19 / 71
リリネリア・ブライシフィック
血を流す理由
しおりを挟む血が流れるのを見ると、心が安らぐ。ぽたり、ぽたり、と手首から滴る赤い雫をみて、私はようやくその激情の逃がし方を知った気がした。少しずつ、少しずつ、溜まった膿が抜けていくような感覚。淀んだ泥を濾していくような気分。
「不思議…………痛くないんだから」
手首を傷つけるペーパーナイフを机に置いて、私はしばらくぼんやりと新しく出来た三本の線を見つめていた。ぷっくりとした赤い玉が浮かんでは、線を作って腕に流れていく。
「変なの…………」
面白いのに、おかしいのに、どこか悔しさに似た感情が沸きあがる。悔恨、悲哀、なんてそんな綺麗な感情はとうに消え失せているから、これはもっと面倒で汚い感情なのだろう。一言では片付かない分類の。金髪で、碧眼で、さらに目じりにほくろがあって、顔も整っている人物に心当たりなど一人しかいない。そして、私のことをリリネリアと呼ぶ人なんて、限られている。あれはレジナルドなのだろうか。随分前に、私をーーーいや、リリネリアだったそれをリリィと呼んだ彼なのだろうか。
「なんで今更……………」
今更、どうしてわざわざ会いに来たのだろう。妃として役立たずになったと知ってすぐ、新しい婚約者を据え置いた彼が、なぜ今更。今更悔やんだのだろうか。今更リリネリアの今が気になるのだろうか。リリネリアでなくなった私に興味が湧いたのだろうか。だとすれば、迷惑甚だしい。自己満足もいいところだ。そうやって、私の今を見て彼はきっと同情するのだろう。元々がお優しい性格をした彼のことだ。私の手首を見て、私の治らない病気を知って、きっとすまなかったと言うのだろう。
なんて言うのかしら?私は、少しだけ気になった。
『あの時はまだ幼くて、何も分かっていなかった』?
十分ありうる。
『まさかきみが、そんなことになってるなんて知らなかった』?
それもありうる。そう言って彼は謝るのだろう。私の今など気にかけず、新しい妃と仲良くやっていたことに罪悪感を持つのだろう。バカバカしくて見ていられない。彼としては私が見知らぬ男たちに陵辱され、妃として不合格になった時点で万々歳だったのだろう。歳若い、幼い王太子はこれで私ではなく本当の想い人を娶れると、対したことは考えず私との婚約破棄に踏み切ったのだろう。いつかした、私との約束など忘れて。
ああ、ダメだ。どうして今更思い出してしまうのだろう。忘れていたかったのに。どうでもよかったのに。それ以上を上回る面白おかしさに、笑みがこぼれてしまうじゃない。
私は流れた血がシーツに零れそうになるのに気付いてそっと布で手首を押えた。あまりやりすぎるとガーネリアを心配させてしまう。
「許す、許さないとか……………」
そんなんじゃなくて。
もっと違う、根本的な何かだ。そんなことを考える土台ではない。
もしーーー万が一、だけど。レジナルドがリリネリアであった私に謝罪したとしたら。きっと私は笑ってしまうだろう。涙が出るほど笑うかもしれない。
だって今更じゃない。
今更すぎるわ。
何年経ってると思ってるの。
今更会いにきて、何をするつもりなの。
そこで私はひとつの可能性に思い当たった。私は、レジナルドが謝るのだろうと思っていたけれど。
もしかしたら彼は何も思っていないかもしれない。婚約者でなくなった女のことなどどうでもいいと思っているかも。あの時、私の手に触れて何を確認したのかは知らないが、もしなんとも思ってないのなら、きっともう会うことも無い。
いや、そちらの方が可能性は高い。十年以上片思いした相手とやっと結ばれたばかりなのだ。
33
お気に入りに追加
3,450
あなたにおすすめの小説
私が死んで満足ですか?
マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。
ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。
全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。
書籍化にともない本編を引き下げいたしました
余命わずかな私は家族にとって邪魔なので死を選びますが、どうか気にしないでくださいね?
日々埋没。
恋愛
昔から病弱だった侯爵令嬢のカミラは、そのせいで婚約者からは婚約破棄をされ、世継ぎどころか貴族の長女として何の義務も果たせない自分は役立たずだと思い悩んでいた。
しかし寝たきり生活を送るカミラが出来ることといえば、家の恥である彼女を疎んでいるであろう家族のために自らの死を願うことだった。
そんなある日願いが通じたのか、突然の熱病で静かに息を引き取ったカミラ。
彼女の意識が途切れる最後の瞬間、これで残された家族は皆喜んでくれるだろう……と思いきや、ある男性のおかげでカミラに新たな人生が始まり――!?
婚約者の心の声が聞こえてくるんですけど!!
ごろごろみかん。
恋愛
公爵令嬢ミレイユは、婚約者である王太子に聞きただすつもりだった。「最近あなたと仲がよろしいと噂のミシェルとはどんなご関係なの?」と。ミレイユと婚約者ユリウスの仲はとてもいいとは言えない。ここ数年は定例の茶会以外ではまともに話したことすらなかった。ミレイユは悪女顔だった。黒の巻き髪に気の強そうな青い瞳。これは良くない傾向だとミレイユが危惧していた、その時。
不意にとんでもない声が頭の中に流れ込んできたのである!!
*短めです。さくっと終わる
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
私はただ一度の暴言が許せない
ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
厳かな結婚式だった。
花婿が花嫁のベールを上げるまでは。
ベールを上げ、その日初めて花嫁の顔を見た花婿マティアスは暴言を吐いた。
「私の花嫁は花のようなスカーレットだ!お前ではない!」と。
そして花嫁の父に向かって怒鳴った。
「騙したな!スカーレットではなく別人をよこすとは!
この婚姻はなしだ!訴えてやるから覚悟しろ!」と。
そこから始まる物語。
作者独自の世界観です。
短編予定。
のちのち、ちょこちょこ続編を書くかもしれません。
話が進むにつれ、ヒロイン・スカーレットの印象が変わっていくと思いますが。
楽しんでいただけると嬉しいです。
※9/10 13話公開後、ミスに気づいて何度か文を訂正、追加しました。申し訳ありません。
※9/20 最終回予定でしたが、訂正終わりませんでした!すみません!明日最終です!
※9/21 本編完結いたしました。ヒロインの夢がどうなったか、のところまでです。
ヒロインが誰を選んだのか?は読者の皆様に想像していただく終わり方となっております。
今後、番外編として別視点から見た物語など数話ののち、
ヒロインが誰と、どうしているかまでを書いたエピローグを公開する予定です。
よろしくお願いします。
※9/27 番外編を公開させていただきました。
※10/3 お話の一部(暴言部分1話、4話、6話)を訂正させていただきました。
※10/23 お話の一部(14話、番外編11ー1話)を訂正させていただきました。
※10/25 完結しました。
ここまでお読みくださった皆様。導いてくださった皆様にお礼申し上げます。
たくさんの方から感想をいただきました。
ありがとうございます。
様々なご意見、真摯に受け止めさせていただきたいと思います。
ただ、皆様に楽しんでいただける場であって欲しいと思いますので、
今後はいただいた感想をを非承認とさせていただく場合がございます。
申し訳ありませんが、どうかご了承くださいませ。
もちろん、私は全て読ませていただきます。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
妊娠した愛妾の暗殺を疑われたのは、心優しき正妃様でした。〜さよなら陛下。貴方の事を愛していた私はもういないの〜
五月ふう
恋愛
「アリス……!!君がロゼッタの食事に毒を入れたんだろ……?自分の『正妃』としての地位がそんなに大切なのか?!」
今日は正妃アリスの誕生日を祝うパーティ。園庭には正妃の誕生日を祝うため、大勢の貴族たちが集まっている。主役である正妃アリスは自ら料理を作り、皆にふるまっていた。
「私は……ロゼッタの食事に毒を入れていないわ。」
アリスは毅然とした表情を浮かべて、はっきりとした口調で答えた。
銀色の髪に、透き通った緑の瞳を持つアリス。22歳を迎えたアリスは、多くの国民に慕われている。
「でもロゼッタが倒れたのは……君が作った料理を食べた直後だ!アリス……君は嫉妬に狂って、ロゼッタを傷つけたんだ‼僕の最愛の人を‼」
「まだ……毒を盛られたと決まったわけじゃないでしょう?ロゼッタが単に貧血で倒れた可能性もあるし……。」
突如倒れたロゼッタは医務室に運ばれ、現在看護を受けている。
「いや違う!それまで愛らしく微笑んでいたロゼッタが、突然血を吐いて倒れたんだぞ‼君が食事に何かを仕込んだんだ‼」
「落ち着いて……レオ……。」
「ロゼッタだけでなく、僕たちの子供まで亡き者にするつもりだったのだな‼」
愛人ロゼッタがレオナルドの子供を妊娠したとわかったのは、つい一週間前のことだ。ロゼッタは下級貴族の娘であり、本来ならばレオナルドと結ばれる身分ではなかった。
だが、正妃アリスには子供がいない。ロゼッタの存在はスウェルド王家にとって、重要なものとなっていた。国王レオナルドは、アリスのことを信じようとしない。
正妃の地位を剥奪され、牢屋に入れられることを予期したアリスはーーーー。
婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。
束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。
だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。
そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。
全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。
気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。
そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。
すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる