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ガトーショコラとかいて
しおりを挟むふたりの会話を聞かないようにしようにも聞こえてくるのだ。なにせ声が大きいので。
近くでべたべたするカップルを見て辟易とする。
このまま放っておいたらキスでも始めそうである。
私はふと思いついたことを、隣を歩く殿下に言った。
「そう言えば、この間のガトーショコラと紅茶、ありがとうございました」
あれから顔を合わせても公務の時のみだったのでまともに言葉を交わしていない。
手紙でお礼を言ったもののやはり面と向かって言う必要があるだろう。それなら今がちょうどいい。真後ろの会話に気を取られなくて済むし。
私が言うと、殿下がちらりとこちらを見た。
青い宝石のような瞳が目に入る。
だけど私は視線をそちらに向けず、前を向いて歩く。
下手に目を合わせて険悪な雰囲気になどなったら目も当てられないからだ。
いや、賓客の前だから取り繕うとは思うけれど。だけどわずかでも可能性があることはしたくない。
「ああ。口にあっただろうか?」
あのガトーショコラが口に合わない人がいたら見てみたいものだ。
ギルシア国のクワナ入りのガトーショコラなんて逸品すぎる。
そして出された紅茶もとても飲みやすくて美味しかった。香りが強すぎず濃過ぎず、飲み心地も良かった。酸っぱさと葉の渋い味が混ざってとても美味しかった。
思い出したらまた飲みたくなってきて私は思考を振り払った。
「とても美味しかったですわ。殿下は口にされてませんの?」
「ああ。甘いものがあまり得意じゃないんだ。それより、あなたはガトーショコラが好きなのか?」
突然に聞かれた言葉に思わず足を止めそうになった。
(これは……何か遠回しな言い方なの?王侯貴族が好む言葉遊びの類?それとも純粋に聞いているのかしら……?)
正直に答えていいのかしら。
私が悩んでいると、殿下は僅かに息を吐いた。
「以前の夜会で随分美味しそうにガトーショコラを食べていたから好きかと思ったんだが…………すまない、好物ではなかったか?」
「…………」
(いや、好きですけど。いつ見ていたのかしら……)
私たちは関係性が関係性なので、どうしても殿下の言葉を勘繰ってしまう。素直に聞けないのである。
(もしかしてこれ、嫌味ってやつ?王太子妃としてみっともない食べ方をしていたってことかしら………?)
ぐるぐるぐるぐる回り出した思考の渦の中、ようやく私が答えたのは
「…………よくみてますのね」
の一言だった。
それに殿下の足がぴたりととまりかけるも、表情だけはいつも通りだ。
だけどその足が止まりかけたところを見ると動揺したのだろう。
(何かしら、粗探しでもしたいの……?私が王太子妃として相応しくないとモンテナスに抗議をするとか?いやいや、そんなの困る!絶対そんなことさせないわ!……というか、もしそうであるのなら勝手がすぎるわ!強引にお嫁さんにしておいて、夫婦の関係を持つ気は無いと言い放って、あげく王太子妃に相応しくないから国に追い返すなんて。冗談じゃない!そうならないように気を引き締めないと!)
考えすぎかもと思ったが、王族として慎重すぎて良くないことは無いだろう。手遅れになって気づくよりはずっといい。
「……この間はすまなかった」
突然殿下が口を開く。
私は目を丸くした。
(………幻聴かしら?)
目をぱちぱちさせる彼女に、殿下がちらりとそちらを見る。今度こそ視線がぶつかる。
「あの後………考えてみたんだが私の行動はひどい、と思う。うん……。だから、それを謝罪したい」
(あら…………自覚があったのね)
私は否定も肯定もしない。
実際あまりにも理不尽だと思っていたからだ。だけど立場上肯定するわけにもいかず、かといって否定する気も無い。
そのまま黙って殿下を横目で探るように見つめる。
彼はすぐに私から視線を外して前を向いたが、ややあってから口を開いた。
「先日の差し入れは、お詫びと思って受け取ってもらえないだろうか?いや、まだ私はきみとの関係を望むことは出来ないのだが……」
「…………」
私はとっさに薄く笑みを作った。
(謝りたいけどこの対応は変えることは無い、って言いたいのね)
別に構わない。今更この人と恋愛できるなんて思っていないし。異性として見てもない。
「………お気持ちは分かりましたわ、殿下。ありがとうございます」
にこりと笑って私は返した。
これでこの話は終わりだ。もう貴賓室は目前だった。そして相変わらず後ろから大きな声が聞こえてくる。
声量抑えたらどうなの?
バカップルのイチャイチャトークは殺傷力が高い。
独身ではないと言え、実際独身と変わらない私にはよく刺さる……。
背中に受けながら、うんざりとし、私は隣を歩く夫を見た。
(あのふたり、場所を考えていないのかしら。ここは他国で、そしてルデン国なのよ?)
殿下は感情の読めない瞳をしていた。
何を考えているのかわからない。その瞳は冷たく、そして昏い。
思わずその冷たい目にぞくりとしたが、次の瞬間には夫は微笑んでいた。
「では、こちらに。互いに話すこともあるだろうし」
こうして、本来の目的である国同士の対話が始まった。
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