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一章
命を擲つ覚悟
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「ぎゃ……」
乱暴な言葉に言葉を失う。
硬直する私に、メリューエルがふわりと笑う。
そして、彼女はカップの縁を、そのまるみを確かめるように指の腹でそっとなぞってから、言った。
「陛下直々に、社交界での振る舞いの手ほどきを、とのお言葉をいただきましたので、直截にお伝えさせていただきます。……どこの国でも同じことかもしれませんが、この国。レーベルトもまた、一枚岩ではありません。全ての人間が、陛下に心からの忠誠を誓っているとは言いきれないのです。表面上はそのように振る舞ってみせますが」
「……それは、理解しています。私は……。私は、社交界での振る舞いに聡くありません。結果、無意味に敵を増やしてしまうのではないかと……そう、思って」
「それを憂慮されているのですね。そうした不安を抱くのも、当然のことです。ですが、社交界というものは、そういうものなのですわ。敵か、味方か。それを判別するには、胸を裂いて心の臓を見ないことには分かりません。ですがまさか、そんな暴力行為を毎回行っていくこともできませんから──ですから、警戒心を持つのです。【自分以外は、すべて敵】。自身の足を掬おうとするものは全て、蹴散らして、失脚させてしまえばよろしいのです」
「そ、れは……あの、本当に?」
そんな攻撃的な感情を持って、ひとに接するのは──。
正直、進んでしたいことではなかった。
私の短い言葉に、メリューエルは頷いて見せた。
「やりすぎるとしっぺ返しを受けますので、程々に、が大切かと思いますが──王妃陛下のように、お人がよろしい方は、それくらいのお気持ちでいらっしゃってもいいと思います」
「…………」
失脚させる。ルエイン様を。
後から来て、突然ロディアス陛下の正妃の座を奪った私が、彼女を蔑ろにしていいはずがない。
不幸を喚ぶと言われている魔女が、自ら望んで自身の欲を求め、他者を排そうとするなど──それこそ【魔女】の姿に違いない。
それに気が付き、ぞくりと背筋が冷えた。
俯き、考え込む私を見て、メリューエルがさらに続けた。
「あるいは、王妃陛下が、国王陛下を愛していらっしゃるのなら──それに準じた覚悟が、貴女を助けるかもしれません」
覚悟。
それは、既に私の中で定めたものだった。メリューエルの言葉に顔を上げると、彼女はカップの中で揺れる水面に視線を落としていた。
私が彼女を見た事に気が付くと、彼女もまた、視線を上げ、私を見た。
「愛するもののために、命を擲つ覚悟です」
「──」
それを口にしたメリューエルは、とても強く、意志のこもった瞳をしていた。
射るような強さの瞳がじっと私を見つめる。
逸らすことを許されないような、紅の瞳に囚われる。
時間が止まったような思いだった。
世界の流れが遅く感じる。
鮮やかな赤の虹彩にひたすら魅入られていると、メリューエルはさらに言葉を続けた。
「貴族の娘であれば、家のため、名誉を守るため──必要に応じて、相応しい死を得るよう、生まれながらに教育を受けています。……ですが私は、それに重きを置くのではなく、愛するもののために手段を探し、行動を選び取る。……そちらの方がよほど、【自分らしく】在れるのではないか、と思いました」
彼女の声は穏やかで、静かだった。
「家のため、つまり──王妃陛下にとっては、国のためではなく、愛するもののために。……強い覚悟というものはきっと、泥沼に陥った際、新たな道を切り開く一助となるはずです。私が思うに、王妃陛下は思い悩まれて……身動きが取れない様子なのでは、と考えました。社交界を生き抜くため──揺るがぬ【強さ】または、行動の【基準】となるかと思います。……出過ぎたことを言いました。申し訳ありません。ですが、私の言葉が少しでも、王妃陛下が生き抜くための力添えになるのなら、それ以上の至福はありません」
彼女が言葉を区切る。
そこでようやく、私は紅の瞳から解放された。
ハッとして彼女を見る。
もうその時には、メリューエルは先程のような強い瞳をしておらず、柔らかく微笑んでいた。
見間違いかと、思うほどだ。
それほどまでに、先程の視線は文字通り射るようであり、なにか訴えかけるものがあった。
それは恐らく、彼女が生まれながらに持つ【強さ】であり、彼女としての【個】なのだろう。
貴族の娘であれば、由緒ある身分の娘であれば、当然のように持ち得る矜持であり、生き様。
揺るぎない強さを、示されたようだった。
私には無いもの。
王家の生まれでありながら、私には欠けているものだ。
五大公爵家の一家である、ラズレイン家の娘も、反五大派閥筆頭のステファニー家の娘も、それぞれ己の定める矜持──揺るがぬ【自分自身】があるのだろう。
私はメリューエルの言葉を思い返しながら、自分なりに意味を噛み砕き、受け止めた。
「……明確な行動基準を定めておくことで、ある程度の指標を作ることができる……ということでしょうか。ありがとうございます、メリューエル。あなたの話はとても、参考になりました」
事実、彼女の言葉はとても勉強になった。
私はレーベルトの正妃として、恥じない姿を、と求めるようになったものの、それに具体性はなかった。
だからこそ、手探りながら模索していたのだけど。
『愛するもののために、命を擲つ覚悟』
それは、彼女に言われるまで想像もしなかった言葉だった。
目から鱗な思いだ。
彼のために、ロディアス陛下のために、命を差し出す──覚悟。
ゆっくりと言葉を呑み込む。
私の命が、彼のためになるなら。
(……死ぬことに、恐れはない。私の命が役に立つなら)
目を閉じて思考し、ゆっくりとまつ毛を持ち上げた。そこには、私を案じるように眉を下げる彼女がいた。
その姿に、ミュチュスカと同じように、一見、無機物のような冷たさを感じさせる彼女もまた、実際は彼と同じように様々な思いを巡らせてくれているのだろうと感じた。
それに、少しの親しみを覚えた。
「本日はありがとうございました。あまり長居しても良くないかと思いますので、そろそろ戻りますね」
席を立つと、メリューエルもまた腰を上げた。
彼女の腹部はゆるやかに弧を描いている。
ミュチュスカとの子だ。
眩しい、と思った。
それは、子を身ごもったことに対してでは無い。
いや、もしかしたら、子を宿していることにも私は羨望の思いを抱いているのかもしれないが、それ以上に──愛するひとの子を、その身に宿し、幸福の元、その子が産まれてくる、ということに。
それがとても、羨ましくて、そして眩しい。
きっと私には、そんな幸福は望めない。
私が彼女の腹部を見ていることに気がついたのか、彼女はほんの少し気恥ずかしそうにしながら、髪を耳にかけた。
「私はこのとおり、登城するにはまだ時間がかかる身です。……ですが、王妃陛下が望むのであれば、お手紙でお話を伺うことはできますわ。お困りごとがあったら、お報せくださいませね」
頬をうすらと褒めて染めて微笑む彼女はやはり眩しくて、羨ましい。
私もそうして、いつかは微笑むことが出来るだろうか。
薄い希望を胸の奥に押し込んで、私もまた、笑みを乗せた。
「お気遣い、ありがとうございます。またすこしだけ、レーベルトのことを知れたような気がします」
乱暴な言葉に言葉を失う。
硬直する私に、メリューエルがふわりと笑う。
そして、彼女はカップの縁を、そのまるみを確かめるように指の腹でそっとなぞってから、言った。
「陛下直々に、社交界での振る舞いの手ほどきを、とのお言葉をいただきましたので、直截にお伝えさせていただきます。……どこの国でも同じことかもしれませんが、この国。レーベルトもまた、一枚岩ではありません。全ての人間が、陛下に心からの忠誠を誓っているとは言いきれないのです。表面上はそのように振る舞ってみせますが」
「……それは、理解しています。私は……。私は、社交界での振る舞いに聡くありません。結果、無意味に敵を増やしてしまうのではないかと……そう、思って」
「それを憂慮されているのですね。そうした不安を抱くのも、当然のことです。ですが、社交界というものは、そういうものなのですわ。敵か、味方か。それを判別するには、胸を裂いて心の臓を見ないことには分かりません。ですがまさか、そんな暴力行為を毎回行っていくこともできませんから──ですから、警戒心を持つのです。【自分以外は、すべて敵】。自身の足を掬おうとするものは全て、蹴散らして、失脚させてしまえばよろしいのです」
「そ、れは……あの、本当に?」
そんな攻撃的な感情を持って、ひとに接するのは──。
正直、進んでしたいことではなかった。
私の短い言葉に、メリューエルは頷いて見せた。
「やりすぎるとしっぺ返しを受けますので、程々に、が大切かと思いますが──王妃陛下のように、お人がよろしい方は、それくらいのお気持ちでいらっしゃってもいいと思います」
「…………」
失脚させる。ルエイン様を。
後から来て、突然ロディアス陛下の正妃の座を奪った私が、彼女を蔑ろにしていいはずがない。
不幸を喚ぶと言われている魔女が、自ら望んで自身の欲を求め、他者を排そうとするなど──それこそ【魔女】の姿に違いない。
それに気が付き、ぞくりと背筋が冷えた。
俯き、考え込む私を見て、メリューエルがさらに続けた。
「あるいは、王妃陛下が、国王陛下を愛していらっしゃるのなら──それに準じた覚悟が、貴女を助けるかもしれません」
覚悟。
それは、既に私の中で定めたものだった。メリューエルの言葉に顔を上げると、彼女はカップの中で揺れる水面に視線を落としていた。
私が彼女を見た事に気が付くと、彼女もまた、視線を上げ、私を見た。
「愛するもののために、命を擲つ覚悟です」
「──」
それを口にしたメリューエルは、とても強く、意志のこもった瞳をしていた。
射るような強さの瞳がじっと私を見つめる。
逸らすことを許されないような、紅の瞳に囚われる。
時間が止まったような思いだった。
世界の流れが遅く感じる。
鮮やかな赤の虹彩にひたすら魅入られていると、メリューエルはさらに言葉を続けた。
「貴族の娘であれば、家のため、名誉を守るため──必要に応じて、相応しい死を得るよう、生まれながらに教育を受けています。……ですが私は、それに重きを置くのではなく、愛するもののために手段を探し、行動を選び取る。……そちらの方がよほど、【自分らしく】在れるのではないか、と思いました」
彼女の声は穏やかで、静かだった。
「家のため、つまり──王妃陛下にとっては、国のためではなく、愛するもののために。……強い覚悟というものはきっと、泥沼に陥った際、新たな道を切り開く一助となるはずです。私が思うに、王妃陛下は思い悩まれて……身動きが取れない様子なのでは、と考えました。社交界を生き抜くため──揺るがぬ【強さ】または、行動の【基準】となるかと思います。……出過ぎたことを言いました。申し訳ありません。ですが、私の言葉が少しでも、王妃陛下が生き抜くための力添えになるのなら、それ以上の至福はありません」
彼女が言葉を区切る。
そこでようやく、私は紅の瞳から解放された。
ハッとして彼女を見る。
もうその時には、メリューエルは先程のような強い瞳をしておらず、柔らかく微笑んでいた。
見間違いかと、思うほどだ。
それほどまでに、先程の視線は文字通り射るようであり、なにか訴えかけるものがあった。
それは恐らく、彼女が生まれながらに持つ【強さ】であり、彼女としての【個】なのだろう。
貴族の娘であれば、由緒ある身分の娘であれば、当然のように持ち得る矜持であり、生き様。
揺るぎない強さを、示されたようだった。
私には無いもの。
王家の生まれでありながら、私には欠けているものだ。
五大公爵家の一家である、ラズレイン家の娘も、反五大派閥筆頭のステファニー家の娘も、それぞれ己の定める矜持──揺るがぬ【自分自身】があるのだろう。
私はメリューエルの言葉を思い返しながら、自分なりに意味を噛み砕き、受け止めた。
「……明確な行動基準を定めておくことで、ある程度の指標を作ることができる……ということでしょうか。ありがとうございます、メリューエル。あなたの話はとても、参考になりました」
事実、彼女の言葉はとても勉強になった。
私はレーベルトの正妃として、恥じない姿を、と求めるようになったものの、それに具体性はなかった。
だからこそ、手探りながら模索していたのだけど。
『愛するもののために、命を擲つ覚悟』
それは、彼女に言われるまで想像もしなかった言葉だった。
目から鱗な思いだ。
彼のために、ロディアス陛下のために、命を差し出す──覚悟。
ゆっくりと言葉を呑み込む。
私の命が、彼のためになるなら。
(……死ぬことに、恐れはない。私の命が役に立つなら)
目を閉じて思考し、ゆっくりとまつ毛を持ち上げた。そこには、私を案じるように眉を下げる彼女がいた。
その姿に、ミュチュスカと同じように、一見、無機物のような冷たさを感じさせる彼女もまた、実際は彼と同じように様々な思いを巡らせてくれているのだろうと感じた。
それに、少しの親しみを覚えた。
「本日はありがとうございました。あまり長居しても良くないかと思いますので、そろそろ戻りますね」
席を立つと、メリューエルもまた腰を上げた。
彼女の腹部はゆるやかに弧を描いている。
ミュチュスカとの子だ。
眩しい、と思った。
それは、子を身ごもったことに対してでは無い。
いや、もしかしたら、子を宿していることにも私は羨望の思いを抱いているのかもしれないが、それ以上に──愛するひとの子を、その身に宿し、幸福の元、その子が産まれてくる、ということに。
それがとても、羨ましくて、そして眩しい。
きっと私には、そんな幸福は望めない。
私が彼女の腹部を見ていることに気がついたのか、彼女はほんの少し気恥ずかしそうにしながら、髪を耳にかけた。
「私はこのとおり、登城するにはまだ時間がかかる身です。……ですが、王妃陛下が望むのであれば、お手紙でお話を伺うことはできますわ。お困りごとがあったら、お報せくださいませね」
頬をうすらと褒めて染めて微笑む彼女はやはり眩しくて、羨ましい。
私もそうして、いつかは微笑むことが出来るだろうか。
薄い希望を胸の奥に押し込んで、私もまた、笑みを乗せた。
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