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第415話 敏腕秘書クマちゃんの最初のお仕事。まずは乾いていない喉を潤す。

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 現在アルバイト中のクマちゃんは、『まちゅたーの秘書』のお仕事をしている。

 うむ。やることがたくちゃんあってとても大変である。


 
 爽やかな風が吹き、真っ白な被毛がふわりと空気をはらむ。
 猫に良く似た手の先が純白の本にふれると、たちまち軽快な音が鳴り、甘いかの地を海の色で彩っていった。



 美しいが鬱陶しいという噂のある男が、愛くるしい生き物クマちゃんが統治する菓子の国のワープゲート、あるいは『クマちゃんリオちゃんハウチュ付近の魔法陣』をくぐり、書類を抱えて訪れる十数分ほど前のこと。

 
 クマちゃんリオちゃんハウチュ前方。
 会議用というよりほぼ宴会用になっている円卓のすぐ側。人の出入りが非常に多い場所に、それは作られた。

「クマちゃ……」

 ぷにぷにの肉球を上手に操り商品の購入を済ませたクマちゃんは、海色の綺麗な家具を眺め、満足そうに頷いた。

 キラキラちゃんでちゅね……、と。

「おー、すげぇキレーだねぇ。海っぽくていい感じ。何のために買ったのか分かんないけど。……つーかデカくね?」
 
 リオは目の前でキラキラキラキラと宝石のように煌めく家具、ガラスの中に南国の海を閉じ込めたように美しい机やテーブル、たくさんの椅子を見て、ひとまず感想を述べた。

 それらはどれも、幻想的で優美な、そしてとても愛らしいデザインの家具であった。

 曲線的な天板は宝石のごとくキラキラと輝き、物を置くのに抵抗を感じてしまいそうなほど美しい。
 青と水色とエメラルドを溶かしたグラデーションが白い砂浜に打ち寄せ、時々ガラスに白い雲が現れては、ゆっくりと流れてゆく。
 家具の白い部分は、透明なガラスの中に閉じ込められている白き砂浜、を模した砂糖のせいで白く見えるという仕組みらしい。

 すべての家具に猫足がついており、美しさと愛らしさを兼ね備えたそれらのあちこちに、小さなクマちゃんのガラス細工(にそっくりな宝石クマちゃんキャンディ細工)が乗ったりつかまったりぶら下がったりと、可愛い装飾が施されている。

 椅子の背には当然のようにクマ耳がついていた。

 しかしリオが気になったのは、机がやたらと立派でデカいということだけではなかった。
 さきほどまで足元にあったはずの砂地、もとい砂糖がいつのまにかガラス張りに変わっていて、その中で熱帯魚が泳いでいる、ということでもない。

 商品に付いてきたと思しき妖精ちゃん達は、首から鮮やかな花輪を下げていたり、もこもこした胴体に浮き輪を装着していたりと実に南国の海らしい服装をしている。
 だがおかしなことに、そういう楽し気な格好に反して、もこもこ達は忙しなくお手々を動かし、紙に何かを書き込んでいる様子なのだ。

 それはつまり――『妖精が仕事をしている、ように見えなくもない』ということで、リオが怪しんでいるのはまさにそれだった。

「えぇ……」 

 リオは自身が抱えているクマちゃんの手元の、『お菓子の国・商品カタログ』へ、チラリと視線を落とした。

『宝石クマちゃんキャンディ、海色ガラス風執務机ちゃん。事務員妖精クマちゃん付き』

『事務員妖精!!!』

 リオの心の声がピー――! と裏返る。

 なんて相容れない響きなのだろう。混ぜてはいけないものを混ぜたとしか思えない。
 赤子と子猫とぬいぐるみが混ざったような生き物に事務員を混ぜたら、いったい何ができあがるのか。

 きっと混ざらないに違いない。誕生するのは名前が『事務員』な子猫だ。

「あのさぁクマちゃん。妖精ちゃんに事務は無理じゃないかなぁ」

 リオはクマちゃんのさきほどの言葉を思い返しながら、腕の中のもこもこへ告げた。

 ――では、クマちゃんが頑張って戻らなくていいようにするので、少々お待ちくだちゃい……――。

 あの謎の言葉は、妖精ちゃんがマスターの仕事を手伝うという意味だったのだろう。
 否、もしかすると本人も参加するつもりかもしれない。

 しかしダイナミックにもほどがある字を書くクマちゃんは、一枚の紙に四文字までしか書きこめないのだ。
 自分のサインすら『クマちや』で終了である。『ん』は二枚目に書くしかない。

 そもそも署名欄どころか書類の中にはおさまりきらないので、別紙を二枚使う必要がある。
 そうなるとそれはサインではなく『クマちや』の紙、そして『ん』と書かれた紙だ。
 こうなったら誰かに代筆を頼むしかない。
 だがマスターの仕事の書類に冒険者がサインを入れるわけにはいかない。
 
