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タイミングの良さか悪さか
しおりを挟むちょうど昼時だからお茶にでもしないかと、そう聞きに行くつもりだった。顔なじみの近衛騎士は私の顔を見てひとつ頭を下げた。私もそれに笑みで返し、彼らがいるであろう執務室へと入った。
だけど、そこに私の夫と、彼の補佐官である青年はいなかった。不思議に思って辺りを見回すと、その奥に繋がる書庫室に居るのだと察した。
そして、私はドアノブを下ろす瞬間、書庫室に漂う張りつめた空気に気がついた。
「ヴィヴィアナ嬢が好きなんじゃないのか?」
それは、彼の補佐官の声だった。低い、深みのある声だ。
ーーーヴィヴィアナ嬢………?
思い出すのは金髪の女性だ。ヴィヴィアナ・リクルリア。色々あって今は投獄されている女性。元、伯爵令嬢。
補佐官の彼の声に答えたのは、夫だった。
「……ああそうだよ」
彼は吐き捨てるように言った。
どこか怒りすら感じる声音で。私はそれを聞いて、凍りついたように足を止めた。
「………彼女が好きで、愛おしくて、彼女がいなければ生きていけない!俺にとって彼女は俺の全てで、生きる意味だ!!」
「ーーー」
その言葉は決定的だった。
今までの私の気持ちを殺し、凍てつかせるには十分だった。知らずのうちに、私はドアノブにかけようとした手をおろしていた。力が抜けた。頭が真っ白になる。血を吐くような、押し殺した声。衝動をこれでもかと詰め込んでるような。
声をかけなくてよかった。
場違いにも思わずそう思った。そう思うことで私はちゃんと考えることを放棄したのかもしれない。
あと少し早くドアノブを下ろしていたら、最悪な瞬間になっていた。まだ良かった。だって、彼らに気づかれていない。
私は自分をそう慰めるようにしながら執務室へを出た。どこかふわふわとした気持ちだった。
部屋を出ると侍女のセルカが出迎えてくれた。どうやら執務室の隣に置かれた花を見ていたらしい。セルカはなにか話しかけたが、すぐに私の様子に気がついた。
「どうかされましたか?リーフェ妃殿下」
「………ううん。なんでもないの。なんでもないのよ」
自分に言い聞かせるつもりで私はセルカに話した。頭がガンガンする。手先が冷えていく感じがする。裏切られた、と思うのは私の傲慢だろうか。ショックを受けるのは間違ってるのだろうか。だって。でもそれなら。
(なんで好きだとか、言うの………)
私の声は言葉にはならず、そのまま胸の奥に消えていった。
***
「ーーーと、そういえば気が済むか?俺があの女を好きだということにすれば、それでお前の気は済むのか?」
冬解けの昼下がり。
執務室から続く書庫の部屋には冷たい空気が流れていた。鋭い眼差しで自分の補佐官を見据えている彼はこの国の第二王子であるレイル・ミテフュードだった。サラサラとした金髪に翡翠色の瞳。切れ長の瞳は目力が強く、髪と同じ白金のまつ毛は頬に影を落とす。怜悧そうな左目の横にはホクロがあり、冷たさの中には色気が滲んでいた。
頬に触れる髪が鬱陶しいのか彼は左側の髪を耳にかけ、苛立たしそうに舌打ちをした。
「…………」
「いい加減うんざりだ。好きだの何だの、だいたい俺が誰を好きかなんて言わなくてもわかるだろう。お前も大概しつこい」
「いや………そうだよな。そうだと俺も思ったんだが…………噂ってのは怖いな」
「………そっちも手は打ってある」
レイルは苛立った口調で言うと、おもむろに髪をかいた。
「だいたい俺は、リーフェと結婚するためにこの10年以上立ち回ってきたんだ。今更目移りとか馬鹿なことするわけないだろ」
彼は今でもリーフェと出会った日のことを覚えている。
赤茶っぽい髪は太陽の下で見るとまるで紅茶のような色になって、紅茶に混ぜる蜂蜜のような蕩けた瞳をして、ふわりと彼女は微笑んだのだ。ちょっと控えめにはにかんだ彼女は照れたのかもしれない。だけどその瞬間、レイルは彼女に惹かれた。
本人は派手な赤髪が嫌いだと言うがレイルはその赤髪がとても好きだった。何よりリーフェにすごく似合っている。華やかな赤は可愛らしい顔立ちをしたリーフェにはよく似合っているのだ。
レイルにとって彼女は彼の存在意義である。彼女は彼ににかなりの影響を与えていた。
レイルは彼女にふさわしくなるために王太子の勉強に励んだし、きっと彼女は弱い男は好きじゃないだろうと思い剣術にも励んだ。正直勉強も研修もあまり興味はないし、というかやればそれなりに出来たのでさほどやる気は出なかったのだが、リーフェに心奪われてから彼は変わった。変わったというのも、全ての基準がリーフェになったのだ。
レイルのそれは正直執着と言ってもいいし、依存しているとも言える。しかし、レイルは彼女にそれを隠していた。なぜなら、怖がられたくないし、引かれたくないからである。
ーーー実は、リーフェとレイルは元々婚約者ではなかった。
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