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第一朝、違和感
3日目 03
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「お二人さん、いい加減起きてくださいませ!」
耳をつんざくような大声に、僕達は目を覚ます他なかった。額を撫でる金髪。じっと僕達を見下ろす隻眼。あまりにも予想通りの少女が、僕達の上で膝立ちになっていた。
……耳の奥がちくちくする。僕は軽く顔をしかめた。
「やっと起きましたわね」そう頷いて、小鳥遊は脚から降りる。「もう一時でしてよ。京さんがお昼を作って待ってますわ」
素直に驚いた。僕は寝ていたのか……姉さんも。あの夢を避けるための暇潰しに読書を始めたと記憶しているけれど──寝てしまったのか。あれほど寝ないよう必死だった僕が。姉さんと寄り添ったことで安心し過ぎたのだろうか。
しかし……不思議と、夢は見なかった。
「あれ……本を読んでたはずだけど……安心したからかな。ね」
姉さんは、僕を向いて目を細めた。僕のそれよりもいくらか艶のある髪が、みずみずしく揺れる。この子を疎ましく思う人間は存在するわけがないと確信できる笑み。
「……うん……そうかもね、姉さん」これには、どんな意地の悪いやつだって笑みを返さずにはいられない。
僕の表情を見た姉さんは、にへ……と可愛らしくはにかんだ。「……さ、歩こ。䴇ちゃんが行っちゃう」
歩き出した姉さんの隣に並ぶ。彼女の手は、僕の手を流れるように拾い上げてしまった。
「君達は、常に手を繋いでいるんだな」
京は開口一番、そう言った。げんなりとした顔つき。
「いちゃつくのは自由だ。それを否定するつもりはない。だが、それを一日中見せつけられるこっちの身にもなってほしいね。いくら近親相姦じゃあないって言っても、俺の寂しさが際立っちまうだろ」
やけに演技がかった口調だった。要するに自重しろという意味だ。
思春期ならではの反抗心が沸き立ってきて、いやだねと返したくなったが、京の表情を見てやめた。代わりにいささかの遠慮を約束してやる。京は光のない目を細めた。あしらわれたとでも思ったようだ。
「……まあいい。冷めるから早く食べろ」
大男がどけば、見たことのない料理が僕達を出迎えた。姉さんは何の疑いも持たず席に着いた。僕も黙って姉さんに倣う。
広がったふわふわの卵の下から覗く、赤く染められたお米。匂いは……バターと卵とケチャップ?この組み合わせはどこかで嗅いだことがある気もするが、記憶になかった。作りたてなのか、まだ湯気が立っている。
隣の姉さんを盗み見ると、スプーンですくって口に入れていた。身体はリラックスしていて、その表情には懸念など欠片も見当たらない。念の為、こっそりもう一度匂いを嗅いでみてから口に入れた。
それは美味しかった。舌が痺れる感じも、酸味すらない。毒に準ずるものは混ざっていないようだが、万が一混入していたとしても僕はこれを食べていた。筆舌に尽くし難い美味しさ。こんなものはここ十年食べていない気すらした。
「京さん、料理得意なんですね。とても美味しいです、これ」
「そりゃよかった。蕁麻弟はどうだ? 怪しいものを見るような目つきだったけど」京はにんまりと笑った。双子だから、好物が同じだと踏んでいるのだろう。
残念、まったくその通りである。
「……悔しいが、毎日これでもいい。これは何て言う料理だ?」
何気ない質問のつもりだったのだけれど。
場が凍りついた。
三人の目に、驚き、混乱、次いで困惑がよぎった。
「……え……っと、オムライス、普通の……庶民的な料理……どこでも食べれる程度の……知らねえの……? はは」
「…………ああ。なるほど」
妙に合点がいった。
京の乾いた笑い声は、今なら冗談で済ませられるという無意識的な慈悲は。僕と姉さんに注がれたのだ。
姉さんが知っていて、僕が知らないこと。
実は、こういうことはしょっちゅうある。
姉さんだけがしたことのある遊び、僕がしたことのない遊び。姉さんに与えられた上等な服、僕にだけ与えられた下等な服。……姉さんだけが食べさせてもらって、僕は食べたことがないもの。その差は結局、僕達が無理矢理あそこから出ていくまで続いた。きっと姉さんは最後の最後まで知らなかっただろう……差が開きすぎていたことには。知っていたら、姉さんの性格上、手段を選ばず止めさせたはずだ。僕達が入れ替わっていたのはいつだって、ちょっとあのお菓子が食べてみたいだとかあの子と遊びたいだとか、くだらない──明るい昼間の短時間だった。
僕にはそれが当たり前だったし、疑問に思ったこともあまりない。それ以前の記憶は、底の方で閉じられてしまっていたから。
もう、思い出せない。
「ごめんごめん。僕は忘れっぽいんだ。……忘れていた」
幸い、凪沙の表情筋はほとんど機能していないのではないかという程働かない。いつも通りの調子を意識すれば、大丈夫。
大丈夫でもなさそうなのは、どちらかと言えば姉さんであった。目を見開いて、瞬きもせず僕の方を見つめている。目が映したものは、意外にも悲しみや苦痛といったものではなかった。姉さんは、今までの人生で僕に向けたためしがない目をしていた──いや。彼女は、今どこを見ている……?
