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レジナルド・リームヴ

最後の会話

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息を飲んだ。それは、レジナルドの想像だにしない願いだった。そこで、もしやとレジナルドは思う。息を整え、彼女を真っ直ぐにみてレジナルドは問いかけた。

「あなたは…………私を、好いていてくれたのか」

この、どうしようもない夫に。婚姻しても指一本触れることなく、いざ閨ごとになっても吐き気を催し、気分が悪くなるこの夫に、彼女は恋慕していたというのだろうか。レジナルドが聞くと、リリーナローゼはそっと目をふせた。そして、膝の前に乗せた手をぎゅっと握って告げる。それは細い、糸のような声だった。

「理由が………必要なら…………。出戻りの王女が、処女であることは………………望ましく、ありません………………。ですから………」

リリーナローゼは答えなかった。その変わり、建前を口にする。レジナルドはそれを聞きながら、軽く目を閉じて思考を整えた。そして、やがて目を開けて、リリーナローゼを見た。リリーナローゼは美しいと思う。絹糸のような黒い髪に、真夏の海のように透き通った青い瞳。細い手首に、白い肌。全て、男であれば魅了されるに間違いのない美貌だ。

それでも…………。
それでも、レジナルドはあの香りが好ましかった。
街に出てから、あまり気にしていないのだろう。彼の好きな蜂蜜色の髪は少し絡んでいた、彼女の髪質は細くて柔らかいから、髪が絡まりやすいのだ。幼いとき、まだ王太子の婚約者であった時ですらよく髪が絡まると愚痴を言っていたリリネリアだ。その手入れが疎かになりがちな今ではもっと酷いことになっているだろう。実際あった彼女の髪は昔ほどの髪質は保っていなかった。
手だって、爪だって、昔ほど綺麗ではない。それでも手荒れすると痛いから嫌なのか、ある程度の保湿はしているようだが、昔侍女にあれこれと世話を焼かれていた時に比べれば、ずっと。それでも、レジナルドはリリネリアのことが好きだった。レジナルドは彼女の手入れがしっかりとされた髪に惚れたわけでも、手や爪に惚れたわけでもない。彼は、あの時ーーー。初めてあった時の、彼女の笑顔に魅了されたのだから。

「……………リリーナ。よく聞いて。これは、私からあなたに告げる、夫としての最後の言葉になる」

「………はい」

沈黙を保ちながらも、リリーナローゼはようやく答えた。レジナルドは言葉を選びながら、そっと、綿を重ねていくように答えた。

「私は、あなたを嫌いではなかった。少なくとも、疎んだり、厭ったり、そういうのはなかった」

少しだけ砕けた言葉で、レジナルドが思うままの本心を綴る。それに、リリーナローゼは黙って答えるだけだ。

「それはあなたが私の心を汲み取って、気遣ってくれたから。それに、感謝している。きっと、あなたは幸せになれたはずだ。私の元に嫁がなければ、きっといい妻となり、夫に愛されたはずだ」

「殿下には………それはできないと………?」 

「…………ごめんね。本当に、すまない。僕は、もう愛している人がいるんだ。彼女のためなら………いや、僕は彼女に、彼女のために何かがしたいんだ。僕は、きっとおかしいんだよ。狂ってしまっているのかな」

レジナルドが、初めて偽りのない自分自身の言葉で話をすると、リリーナローゼはレジナルドのその話し方に少し驚いたようだが、黙っていた。リリーナローゼは俯いてしまった。ほっそりとした首筋から黒髪がするりと滑り落ちる。それと同時に、頬を流れたものもあった。

「愛して、いたのです……………。殿下。あなたを……………」

「……………ありがとう。リリーナ。僕も、あなたを……………人として、好ましく思っていたよ」

「一目惚れだったのです。あなたの、その、穏やかな笑みが好きでした。透き通った白金の髪も、晴れ渡った空のような、瞳も、全てすきでした…………。一度でいい。一度でいいから………あなたに、触れて欲しかった。触れてもらいたかった…………!好きだった、のに………!!」

最後は言葉にならなかったのだろう。リリーナローゼが肩を震わせて言葉を漏らした。彼女がこんなに感情的になっているのを初めて見たレジナルドは、改めて彼女という人間を一から見た。自分はずるいと思う。

彼女に感謝して、
『いい妃であったから、嫌わずにすんだ』と、遠回しに告げた。

これ以上、彼女が何も言えなくなると分かって、そう告げたのだ。自分はずるい。恐らく、こんな卑怯な手を使い続けた自分にはいずれ罰が下るだろう。それでもいい。
それでも、レジナルドには守りたいものーーー。
いや、守れなかったものを、この手にまた触れたかった。どうしようもない感情だった。
これだから、人間は面倒くさいとどこか他人事のような感想が胸に流れた。

「………ごめんね。ありがとう。リリーナ」

それが、リリーナローゼとレジナルドの、夫婦としての最後の会話だった。
リリーナローゼは離縁に承諾し、国に帰ることになった。彼女の再婚先についてはレジナルドが最大限助力すると国元には話をつけておいて、今回の離縁については彼の不手際だとした。リリーナローゼとすれ違いがあって、仲をこじらせてしまった。これ以上の関係修復は無理だろうから、彼女を国元に戻す。今回の件は全て自分に非があるから、今後については全て自分が助力する、とレジナルドは伝えた。
加えて、自分の即位の話を仄めかし、リリーナローゼの祖国については今後互いにいい関係を続けられたらいいと言葉を重ねた。それをどのようにとるかはあちらの国次第だが、悪いようにはならないだろう。

すぐに、リリネリアを手元に戻すのは無理だ。今、戻してしまえば彼女がリリーナローゼからレジナルドを奪ったかのような構図になってしまう。少し時間を置いた方がいいし、もとより簡単に解決できる話ではない。


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