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第一朝、違和感
4日目 04
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「やあやあ、初めまして諸君!」
そいつは大手を振って侵入してきた。
僕は、手に持ったスプーンを取り落とした。
「ここ、聖澤さんの部屋なんだが?」僕は直ちにスプーンを持ち直した。
「うん、知ってるよ」彼女は快活に笑う。「撫子ちゃんには許可取ったし。遅れちった」
僕は、思わず聖澤を振り向いた。どんな回答が来てもいいように、あらかじめ一欠片のチーズケーキを素早く咀嚼して飲み込んでおく。
「あら、言ってなかったかしら……! ごめんなさいね」聖澤はおっとりと頬に手を添えた。
思ったよりはまともな返事が返ってきたことになんとなく安堵する。彼女はときおり、突拍子もないことを言い始めては周りの人をどぎまぎさせるのだ。数時間も同じ部屋に居ると、嫌でも人のそういう部分がわかってきたりするものである。
「でも、人数は多い方が楽しいですわよ」小鳥遊は、にっこりと笑った。「このチーズケーキ、とても美味しいですし! これを味わえないなんて、もったいないですもの」
「ありがとう、䴇ちゃん……!」聖澤は感極まった様子で言った。
それを横目に、僕はチーズケーキをもう一欠片口に運んだ。本当に美味しいのだ。因みにこれは聖澤が作ったらしい。外見といい内面といい、女の子としてはまさに完璧である。これで天然でさえなければ、僕なんかは近づくこともできなかっただろう。
「なあ、凪沙くん。そのチーズケーキ頂戴よ」
「……勝手に寄りかかってくるな」
彼女は、後ろから僕にしなだれかかってきた。こういうタイプは、僕が特に不得手とするタイプだ。
「いいじゃん、ちょっとくらい」
彼女は囁く。耳元に息がかかる。頬の辺りを髪の毛がくすぐる。制服のリボンの先が鎖骨をかすめた。そろりと目を遣ると、抜けるような青い空がそこにはあった。なんだか、ずいぶん久しぶりに見る色。
……妙な閉塞感を伴う、色。
「どしたの、そんなにこっち見ちゃってぇ」
「……わざとか」僕はこれみよがしに舌を打った。
「えっ、感じ悪ぅ!」
初対面の相手に変なことばかりするからだ。当然の結果である。彼女はやっと僕から離れた。何が面白いのか、からからと笑い声をあげながら。僕は彼女をねめつけた。
見かねた聖澤が、助け舟を出しにきた。「命くん! ちゃんとあなたの分もあるのよ」尤も、ほわんほわんした表情を見るに、偶然タイミングが合ってそう見えただけかもしれないが。
「えー! やったあ!」二人は似たようなテンションで盛り上がっている。「やっぱ撫子ちゃんのお菓子は美味しいね」
僕は二人からそっと離れて、姉さん達のほうへ向かった……と言っても、たいした距離があるわけではないのだけれど。それでも僕は、姉さんの傍に居たかった。姉さんが隣に居ないと、やはり落ち着かない。
姉さんは想定外に大きい輪の中に居た。聖澤の部屋は広い。
前言撤回、姉さんの隣に居ても落ち着かないかも。
お喋り好きな姉さんが楽しそうなのはなによりだが、一緒に居るのは小鳥遊と……あと三人。
赤い髪と美しい顔の組み合わせには覚えがある。四十四院だ。他二人は誰だろう。初めて見た顔とも言えない既視感があった。こめかみを指で押さえる。
「あっ」
ゆるふわな金髪の短いおさげと、無表情なくすんだピンクの三つ編み。そういえば、聖澤が女子会を開いていたときに見かけた対照的な二人だ。
「あれ、凪沙、こっち来たの? 命さんと遊んでくればいいのに。命さん、凪沙と会ってみたいなーって言ってたんだよ」
「いや、僕にはついていけないタイプだ、あれは」
「そんなことないと思うけどなあ」姉さんは苦笑した。「かなり明るい人だから凪沙もとっつきやすいだろうし……歳が近い男の子同士、話題もいっぱいあるんじゃない?」
あまりにも予想外の単語に、僕は首を傾げた。
男の子……? さっき僕と話していたのは、ポニーテールの少女と聖澤だ。そもそも、この部屋に居る男の子なんて僕ぐらいである。
僕は、女の子に包囲されていた。
「邪魔するぜえ」
そいつは大手を振って侵入してきた。
僕は手に持ったスプーンを取り落とした。
「ここ、れっきとした女子高生の部屋なんだが?」僕は直ちにスプーンを持ち直した。
「ああ知ってるさ」京は、馬鹿にしてるのかとでも言いたげに片眉を上げた。「聖澤に誘われたんだよ、勿論」
僕は、思わず聖澤を振り向いた。
聖澤は、まだあの少女と談笑している。
どうやら、この集まりに参加する正確なメンバーを僕に教えてやろうという人物は居なかったようだった。
聖澤に聞いても、姉さんと小鳥遊とあと数人が来るとしか答えてくれないし。てっきり僕が最後なのかと思っていたのだ。これは勘違いしても仕方がない土壌が作り上げられていたと言えるのではないか……。
まさか全員来るとは。
それは「姉さんと小鳥遊とあと数人」ではないだろう。表現方法を間違えている。
というか、全員なんだったら聖澤の部屋でやる必要はなかったんじゃあ……いくら他の個室より広めの構造だとは言え、流石に狭い。僕は苦言を呈したくなった。
すると、僕の顔を見て読み取ったのか、聖澤は先回りをした。姉さんと僕の間にひょっこり顔を出す。
「狭いくらいが丁度いいのよ」
彼女は特殊な価値観を持っているらしい。少なくとも、僕には共感し難い価値観だった。
聖澤は横から僕に抱きついた。
彼女の辞書にパーソナルスペースのなんたるかは載っていなかった。
「ほら、こうすると、なんだか安心するでしょう?」聖澤は抱きつきながら言った。
「姉さんとだったら安心するが、聖澤とだったら安心できない」
「どうして?」
「僕と聖澤は他人だからだ。家族じゃない」
「それ、皆言うのよね。どうしてかしら……」本気で疑問に思っていそうな調子だ。「実は、受け入れてくれたのは、陽ちゃんと命くんぐらいなのよ」
受け入れた人が居るのが意外だったけれど、あの二人なら確かにあり得そうだと思い直した。
命とやらのことはよく知らないが、あのテンションが通常運転ならば、聖澤とはさぞや気が合うことだろう。
姉さんは元々人好きする。同年代の女子に抱きしめられたら、嬉々として抱きしめ返す性格だ、あれは。
不意に、姉さんと聖澤の間に少女が割り込んだ。二人は肩を組むような形で少女の両腕に抱き引き寄せられる。
「そーそー、俺と撫子ちゃんは仲良いの。そんで、陽ちゃんとも仲良しなの。いいだろ」
「なに? 姉さんと仲良しだと?」
「そう。夜……君が寝た後とか、楽しくおしゃべりさせてもらってるよ」彼女は自慢気ににやりと笑った。
「な、何者なんだ……」
僕の知らないところで姉さんを懐柔してしまうとは……。
「あ、そっか。君は俺のことしらないね。陽ちゃんが知ってるからうっかりうっかり」そう舌を出して、二人から腕を離す。
目の下で切り揃えられた桃色の髪がさらさらと揺れた。
「俺は花園命、年齢は君の一個上みたいだね。昨日までは、実はあんまり広間から外には出てなかったんだ。だから君が俺を見かけたことはないんだろうけど、陽ちゃんから君の話は聞いてるよ。よろしくね! 握手しよ」
流れに流されて、差し出された手を握る。もうすっかり花園のペースに巻き込まれていた。この流れから抜け出さなければと焦るも、僕のコミュニケーション能力では到底希望は見い出せそうにない。
助けを求めて姉さんを見ると、ほらね、仲良くなれたでしょとでも言いたげにしたり顔をしていた。
正直そんな姉さんも写真に撮って保存したいくらい可愛いのだが、それとこれとは全くの別問題である。もうすでに、僕は花園が苦手だ。
「あとね、もう一つ……」
今まで一度も穢れに触れたことがないのかと疑いたくなるほど、純粋無垢な眼差しを向けられる──晴天の色をした虹彩。
眉間に下ろされた前髪が、活力に満ちた瞳にちらつく。
花園は僕の手に、ほんの少し力を込めた。
「……俺、男の子だから」
「お前は姉さんに近づくな!」
握られた手は、床に叩きつけるようにしてほどかれた。
訂正する。