「……凪沙ったら。ぼんやりしすぎだよ」姉さんは不自然に人の良さそうな笑顔を浮かべて、言った。「今朝はちゃんとお薬飲んだ? 飲んでないからぼーっとするんじゃない?」
姉さんの言う通り、ここに来てから服薬を疎かにしていることについては確かだ。
「でも姉さん。あと少ししか残ってないんだ。あと二錠……」
ポケットに入った薬ケースに触れた。僕の記憶が正しければ、それくらいは残っている。
「薬?」
「はい。たぶん記憶障害を緩和させる系の……」
「へえ……記憶障害、ね」京はため息混じりに言った。
小鳥遊が、不穏な空気から逃げるように僕の傍へ寄る。この空気を作り出した原因の一つは僕にあるのだけれど。
姉さんは考える仕草をしてから言った。「そうだ。弐番さんに訊いてみたらどう? 用意してくれるかもしれないし、もしかするとその過程で、外にどうやって行ってるのかわかるかも……」
そう言いながらも、薄々は解っているようだった。外に行く方法が解らない確率は著しく高いと。少なくとも僕達は、この三日間において、彼女らが普通の手段を用いて部屋から部屋を移動している様子は見たことがなかった。一度も。
だから、すぐに解った。心優しい彼女が、一生懸命に話を逸らそうとしてくれていることは。
けれど、解らなかった。なぜ、彼女が話を逸らそうとしてくれているのか。さっきの異様な目つきもそうだ。
双子の片割れの意図が理解し難い。そんなことは十五年生きてきて初めてだった。一年違う環境で育っていくたび、一年違う考え方を学んでいくたび、互いが互いを解らなくなっていく。
まるで、双子じゃないみたいに。
耳をつんざくような大声に、僕達は目を覚ます他なかった。額を撫でる金髪。じっと僕達を見下ろす隻眼。あまりにも予想通りの少女が、僕達の上で膝立ちになっていた。
……耳の奥がちくちくする。僕は軽く顔をしかめた。
「やっと起きましたわね」そう頷いて、小鳥遊は脚から降りる。「もう一時でしてよ。京さんがお昼を作って待ってますわ」
素直に驚いた。僕は寝ていたのか……姉さんも。あの夢を避けるための暇潰しに読書を始めたと記憶しているけれど──寝てしまったのか。あれほど寝ないよう必死だった僕が。姉さんと寄り添ったことで安心し過ぎたのだろうか。
しかし……不思議と、夢は見なかった。
「あれ……本を読んでたはずだけど……安心したからかな。ね」
姉さんは、僕を向いて目を細めた。僕のそれよりもいくらか艶のある髪が、みずみずしく揺れる。この子を疎ましく思う人間は存在するわけがないと確信できる笑み。
「……うん……そうかもね、姉さん」これには、どんな意地の悪いやつだって笑みを返さずにはいられない。
僕の表情を見た姉さんは、にへ……と可愛らしくはにかんだ。「……さ、歩こ。䴇ちゃんが行っちゃう」
歩き出した姉さんの隣に並ぶ。彼女の手は、僕の手を流れるように拾い上げてしまった。
「君達は、常に手を繋いでいるんだな」
京は開口一番、そう言った。げんなりとした顔つき。
「いちゃつくのは自由だ。それを否定するつもりはない。だが、それを一日中見せつけられるこっちの身にもなってほしいね。いくら近親相姦じゃあないって言っても、俺の寂しさが際立っちまうだろ」
やけに演技がかった口調だった。要するに自重しろという意味だ。
思春期ならではの反抗心が沸き立ってきて、いやだねと返したくなったが、京の表情を見てやめた。代わりにいささかの遠慮を約束してやる。京は光のない目を細めた。あしらわれたとでも思ったようだ。
「……まあいい。冷めるから早く食べろ」
大男がどけば、見たことのない料理が僕達を出迎えた。姉さんは何の疑いも持たず席に着いた。僕も黙って姉さんに倣う。
広がったふわふわの卵の下から覗く、赤く染められたお米。匂いは……バターと卵とケチャップ?この組み合わせはどこかで嗅いだことがある気もするが、記憶になかった。作りたてなのか、まだ湯気が立っている。
隣の姉さんを盗み見ると、スプーンですくって口に入れていた。身体はリラックスしていて、その表情には懸念など欠片も見当たらない。念の為、こっそりもう一度匂いを嗅いでみてから口に入れた。
