42 / 117
一章
きっと、きっと、
しおりを挟む
彼が、何を言おうとしていたのか、私には分からない。
直後、日付を変えたことを示す時計が静かに部屋で響いたからだ。
ボーン……と小さく、だけど確かな音を持って時刻を知らせる。
眠りについていたら、気付かないほど小さな音だ。
だけど、静かな部屋にはよく響いて、私たちの耳には届いた。
彼はちらりとそちらを見てから、ため息をつく。
「……もう、こんな時間か。ごめんね、いつもならきみはもう、寝ている時刻だというのに」
「知っているのですか?」
「きみと婚姻を結んでから、どれくらい時間が経っていると思ってるの」
苦笑して、彼は私から離れた。
てのひらから、ぬるい温もりが消える。
寒さすら感じてしまうてのひらを見て、安堵した。
彼の頬は、いつの間にか──恐らく、私の熱が移り、あたたまったのだろう。
私もまた、彼の隣に座り直す。
ロディアス陛下は私を見て、ふわりと微笑んだ。
その笑みが、いつもより優しく見えて、また少し、緊張する。
彼がふと、ジャケットの内ポケットからなにか取りだした。
彼は未だ、正装のままだった。
政務が終わって、すぐに私室を訪れたのだろう。
彼が手にしたのは、赤のベルベット生地に包まれた小箱だった。
ぱかり、と軽快な音がして、白のシルクの布が現れた。
彼を見ると、促すように微笑まれる。
開いてみて、という意味だと受け取った私は、そっと包みを開いた。
繊細で柔らかな感触が指をくすぐる。
白の包みを開くと、中には、雫型の宝石が収められていた。
燭台の灯りに照らされ、鈍く光る石は──。
「グレースピネル、という石だよ。きみの瞳に似ていると思った」
彼は石を手に取ると、そっと、私の顔まで持ち上げる。そして、石と私を見比べた後──ふわり、と柔らかく笑った。
「うん、やっぱり。よく似合ってる。……ああ、でもきみの瞳の方が深い銀だ。まるで流星のようだね」
さらりとそんなことを言うものだから、じわじわと頬が熱を持つ。
まるで──口説かれているようだ。
そう感じたが、彼に限ってそれはないだろう。
きっと、好意で言ってくれているだけ。
社交辞令のようなものだろう。
本気で受け止めてはいけない。
私は小さく深呼吸をして、彼の手に持つ石を見た。しゃらりと揺れるその石は、ネックレスのようだった。細い、銀のチェーンが揺れる。
巧みにカットされた石は、燭台の僅かな薄明かりの中でもきらきらと煌めいている。
質の高い石は、宵闇にあってなお、きらきらと光るものだ。私はその煌めきに目を奪われた。
私がそうして見つめていると、ふと彼がジャケットのポケットからまた、小箱を取り出した。
目を瞬いてそちらを見ていると、視線がぱちりと絡まった彼が、薄く微笑んだ。
それはいつもの柔らかな微笑みではなく、どこか悪戯っぽく、茶目っ気を感じさせるものだった。
「もうひとつあるんだよね。せっかくなら、揃えたいと思ってさ」
「え?あ……」
止める間もなく、彼が小箱を開く。
今度は、薄紅色の布に包まれて、トライアングルカットを施された石が現れる。
薄暗い中であってもはっきりと分かるほどに煌めいているのは、撫子色の石。
柔らかくも、可憐な色味だ。
思わず、その美しさに魅入られる。
じっと見ていると、彼が微笑む気配があった。そっと、それを掴むと彼は私の耳に嵌めた。
ぱちり、と音がして、それが耳飾りのたぐいであったことに気がつく。
「これはピンクサファイア。きみの瞳は、よく見ると淡い桃色が走っているんだよ。かなり近づかないと見えないから、もしかしたらきみも気付いていないかもしれないけど。まるで、泉に咲くコスモスみたいだね。水面に浮かんでいるようで、とても綺麗だ」
「っ……」
臆面もなくそう言われ、体がこわばる。
これは社交辞令。お世辞なのだから、そのまま受け取ってしまってはだめ。わかっているのに、頬が熱を持つのを止められない。
私は視線をさまよわせ──それから、意を決して彼を見つめた。
彼は優しい瞳で私を見ていた。
混乱する。
まるで、私を──。
薄く浮かんだ可能性は、言葉にする前に否定した。
そんなこと、あるはずがない。
それは、私が彼を想うあまり、生み出した私の都合のいい幻想に違いない。
見間違いだ。私の勘違い。
見たくて見ている、現実では無いもの。
私はまつ毛を伏せた。
彼の瞳を、見ないようにして。
愚かな勘違いに、思い上がらないように。
「ありがとうございます。……大切にします」
きっと、これは私の宝物になるだろう。
こんなに嬉しい贈り物は、初めてだった。
ロディアス陛下はまだ政務が残っていると仰ったが、私が彼を心配していたことを思い出したのか、残りは明日にすると仰った。
体を清めてくる、と言った彼を寝ずに待った私は、その夜。
彼の腕に抱かれ、健やかな眠りについた。
彼の腕の中は安心する。
仄かに香る、ラベンダーの穏やかな匂いが、私の心を解していく。
ずっとずっと、この腕の中に囲われていたい。
そう願うけれど──それは、決して、表に出してはならない。
今この時だけでも、彼の温もりに触れること。
それに感謝しなければならない。
いずれ、ほかの|女(ひと)を抱く腕だ。
いずれ、私以外の女に温もりを与える手だ。
いずれ、いずれ──。
「……エレメンデール?」
彼に問われて、私は額を押し付けた。
滲んだ涙に気付かれないように。
熱くなった目元に力を込めて、きつく目を閉じた。
どうか、涙が零れませんように。
彼に、私の想いが気づかれませんように、と──そう、願って。
直後、日付を変えたことを示す時計が静かに部屋で響いたからだ。
ボーン……と小さく、だけど確かな音を持って時刻を知らせる。
眠りについていたら、気付かないほど小さな音だ。
だけど、静かな部屋にはよく響いて、私たちの耳には届いた。
彼はちらりとそちらを見てから、ため息をつく。
「……もう、こんな時間か。ごめんね、いつもならきみはもう、寝ている時刻だというのに」
「知っているのですか?」
「きみと婚姻を結んでから、どれくらい時間が経っていると思ってるの」
苦笑して、彼は私から離れた。
てのひらから、ぬるい温もりが消える。
寒さすら感じてしまうてのひらを見て、安堵した。
彼の頬は、いつの間にか──恐らく、私の熱が移り、あたたまったのだろう。
私もまた、彼の隣に座り直す。
ロディアス陛下は私を見て、ふわりと微笑んだ。
その笑みが、いつもより優しく見えて、また少し、緊張する。
彼がふと、ジャケットの内ポケットからなにか取りだした。
彼は未だ、正装のままだった。
政務が終わって、すぐに私室を訪れたのだろう。
彼が手にしたのは、赤のベルベット生地に包まれた小箱だった。
ぱかり、と軽快な音がして、白のシルクの布が現れた。
彼を見ると、促すように微笑まれる。
開いてみて、という意味だと受け取った私は、そっと包みを開いた。
繊細で柔らかな感触が指をくすぐる。
白の包みを開くと、中には、雫型の宝石が収められていた。
燭台の灯りに照らされ、鈍く光る石は──。
「グレースピネル、という石だよ。きみの瞳に似ていると思った」
彼は石を手に取ると、そっと、私の顔まで持ち上げる。そして、石と私を見比べた後──ふわり、と柔らかく笑った。
「うん、やっぱり。よく似合ってる。……ああ、でもきみの瞳の方が深い銀だ。まるで流星のようだね」
さらりとそんなことを言うものだから、じわじわと頬が熱を持つ。
まるで──口説かれているようだ。
そう感じたが、彼に限ってそれはないだろう。
きっと、好意で言ってくれているだけ。
社交辞令のようなものだろう。
本気で受け止めてはいけない。
私は小さく深呼吸をして、彼の手に持つ石を見た。しゃらりと揺れるその石は、ネックレスのようだった。細い、銀のチェーンが揺れる。
巧みにカットされた石は、燭台の僅かな薄明かりの中でもきらきらと煌めいている。
質の高い石は、宵闇にあってなお、きらきらと光るものだ。私はその煌めきに目を奪われた。
私がそうして見つめていると、ふと彼がジャケットのポケットからまた、小箱を取り出した。
目を瞬いてそちらを見ていると、視線がぱちりと絡まった彼が、薄く微笑んだ。
それはいつもの柔らかな微笑みではなく、どこか悪戯っぽく、茶目っ気を感じさせるものだった。
「もうひとつあるんだよね。せっかくなら、揃えたいと思ってさ」
「え?あ……」
止める間もなく、彼が小箱を開く。
今度は、薄紅色の布に包まれて、トライアングルカットを施された石が現れる。
薄暗い中であってもはっきりと分かるほどに煌めいているのは、撫子色の石。
柔らかくも、可憐な色味だ。
思わず、その美しさに魅入られる。
じっと見ていると、彼が微笑む気配があった。そっと、それを掴むと彼は私の耳に嵌めた。
ぱちり、と音がして、それが耳飾りのたぐいであったことに気がつく。
「これはピンクサファイア。きみの瞳は、よく見ると淡い桃色が走っているんだよ。かなり近づかないと見えないから、もしかしたらきみも気付いていないかもしれないけど。まるで、泉に咲くコスモスみたいだね。水面に浮かんでいるようで、とても綺麗だ」
「っ……」
臆面もなくそう言われ、体がこわばる。
これは社交辞令。お世辞なのだから、そのまま受け取ってしまってはだめ。わかっているのに、頬が熱を持つのを止められない。
私は視線をさまよわせ──それから、意を決して彼を見つめた。
彼は優しい瞳で私を見ていた。
混乱する。
まるで、私を──。
薄く浮かんだ可能性は、言葉にする前に否定した。
そんなこと、あるはずがない。
それは、私が彼を想うあまり、生み出した私の都合のいい幻想に違いない。
見間違いだ。私の勘違い。
見たくて見ている、現実では無いもの。
私はまつ毛を伏せた。
彼の瞳を、見ないようにして。
愚かな勘違いに、思い上がらないように。
「ありがとうございます。……大切にします」
きっと、これは私の宝物になるだろう。
こんなに嬉しい贈り物は、初めてだった。
ロディアス陛下はまだ政務が残っていると仰ったが、私が彼を心配していたことを思い出したのか、残りは明日にすると仰った。
体を清めてくる、と言った彼を寝ずに待った私は、その夜。
彼の腕に抱かれ、健やかな眠りについた。
彼の腕の中は安心する。
仄かに香る、ラベンダーの穏やかな匂いが、私の心を解していく。
ずっとずっと、この腕の中に囲われていたい。
そう願うけれど──それは、決して、表に出してはならない。
今この時だけでも、彼の温もりに触れること。
それに感謝しなければならない。
いずれ、ほかの|女(ひと)を抱く腕だ。
いずれ、私以外の女に温もりを与える手だ。
いずれ、いずれ──。
「……エレメンデール?」
彼に問われて、私は額を押し付けた。
滲んだ涙に気付かれないように。
熱くなった目元に力を込めて、きつく目を閉じた。
どうか、涙が零れませんように。
彼に、私の想いが気づかれませんように、と──そう、願って。
213
お気に入りに追加
890
あなたにおすすめの小説
獣人の里の仕置き小屋
真木
恋愛
ある狼獣人の里には、仕置き小屋というところがある。
獣人は愛情深く、その執着ゆえに伴侶が逃げ出すとき、獣人の夫が伴侶に仕置きをするところだ。
今夜もまた一人、里から出ようとして仕置き小屋に連れられてきた少女がいた。
仕置き小屋にあるものを見て、彼女は……。
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。
溺愛彼氏は消防士!?
すずなり。
恋愛
彼氏から突然言われた言葉。
「別れよう。」
その言葉はちゃんと受け取ったけど、飲み込むことができない私は友達を呼び出してやけ酒を飲んだ。
飲み過ぎた帰り、イケメン消防士さんに助けられて・・・新しい恋が始まっていく。
「男ならキスの先をは期待させないとな。」
「俺とこの先・・・してみない?」
「もっと・・・甘い声を聞かせて・・?」
私の身は持つの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界と何ら関係はありません。
※コメントや乾燥を受け付けることはできません。メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました
白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。
あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。
そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。
翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。
しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。
**********
●早瀬 果歩(はやせ かほ)
25歳、OL
元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。
●逢見 翔(おうみ しょう)
28歳、パイロット
世界を飛び回るエリートパイロット。
ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。
翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……?
●航(わたる)
1歳半
果歩と翔の息子。飛行機が好き。
※表記年齢は初登場です
**********
webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です!
完結しました!
今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を
澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。
そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。
だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。
そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる