上 下
389 / 438

第389話 まるで海の中。きらきらと美しい作業風景。それが可愛いワケ――。

しおりを挟む
 現在クマちゃんは、せっせと肉球を動かしている。

 うむ。今日もたくちゃん働いた皆ちゃんがゆっくりつかれる温泉を、急いで完成させるのである。



 青い砂糖砂地の上。あちこちに置かれた『貝殻風クマちゃんキャンディランプ』が、温泉の湯気を幻想的にふわふわと照らしている。

「クマちゃ……」

 何でも知っている建築デザイナークマちゃんは、『あかりちゃ……』と仲間達に告げた。
 クマちゃんが見本として『普通の温泉街にふさわしい菓子製のあかり』を空に浮かべます、という旨を『ちゃ』の多い喃語なんごで。

 いかにも余計なことを言いそうな男がスッと口を開きかけると、その背後で、カタログを振りかぶる空気の揺れを感じた。
 ――やや離れた場所では大鎌を持った男が冷気を漂わせている。
 狙われていることを察したリオは、スッと口を閉じた。

 ルークがクマちゃんを抱えたまま、カタログのページをぱらりとめくる。

 ふんふん、ふんふん……。
 建築デザイナークマちゃんが湿ったお鼻を鳴らす音がふんふんふんふんと闇夜に、匂いで何かを探す猫ちゃんのように響いた。

 真っ白な子猫によく似たお手々がカタログから商品を厳選する。
 深く頷いたクマちゃんは、清らかな肉球で目的の肉球ボタンをふに……と押した。

 ――クマちゃーん――。
 ――お買い上げちゃーん――。 

 くもりガラスのような、もやのかかったあかりが薄暗い夜空にふわりと浮かぶ。
 丸いかさ。ひらひらゆれるリボンのような触手。
 ふよん、ふよん、といまにも音が聞こえてきそうなその姿は、ゆらゆらと濃藍こいあいの海を漂うクラゲという風情だった。

 見ているだけで海底気分を楽しめるステキなあかり。
 商品名は『クマちゃんゼリーライトちゃん。ぷわぷわクラゲちゃん。モモ、ブドウ、ブルーハワイ』だ。
 
「めちゃくちゃ海っぽい」

 リオはカタログを持ったまま腕組みをして、クラゲちゃんを見ながら頷いた。
 商品名を見ても分からぬものが多いが、クマちゃんが選んだものに間違いはない。
 色の名前は勘でいけるだろう。

「泳いでいるクラゲを見たのは初めてだけれど、とても可愛らしくみえるね」

「ああ」

 ウィルの言葉にルークが相槌を打つ。それを横で聞いていた余計なことを言いがちな男リオは思った。
 いまの『ああ』は『可愛らしいクラゲだね』に対する『ああ』ではない。

『泳いでいるクラゲが可愛いのは、可愛らしいクマちゃんが作った可愛らしい商品がいっぱい載っている素晴らしいカタログから、可愛いクマちゃんが可愛らしい肉球で――クマちゃーん――とお買い物をしてくれたおかげだね』に対する『ああ』である。

 やはりこの世の可愛いのすべては『可愛いクマちゃん』と『可愛いクマちゃんの肉球』を中心に回っているのだ――。

 言えばすぐさま無駄に色気のある『ああ』と一生に一度見られるかどうかというほど珍しい『常に無表情なルーク様の意味ありげで麗しく色気溢るる笑み』が拝めるに違いない非常にぶっ飛んだその論理を、リオが口にすることはなかった。

