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リリネリア・ブライシフィック
エリザベートは今日も笑う
しおりを挟むリリネリアが明確に自傷行為を始めたのはそれからだった。十歳のあのころ、全てに絶望したリリネリアはいち早く死ぬことを選んだ。いや、死ぬのを目的にした訳ではなく恐らく痛みを求めていたのだと思う。痛いと思う時はまだ生きているときだから。痛みがあるうちは生きていることが実感できる。流れる鮮血を見れば少しだけ、ほんの少しだけ安堵して、そして自分のために流れる血が面白くなってしまう。とっくに死んだこととされている身なのに、未だに血は流れる。この血は、なんのために作られているのだろう。そう思うと無性に苛立って、訳もなく血を流し続けた。手首を飾る傷は日に日に増していく。その変わり、私はものを投げることが減った。
全てを拒絶するような悲鳴をあげることもなくなり、ただひたすら自分の身を傷つけることを選んだ。ある日、いつもよりざっくりと手首をやってしまい公爵夫人が訪れた。彼女は私の手首を彩る包帯を見て眉を下げた。
そんな表情を見てもどうでもよかった。リリネリアという娘を捨てた母に、何の感情も湧かなかった。
「リリネリア、なんということをしたのですか」
どうやら自分を傷つける行為はよっぽど良くなかったらしい。街に出た今ならわかるが、自傷行為は神に反する禁忌とされている。だけどその時の私はそんなことすらどうでもよくて、そんなことをわざわざ言うためだけに訪れた公爵夫人が鬱陶しかった。
「お前は死にたいのですか」
公爵夫人に言われて考える。別に死にたくはなかった。だけどその一方で、誰よりも死に救いを求めていることは事実だった。公爵夫人はその日、精神を安定させる薬をいくつか用意すると邸宅に戻っていった。薬は苦くて、不味くて、狂いそうなくらいおかしかった。つまらなくて薬を全て水に溶かしてみたり、ゴミ箱に捨てたりした。一錠飲んだがただ気持ち悪いだけだった。
そんな日が続き、私は十三歳になったある日、公爵夫人に願い出た。
「街に出て暮らしたい」
と。交換条件ではないが、そうしてくれたら決して自殺はしない、と。自傷行為をやめるとは言わないが、命を断つことはしない。
リリネリアは死んだことになっているが、それでも私は公爵令嬢である。公爵令嬢が自殺なんて公爵夫妻はには耐えられないだろう。思ったよりすんなりとその願望は通った。もしかしたら公爵夫妻もリリネリアであったそれを、持て余していたのかもしれない。出立の日、公爵夫人は目元を抑えていた。何の涙なのか分からない。公爵夫人に対する母親の情は既にうせていた。というより、私の人間らしい感情はおよそ機能していなかった。
辺境の街へと行く途中、降り立った街は色街だった。有名な看板が並んでいる。
『エリザベート・サングリフの館』
一際大きな看板があった。あちこちの国で展開している娼館の名前だった。エリザベート・サングリフといえば稀代の悪女として名を馳せた王妃だ。傾国の毒婦と言われ、その美貌で国王を誑かしたのだとか。悪名高いエリザベートの名前をそのまま取った娼館をみて、ちょうど新しい名前を探していた私は自分をエリザベートと名乗ることにした。
名前に執着などない。名前などどうでもいい。あってもなくても。エマでもリアでもミアでも、どうだっていいのだ。だけど、あえて自分からつける気にもならなかった。そんな時、偶然目に着いたのがその看板だったのだ。ちょうどいい、そんな気分だった。
ガーネリアにもこれからどう呼べばいいか聞かれていた。
その日、私はエリザベートとなった。
十二歳のあの時から、八年がたった。
最初は公爵夫妻から送られる金だけで暮らしていたがそれではつまらない。金持ち娘の道楽として私は薬屋を営むことにした。赤字になっても黒字になっても関係ない。およそ、人らしく生きるために始めたことだ。
そして、私が20歳になってすぐ。いつかは私の婚約者だった人が隣国の王女と結婚した。
隣国の王女は大層見目麗しく、王太子とも仲がいいらしい。この国は安泰だと安宿のカウンターでビールを煽りながら男が言っていた。
それを聞いて、ガーネリアは不安そうな顔をしていたが、私は持っていたエールを全て飲み干して席を立った。どうでも良かった。私を捨てた王太子も、私を捨てたこの国も。この歳になればある程度大人の事情というものも推察できるが、弱冠十歳の娘に言い渡された絶望は未だに忘れられなかった。
家を出て、薬屋へと向かい開店準備を始める。
男性との接客もだいぶ慣れた。触れられさえしなければ、私はある程度普通だ。欠陥のあるこころを隠して、手首の傷を隠して、私は今日も笑う。
薄っぺらい、感情のない顔で。
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