それは美味しかった。舌が痺れる感じも、酸味すらない。毒に準ずるものは混ざっていないようだが、万が一混入していたとしても僕はこれを食べていた。筆舌に尽くし難い美味しさ。こんなものはここ十年食べていない気すらした。
「京さん、料理得意なんですね。とても美味しいです、これ」
「そりゃよかった。蕁麻弟はどうだ? 怪しいものを見るような目つきだったけど」京はにんまりと笑った。双子だから、好物が同じだと踏んでいるのだろう。
残念、まったくその通りである。
「……悔しいが、毎日これでもいい。これは何て言う料理だ?」
何気ない質問のつもりだったのだけれど。
場が凍りついた。
三人の目に、驚き、混乱、次いで困惑がよぎった。
「……え……っと、オムライス、普通の……庶民的な料理……どこでも食べれる程度の……知らねえの……? はは」
「…………ああ。なるほど」
妙に合点がいった。
京の乾いた笑い声は、今なら冗談で済ませられるという無意識的な慈悲は。僕と姉さんに注がれたのだ。
姉さんが知っていて、僕が知らないこと。
実は、こういうことはしょっちゅうある。
姉さんだけがしたことのある遊び、僕がしたことのない遊び。姉さんに与えられた上等な服、僕にだけ与えられた下等な服。……姉さんだけが食べさせてもらって、僕は食べたことがないもの。その差は結局、僕達が無理矢理あそこから出ていくまで続いた。きっと姉さんは最後の最後まで知らなかっただろう……差が開きすぎていたことには。知っていたら、姉さんの性格上、手段を選ばず止めさせたはずだ。僕達が入れ替わっていたのはいつだって、ちょっとあのお菓子が食べてみたいだとかあの子と遊びたいだとか、くだらない──明るい昼間の短時間だった。
僕にはそれが当たり前だったし、疑問に思ったこともあまりない。それ以前の記憶は、底の方で閉じられてしまっていたから。
もう、思い出せない。
「ごめんごめん。僕は忘れっぽいんだ。……忘れていた」
幸い、凪沙の表情筋はほとんど機能していないのではないかという程働かない。いつも通りの調子を意識すれば、大丈夫。
大丈夫でもなさそうなのは、どちらかと言えば姉さんであった。目を見開いて、瞬きもせず僕の方を見つめている。目が映したものは、意外にも悲しみや苦痛といったものではなかった。姉さんは、今までの人生で僕に向けたためしがない目をしていた──いや。彼女は、今どこを見ている……?
「……凪沙ったら。ぼんやりしすぎだよ」姉さんは不自然に人の良さそうな笑顔を浮かべて、言った。「今朝はちゃんとお薬飲んだ? 飲んでないからぼーっとするんじゃない?」
姉さんの言う通り、ここに来てから服薬を疎かにしていることについては確かだ。
「でも姉さん。あと少ししか残ってないんだ。あと二錠……」
ポケットに入った薬ケースに触れた。僕の記憶が正しければ、それくらいは残っている。
「薬?」
「はい。たぶん記憶障害を緩和させる系の……」
「へえ……記憶障害、ね」京はため息混じりに言った。
小鳥遊が、不穏な空気から逃げるように僕の傍へ寄る。この空気を作り出した原因の一つは僕にあるのだけれど。
姉さんは考える仕草をしてから言った。「そうだ。弐番さんに訊いてみたらどう? 用意してくれるかもしれないし、もしかするとその過程で、外にどうやって行ってるのかわかるかも……」
そう言いながらも、薄々は解っているようだった。外に行く方法が解らない確率は著しく高いと。少なくとも僕達は、この三日間において、彼女らが普通の手段を用いて部屋から部屋を移動している様子は見たことがなかった。一度も。
だから、すぐに解った。心優しい彼女が、一生懸命に話を逸らそうとしてくれていることは。
けれど、解らなかった。なぜ、彼女が話を逸らそうとしてくれているのか。さっきの異様な目つきもそうだ。
双子の片割れの意図が理解し難い。そんなことは十五年生きてきて初めてだった。一年違う環境で育っていくたび、一年違う考え方を学んでいくたび、互いが互いを解らなくなっていく。
まるで、双子じゃないみたいに。
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