僕はこいつ、嫌いだ。
軽くショックを受けている花園の背後で、京がくつくつと笑いを堪えていた。
そいつは大手を振って侵入してきた。
僕は、手に持ったスプーンを取り落とした。
「ここ、聖澤さんの部屋なんだが?」僕は直ちにスプーンを持ち直した。
「うん、知ってるよ」彼女は快活に笑う。「撫子ちゃんには許可取ったし。遅れちった」
僕は、思わず聖澤を振り向いた。どんな回答が来てもいいように、あらかじめ一欠片のチーズケーキを素早く咀嚼して飲み込んでおく。
「あら、言ってなかったかしら……! ごめんなさいね」聖澤はおっとりと頬に手を添えた。
思ったよりはまともな返事が返ってきたことになんとなく安堵する。彼女はときおり、突拍子もないことを言い始めては周りの人をどぎまぎさせるのだ。数時間も同じ部屋に居ると、嫌でも人のそういう部分がわかってきたりするものである。
「でも、人数は多い方が楽しいですわよ」小鳥遊は、にっこりと笑った。「このチーズケーキ、とても美味しいですし! これを味わえないなんて、もったいないですもの」
「ありがとう、䴇ちゃん……!」聖澤は感極まった様子で言った。
それを横目に、僕はチーズケーキをもう一欠片口に運んだ。本当に美味しいのだ。因みにこれは聖澤が作ったらしい。外見といい内面といい、女の子としてはまさに完璧である。これで天然でさえなければ、僕なんかは近づくこともできなかっただろう。
「なあ、凪沙くん。そのチーズケーキ頂戴よ」
「……勝手に寄りかかってくるな」
彼女は、後ろから僕にしなだれかかってきた。こういうタイプは、僕が特に不得手とするタイプだ。
「いいじゃん、ちょっとくらい」
彼女は囁く。耳元に息がかかる。頬の辺りを髪の毛がくすぐる。制服のリボンの先が鎖骨をかすめた。そろりと目を遣ると、抜けるような青い空がそこにはあった。なんだか、ずいぶん久しぶりに見る色。
……妙な閉塞感を伴う、色。
「どしたの、そんなにこっち見ちゃってぇ」
「……わざとか」僕はこれみよがしに舌を打った。
「えっ、感じ悪ぅ!」
初対面の相手に変なことばかりするからだ。当然の結果である。彼女はやっと僕から離れた。何が面白いのか、からからと笑い声をあげながら。僕は彼女をねめつけた。
見かねた聖澤が、助け舟を出しにきた。「命くん! ちゃんとあなたの分もあるのよ」尤も、ほわんほわんした表情を見るに、偶然タイミングが合ってそう見えただけかもしれないが。
「えー! やったあ!」二人は似たようなテンションで盛り上がっている。「やっぱ撫子ちゃんのお菓子は美味しいね」
僕は二人からそっと離れて、姉さん達のほうへ向かった……と言っても、たいした距離があるわけではないのだけれど。それでも僕は、姉さんの傍に居たかった。姉さんが隣に居ないと、やはり落ち着かない。
姉さんは想定外に大きい輪の中に居た。聖澤の部屋は広い。
前言撤回、姉さんの隣に居ても落ち着かないかも。
お喋り好きな姉さんが楽しそうなのはなによりだが、一緒に居るのは小鳥遊と……あと三人。
赤い髪と美しい顔の組み合わせには覚えがある。四十四院だ。他二人は誰だろう。初めて見た顔とも言えない既視感があった。こめかみを指で押さえる。
「あっ」
ゆるふわな金髪の短いおさげと、無表情なくすんだピンクの三つ編み。そういえば、聖澤が女子会を開いていたときに見かけた対照的な二人だ。
「あれ、凪沙、こっち来たの? 命さんと遊んでくればいいのに。命さん、凪沙と会ってみたいなーって言ってたんだよ」
「いや、僕にはついていけないタイプだ、あれは」
「そんなことないと思うけどなあ」姉さんは苦笑した。「かなり明るい人だから凪沙もとっつきやすいだろうし……歳が近い男の子同士、話題もいっぱいあるんじゃない?」
あまりにも予想外の単語に、僕は首を傾げた。
男の子……? さっき僕と話していたのは、ポニーテールの少女と聖澤だ。そもそも、この部屋に居る男の子なんて僕ぐらいである。
僕は、女の子に包囲されていた。
「邪魔するぜえ」
そいつは大手を振って侵入してきた。
僕は手に持ったスプーンを取り落とした。
「ここ、れっきとした女子高生の部屋なんだが?」僕は直ちにスプーンを持ち直した。
「ああ知ってるさ」京は、馬鹿にしてるのかとでも言いたげに片眉を上げた。「聖澤に誘われたんだよ、勿論」
僕は、思わず聖澤を振り向いた。
聖澤は、まだあの少女と談笑している。
どうやら、この集まりに参加する正確なメンバーを僕に教えてやろうという人物は居なかったようだった。
聖澤に聞いても、姉さんと小鳥遊とあと数人が来るとしか答えてくれないし。てっきり僕が最後なのかと思っていたのだ。これは勘違いしても仕方がない土壌が作り上げられていたと言えるのではないか……。
まさか全員来るとは。
それは「姉さんと小鳥遊とあと数人」ではないだろう。表現方法を間違えている。
というか、全員なんだったら聖澤の部屋でやる必要はなかったんじゃあ……いくら他の個室より広めの構造だとは言え、流石に狭い。僕は苦言を呈したくなった。
すると、僕の顔を見て読み取ったのか、聖澤は先回りをした。姉さんと僕の間にひょっこり顔を出す。
「狭いくらいが丁度いいのよ」
彼女は特殊な価値観を持っているらしい。少なくとも、僕には共感し難い価値観だった。
聖澤は横から僕に抱きついた。
彼女の辞書にパーソナルスペースのなんたるかは載っていなかった。
「ほら、こうすると、なんだか安心するでしょう?」聖澤は抱きつきながら言った。
「姉さんとだったら安心するが、聖澤とだったら安心できない」
「どうして?」
「僕と聖澤は他人だからだ。家族じゃない」
「それ、皆言うのよね。どうしてかしら……」本気で疑問に思っていそうな調子だ。「実は、受け入れてくれたのは、陽ちゃんと命くんぐらいなのよ」
受け入れた人が居るのが意外だったけれど、あの二人なら確かにあり得そうだと思い直した。
命とやらのことはよく知らないが、あのテンションが通常運転ならば、聖澤とはさぞや気が合うことだろう。
姉さんは元々人好きする。同年代の女子に抱きしめられたら、嬉々として抱きしめ返す性格だ、あれは。
不意に、姉さんと聖澤の間に少女が割り込んだ。二人は肩を組むような形で少女の両腕に抱き引き寄せられる。
「そーそー、俺と撫子ちゃんは仲良いの。そんで、陽ちゃんとも仲良しなの。いいだろ」
「なに? 姉さんと仲良しだと?」
「そう。夜……君が寝た後とか、楽しくおしゃべりさせてもらってるよ」彼女は自慢気ににやりと笑った。
「な、何者なんだ……」
僕の知らないところで姉さんを懐柔してしまうとは……。
「あ、そっか。君は俺のことしらないね。陽ちゃんが知ってるからうっかりうっかり」そう舌を出して、二人から腕を離す。
目の下で切り揃えられた桃色の髪がさらさらと揺れた。
「俺は花園命、年齢は君の一個上みたいだね。昨日までは、実はあんまり広間から外には出てなかったんだ。だから君が俺を見かけたことはないんだろうけど、陽ちゃんから君の話は聞いてるよ。よろしくね! 握手しよ」
流れに流されて、差し出された手を握る。もうすっかり花園のペースに巻き込まれていた。この流れから抜け出さなければと焦るも、僕のコミュニケーション能力では到底希望は見い出せそうにない。
助けを求めて姉さんを見ると、ほらね、仲良くなれたでしょとでも言いたげにしたり顔をしていた。
正直そんな姉さんも写真に撮って保存したいくらい可愛いのだが、それとこれとは全くの別問題である。もうすでに、僕は花園が苦手だ。
「あとね、もう一つ……」
今まで一度も穢れに触れたことがないのかと疑いたくなるほど、純粋無垢な眼差しを向けられる──晴天の色をした虹彩。
眉間に下ろされた前髪が、活力に満ちた瞳にちらつく。
花園は僕の手に、ほんの少し力を込めた。
「……俺、男の子だから」
「お前は姉さんに近づくな!」
握られた手は、床に叩きつけるようにしてほどかれた。
訂正する。
僕はこいつ、嫌いだ。
軽くショックを受けている花園の背後で、京がくつくつと笑いを堪えていた。
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