 わざわざ確かめずとも彼の前でクマちゃんを褒めればどうなるかなど、はなから分かっているからである。

 可愛いの権化クマちゃんはそのあとも肉球でふに……とカタログを使ってお買い物をした。

『クマちゃんゼリーライトちゃん。ぷわぷわメンダコちゃん。トマト』

『クマちゃんゼリーライトちゃん。スイスイウミガメちゃん。レモン、ミルク、メロン』

『クマちゃんゼリーライトちゃん。カラフル熱帯魚ちゃんセット。ソーダ、メロン、イチゴ、マンゴー、レモン、ナシ、モモ、オレンジ、ブルーハワイ、ブドウ』

『クマちゃんグミライトちゃん。クマノミちゃん。マンゴー、オレンジ、ミルク、ビターチョコ』

 それらのアイテムはそれなりに長くなってきた『貝殻風メレンゲクッキーとミルクソーダの温泉ちゃん』でつくられた道やその周辺に「クマちゃ……」と浮かべられた。
 そうしてやわらかな光を放ちながら、ぽよん……ぽよん……、スィー――スィー――、キラキラ――、キラキラ――と、まるでここが本物の海中であるかのように優雅に泳ぎ始めた。

 あまりの美しさと現実感のなさに、果て無き海のなかで揺蕩たゆたう生き物達と共に泳ぐ夢を見ている気分になる。リオはふたたびぼーっとしながら足元でぱちゃぱちゃしているもこもこ妖精達へ視線をやった。

「めっちゃぱちゃぱちゃしてるし……」

「……永遠に眺めていられるほど美しい光景だね……。でも、クマちゃんばかり働かせるわけにはいかないからね。僕たちもこの場に見合うアイテムを探さないと」

「あ~……そうだな。さて……何から置くか」

 大人達がサンゴのライトや湯に浮かべる真珠貝などでベビーブルーの温泉道を彩っている間に、何でも知っている建築デザイナークマちゃんは建物のほうに取り掛かっていた。

 ――クマちゃーん――。
 ――お買い上げちゃーん――。

 と購入され、道沿いにぴたりと設置された建築物は、自国、他国、菓子の国、絵画、大人達がどの記憶をさらっても一度も見たことがないような、とにかく豪華絢爛で色鮮やかな姿だった。

 ずらりと並ぶ朱塗りの柱に金の装飾。特徴的な青磁の屋根を見上げ、リオが瞬く。

「なにこれ」

『柱めっちゃ赤いじゃん……』と考えている間にも、足元からはぱちゃぱちゃと水音が聞こえ、あでやかな熱帯魚が目の前を横切る。

「……僕はここまで鮮やかな色合いの建物を見たのは初めてなのだけれど、赤い柱というのはこんなにも美しいものなんだね。他の冒険者達も感動するのではないかな」

 ふんふん、ふんふん……。

「クマちゃーん」

『クマちゃんねりきり、クマちゃんらくがん、金箔クマちゃんようかんちゃんをふんだんに使用。和菓ちハウチュ』という超高級な商品の豪華さに、もこもこした建築デザイナーが喜びの歌声を響かせる。

 そうして「クマちゃ、クマちゃ」と忙しそうに、長く連なる建物から湯の中へと『クマちゃんねりきり、金箔クマちゃんようかんちゃんをふんだんに使用。和菓ちたいこばしちゃん』をかけていった。

 リオは薄目を開きパララララ――とカタログに目を通し、シュッ――! と早急に閉じた。
 見たことも聞いたこともない食材だらけなだけでなく『金』の文字が見えたからだ。
『ふんだんに使用』が視界の端にチラついたが、『ぜんぶ気のせいだよね……』と『心の海底』へまとめてしずめた。

「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」
『お部屋ちゃ、いっぱいちゃ、温泉ちゃ、設備ちゃ……』

 それでは、この中にも温泉ちゃんをちゅくりましょう。お部屋がたくちゃんなので色々なお色の温泉ちゃんがちゅくれますね……。

「へー。色々やばいねぇ。でもさぁ、クマちゃんはぁ、そろそろ寝る時間じゃないかなぁ」

 リオはクマちゃんのもこもこもこもこ動いているお口のもこもこっぷりを眺めつつ、明らかに赤ん坊の話を聞いていない大人のような態度で、『今日はもう寝ろ』と告げた。

 ――クマちゃーん――。
 ――お買い上げちゃーん――。

 かすれた風のささやきは運悪く、愛らしい音声にかき消された。

「クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……」
『温泉ちゃ、いっぱいちゃ、リラックチュちゃ、まったりちゃ、エチュテちゃ、妖精ちゃ……』

 そうして、もこもこの『ちゃ』と『ちゅ』の多い温泉計画は美しくじわじわと進み、完成まであとどのくらいなのかも分からぬまま、大人達は終わりなき「クマちゃ」に耳を傾けるのであった。

 ――へー。凄いねぇ。でもさぁ、クマちゃんはぁ、そろそろ寝る時間じゃないかなぁ……――。

 ――クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ、クマちゃ……――。
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

善人ぶった姉に奪われ続けてきましたが、逃げた先で溺愛されて私のスキルで領地は豊作です

しろこねこ
ファンタジー
「あなたのためを思って」という一見優しい伯爵家の姉ジュリナに虐げられている妹セリナ。醜いセリナの言うことを家族は誰も聞いてくれない。そんな中、唯一差別しない家庭教師に貴族子女にははしたないとされる魔法を教わるが、親切ぶってセリナを孤立させる姉。植物魔法に目覚めたセリナはペット?のヴィリオをともに家を出て南の辺境を目指す。

プラス的 異世界の過ごし方

seo
ファンタジー
 日本で普通に働いていたわたしは、気がつくと異世界のもうすぐ5歳の幼女だった。田舎の山小屋みたいなところに引っ越してきた。そこがおさめる領地らしい。伯爵令嬢らしいのだが、わたしの多少の知識で知る貴族とはかなり違う。あれ、ひょっとして、うちって貧乏なの? まあ、家族が仲良しみたいだし、楽しければいっか。  呑気で細かいことは気にしない、めんどくさがりズボラ女子が、神様から授けられるギフト「+」に助けられながら、楽しんで生活していきます。  乙女ゲーの脇役家族ということには気づかずに……。 #不定期更新 #物語の進み具合のんびり #カクヨムさんでも掲載しています

貧乏育ちの私が転生したらお姫様になっていましたが、貧乏王国だったのでスローライフをしながらお金を稼ぐべく姫が自らキリキリ働きます!

Levi
ファンタジー
前世は日本で超絶貧乏家庭に育った美樹は、ひょんなことから異世界で覚醒。そして姫として生まれ変わっているのを知ったけど、その国は超絶貧乏王国。 美樹は貧乏生活でのノウハウで王国を救おうと心に決めた! ※エブリスタさん版をベースに、一部少し文字を足したり引いたり直したりしています

辺境伯令嬢に転生しました。

織田智子
ファンタジー
ある世界の管理者(神)を名乗る人(?)の願いを叶えるために転生しました。 アラフィフ?日本人女性が赤ちゃんからやり直し。 書き直したものですが、中身がどんどん変わっていってる状態です。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

全能で楽しく公爵家!!

山椒
ファンタジー
平凡な人生であることを自負し、それを受け入れていた二十四歳の男性が交通事故で若くして死んでしまった。 未練はあれど死を受け入れた男性は、転生できるのであれば二度目の人生も平凡でモブキャラのような人生を送りたいと思ったところ、魔神によって全能の力を与えられてしまう! 転生した先は望んだ地位とは程遠い公爵家の長男、アーサー・ランスロットとして生まれてしまった。 スローライフをしようにも公爵家でできるかどうかも怪しいが、のんびりと全能の力を発揮していく転生者の物語。 ※少しだけ設定を変えているため、書き直し、設定を加えているリメイク版になっています。 ※リメイク前まで投稿しているところまで書き直せたので、二章はかなりの速度で投稿していきます。

【本編完結】転生令嬢は自覚なしに無双する

ベル
ファンタジー
ふと目を開けると、私は7歳くらいの女の子の姿になっていた。 きらびやかな装飾が施された部屋に、ふかふかのベット。忠実な使用人に溺愛する両親と兄。 私は戸惑いながら鏡に映る顔に驚愕することになる。 この顔って、マルスティア伯爵令嬢の幼少期じゃない? 私さっきまで確か映画館にいたはずなんだけど、どうして見ていた映画の中の脇役になってしまっているの?! 映画化された漫画の物語の中に転生してしまった女の子が、実はとてつもない魔力を隠し持った裏ボスキャラであることを自覚しないまま、どんどん怪物を倒して無双していくお話。 設定はゆるいです

処理中です...