ーー焔の連鎖ーー

卯月屋 枢

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~2章~

24話

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「山南はんと如月はんが二人で来るのは初めてどすなあ」
「明里、いきなりですまないね」
「山南はんに逢えてうちは嬉しいおすえ?」
「……なんか俺、お邪魔ですね」
二人の間に流れる甘い空気に耐えきれず、蓮二は小さく呟いた。
その言葉に山南と明里は顔を見合わせて吹き出す。

「くくっ……如月くん、君が私をここまで連れてきておいて何を言い出すんだい」
「ふふっ、如月はんは可愛いお人どすなぁ。邪魔どころか、最近めっきり顔を出してくれへん山南はんを連れてきてくれて感謝してるんよ?」
二人の気遣いは有り難かったが、その息の合った気遣いすらも蓮二の付け入る隙を与えていない。
二人を交互に見て深く溜め息をつく。

「何故、こんなにも愛し合っているのに……明里さんに逢いに来てあげなかったのですか?」
ちびちびと飲んでいた杯をコトリと置くと、蓮二の言葉の真意を見出そうと真っ直ぐに目を見つめる。
僅かに揺れる双貌は、蓮二に心の内を話して良いものか迷っていた。

「俺は土方さんに肩入れしてます。ですが、それと同じように山南さんの事も大切に思います。……いや、それだけじゃない。新選組と言う組織そのものが、今の俺にとっては全てなんです。新参者が言うことじゃないんでしょうけど」
山南の迷いを悟ったように紡がれた言葉に笑みが零れる。

新選組に入ってまだ日の浅いにも拘わらず、この男は自分の全てが新選組であると断言している。
そこまでの思い入れはどこからやってくるのだろう。

「確かに君は新選組に入って間もない。それでいてそこまで断言出来る根拠を教えてくれるかい?」
「そうですね…まずは局長を筆頭に皆さんの目です。特に幹部の皆さんにはそれぞれ抱えるものが違えど見つめる先、そこにある意志は俺が今まで見てきたどの武士よりも武士然としています。そりゃあ、長州や薩摩、土佐にも同じような人は居るでしょう。けれど、俺はその中でも新選組の向かう先に俺の求めているものがあるかもしれないと…」
「そういえば、如月くんは何かをお探しだとか?」
「ええ。でも何を探しているのか、それを俺自身が分かっていません。漠然と探さなきゃいけないものがあるという感覚だけです」
「それは気の遠くなる話ですね…」
「気長に探しますよ」
「ところで如月くんは…私の心の迷いが分かるのかい?」
「いえ……貴方の心は山南さん自身にも分かっていらっしゃらないでしょう? それを他人の俺が分かるはずもありません。ただ……」
言葉を一区切りした蓮二は、手元にあった杯を一気に煽ると、口元から僅かに零れた酒を袖で拭い、真摯な瞳を山南にぶつけた。

「貴方の目はいつも笑っていない。優しい微笑みを隊士達に向けていても、その瞳は悲哀に満ちている。それが、貴方を……ひいては新選組をも深い闇へと誘う気がしてならない」

新選組を想い
土方を想い
己が人生を掛けて守り抜こうとするこの男になら、自分が成し得なかったものを託す事が出来るかもしれない。


他の座敷では宴会が始まっているのだろうか。
心地良い三味の音が遠くから響いてくる。
優しい旋律を奏でる三味に耳を傾けながら、山南はポツリポツリと話し出した。


「私はね……人を斬る恐怖に囚われてしまったのだよ。芹沢先生を手に掛けたあの日から、剣を握る事が出来なくなった」

芹沢の暴挙に堪えかねた会津藩からの暗殺命令。
漸く形の整ってきた新選組にとって、芹沢鴨という男は余りにも大きな膿。
近藤を担ぎ上げる土方には邪魔以外の何ものでもない。
ジリジリと外堀を固め、芹沢を追い詰めた土方の策略には山南も舌を巻いた。
だが、他に方法はなかったのかと山南は思わずには居られない。
芹沢の所業は確かに目を覆いたくなるものばかりだった。
だが、芹沢が居たからこそ新選組と言う組織は大きくなれたのだ。

