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一章
それがいわゆる、【ロディアス】
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は、と吐いた息は自嘲の色を孕んでいた。
乾いた笑いを浮かべて、彼はエレメンデールを見た。
彼女は自身の言葉の異様さに気がついていない。
ますます、彼女を掴む手に力がこもる。
エレメンデールが痛みに目を瞑った。
「っ……」
彼女の声なき声に、はっとして手の力を緩めた。
「陛下……?」
彼女が不思議そうな声を出す。
なぜ、そうも困惑した声を出すのか、彼には分からない。
だから彼は、それには答えずに告げた。
「侍医を呼ぼう」
「!?ま、待ってください……!それでは、私が耐えた意味が……!」
耐えた、と彼女ははっきり言った。
恐らくは、体裁のために。
栄えある建国祝祭で、暗殺未遂が起きた、などという不名誉を許さないために。
彼女が体を張って、命を削って、それを守ったのだ。
たかが建国祝祭という、行事のためだけに。
白けた思いで、感情は絡まりあって、それに名をつけることは出来ないのに、頭の中は驚くほど鮮明だった。
いつになくはっきりしていて、いつも以上に理路整然に物事を考えられる。
だから彼は、薄く笑みを浮かべて、彼女──エレメンデールに言った。
「きみが、体を張ってまで守るものって、なに?」
「──」
その笑みは、いつもの彼とはなにかが決定的に違った。
柔らかで穏やか、人好きのする、甘さを帯びた微笑みではなかった。
むしろ攻撃的で刺々しく、冷笑のようにも感じさせた。
彼の言葉と、その声のあまりの冷たさと、凍りついた瞳に、エレメンデールは言葉を無くす。
だけどすぐに、自身にも言い分があることに気がついたのか、彼に抱かれ、運ばれながら懸命に述べた。
「私が守るものは……!私が、この命をも惜しくないと思うものは……!」
ちらとロディアスはエレメンデールを見た。
彼女は、銃撃に穿たれ、痛みに苦しむ身だと言うのに、今はそれを忘れたかのように必死に言葉を紡いでいる。
異様な空気にあてられ、口を閉ざした騎士や侍従が無言でふたりの後に続く。
ロディアスがあからさまに感情を表に出すのは非常に珍しい。だからこそ、周囲の人間は戸惑った。
ぴりついた空気は、張り詰めた緊張感が漂い、誰もが口を挟める雰囲気ではなかった。
「この国であり、あなたの御代であり……あなた自身、です。私はあなただから──陛下が、国に尽くす姿を見て、私もまた、と思いました。この程度の怪我であれば耐えられます。お願いします、下ろしてください」
「…………」
ロディアスは答えなかった。
答える必要、いや、討論する必要すらないと思っていた。彼はエレメンデールを見ることなく、有無を言わさずそのまま歩き始めた。
エレメンデールは悲鳴のような声をあげた。
「陛下……!」
「黙って。銃弾が抜けていないなら摘出しないといけない。神経を痛めていたら二度と歩くことは叶わない。ことは一刻を争う。今は、僕の言うことに従って」
「っ……」
国王命令だと諭されれば、彼女もそれ以上何も言えないようだった。
ただ、悔しそうにくちびるを噛んでいる。
それを見て、また、なぜ、という思いが込み上げる。
なぜ、彼女はこうまで──ここまで、【耐える】ことを選んでしまったのだろうか。
以前の彼女なら、素直に痛みを訴え、怪我の手当を望んだはずだ。
王女であった彼女が銃弾に襲われるようなことなど、今まで無かったはず。
動揺しているだろうし、衝撃だっただろうし、──まだ、十六歳の少女だった。
恐ろしかったに違いない。
それなのにエレメンデールは毅然と前を向いて、何でもないかのように、至って平然としている。
銃弾で撃たれたというのに、まるでかすり傷かのごとく振る舞っている。
銃で撃たれたのだ。それは生半可な痛みではないはずだった。
苦々しい思いが込み上げた。
エレメンデールは未だ、当惑した瞳でロディアスを見上げている。
その瞳はただただ純粋で、エレメンデールを優先したロディアスに疑問を抱いているようだった。
うすらと透ける不安は、エレメンデールが怪我をしたことが公にされることへの恐れ、だろうか。
そんなこと、気にしなくていい。
そう思った。
今は何よりも──。
そう、ロディアスは彼女に自身の体を大切にして欲しかったのだ。
だけど同時に、気がついてもいた。
エレメンデールの、彼女の確かな変化。
それはレーベルトの王妃として正しい姿であるはずだ。
パートナーである王妃が立派に務めを果たしてくれたのだ。国王として、国を戴くものとして、本当ならロディアスは彼女を労う必要があった。
以前、ロディアスは彼女に対して王妃という『職』に向いていないと判断したことがあった。
だけど今の彼女は、まさに王妃として在るべき姿をそのまま体現してみせた。
彼の望む通りだ。喜ぶべきであり、彼女を労うべきだった。
頭では理解している。わかっている。
わかっているのに──
それなのに、ロディアスはそれ以上に込み上げる思いがあった。
それは、今までは無縁だった、彼自身覚えのない強い感情だった。
他人にこうも強い感情を抱くこと自体、彼は初めてだった。
エレメンデールとの間に、会話はない。
いつもは穏やかで、どんな時だって柔和に微笑んでいる彼が深刻そうに押し黙り、そして沈黙を貫いているからだ。
彼の異様な雰囲気に、彼女もまた困惑した様子を見せながらも、口を閉じていた。
(……彼女が、自身を蔑ろにしてまで、痛みを呑み込んでなお、耐えることを選んだのは──)
そうさせたのはきっと、ロディアスであり、周囲の人間だった。
気の弱い十六歳の少女に、その身に余る決意をさせてしまった。
どうしてだろう。
以前は、それでいいと思っていた。
いや、むしろ【王妃】であるのならそう在るべきだとすら思っていた。
もしこれが──|エレメンデール(かのじょ)でなければ。
彼もまた、妃としての姿を保ち、毅然と接した王妃に礼を言い、一言二言注意するだけで済んだだろう。
もし彼女でなかったら。
そうしたら。いや、それだけで。
ロディアスもまた、いつも通りに振る舞えたのに。
『周囲への配慮は大切だけど、自身の体も疎かにしてはいけないよ。怪我の具合くらいは診ておかないと。あとからどうなるか分からない』
それくらい言ってのけたかもしれない。
いや、そう言えるのが【ロディアス】という人間のはずだった。
それなのに。
こんなにも動揺し、苦しいほどに感情がまとまらない。
感情の整理はいつだって得意で、無駄な思考を切り捨てることは誰よりも、何よりも楽にできていたのに。
今は、それが出来ない。
乾いた笑いを浮かべて、彼はエレメンデールを見た。
彼女は自身の言葉の異様さに気がついていない。
ますます、彼女を掴む手に力がこもる。
エレメンデールが痛みに目を瞑った。
「っ……」
彼女の声なき声に、はっとして手の力を緩めた。
「陛下……?」
彼女が不思議そうな声を出す。
なぜ、そうも困惑した声を出すのか、彼には分からない。
だから彼は、それには答えずに告げた。
「侍医を呼ぼう」
「!?ま、待ってください……!それでは、私が耐えた意味が……!」
耐えた、と彼女ははっきり言った。
恐らくは、体裁のために。
栄えある建国祝祭で、暗殺未遂が起きた、などという不名誉を許さないために。
彼女が体を張って、命を削って、それを守ったのだ。
たかが建国祝祭という、行事のためだけに。
白けた思いで、感情は絡まりあって、それに名をつけることは出来ないのに、頭の中は驚くほど鮮明だった。
いつになくはっきりしていて、いつも以上に理路整然に物事を考えられる。
だから彼は、薄く笑みを浮かべて、彼女──エレメンデールに言った。
「きみが、体を張ってまで守るものって、なに?」
「──」
その笑みは、いつもの彼とはなにかが決定的に違った。
柔らかで穏やか、人好きのする、甘さを帯びた微笑みではなかった。
むしろ攻撃的で刺々しく、冷笑のようにも感じさせた。
彼の言葉と、その声のあまりの冷たさと、凍りついた瞳に、エレメンデールは言葉を無くす。
だけどすぐに、自身にも言い分があることに気がついたのか、彼に抱かれ、運ばれながら懸命に述べた。
「私が守るものは……!私が、この命をも惜しくないと思うものは……!」
ちらとロディアスはエレメンデールを見た。
彼女は、銃撃に穿たれ、痛みに苦しむ身だと言うのに、今はそれを忘れたかのように必死に言葉を紡いでいる。
異様な空気にあてられ、口を閉ざした騎士や侍従が無言でふたりの後に続く。
ロディアスがあからさまに感情を表に出すのは非常に珍しい。だからこそ、周囲の人間は戸惑った。
ぴりついた空気は、張り詰めた緊張感が漂い、誰もが口を挟める雰囲気ではなかった。
「この国であり、あなたの御代であり……あなた自身、です。私はあなただから──陛下が、国に尽くす姿を見て、私もまた、と思いました。この程度の怪我であれば耐えられます。お願いします、下ろしてください」
「…………」
ロディアスは答えなかった。
答える必要、いや、討論する必要すらないと思っていた。彼はエレメンデールを見ることなく、有無を言わさずそのまま歩き始めた。
エレメンデールは悲鳴のような声をあげた。
「陛下……!」
「黙って。銃弾が抜けていないなら摘出しないといけない。神経を痛めていたら二度と歩くことは叶わない。ことは一刻を争う。今は、僕の言うことに従って」
「っ……」
国王命令だと諭されれば、彼女もそれ以上何も言えないようだった。
ただ、悔しそうにくちびるを噛んでいる。
それを見て、また、なぜ、という思いが込み上げる。
なぜ、彼女はこうまで──ここまで、【耐える】ことを選んでしまったのだろうか。
以前の彼女なら、素直に痛みを訴え、怪我の手当を望んだはずだ。
王女であった彼女が銃弾に襲われるようなことなど、今まで無かったはず。
動揺しているだろうし、衝撃だっただろうし、──まだ、十六歳の少女だった。
恐ろしかったに違いない。
それなのにエレメンデールは毅然と前を向いて、何でもないかのように、至って平然としている。
銃弾で撃たれたというのに、まるでかすり傷かのごとく振る舞っている。
銃で撃たれたのだ。それは生半可な痛みではないはずだった。
苦々しい思いが込み上げた。
エレメンデールは未だ、当惑した瞳でロディアスを見上げている。
その瞳はただただ純粋で、エレメンデールを優先したロディアスに疑問を抱いているようだった。
うすらと透ける不安は、エレメンデールが怪我をしたことが公にされることへの恐れ、だろうか。
そんなこと、気にしなくていい。
そう思った。
今は何よりも──。
そう、ロディアスは彼女に自身の体を大切にして欲しかったのだ。
だけど同時に、気がついてもいた。
エレメンデールの、彼女の確かな変化。
それはレーベルトの王妃として正しい姿であるはずだ。
パートナーである王妃が立派に務めを果たしてくれたのだ。国王として、国を戴くものとして、本当ならロディアスは彼女を労う必要があった。
以前、ロディアスは彼女に対して王妃という『職』に向いていないと判断したことがあった。
だけど今の彼女は、まさに王妃として在るべき姿をそのまま体現してみせた。
彼の望む通りだ。喜ぶべきであり、彼女を労うべきだった。
頭では理解している。わかっている。
わかっているのに──
それなのに、ロディアスはそれ以上に込み上げる思いがあった。
それは、今までは無縁だった、彼自身覚えのない強い感情だった。
他人にこうも強い感情を抱くこと自体、彼は初めてだった。
エレメンデールとの間に、会話はない。
いつもは穏やかで、どんな時だって柔和に微笑んでいる彼が深刻そうに押し黙り、そして沈黙を貫いているからだ。
彼の異様な雰囲気に、彼女もまた困惑した様子を見せながらも、口を閉じていた。
(……彼女が、自身を蔑ろにしてまで、痛みを呑み込んでなお、耐えることを選んだのは──)
そうさせたのはきっと、ロディアスであり、周囲の人間だった。
気の弱い十六歳の少女に、その身に余る決意をさせてしまった。
どうしてだろう。
以前は、それでいいと思っていた。
いや、むしろ【王妃】であるのならそう在るべきだとすら思っていた。
もしこれが──|エレメンデール(かのじょ)でなければ。
彼もまた、妃としての姿を保ち、毅然と接した王妃に礼を言い、一言二言注意するだけで済んだだろう。
もし彼女でなかったら。
そうしたら。いや、それだけで。
ロディアスもまた、いつも通りに振る舞えたのに。
『周囲への配慮は大切だけど、自身の体も疎かにしてはいけないよ。怪我の具合くらいは診ておかないと。あとからどうなるか分からない』
それくらい言ってのけたかもしれない。
いや、そう言えるのが【ロディアス】という人間のはずだった。
それなのに。
こんなにも動揺し、苦しいほどに感情がまとまらない。
感情の整理はいつだって得意で、無駄な思考を切り捨てることは誰よりも、何よりも楽にできていたのに。
今は、それが出来ない。
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