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第428話 王都の商人達。クマちゃんの魔道具に圧倒される商業ギルドマスターリカルド。

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 クマちゃんは急いでおでかけの準備をすることにした。
 これは、美化委員長クマちゃんの出番ちゃんですね……、と。



『清掃』という言葉を聞いたクマちゃんは、子猫にそっくりなお手々で斜め掛けの鞄をごそごそとあさり、「クマちゃ……」と言った。

『クマちゃも……』

「いやいやいや、クマちゃんは無理だから。いま外に変なのいるし。変っていうかヤバいっていうか捕まえてみぐるみ剥いで箱に詰めて遠くに投げ捨てたほうがいい感じだからね」

 我が子を危険な目に遭わせたくないリオの過激な発言は、普段であれば仲間達から注意を受けるたぐいのものだった。が、今回は見逃された。
 南国の派手な鳥のような男が、いかにも困ったという表情で「とても優しい対応だね」と頷く。

 シメかたがぬるいと言いたいようだ。

 無口で無表情だが最も過保護な男ルークは、大事なもこもこを膝の上でころんと裏返すと、クマちゃんの大好きなふわふわのメイクブラシで可愛い顔をこしょこしょした。
 
 猫によく似たお手々が斜め掛けの鞄からパッと離れ、ふわふわのそれを懸命に捕まえようとする。

「クマちゃ……! クマちゃ……!」

 美化委員長は眼前のふわふわに夢中になった。
 格好良く『シャー!!』という大人猫の真似をして『ピニャー!!』と鳴く子猫にそっくりな顔で、小さなお鼻の上に皺を寄せ、ブラシをかじっている。

 人間達の視線がもこもこした生き物に集中する。
 彼らは何も言わず、口を開かない。

「…………」

 ピンク色の肉球がついたお手々を限界までパッと広げ、クマちゃんが逃げるブラシを捕まえようとする。
 短い後ろ足が、ケリケリ! ケリケリ! とまるでブラシを激しく蹴りつけているかのように動き、虚空をかく。しかし可愛らしいあんよはブラシに届かなかった。

 ふんふんふん……ふんふんふん……プシュ! クマちゃ!

 ぼわっと丸いブラシの細い毛が、小さくて湿った黒いお鼻をくすぐり、円卓に可愛いくしゃみが響いた。

「…………」  

 そうして少しのあいだ、人間達は思考が停止するほど可愛いもこもこを無言でじっと眺め、その愛くるしさを堪能した。

 ふんふんふん……クマちゃ……! クマちゃ……!

 時間泥棒なもこもこに時間を吸われたが、それを自覚する者はいなかった。
 子猫のようなクマちゃんのくしゃみに急所をひとつきされ、息も絶え絶えといった様子の死神と生徒会会計の無事を確かめると、マスターは空白の時間などなかったかのように話を続けた。

「……あ~、そうだな……。ぶん投げるわけじゃねぇが、こっちで処理するより王都に戻したほうがいいだろう。始末……拘束するにはそれなりの理由が必要だ。いつも来る商人なら問題はなかったんだが……」

 腕組みをしたマスターが眉間に皺を寄せ、チラリとリカルドを見る。
『なぜそいつらが来たのか知ってるか』と。

「それが、本人達の希望だそうで。ギルドとしては止めたかったようですが、強制はできませんからね。……捕まえていただけるのでしたら、商業ギルドの人間を何人か見張りにつけて王都へ返そうと思います。取り調べの内容によっては騎士に頼むことになるかと」

 縄張りをよその悪党に荒らされた悪党のような顔で、商業ギルドのマスターであるリカルドは答えた。

 彼は考えていた。
 欲の強い王都の商人を、愛らしい子猫のいるこの街に、一歩たりとも入れたくないと。

 他の町の冒険者とは比べ物にならないほど強いといわれているルーク達に護られている子猫が、訓練を受けているわけでもない商人に見つかるとは思わないが、広場には子猫のアーティファクトがある。この街にはじめて来た人間なら一度は行くだろう。

 あれは隠せる大きさでも気付かれぬほど目立たぬものでもない。
 子猫のニュースのこともある。
 情報を持ち帰られるだけでも様々な問題が起こりそうだ。

 そんな風に考え込んでいるせいで、リカルドの顔つきはますます、敵の殲滅計画を立てる悪役のようになってしまっていた。

 ルークに身だしなみを整えてもらっていたクマちゃんの目に、ギリ――と奥歯を噛みしめる悪役顔が飛び込む。

「クマちゃーん」

 裏社会の縄張り争いに巻き込まれてしまいそうなクマちゃんは、愛らしい声で一声鳴くと、ハッと、何かに気付いた顔をした。

 お外に『変なの』という何かがいて、遠くにポイしないと『ヤバいちゃん』であると、リオちゃんは言った。
 それなのに、ついさきほどお菓子の国の国民ちゃんがルンルンしながらお外へお掃除に行ってしまったのだ。
 これは由々ちき事態である。

 はやく変なお洋服を脱がせて箱に詰めて遠くに投げなければ。

 そのあとに可愛いお洋服を着せてあげればよいのだろうか。
 クマちゃんは湿ったお鼻ともこもこしたお口にきゅ! と力を入れると、問題を解決する魔道具を呼び出した。

「クマちゃーん」
『掲示板ちゃーん』
 


 現在、お菓子の国の円卓には、超高性能な『掲示板ちゃん』が浮かんでいる。
 クマちゃんの愛らしい声掛けにより、『クマちゃんリオちゃんレストラン』から飛んで来たのだ。

 そこに映っているのは、まるで人形劇の人形のような姿の、王都の商人達であった。
 樹の陰に隠れているつもりらしい人形達の頭の上に、彼らの会話らしきものが見える。
 最初に口を開いたのは商隊長のようだ。

『くそ……あいつはどこまで行ったんだ』
『まさか、馬と一緒に逃げたのでしょうか』
『街にも入れないのにどこに逃げるというんだ』

『商隊長、そろそろ食糧が……』
『分かっている。……荷の中に干し肉があるだろう』
『この街に運んできたものを食いつくすつもりですか。我々は何をしにここへ来たのか……』

『商隊長、開けても問題がないのはやはり、ホワイトスープではないでしょうか』
『おいおい、俺はアンタらの護衛だぜ? 痩せさせてどうしようってんだよ。不味くても味がしなくても文句は言わねぇが、ヒョロヒョロになるのは御免だぜ』
『不味いとはなんだ! これが王都でどれだけ高値で売れると思っている!』

『だったら王都に戻ればいいだろ。護衛の役目ってのは依頼主を危険な目に遭わせないことだ。ヤバい気配がなくたって食いもんが尽きれば無事ではいられねぇ。馬が戻ってきたら撤退するぞ』

 商隊の護衛らしき男の人形はそういうと、『ぐぬぬぬぬ』と目を吊り上げている商隊長人形を放置し、話はこれで終わりだとでもいうかのように近場の樹に背を預け、目を閉じた。

 リカルドは自分の目にしているものが信じられず、顔を顰め、片手でぐっと目元を押さえてから、もう一度『掲示板』へ視線を戻した。

 そうして、夢でも幻でもないことを確認すると、とんでもない魔道具に驚くよりも、神の視点のごとき人形劇の可愛らしさにいっそおかしくなり、ハッと失笑してしまった。
 
「クマちゃーん」

 崖を背に立つ悪役の最後のようなそれに、クマちゃんはお目目をキュッと閉じて鳴いた。
 我が子の体がもこもこもこもこと震えているのを見たリオが、いちいち顔が怖い男に文句を言う。

「おっちゃんその笑い方マジでヤバいって。俺の子怖がるからやめてくんね?」

「私はおっちゃんではない。それにしても、これは……。いや、今はそれよりも、彼らをどうするかだな。護衛の男はまともそうだが、街に入れなかったのか」

 リカルドは神々が操る道具のようなそれについて尋ねようとして、やめた。
 世の中には知らぬほうが良いこともある。世界中の悪党が欲しがるであろう魔道具のことは、ここを出たら忘れるべきだ。

「……怪しい商隊を護ってるからじゃねぇか? 街で情報を得たら奴らに渡すかもしれんしな。まぁ、入れたとしても護衛対象を視認できなくなる場所までは行かんだろう」

 商業ギルドマスターの複雑な表情に、マスターは気付いていたが敢えてふれず、彼の疑問にだけ答えた。
 
「彼らの話では馬を連れた商人がもう一人いるようだね。食事に行ったのだろうけれど、このあたりで馬の世話をするなら……小川のあたりかな」

 ウィルが少しだけ首を傾げ、装飾品がシャラと揺れる。
 
「クマちゃ」

 彼の言葉を聞いたクマちゃんはうむ、と頷き、両手の肉球を猫かきのように動かした。

 そうして、掲示板の映像がパッと切り替わる。
『おおっ』『すげぇ……』冒険者達はどよめき、生徒会役員達は口を開けたままポカーンと人形劇を見つめた。

 そこに映っていたのは可愛らしい馬と三頭身の商人、だけではなかった。

 結界に阻まれている商人が切なげに見つめているのは、結界を超えてしまった馬。
 さらに、馬の背にはなんと、手綱を握るゴリラのぬいぐるみが。

「クマちゃーん!」
『ゴリラちゃーん!』

 お仕事で忙しいはずのお友達が、何故か王都から来たお馬ちゃんの背に。
 びっくりした子猫のような顔になったクマちゃんは、にゃーん! と鳴く子猫のようにお友達の名を呼んだ。

「いやおかしいでしょ。何やってんのこのぬいぐるみ」

 リオは危うく、『いま誰が入ってんの』と言いかけ、なんとかこらえた。
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