浪士募集を掛け、江戸から京まで我々を導いた清河八郎の裏切りに異を唱えた近藤率いる試衞館一派。
そして、芹沢一派。
あの時、京に残る決意をした二十四人の志士で築き上げた新選組。
新選組をここまでの組織に仕上げる事は、試衞館の面々だけでは成し得なかった。

芹沢が水戸藩だった事。
芹沢は横暴で、酒癖が悪く、鬼畜所業ばかりだったが、彼の傲慢な金策があったからこそ京に留まれたのだ。

土方は、初めからこうなる事が分かっていたかのような口振りで山南に言った。

『芹沢は充分やってくれた。この先は、近藤さん一人でも新選組を引っ張っていける。奴は、もう役目を終えたんだ』

山南はその時、土方の内に住む“鬼”を目の当たりにした。
恐怖で全身が粟立ち、身体が小刻みに震える。

あの日から、山南は土方の目を直視出来なくなった。
いつか……自分も芹沢のように切り捨てられるのではないか?
沸き立つ不安は、山南の心と身体を日増しに蝕んでいった。
土方への恐怖は、剣への恐怖に変わる。
元々、剣より学であった山南は一度覚えた恐怖を拭い去る事が出来ない。
山南が剣を振るわなくても土方は何も言わなかった。
それはまだ、新選組が自分を必要としているのだと安堵し、甘えてきた。

その甘えの報いなのか……
山南の足元には、確実に闇が迫っていた。


「私は自身の居場所を見失ってしまった」
消え入りそうな程、細く弱く紡ぎ出された言葉……。
山南の寂しげな笑顔に顔を歪め声を荒げたのは明里だった。

「そんな事あらへん!山南はんはうちの居場所を作ってくれたやない。今度はうちが山南はんの居場所を作ってあげる。せやから、そんな事言わんとって……。山南はんが居るからうち頑張れるんよ……」
明里は涙を拭いもせず、ただ真っ直ぐに山南を見つめた。

この想い……
全部伝え切れたらどれだけ良いか……。
次から次へと溢れ出る恋情は止まることを知らず、山南への想いで押し潰されそうになる。

特別な出会い方をした訳じゃない。

注文していた着物を取りに行った帰り、雨に降られた。
風呂敷に包まれた着物を庇いながら駆け出そうとした時、自分に降り懸かっていた雨だけが遮断された。
振り返れば、春の日差しのような優しい笑みを浮かべた山南が傘を差し出している。

「せっかくの綺麗な着物が濡れてしまいますよ。良かったらこの傘をお使い下さい」
明里に傘を傾けた為に、山南は雨に打たれていた。
その濡れた頬は、まるで泣いているかのようにいくつも筋を作り、山南の浮かべる微笑みが胸を締め付ける。

この瞬間から明里は山南に惹かれていた。
ーー自分と同じように心の行き場を無くしている。
この人と悲しみも喜びも共有出来たら、今よりは救われるかもしれない。

天神になり、太夫にも手が届くようになったにも関わらず、明里の心は深い闇に覆われていた。
煌びやかな衣装を纏い、多くの男に持て囃されようと明里の心は晴れない。
ズブズブと深く底の見えない闇に飲み込まれて行く心に僅かな光が差し込む。
光を辿れば、そこには柔らかな日差しの中に、優しく微笑む山南が立っていた。

山南の存在に自分は救われた。
だから、今度は自分が山南を救ってあげたい。

明里の切なる願いを聴き届けたのか、山南は明里の頬に伝う涙を拭うとフワリと笑う。

「ありがとう。私の為に泣いてくれて。そうだね、私にはまだ出来る事があるのかもしれないね」

山南の僅かな希望に光が差す事はないのだが、この時は誰も知るよしもなかった。
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