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二章

あやまち

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その日、ルエイン様は式を欠席された。
体調不良とのことだが、子を宿していることが実際の理由だろう。
彼女の妊娠は公表されていない。
大事な時期だからだろうか。
ただ、ひっそりと噂が流れているだけだ。

気まずい夜会を──気まずく思っているのは私だけかもしれないが──乗り切り、王妃の私室に戻る。
針のむしろのような夜会に、酷く疲弊した。
良くない酒の酔い方をしたのか、頭痛までする。

私室に戻り、メイドを下がらせる。
窓辺に寄り、締め切られたカーテンをそっと開いた。
宵闇に覆い隠された外の向こうには、去年彼と歩いた中庭が広がっている。

奥には、あの時見た蛍が、まだいるだろうか。

そんなことを考えて、苦笑した。
私一人だけ、ずっと取り残されている。



夜会に出席した夜は、いつも私室に戻るのが遅くなる。時計は既に、日付を超えていた。
長い銀髪が煩わしくなり、背中に流す。
メイドによって編まれた髪が、重たく揺れる。

ふと、メリューエルの言葉を思い出す。

『強い覚悟というものはきっと、泥沼に陥った際、新たな道を切り開く一助となるはずです』

拘泥に陥っている、とはまさにこのことを言うのだろう。
今の私は、泥に足を突っ込んでいるようなものだ。苦しいと思っているのに、それを受け入れる強さはない。ただ、苦しいと思う。それだけ。

覚悟はとうに、決めていたはずだった。

だけど、実際その時になってみて初めて理解した。
私が定めた覚悟は、なんて脆く、なんて、浅いものなのだろう、と。

こんな時、涙も零さず、苦痛も覚えず、毅然と前だけを見る女になれたら良かった。

逃げたい、と強く思うその弱さ切り捨てたい。

私は、こんな自分が嫌いだ。

『国のためではなく、愛するもののために』

「……わたしは、私は」

心を殺してしまいたい。
愛を覚える気持ちがあるから、こんな弱さを生み出す。
いっそ、いっそ、この気持ちさえなくなれば──。

「おかあ、さま」

ぽつり、言葉をこぼす。

母は、愛のために生きた。
父は、愛のために死んだ。

私は。私は──。

最近、眠りが酷く浅い。
理由はわかっている。
ルエイン様の報告を聞いてから、私は夜、眠るのが怖くなってしまった。寝てしまえば、必ず朝が来る。
朝が来れば、私は王妃として振る舞い、王妃の仮面を貼り付けなければならない。

社交界に出れば、含みを抱いた視線を向けられる。

『王妃より先に、第二妃が子を成した。
王妃には長く、王の訪れがないらしい。
王の寵愛は、第二妃にある。

ああ、お可哀想な王妃様』

声にはせずとも、そんな言葉が聞こえてくる。

この頃よく母を、思い出す。

愛されていた妾の母。
愛されなかった王妃。

王妃は、寵愛を受けたははを憎み、罠に嵌めた。毒杯を呷った母を追いかけるように、父もまた、その生を終わらせた。

今の私の状況と、酷似しているではないか。
ただし、配役は異なり、はははルエイン様。
王妃は私、という役柄だが。

私もいずれ、王妃かのじょのように憎しみに呑まれるのだろうか。

憎悪に取り込まれて、何もかも、分からなくなってしまうのだろうか。
心を壊し、全てを恨み、得られない愛を求め、孤独に苦しみ、静かに、長い月日をかけて精神を病むのだろうか。

ひとを壊すのは、いつだってまた、ひとである。

私は、彼女のようになりたくない。



うつらうつらとようやく訪れた眠りに誘われる。
心地よい微睡みに沈んでいると、不意にひとの気配を感じた。
驚きに息を呑む。

燭台の灯りは、就寝前に消したので室内は薄暗い。
辛うじて、カーテンから差し込む月明かりが細く漏れている。
それに気がついて、悲鳴がこぼれた。

「っ……!!」

窓から差し込む月明かりが零れている。
それが見えるということは、すなわち──
天蓋カーテンが、開けられている。
小さく悲鳴を呑んだ私に気がついたのだろう。相手の影がゆらりと揺れる。

「起こしてしまった?」

優しい、声だった。
驚きに目を見開いた。

ロディアス陛下、だった。

どうして、彼が。
なぜ、今日に限って。
女神祭は、愛すべきひとと共に過ごす日だ。
大切なひとに、愛を伝えられることに感謝する日。

そんな日に、どうして。

半年以上、彼は私と夜を過ごしていない。

それなのに、なぜ?

頭が真っ白になり、何を尋ねればいいかすら分からない。

「ロディ──」

「どうしてもきみに会いたかった」

言葉に、くちびるが凍りつく。
優しい声。
甘やかな、気遣いをたっぷり含んだ、大好きなひとの声。
彼の手が、私の頬に触れる。
寝乱れた髪をはらい、彼が私の頬に手を添えた。

暗くてよく見えないけれど、キツいアルコールの香りを感じた。
こんなに匂うほど、彼は酒を飲んでいるのだ。
嫌な予感に、背筋が冷えた。

「会いたかった。……会い、たかったんだ」

何度も繰り返すような声。
切なさを帯びた、優しい声。

「……愛してる」

「──、」

ああ。
それだけで、全ての符号が一致した。
薄い自嘲が、零れた。

何も知らないままでいられたなら。
疑うことを知らないままでいられたなら──きっと、彼の言葉に喜びを覚えていた。

素直に嬉しいと伝え、『私も』と彼の言葉に応えられたかもしれない。
泣いていたかもしれない。混乱のあまり、泣きじゃくり、感情を吐き出してしまっていたかもしれない。

だけど、そうはならなかった。
私も、とは、言えなかった。

だって。

──優しい、彼の声。

──強い、アルコールの香り。

──愛してると囁く、彼の声の甘さ。

なんて酷いひとなのだろう。
久しぶりに彼の声を間近に聞いて、彼の体温に触れて、泣きたいほど嬉しいのに──それ以上に、悲しくて仕方がない。

だって。
彼は、私と、ルエイン様を間違えている。
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