 ではクマちゃんの代筆は誰がすべきか。
 
 当然マスターである。

 もう最初から自分でやったほうが早いと言わざるを得ない。

 そもそも、子猫の肉球は書類を片付けるためにあるわけではないのだ。
 仕事を減らすどころか、きっと別の意味で『片付ける』羽目になるに違いない。

 しかし、リオがつらつらとそんなことを考えているうちに、クマちゃんの中ではすでに何かが動き出していたらしい。

 もこもこはミィミィ……と鳴く子猫のように言った。

「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」
『クマちゃ、秘書ちゃ、頑張るちゃ……』

 ええ、事務員妖精ちゃんと敏腕秘書のクマちゃんがいれば、すぐにこちらでおちごとを始められまちゅ……。クマちゃんは頑張りまちゅ……。

 生徒会役員達は感動でくっと唇を噛み、『敏腕秘書』に引っかかりを覚えたリオは本音を漏らした。

「えぇ……む」

「そうか……。ありがとうな、白いの。俺の手伝いをしてくれるのか」

 そしてマスターは優しく微笑むと、『無理だって』と言いかけたリオの脇腹を裏手でぽんと叩き、心優しき敏腕秘書には感謝を伝えた。
 
「…………」
 
 それは『音はしないのに絶妙に痛い』と評判の技だった。
 久しぶりにそれを食らったリオは、まるで黙祷を捧げるかのように、じわりと痛み、抱えているもこもこのおかげで急速に癒えてゆく脇腹を押さえていた。 



 そんなわけで、海底都市を模したエリアに相応しい『マスターの事務所(屋外)』に、マスターは自分で書類を運び、クマちゃんは秘書らしく、快適に働けるように準備を整えた。
 そしてそうこうしているうちに、美形ギルド職員が追加の書類を持って新たな施設にやってきたのだ。

 生徒会役員達はふらふらと森へ菓子集めに行ったため、仕事は残ったメンバーで片付けることになった。

「床まで美しいですね……! まるで透き通る海の上を歩いているようです!」

 彼はキラキラと輝く机の一つにそれを置き、そこで書き物をしている陽気な格好の妖精ちゃんを見やった。

 紙にはなんと『おちゃくみ』『メニューちゃん』と書かれている。

 驚いたことに、ここで働くと妖精達にお茶を入れてもらえるサービスがついてくるらしい。
 働く前からそれが気になってしまったギルド職員は「最高ですね……」と呟きながら、可愛いメニューに目を通した。

『りょくちゃちゃん』『こうちゃちゃん』

『ぎゅうにゅうちゃん』『やちゃいじゅーちゅ』『コーヒーちゃん』

『ビールちゃん』『ブルーマルガリータちゃん』『レッドアイちゃん』

 彼はサラリと零れたツヤツヤの髪を耳にかけ直すと、物凄く心惹かれるそれを選び、いちはやく注文した。

「なるほど、ではとりあえずビールを……」

「おい、馬鹿なことを言ってないで働け」

「クマちゃ、クマちゃ……」
『いま、お持ち、ちまちゅ……』

 広々とした机で書類を見ているマスターの側で待機していた秘書が、ハッと口元を押さえ、ヨチヨチ……! と駆け出す。

 マスターの席の斜め前に陣取っていたリオは、マスターのどデカい執務机に片肘をつきながら、それを目で追った。

 花柄の幼児用エプロンの上に、『ひしょ』と書かれたギルドカードに似た何かを下げているクマちゃんは、机に設置されている青い『妖精ちゃん用のドア』を猫手でカリカリした。

 すると、カフェ店員妖精が出てきて、グラスの載ったトレイを差し出す。
 クマちゃんが、ヨチ……ヨチ……と、実にゆっくりとした猫あし運びで上品に戻ってくる。

 秘書のお手々とグラスを載せたトレイが、ガタガタガタ……と揺れている。
 リオは手を出したい気持ちをぐっと堪えて見守ろうとした。

 が、「クマちゃ……!」という悲鳴と空中に投げ出されてそのまま浮遊しているグラスにぐっと心臓をつかまれ、速攻で断念することになった。

「めっちゃグラス浮いてんじゃん……」

 おそらく姿を隠している高位で高貴なお兄さんの仕業だろう。
 応接セットのほうから感じる微かな気配で、リオはそれを理解した。
 意外と過保護な彼がついているのなら、クマちゃんのお手伝いが失敗することはない……のかもしれない。

 リオの手が浮遊している小さなグラスをさっとつかむ。
 敏腕秘書はお目目をつぶって死んだふりをしているせいで気付いていないようだった。

「クマちゃん、もう大丈夫だよー」

 リオは青と赤と白のグラスをそれぞれの前に置くと、マスターの分だけトレイに残して我が子に声をかけた。どうやら、受け取った者が人間ならば、グラスのサイズが人間用に変わるという仕組みらしい。
 ちなみにマスターのは黄色、あるいは黄金色と呼ばれるそれである。

「クマちゃ……」
『まちゅた……』
 
 ヨチ……ヨチ……、と黄金色の『おちゃ』をゆっくりと運ぶクマちゃんが、ようやくマスターのもとへ到着する。

「ああ、茶を入れてくれたのか……。ありがとうな。お前は本当に優しくて愛らしい」

 マスターは微炭酸な『おちゃ』を受け取りつつ、頑張り屋な秘書を褒めた。

「クマちゃ、クマちゃ」

 撫でられた敏腕秘書が、愛らしい声で『まちゅた』と言い、喜んでいる。 

「その紅茶ちょっと色おかしくね?」

 かすれた男の声は黙殺され、さっそく最初の休憩に突入することとなった。
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