上 下
29 / 117
一章

それは、素直な感情

しおりを挟む
「え……」

(蛍?)

急に出てきた言葉に困惑する。

顔をあげると、いつの間にか彼はじっと私を見つめていた。やはり、その顔は青白い。
色素の薄い彼の顔は、白を通り越して青く、見るからに病人、という状態だった。
彼は確認が終わったのか、紙の束をサイドチェストの上に放ると、そのままベッドから降りた。

紺のナイトガウンを脱ぐと、ソファの背もたれにかける。踝丈の白の寝着が現れる。
ベッドに寝かせるにあたり、着替えさせられたのだろう。
これから会議に行くということであれば、また着替えなければならない。
彼がちらりと私を見た。

「着替えたいんだけど、きみが手伝ってくれるの?」

「……!?」

思わず、驚いて目を見張った。

彼に言われて、初めて私は彼を凝視していたことに気がつく。
男性の着替えをじっと見つめるなど、あまりにも恥ずべきことだ。
慌てて、取り繕うように立ち上がると、彼があっさりと言った。

「冗談だよ。きみはメイドを呼んできてくれる?着替えは自分でするけど、この顔で会議に行くのは避けたい」

顔。確かに、彼の顔色は悪い。
誰が見ても体調が悪いとすぐに分かるほどだ。

(でも、どうしてメイドを……?)

着替えは自分で行うなら、なぜ……。
彼の意図を汲み取れずに戸惑っていると、彼が苦笑した。

「青白い顔では、仕掛けた奴らにここぞとばかりに顔色の悪さを指摘される。あまり気は進まないけど、白粉でもはたいて、見られるようにはしておきたい」

「……陛下は、毒を盛った相手に心当たりがあるのですね」

「僕の命を狙うやつらは多くいすぎて、誰、とは決めかねるけど、このタイミングで盛られたら流石にね」

「罰することは……できないのですか?」

ひとに、毒を盛った。しかも相手はこの国の王だ。
王に毒を盛るなど考えられない。
ランフルアであれば、すぐに処刑されるだろう。
そう思って言葉を重ねると、彼は静かに答えた。

「やろうと思えばできるよ。僕にはそれが許されるだけの権力がある。……だけどね、エレメンデール。ムカつくから処刑、なんて簡単な理屈ではないんだよ」

彼の手が、私の頭を撫でた。
数回、慰めるように。諌めるように。

「腹が立っても、殺したいと思っても、相手はこのレーベルトにおいて失えない人材だ。今はまだ、ね」

「……陛下の、お命が脅かされているのに、ですか」

呟くような声は、抗議するような色を孕んでしまった。口にしてから、出過ぎたことだった、と失言に気づく。
しかし、私が言葉を撤回する前に彼が言葉を続ける。

「そういうものだよ。所詮、王も国を回す歯車に過ぎない。代用も利く」

「………………」

無言で、くちびるを噛み締めた。

悔しかった。
代用が利く、とあっさりと言う彼の言葉は、きっと正しい。だけど、それでも。
なんてことのないように自身の命を残酷なまでに客観的に──俯瞰的に見る彼が、悲しい。

そして私は、ランフルアとレーベルトの違いにも愕然としていた。

ランフルアでは王族が絶対的な権力を持っていて、それに敵意を向けられることは有り得なかった。
絶対王政を敷き、臣下の意見は跳ね除けられ、不敬であると罰せられる。それが、ランフルアでの常だった。
そんな政権だったから、王に、王族に逆らう人間はだんだんと数を減らし──ついには、王に傅く人間だけが、王城に残った。
後は、裁かれて亡きものとなったか、背を向けて社交界から消えたかの、二択。
私が知る社交界は、そんなものだったから、彼がその命を危険に晒してまで──個を蔑ろにしてまで、この国を、政治を、守ろうとしている姿には衝撃を覚えた。
やるせなさを覚える。

(きっと……ここで、彼を引き止めることはできない)

そして、それを彼も望んでいないだろう。
彼に失望されるのは嫌だった。
きっと、彼が望んでいるのは別の──。
滑り落ちるように、言葉がこぼれた。

「無理はなされないでください」

私の言葉に、彼は少し驚いたように軽く目を見開く。
だけどすぐ、いつもの柔和な表情に戻る。ふわりとした、優しい顔だ。
薄暗い部屋であっても、彼の色素の薄い瞳は透明度が高く、不可思議な色彩を放っていた。

「うん。ありがとう、エレメンデール」

私はドレスの裾をつまみ、淑女の礼をした後、部屋を出た。廊下に控えているメイドに声をかけ、化粧箱を持ってくるよう頼む。
後はもう、私に出来ることは無いだろう。
むしろ、近くにいても邪魔になるだけ。

私は王妃の私室に戻ると、カウチに座り込んだ。
私を案じたラディールが、なにか心の落ち着くハーブティーを入れようかと提案してくれるが、首を横に振る。
今はひとり、静かに考えたかった。

(……蛍)

彼は、蛍を見に行こうと言った。
彼の顔色があまりに悪くて、それを気にするあまり、深く聞くことは出来なかったけど。
窓の外に視線を向ける。
宵闇が近づき、カーテンは締め切られていた。
私はそっと窓辺に近づくと、少しだけカーテンを開いた。
窓の向こうは、もう暗い。

……会議はもう、始まっただろうか。

彼は、大丈夫だろうか。
きっと、彼は、陛下は、何食わぬ顔で会議に参加しているのだろう。少し前に毒を盛られ、倒れた、とはとても思えないような自然体で。
彼に毒を盛った相手に隙を見せないように、国王として、あるべき姿をそのまま体現するように。

今、私が感じているのはきっと、哀しみだ。
慈しみにも似た、悲しさ。

だって彼は──あまりにも、自身を蔑ろにするから。
だから、悲しい。
しおりを挟む
感想 71

あなたにおすすめの小説

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。

下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。 またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。 あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。 ご都合主義の多分ハッピーエンド? 小説家になろう様でも投稿しています。

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...