求めていたのに、エレメンデールと話しているうちに、どうしてか行為に雪崩れこんでいた。
明確な合図があったわけでも、彼女が煽るような真似をしたわけでもない。
むしろ、エレメンデールは当時十六になったばかりで、夫婦生活に戸惑いを覚え、ロディアスにもまだ慣れていない様子だった。
そんな彼女にちょっかいをかけたくなり、何かと構ううちに──夜の行為に及んでいたのだ。
それは、公務の疲労とは無関係だった。
どんなに疲れていても、する時はする。
逆に、疲労を覚えていない夜でも、彼女が乗り気でない様子を見せれば大人しく彼女を抱いて眠りについた。
だから、『疲れているから今日はなし』という断り文句は、本来なら通用しないもののはずだった。
しかし、彼はまだそれに気がついていない。
ある程度、恋愛経験があるものならこの時点で気がついていたはずだ。
違和感の正体に。
だけど、ロディアスは気づかなかった。
いや、気づけなかった。
彼は、その歳までおよそ、恋らしい恋をしたことがなかった。
幼少期であれば、大多数の人間が淡い初恋を覚えるものだろう。
しかし、彼は幼い頃から理知的な──恐ろしく冷めた子供だった。
どこか他人を俯瞰的に見る、皮肉げな少年だったのだ。
彼は十の歳で立太子された、王太子の座を与えられたが、それは生まれた時から決められたものだった。
生まれた時から彼は、次世代の王として扱われて育った。
物心がつく前から、王としての気品と自信を求められるようになった。
王として、王太子として、相応しい振る舞いを要求された。
元々強かな面があったのだろう。
彼は、受けた教育をするすると呑み込んでいき──結果、子供ながらに、全ての感情を押し込む、およそ子供らしくない子供となっていた。
(憧れは、いずれ油断を誘う)
(恋情は、いずれ理性を狂わせる)
そう考えたロディアスは、意図的に理性と反する感情を排除した。
僅かな欠片を自身の心に見つける度、彼は意図的にそれを排除した。
穿った見方をして、それを否定し、壊した。
(あの文官は仕事は早いが財布の紐が緩い)
(あの令嬢は明るい性格をしているが自己中心的だ)
その繰り返しで、彼は他者への興味を一切排除した。
ある意味、英才教育の賜物だろう。
これで彼は、何者にも惑わされない鋼の理性を手に入れた。
その、はずだった。
だけど、彼は──ロディアスは、知らなかったのだ。
恋というものは、意図して排除できる感情ではない。
それは、奇襲を仕掛けられたのごとく、突然発露するもの。
いつだって【恋情】というものは、ある日いきなり芽生えるものであり、突然、自覚するものなのだ、ということを。
まともに恋愛してこなかったツケは、いずれ巡ってくる。
初めての恋は、いつだってひとを愚かにさせ、選択を誤らせる。
初恋は実らない、とはどこの国の言葉だったか。
それは、初めて抱く強烈な感情に振り回され、まともに思考が働からないからこそ、生み出された文句なのだろう。
彼は未だ、自身の抱く強い感情を自覚していなかった。
自覚したのは、いや、自覚せざるを得なくなったのは──皮肉にも、煽るように酒を飲み、我を忘れた夜のことだった。
考えるよりも先に言葉がこぼれた。
愛してる、と。
|感情(こころ)は別のところにあっても、体はほかの女を抱ける。
必要な刺激を与えれば、彼のそれは役割を果たすはずだった。
その程度、何食わぬ顔でこなしてみせる。
それが出来るからこそ、自身は年若くあっても国を継ぐことができたのだと自負していた。
だけど結果は、彼を裏切った。
いつの間に。
思った以上に。
心と体は、真っ直ぐに繋がってしまっていた。
もはや、手の施しようもないほどに。
……触れられなかった。
求められた口付けさえ、満足に返せずに、違和感を覚えた。
違和感はやがて、嫌悪感に変化した。
違う、と脳内が騒ぐ。
手が、動かない。
体が、拒否をする。
脳は、彼女を抱けと命令するのにその手先はその通りに動かない。
その時になって、初めて自覚した。
──抱けない、と。
指先は強ばり、動揺に息を呑む。
僅かな逡巡の後、彼は保身を選んだ。
伸ばした指先を下ろし、何食わぬ顔で微笑んでみせた。
演じるのは慣れている。
偽りの笑みを乗せるのも。
『今日は疲れただろうから、早めに眠ろう。私はまだ仕事が残っているから、先に寝ていて構わない』
妻となったその夜に、明確に行為をしないと告げられたのだ。
ルエインは当然のように不満を露わにした。
『疲れてなどおりませんわ。この日を待ち望んでおりました』
『言い方を変えるね。仕事が立て込んでるんだ。後日にしよう』
『……後日とはいつですか?』
女性の身で、行為をせがむような言葉を口にする。
矜持の高い彼女には、かなりの屈辱だっただろう。それでも、折れることなく食いついてきた彼女に、ロディアスは言いようのない感情を覚えた。
今思うにそれは、妃にしたのに触れられない後ろめたさであったり、罪悪感であったり。
……あからさまに性を求める彼女への嫌悪感であったり。
様々な感情が綯い交ぜになった結果、彼は困ったような笑みを浮かべるに留めた。
『うーん。私が貴女を望んだ時、かな』
答えは求めなかった。
それが決定事項のように言うと、ロディアスは第二妃の寝室に持ち込んだ書類を取り出し、カウチに腰掛けた。
数日、あるいは数週間は、ルエインの元に通わなければならない。
ステファニー公爵家への体裁もあるし、新婚早々、妃を放置するのは外聞が悪い。
だけど、夜の行為に没頭するほど悠長には過ごしていられない。
初夜だけは手順通りに進め、残りの日数は捌ききれなかった書類仕事に取り掛かろうと予め決めていたのだった。
もっとも、初夜すら完遂できなかったのは彼もまた、想定外だったが。
この時はまだ、気がついていなかった。
エレメンデールと婚姻を結んだ頃。
今からおよそ一年ほど前だ。
即位してからまだ日が浅いのもあり、彼は多忙を極めていた。通常業務に加え、隣国ドゥランの革命による余波を受けている今ほどではないが、それでも国王の公務に慣れていない彼は、まず慣れることから始めなければならなかった。
疲労具合で言えば今とさほど変わらない。
くたくたに疲れて寝室に戻り、体はすぐにでも睡眠を求めていたのに、エレメンデールと話しているうちに、どうしてか行為に雪崩れこんでいた。
明確な合図があったわけでも、彼女が煽るような真似をしたわけでもない。
むしろ、エレメンデールは当時十六になったばかりで、夫婦生活に戸惑いを覚え、ロディアスにもまだ慣れていない様子だった。
そんな彼女にちょっかいをかけたくなり、何かと構ううちに──夜の行為に及んでいたのだ。
それは、公務の疲労とは無関係だった。
どんなに疲れていても、する時はする。
逆に、疲労を覚えていない夜でも、彼女が乗り気でない様子を見せれば大人しく彼女を抱いて眠りについた。
だから、『疲れているから今日はなし』という断り文句は、本来なら通用しないもののはずだった。
しかし、彼はまだそれに気がついていない。
ある程度、恋愛経験があるものならこの時点で気がついていたはずだ。
違和感の正体に。
だけど、ロディアスは気づかなかった。
いや、気づけなかった。
彼は、その歳までおよそ、恋らしい恋をしたことがなかった。
幼少期であれば、大多数の人間が淡い初恋を覚えるものだろう。
しかし、彼は幼い頃から理知的な──恐ろしく冷めた子供だった。
どこか他人を俯瞰的に見る、皮肉げな少年だったのだ。
彼は十の歳で立太子された、王太子の座を与えられたが、それは生まれた時から決められたものだった。
生まれた時から彼は、次世代の王として扱われて育った。
物心がつく前から、王としての気品と自信を求められるようになった。
王として、王太子として、相応しい振る舞いを要求された。
元々強かな面があったのだろう。
彼は、受けた教育をするすると呑み込んでいき──結果、子供ながらに、全ての感情を押し込む、およそ子供らしくない子供となっていた。
(憧れは、いずれ油断を誘う)
(恋情は、いずれ理性を狂わせる)
そう考えたロディアスは、意図的に理性と反する感情を排除した。
僅かな欠片を自身の心に見つける度、彼は意図的にそれを排除した。
穿った見方をして、それを否定し、壊した。
(あの文官は仕事は早いが財布の紐が緩い)
(あの令嬢は明るい性格をしているが自己中心的だ)
その繰り返しで、彼は他者への興味を一切排除した。
ある意味、英才教育の賜物だろう。
これで彼は、何者にも惑わされない鋼の理性を手に入れた。
その、はずだった。
だけど、彼は──ロディアスは、知らなかったのだ。
恋というものは、意図して排除できる感情ではない。
それは、奇襲を仕掛けられたのごとく、突然発露するもの。
いつだって【恋情】というものは、ある日いきなり芽生えるものであり、突然、自覚するものなのだ、ということを。
まともに恋愛してこなかったツケは、いずれ巡ってくる。
初めての恋は、いつだってひとを愚かにさせ、選択を誤らせる。
初恋は実らない、とはどこの国の言葉だったか。
それは、初めて抱く強烈な感情に振り回され、まともに思考が働からないからこそ、生み出された文句なのだろう。
彼は未だ、自身の抱く強い感情を自覚していなかった。
自覚したのは、いや、自覚せざるを得なくなったのは──皮肉にも、煽るように酒を飲み、我を忘れた夜のことだった。
考えるよりも先に言葉がこぼれた。
愛してる、と。
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