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一章

予定調和の崩れる音 【ロディアス】

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「自惚れだったのかな」

書類仕事の傍ら、ロディアスが零した言葉にやや遅れながら
側近のミュチュスカが彼を見る。
反応が遅れたのは、ロディアスの言葉の意図が掴めなかったからだろう。
本棚の前に立ち、必要な資料を集めていたミュチュスカがロディアスを見ると、彼はため息をついて首を横に振る。

「いや、何でもない」

ロディアスがそう言えば、必要以上の言葉を発さないミュチュスカもまた、口を噤む。
ロディアスは長く書類仕事を続けたせいで凝り固まった首の筋肉を解すようにしながら、背後の窓をみあげる。
窓の外では、抜けるような青空の向こうで、鳥が数羽羽ばたいていた。
それを見ながら、彼は太陽の眩しさに目を細める。

(彼女も悪いようには思ってない、と思ったんだけど)

ロディアスは元々鋭いたちだ。

エレメンデールがロディアスのことを悪く思っていない、どころか好意を抱いていたことには気がついている。
それが、年の離れた大人に対する憧れなのか、淡い恋情だったのかまでは判別がつかなかったが、今の彼女の様子を見るに、恐らく前者だったのだろう。
八個歳の離れた夫に、憧れを抱いたのだろう。
そして、夫婦生活が長くなるにつれ、現実との乖離に気がついたのかもしれない。

エレメンデールは聡い娘だ。
内気で大人しいところはあるが、その底に隠された本音は決して譲らない強さがある。

初めてロディアスに言い返してきた時──。
彼は驚いてもいたが、これが彼女の本来の性格なのだろうとも思った。
彼女の生まれとその血が彼女を臆病にさせていたようだが、本来は素直で優しい娘なのだろう。

『先程のように、突然襲撃された場合、すぐにあなたを守れる立場にいるのは私です……!』

『僕はそんなこと、きみに頼んでいない』

『だとしても……!陛下は、レーベルトの、この国の、国王であらせられるのです……!私と陛下の命であれば、陛下の命を優先すべき、というのは誰だって考えれば分かります!……陛下も、ロディアス様もお分かりでしょう……!?』

他人のために、慣れない口論にも必死で応えようとしていた彼女を思い出す。

抑えきれないため息が零れた。

「……どうかなさいましたか?」

本日数回目のため息に、ついにミュチュスカが尋ねた。
しかしその視線は変わらず手元の資料だ。
ロディアスはそんな彼を見ながら、いつもの穏やかな声で答える。

「いや、【大人】ってなんだろう、と思ってね」

「…………」

「きみはどう思う?」

「一般的には、成人を迎えた者を指す言葉かと思います」

「そうじゃなくて」

ミュチュスカはロディアスの問いを理解した上で、一般論を述べたのだろう。
だけどその回答であれば、そもそもロディアスもまたミュチュスカに尋ねたりなどしない。
ミュチュスカは僅かにため息を吐いた。

「……己を律することができる者かと」

「そう。それが、きみの思う【大人】か。そうだね。僕もそう思うよ」

何が言いたいんだ?という顔でミュチュスカがロディアスを見る。
表情自体は変わらないものの、その眼差しは何よりも雄弁だ。
わかりやすい反応に愉快な気持ちになり、ロディアスは口角を上げた。

「僕はそう在らなければならないんだけどね……」

小さく呟いた言葉は、ミュチュスカにまで届かなかった。
代わりにミュチュスカは、集めた資料を全て揃えるとロディアスの元まで運んだ。
山積の紙束が、大きくわけて三つも成されている。

それを全て確認する必要がある。

これを全て捌くとしたら、あっという間に夜になるだろう。
だけどロディアスの仕事は何も書類仕事だけではない。
今日の予定には会議がいくつかあるし、それにあわせて提出された資料の内容を頭に叩き込んでおかなければならない。
視察の日程もそろそろ組み込むべきだろう。成すべきことは当たり前のようにいくつも頭に浮かんで次々に優先順位のラベルを貼っていく。

昔から特段──それこそ王太子時代から、労せず行っていたことだが、最近になって業務量の多さに疲れを覚えてきている。

公務を終えて寝室に戻れば、必ず日付を越えている。
もう後いくらかもしないうちに夜が明けるだろう、という時間帯だ。
当然エレメンデールも眠りについている。

(つまり──僕は、彼女と話す時間を取れなくていらいらしているのか)

分析が得意なロディアスは自身の乱れた感情にもそう理由をつけた。

書類の中には、ステファニー公爵からの親書も含まれていた。それを手に取って、ペーパーナイフで封を切り、便箋を取り出す。
ルエインの第二妃入りに関しての手紙だった。
いい加減しびれを切らしたステファニー公爵が、明確な日程を早く決めろとせっついてきているのだ。
それをロディアスは白けた思いで眺めながら、手紙を机上に放る。

「ステファニーの娘を嫁がせるなら、どこが最善かな」

「……あの娘は、陛下が娶られるのでは?」

ミュチュスカが言葉少なに彼に尋ねた。
ロディアスは首を傾げて、笑みを浮かべた。
皮肉げな笑みだった。

「いや。僕は一言も、そうとは言ってない」

もっとも、明確な否定もしていないので、ステファニー公爵もそうなるものだと確信しているようだったが。

(ステファニーの娘は、国内にいられたら面倒だな……かといって国外に飛ばして、外交に圧をかけられたら厄介だ。……となると、目の届く範囲にいてもらった方がいいな)

格下相手との婚姻であれば、ルエインも社交界で幅をきかせることはできないだろう。後はステファニー公爵だ。
烈火のごとく怒り、ロディアスに抗議してくることは目に見えている。

(それをどう抑えるか……。別の旨味を差し出して、帳尻を合わせるか?いや、|国王(ぼく)が阿りを見せるのは危険だ)

諸侯貴族からの報告書に目を通しながら、上半期の帳簿一覧を確認していく。
どうすればいいのか、自分はどうしたいのか。
まつ毛を伏せて、静かに問答しながらロディアスが書類を確認していた時だった。
やけに慌ただしい足音が遠くから聞こえてくる。

すぐさま、ミュチュスカが剣の柄に手をかけ、警戒態勢に入る。
ロディアスもまたさっと視線を扉に向けた。
扉越しに、名と所属を声高に述べる男の声が聞こえてくる。

「失礼いたします。国王陛下に火急のご報告がございます!」

「入れ」

ロディアスが許可を出すと、報告の書簡を手に持った侍従は、両手に捧げ持つようにしてそれを掲げている。

部屋に、深刻な沈黙が落ちる。
それを破ったのは、報告を持ってきた侍従だった。

「つい先程……!隣国ドゥランにて、革命が成されました!!」
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