51 / 117
一章
予定調和の崩れる音 【ロディアス】
しおりを挟む「自惚れだったのかな」
書類仕事の傍ら、ロディアスが零した言葉にやや遅れながら
側近のミュチュスカが彼を見る。
反応が遅れたのは、ロディアスの言葉の意図が掴めなかったからだろう。
本棚の前に立ち、必要な資料を集めていたミュチュスカがロディアスを見ると、彼はため息をついて首を横に振る。
「いや、何でもない」
ロディアスがそう言えば、必要以上の言葉を発さないミュチュスカもまた、口を噤む。
ロディアスは長く書類仕事を続けたせいで凝り固まった首の筋肉を解すようにしながら、背後の窓をみあげる。
窓の外では、抜けるような青空の向こうで、鳥が数羽羽ばたいていた。
それを見ながら、彼は太陽の眩しさに目を細める。
(彼女も悪いようには思ってない、と思ったんだけど)
ロディアスは元々鋭い質だ。
エレメンデールがロディアスのことを悪く思っていない、どころか好意を抱いていたことには気がついている。
それが、年の離れた大人に対する憧れなのか、淡い恋情だったのかまでは判別がつかなかったが、今の彼女の様子を見るに、恐らく前者だったのだろう。
八個歳の離れた夫に、憧れを抱いたのだろう。
そして、夫婦生活が長くなるにつれ、現実との乖離に気がついたのかもしれない。
エレメンデールは聡い娘だ。
内気で大人しいところはあるが、その底に隠された本音は決して譲らない強さがある。
初めてロディアスに言い返してきた時──。
彼は驚いてもいたが、これが彼女の本来の性格なのだろうとも思った。
彼女の生まれとその血が彼女を臆病にさせていたようだが、本来は素直で優しい娘なのだろう。
『先程のように、突然襲撃された場合、すぐにあなたを守れる立場にいるのは私です……!』
『僕はそんなこと、きみに頼んでいない』
『だとしても……!陛下は、レーベルトの、この国の、国王であらせられるのです……!私と陛下の命であれば、陛下の命を優先すべき、というのは誰だって考えれば分かります!……陛下も、ロディアス様もお分かりでしょう……!?』
他人のために、慣れない口論にも必死で応えようとしていた彼女を思い出す。
抑えきれないため息が零れた。
「……どうかなさいましたか?」
本日数回目のため息に、ついにミュチュスカが尋ねた。
しかしその視線は変わらず手元の資料だ。
ロディアスはそんな彼を見ながら、いつもの穏やかな声で答える。
「いや、【大人】ってなんだろう、と思ってね」
「…………」
「きみはどう思う?」
「一般的には、成人を迎えた者を指す言葉かと思います」
「そうじゃなくて」
ミュチュスカはロディアスの問いを理解した上で、一般論を述べたのだろう。
だけどその回答であれば、そもそもロディアスもまたミュチュスカに尋ねたりなどしない。
ミュチュスカは僅かにため息を吐いた。
「……己を律することができる者かと」
「そう。それが、きみの思う【大人】か。そうだね。僕もそう思うよ」
何が言いたいんだ?という顔でミュチュスカがロディアスを見る。
表情自体は変わらないものの、その眼差しは何よりも雄弁だ。
わかりやすい反応に愉快な気持ちになり、ロディアスは口角を上げた。
「僕はそう在らなければならないんだけどね……」
小さく呟いた言葉は、ミュチュスカにまで届かなかった。
代わりにミュチュスカは、集めた資料を全て揃えるとロディアスの元まで運んだ。
山積の紙束が、大きくわけて三つも成されている。
それを全て確認する必要がある。
これを全て捌くとしたら、あっという間に夜になるだろう。
だけどロディアスの仕事は何も書類仕事だけではない。
今日の予定には会議がいくつかあるし、それにあわせて提出された資料の内容を頭に叩き込んでおかなければならない。
視察の日程もそろそろ組み込むべきだろう。成すべきことは当たり前のようにいくつも頭に浮かんで次々に優先順位のラベルを貼っていく。
昔から特段──それこそ王太子時代から、労せず行っていたことだが、最近になって業務量の多さに疲れを覚えてきている。
公務を終えて寝室に戻れば、必ず日付を越えている。
もう後いくらかもしないうちに夜が明けるだろう、という時間帯だ。
当然エレメンデールも眠りについている。
(つまり──僕は、彼女と話す時間を取れなくていらいらしているのか)
分析が得意なロディアスは自身の乱れた感情にもそう理由をつけた。
書類の中には、ステファニー公爵からの親書も含まれていた。それを手に取って、ペーパーナイフで封を切り、便箋を取り出す。
ルエインの第二妃入りに関しての手紙だった。
いい加減しびれを切らしたステファニー公爵が、明確な日程を早く決めろとせっついてきているのだ。
それをロディアスは白けた思いで眺めながら、手紙を机上に放る。
「ステファニーの娘を嫁がせるなら、どこが最善かな」
「……あの娘は、陛下が娶られるのでは?」
ミュチュスカが言葉少なに彼に尋ねた。
ロディアスは首を傾げて、笑みを浮かべた。
皮肉げな笑みだった。
「いや。僕は一言も、そうとは言ってない」
もっとも、明確な否定もしていないので、ステファニー公爵もそうなるものだと確信しているようだったが。
(ステファニーの娘は、国内にいられたら面倒だな……かといって国外に飛ばして、外交に圧をかけられたら厄介だ。……となると、目の届く範囲にいてもらった方がいいな)
格下相手との婚姻であれば、ルエインも社交界で幅をきかせることはできないだろう。後はステファニー公爵だ。
烈火のごとく怒り、ロディアスに抗議してくることは目に見えている。
(それをどう抑えるか……。別の旨味を差し出して、帳尻を合わせるか?いや、|国王(ぼく)が阿りを見せるのは危険だ)
諸侯貴族からの報告書に目を通しながら、上半期の帳簿一覧を確認していく。
どうすればいいのか、自分はどうしたいのか。
まつ毛を伏せて、静かに問答しながらロディアスが書類を確認していた時だった。
やけに慌ただしい足音が遠くから聞こえてくる。
すぐさま、ミュチュスカが剣の柄に手をかけ、警戒態勢に入る。
ロディアスもまたさっと視線を扉に向けた。
扉越しに、名と所属を声高に述べる男の声が聞こえてくる。
「失礼いたします。国王陛下に火急のご報告がございます!」
「入れ」
ロディアスが許可を出すと、報告の書簡を手に持った侍従は、両手に捧げ持つようにしてそれを掲げている。
部屋に、深刻な沈黙が落ちる。
それを破ったのは、報告を持ってきた侍従だった。
「つい先程……!隣国ドゥランにて、革命が成されました!!」
196
お気に入りに追加
894
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
冷淡だった義兄に溺愛されて結婚するまでのお話
水瀬 立乃
恋愛
陽和(ひより)が16歳の時、シングルマザーの母親が玉の輿結婚をした。
相手の男性には陽和よりも6歳年上の兄・慶一(けいいち)と、3歳年下の妹・礼奈(れいな)がいた。
義理の兄妹との関係は良好だったが、事故で母親が他界すると2人に冷たく当たられるようになってしまう。
陽和は秘かに恋心を抱いていた慶一と関係を持つことになるが、彼は陽和に愛情がない様子で、彼女は叶わない初恋だと諦めていた。
しかしある日を境に素っ気なかった慶一の態度に変化が現れ始める。
夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました
氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。
ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。
小説家になろう様にも掲載中です
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる