70 / 71
エピローグ
エピローグ ⑨
しおりを挟む冬の薔薇園は、美しかった。
雪化粧に覆われた赤い薔薇道を歩きながら、私は懐かしい日々に思いを馳せた。薔薇の棘が刺さって泣いたことがある。その時、レジナルドが適切な対処をして事なきを得たが、それがなんとも懐かしかった。
私はそっと手近の薔薇に寄ってそれを眺めた。真っ赤な薔薇を見ていると、懐かしい。あの暖かかった日々を思い出す。
公爵夫妻とのーーー両親との再会は、なんとも拍子抜けするものだった。幼い時はあんなに怖かった母が。公爵夫人が、ただの人間だった。あまり記憶にない公爵はただのおじさんで、男で、人間だった。何をこんなに怯えているのか分からなくて、何に怖がっていたのかわからなくて、私はつい笑ってしまったのだ。バカみたいだな、と思った。今までも。その前も。
幼いと、どんなことでもすごく見える。小さい視界から見えるものはどんなものだってすごく見えるし、大きく見える。まさにそれなのだ。大人になってみた彼らは、ただの人間だった。それを知れただけで、私は満足だ。
花びらに顔を寄せて匂いを嗅いでいると、後ろからレジーに話しかけられた。
「あまり近づくと、危ないよ」
「………ねぇ、レジー」
私が話しかけると、レジーが私のそばに寄り添うのが気配でわかった。
私は、ここに来てからずっと彼が持っているものが気になって、つい、とそちらを見た。レジーも隠す気がないのか、笑んでそれをーーー花束を、私に渡した。
真っ赤な、薔薇の花束だった。
何本あるのか分からないくらいのそれは大層なもので、薔薇の芳香がここまで漂ってくる。両手にたくさんの薔薇の花束を持って、私は彼に問いかけた。少しだけ、期待と、興奮を滲ませながら。
「これ、何本?」
聞くと、レジーはその優しい翡翠を細めて、答えてくれた。
「…………100本」
やっぱり。私が口元を緩めるのと、レジーが花束から一輪、薔薇を抜き取るのは同時だった。薔薇を抜き取ったレジーは、トゲが切り落とされた薔薇をそのまま私の髪にさしこんでくる。それをむず痒く思いながら、私はあの日のーーー。薔薇園での約束を思い出していた。
『じゃあ、今度僕がリリィに薔薇の花束を贈るね』
あの暖かな薔薇園でのひと時。今から十六年前の話。十六年前、私たちはここでひとつの約束をした。
その頃の私は絵本が大好きで、絵本に憧れていた。絵本の優しい王子様に恋をして、それをレジーに当てはめていたのだ。私のそんなくだらない夢物語にもレジーは嬉しそうに笑ってくれて、相槌を打ってくれていた。やがて、彼は私の話を聞くと、言ってくれたのだ。薔薇の花束を用意する、と。私はそれにすごく喜んだ。それが何よりも嬉しくて、心待ちにしていた。
『本当!?ロマンチックね!!何本?何本の薔薇をくれるの?』
『そうだな………100本の薔薇、とかどう?』
その時の私は、覚えたばかりの知識をあっさりと忘れてしまっていた。まだ七歳だから仕方ないといえば、仕方ないのだけど。
目をふせて、過去に思いを馳せる。
『100?100は、えーと………』
『…………ずっと一緒にいようね、って意味だよ』
『………そんなのあったかしら?』
目を丸くする私に、彼は優しく笑って言ってくれた。
『あるんだよ。だから、その時は受け取ってね』
『もちろんよ!そしたら、その時はーーー』
そこで、私は目を開けた。その後に私が言った言葉を、そのまま口にする。視界には冷たい銀色の雪景色と、真っ赤な薔薇が広がっていた。
「『結婚しましょうね』………だったかしら」
今思うとかなりませている。人知れず私は笑った。
過去の会話に思いを馳せて、私はそっと花束に顔をふせた。薔薇の甘い匂いがする。
懐かしい記憶と、過去と、思い出と。
欲しかった香りと約束にじわりと涙が滲んできた。
ーーー覚えてて、くれたんだ。
覚えているのは、ずっと心にしまっているのは私だけだと思ってた。でも違った。レジナルドも。レジーも。私と同じでずっと覚えていてくれた。
99本の花束と、1本の花束。
その時は幼くて、花言葉など忘れてしまっていたけれど。
今ならわかる。
1本の薔薇は一目惚れ。
そして、99本の薔薇はーーー
「永遠の愛」
レジーが不意に、声を落としてきた。柔らかな声が耳に響いて、ますます涙が込み上げてきた。胸がいっぱいだった。十六年前のこの場所で、私たちは確かに誓ったのだ。幼くて、その言葉の意味すらわからなかったけど。でも、確かにその時私たちは結婚の約束をした。
「っ…………」
ぼろぼろ、ぼろぼろと次々に涙が溢れては頬を濡らした。苦しい。嬉しい。切ない。目頭が、熱かった。
ーーー嬉しいのに。嬉しくて、死んでしまいそうなのに
どうしてこんなに、胸が苦しいんだろう。苦しくて、嬉しくて、切なくて、とても。とても…………胸が、いっぱいだ。
私は薔薇の花束に顔を押し付けて、嗚咽を堪えた。そうでもしなければ声を上げて泣いてしまいそうだった。
ぼろぼろと涙が頬を伝っていく。
「あの時は、言えなかったから…………。僕はまだ幼くて、きみに愛を誓うには、幼すぎた」
レジーの手が私の頬に触れて、その指先で涙を拭っていく。レジーの指先は熱かった。
顔を上げる。レジーと視線が交わった。
涙が、止まらない。忘れていた約束は、今果たされようとしていた。
「…………リリィ。………リリネリア。僕は、あなたを愛しています。リリネリア・ブライシフィック。あなただけを、永遠に。唯一、愛しています。………だから、僕と。結婚してくれますか?」
それは、あの日の約束。
それは、あの日の誓い。
それは、あの日の願い。
全て、失ったと思っていた。
全て、消え失せたと思っていた。
忘れていた想いを手に、私は泣きじゃくったまま答えた。
「……………っはい…………!!」
***
やがて、リリネリアは再度社交界に舞い戻り。リリネリアとレジナルドは再度の婚約を誂えた。時を経て、ふたりは正しい形で夫婦となった。あの時の薔薇園での約束を、彼らは正しく叶えたのだ。
ーーーこの内容はリームヴ王国の史実には残されていないものだったが、しかし彼らの話はどの歴史を手に取っても同じものはなかった。
生涯、レジナルドはリリネリアだけを深く愛し、彼女以外の妃を娶ることはなかった。
史実にはその記載だけが残っている。
【完】
127
お気に入りに追加
3,440
あなたにおすすめの小説
前世と今世の幸せ
夕香里
恋愛
幼い頃から皇帝アルバートの「皇后」になるために妃教育を受けてきたリーティア。
しかし聖女が発見されたことでリーティアは皇后ではなく、皇妃として皇帝に嫁ぐ。
皇帝は皇妃を冷遇し、皇后を愛した。
そのうちにリーティアは病でこの世を去ってしまう。
この世を去った後に訳あってもう一度同じ人生を繰り返すことになった彼女は思う。
「今世は幸せになりたい」と
※小説家になろう様にも投稿しています
報われない恋の行方〜いつかあなたは私だけを見てくれますか〜
矢野りと
恋愛
『少しだけ私に時間をくれないだろうか……』
彼はいつだって誠実な婚約者だった。
嘘はつかず私に自分の気持ちを打ち明け、学園にいる間だけ想い人のこともその目に映したいと告げた。
『想いを告げることはしない。ただ見ていたいんだ。どうか、許して欲しい』
『……分かりました、ロイド様』
私は彼に恋をしていた。だから、嫌われたくなくて……それを許した。
結婚後、彼は約束通りその瞳に私だけを映してくれ嬉しかった。彼は誠実な夫となり、私は幸せな妻になれた。
なのに、ある日――彼の瞳に映るのはまた二人になっていた……。
※この作品の設定は架空のものです。
※お話の内容があわないは時はそっと閉じてくださいませ。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
旦那様、私は全てを知っているのですよ?
やぎや
恋愛
私の愛しい旦那様が、一緒にお茶をしようと誘ってくださいました。
普段食事も一緒にしないような仲ですのに、珍しいこと。
私はそれに応じました。
テラスへと行き、旦那様が引いてくださった椅子に座って、ティーセットを誰かが持ってきてくれるのを待ちました。
旦那がお話しするのは、日常のたわいもないこと。
………でも、旦那様? 脂汗をかいていましてよ……?
それに、可笑しな表情をしていらっしゃるわ。
私は侍女がティーセットを運んできた時、なぜ旦那様が可笑しな様子なのか、全てに気がつきました。
その侍女は、私が嫁入りする際についてきてもらった侍女。
ーーー旦那様と恋仲だと、噂されている、私の専属侍女。
旦那様はいつも菓子に手を付けませんので、大方私の好きな甘い菓子に毒でも入ってあるのでしょう。
…………それほどまでに、この子に入れ込んでいるのね。
馬鹿な旦那様。
でも、もう、いいわ……。
私は旦那様を愛しているから、騙されてあげる。
そうして私は菓子を口に入れた。
R15は保険です。
小説家になろう様にも投稿しております。
婚約破棄直前に倒れた悪役令嬢は、愛を抱いたまま退場したい
矢口愛留
恋愛
【全11話】
学園の卒業パーティーで、公爵令嬢クロエは、第一王子スティーブに婚約破棄をされそうになっていた。
しかし、婚約破棄を宣言される前に、クロエは倒れてしまう。
クロエの余命があと一年ということがわかり、スティーブは、自身の感じていた違和感の元を探り始める。
スティーブは真実にたどり着き、クロエに一つの約束を残して、ある選択をするのだった。
※一話あたり短めです。
※ベリーズカフェにも投稿しております。
恋した殿下、あなたに捨てられることにします〜魔力を失ったのに、なかなか婚約解消にいきません〜
百門一新
恋愛
魔力量、国内第二位で王子様の婚約者になった私。けれど、恋をしたその人は、魔法を使う才能もなく幼い頃に大怪我をした私を認めておらず、――そして結婚できる年齢になった私を、運命はあざ笑うかのように、彼に相応しい可愛い伯爵令嬢を寄こした。想うことにも疲れ果てた私は、彼への想いを捨て、彼のいない国に嫁ぐべく。だから、この魔力を捨てます――。
※「小説家になろう」、「カクヨム」でも掲載
王子妃だった記憶はもう消えました。
cyaru
恋愛
記憶を失った第二王子妃シルヴェーヌ。シルヴェーヌに寄り添う騎士クロヴィス。
元々は王太子であるセレスタンの婚約者だったにも関わらず、嫁いだのは第二王子ディオンの元だった。
実家の公爵家にも疎まれ、夫となった第二王子ディオンには愛する人がいる。
記憶が戻っても自分に居場所はあるのだろうかと悩むシルヴェーヌだった。
記憶を取り戻そうと動き始めたシルヴェーヌを支えるものと、邪魔するものが居る。
記憶が戻った時、それは、それまでの日常が崩れる時だった。
★1話目の文末に時間的流れの追記をしました(7月26日)
●ゆっくりめの更新です(ちょっと本業とダブルヘッダーなので)
●ルビ多め。鬱陶しく感じる方もいるかも知れませんがご了承ください。
敢えて常用漢字などの読み方を変えている部分もあります。
●作中の通貨単位はケラ。1ケラ=1円くらいの感じです。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界の創作話です。時代設定、史実に基づいた話ではありません。リアルな世界の常識と混同されないようお願いします。
※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。
※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義です。
※架空のお話です。現実世界の話ではありません。登場人物、場所全て架空です。
※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります)
※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。
私はただ一度の暴言が許せない
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。
花婿が花嫁のベールを上げるまでは。
ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。
「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。
そして花嫁の父に向かって怒鳴った。
「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは!
この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。
そこから始まる物語。
作者独自の世界観です。
短編予定。
のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。
話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。
楽しんでいただけると嬉しいです。
※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。
※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です!
※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。
ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。
今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、
ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。
よろしくお願いします。
※9/27 番外編を公開させていただきました。
※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。
※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。
※10/25 完結しました。
ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。
たくさんの方から感想をいただきました。
ありがとうございます。
様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。
ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、
今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。
申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。
もちろん、私は全て読ませていただきます。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる