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一章
個を捨てて、正妃としてあるべき姿に
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少し歩くと、先に仄かな明かりが見えた。
エメラルドのような色を発し、ふわふわと揺れるあれは──
(蛍……!)
思わず、息を呑む。
暗闇に見え隠れするその柔らかな色は、目に優しく、そしてとても美しかった。
綺麗だ、と思う。
幻想的な光景だった。
言葉もなく魅入られる私に、彼がまた笑った気配があった。
とても綺麗だ、と思った。
美しい、と思った。
この光景を、忘れずにいよう。
彼が私に見せてくれた、気持ちそのものなのだから。
次の日。
空いた時間を自習へと当てた私は、早速彼からいただいた飴玉をひとつ、口に運んだ。
口にしたのは、甘い林檎の飴玉だった。
からころと口の中で軽やかな感触を楽しむ。
数時間後には、貴族令嬢とのティータイムの約束がある。
本日は反五大派閥の令嬢たちと対面する予定だ。
その中にはもちろん、筆頭貴族のルエイン様もいらっしゃる。
彼女と会う、と考えると少し胸が重たくなる。
思わずため息を吐いた。
羽根ペンを紙に走らせながらふと、手を止める。
第二妃の話はあれからどうなったのか、私は知らない。ロディアス陛下は、あれ以来その話に触れないし、私からも尋ねていない。
だけど、水面下では着々と話が進んでいるはずだ。
彼女が王宮入りするのはいつになるだろう。
公表してすぐ、ということにはならないだろう。
ある程度の準備期間は設けるはずだ。
(……そうなると、早くても来年)
来年の夏には、ルエイン様が第二妃に召されている可能性がある。
その年から、秋、冬は彼女がいる生活となるのだ。
それを考えるとまだ胸には痺れるような痛みが走るが、もう決まったことだ。
受け入れると、私は決めた。
(ルエイン様と上手くやりましょう)
上手くやる、ということがどういうことなのか私にはよく分からない。
だけど、ランフルアで、お母様が正妃の機嫌を損ねるような、あのように冷えきった関係はいけないだろう。それくらいは分かる。
私は正妃なのだから。
ルエイン様──ひいては、ステファニー家を立てて、だけどランフルアが軽んじられないようにしなければならない。
そのためにはどうすればいいだろうか……?
(まずはこの性格を何とかしなければならない……?)
とはいえ、今更この鬱屈とした性格がすぐにどうこうなるとは思えない。
完全に八方塞がりだった。
その後、五大派閥に属する令嬢とのティータイムに参加した私は、とある令嬢──ベルデ・ヴァネッサの言葉に、硬直することとなった。
「そういえば……ちらと耳にしたのですが、王妃陛下はランフルアでは魔女の血を引いてる……と言われていらっしゃるのだとか?」
揶揄を含んだ声だった。
ただの噂話を口にした、というような声音だ。
その言葉に、参加していた令嬢がざわりと色めきたつ。
「まあ、本当?」
「魔女だなんて、存在するものなの?」
「魔女の血を引く……つまり、末裔ということかしら」
「国が違えば文化も違うとはよく言いますが……レーベルトで生まれ育つ私どもには未知のもので……恐ろしく思えますわね」
ひとりの令嬢が薄く瞳を細める。
言葉通りとは思えない、穏やかな笑みを乗せたその顔に、私は何を言えばいいのか言葉を見失ってしまった。
何か言わなければと思うのに、言葉が出ない。
まるでランフルアにいた時に戻ったようだった。
ただ無意味に息を吸うだけでいると、不自然に広がった沈黙を破るようにして、ルエイン様が口元に手を当てて微笑んだ。
「魔女、というだけあってきっと、未知の力を使われるのでしょうね。その人ならざらぬ、神秘の力で陛下をお支えしてさしあげるのですか?」
その言葉に、周りの令嬢がひっと、驚きと恐怖のためにか、息を呑む。
超常じみた力を恐れているのだ。
私が力を行使して、気にいらない者は呪う、とでも思われているのだろう。
「…………」
ここで黙っていたら、それこそランフルアにいた時と同じになってしまう。
私は魔女の血を引いているものの、魔女ではない。
魔女のなりそこないの私は、そんな力を持たない。
短く息を吐いた。
テーブルの下に隠れている手は、周りには見えていない。
だから、手をぎゅっときつく握り──顔を上げた。
どくどくと、うるさいほどに心臓が音を立てている。
いつもなら、ランフルアにいた時なら、黙ってやり過ごせば、それで良かった。そうすることで陰湿な嫌がらせは避けることが出来たし、悪評を大きくすることもないから。
黙してやり過ごせば、周囲の反感を買うこともなければ、お姉様やお兄様の気に障ることもない。
だから、それで良かった。
──でも、今は違う。
今までのままでは、私が変わらなければ、何も変わらない。
それどころか、さらなる悪化を招く可能性すらあった。
出来るだけ、微笑んで。
呼吸を整えて。震える手は隠し。手に力を込める。
恐れていることを知られてはならない。
私が"弱い"ことを知られてはならない。
正妃として、その席に座るものとして、余裕を、気高さを、なににも侵されない静謐さを、見せなければならない。
(笑え。……笑うの)
ランフルアにいた時とは違うのだから。
魔女の母を持ち、魔女の力を恐れられ、妾腹の王女と侮辱されていた時のようでいてはならない。その環境に、甘んじてはならないのだ。
私はこの国で、レーベルトで、弱い王女ではなく、強い正妃として在らなければならない。
「私に、そのような力はありません」
少しだけ、声がかすれた。
私は取り繕うように顔を上げ、しっかりとルエイン様の顔を見る。
彼女は穏やかに微笑んでいた。
しかし、その瞳の奥──濃い、紫根色の虹彩は決して笑っていない。氷のように冷ややかだ。
きっと、それが彼女の本心。
私を試しているのか、あるいは。
だから、私は意図的に微笑んでみせた。
まるで、何も気にしていない、と示すように。
エメラルドのような色を発し、ふわふわと揺れるあれは──
(蛍……!)
思わず、息を呑む。
暗闇に見え隠れするその柔らかな色は、目に優しく、そしてとても美しかった。
綺麗だ、と思う。
幻想的な光景だった。
言葉もなく魅入られる私に、彼がまた笑った気配があった。
とても綺麗だ、と思った。
美しい、と思った。
この光景を、忘れずにいよう。
彼が私に見せてくれた、気持ちそのものなのだから。
次の日。
空いた時間を自習へと当てた私は、早速彼からいただいた飴玉をひとつ、口に運んだ。
口にしたのは、甘い林檎の飴玉だった。
からころと口の中で軽やかな感触を楽しむ。
数時間後には、貴族令嬢とのティータイムの約束がある。
本日は反五大派閥の令嬢たちと対面する予定だ。
その中にはもちろん、筆頭貴族のルエイン様もいらっしゃる。
彼女と会う、と考えると少し胸が重たくなる。
思わずため息を吐いた。
羽根ペンを紙に走らせながらふと、手を止める。
第二妃の話はあれからどうなったのか、私は知らない。ロディアス陛下は、あれ以来その話に触れないし、私からも尋ねていない。
だけど、水面下では着々と話が進んでいるはずだ。
彼女が王宮入りするのはいつになるだろう。
公表してすぐ、ということにはならないだろう。
ある程度の準備期間は設けるはずだ。
(……そうなると、早くても来年)
来年の夏には、ルエイン様が第二妃に召されている可能性がある。
その年から、秋、冬は彼女がいる生活となるのだ。
それを考えるとまだ胸には痺れるような痛みが走るが、もう決まったことだ。
受け入れると、私は決めた。
(ルエイン様と上手くやりましょう)
上手くやる、ということがどういうことなのか私にはよく分からない。
だけど、ランフルアで、お母様が正妃の機嫌を損ねるような、あのように冷えきった関係はいけないだろう。それくらいは分かる。
私は正妃なのだから。
ルエイン様──ひいては、ステファニー家を立てて、だけどランフルアが軽んじられないようにしなければならない。
そのためにはどうすればいいだろうか……?
(まずはこの性格を何とかしなければならない……?)
とはいえ、今更この鬱屈とした性格がすぐにどうこうなるとは思えない。
完全に八方塞がりだった。
その後、五大派閥に属する令嬢とのティータイムに参加した私は、とある令嬢──ベルデ・ヴァネッサの言葉に、硬直することとなった。
「そういえば……ちらと耳にしたのですが、王妃陛下はランフルアでは魔女の血を引いてる……と言われていらっしゃるのだとか?」
揶揄を含んだ声だった。
ただの噂話を口にした、というような声音だ。
その言葉に、参加していた令嬢がざわりと色めきたつ。
「まあ、本当?」
「魔女だなんて、存在するものなの?」
「魔女の血を引く……つまり、末裔ということかしら」
「国が違えば文化も違うとはよく言いますが……レーベルトで生まれ育つ私どもには未知のもので……恐ろしく思えますわね」
ひとりの令嬢が薄く瞳を細める。
言葉通りとは思えない、穏やかな笑みを乗せたその顔に、私は何を言えばいいのか言葉を見失ってしまった。
何か言わなければと思うのに、言葉が出ない。
まるでランフルアにいた時に戻ったようだった。
ただ無意味に息を吸うだけでいると、不自然に広がった沈黙を破るようにして、ルエイン様が口元に手を当てて微笑んだ。
「魔女、というだけあってきっと、未知の力を使われるのでしょうね。その人ならざらぬ、神秘の力で陛下をお支えしてさしあげるのですか?」
その言葉に、周りの令嬢がひっと、驚きと恐怖のためにか、息を呑む。
超常じみた力を恐れているのだ。
私が力を行使して、気にいらない者は呪う、とでも思われているのだろう。
「…………」
ここで黙っていたら、それこそランフルアにいた時と同じになってしまう。
私は魔女の血を引いているものの、魔女ではない。
魔女のなりそこないの私は、そんな力を持たない。
短く息を吐いた。
テーブルの下に隠れている手は、周りには見えていない。
だから、手をぎゅっときつく握り──顔を上げた。
どくどくと、うるさいほどに心臓が音を立てている。
いつもなら、ランフルアにいた時なら、黙ってやり過ごせば、それで良かった。そうすることで陰湿な嫌がらせは避けることが出来たし、悪評を大きくすることもないから。
黙してやり過ごせば、周囲の反感を買うこともなければ、お姉様やお兄様の気に障ることもない。
だから、それで良かった。
──でも、今は違う。
今までのままでは、私が変わらなければ、何も変わらない。
それどころか、さらなる悪化を招く可能性すらあった。
出来るだけ、微笑んで。
呼吸を整えて。震える手は隠し。手に力を込める。
恐れていることを知られてはならない。
私が"弱い"ことを知られてはならない。
正妃として、その席に座るものとして、余裕を、気高さを、なににも侵されない静謐さを、見せなければならない。
(笑え。……笑うの)
ランフルアにいた時とは違うのだから。
魔女の母を持ち、魔女の力を恐れられ、妾腹の王女と侮辱されていた時のようでいてはならない。その環境に、甘んじてはならないのだ。
私はこの国で、レーベルトで、弱い王女ではなく、強い正妃として在らなければならない。
「私に、そのような力はありません」
少しだけ、声がかすれた。
私は取り繕うように顔を上げ、しっかりとルエイン様の顔を見る。
彼女は穏やかに微笑んでいた。
しかし、その瞳の奥──濃い、紫根色の虹彩は決して笑っていない。氷のように冷ややかだ。
きっと、それが彼女の本心。
私を試しているのか、あるいは。
だから、私は意図的に微笑んでみせた。
まるで、何も気にしていない、と示すように。
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