上 下
162 / 438

第162話 寝られない彼らと、素晴らしくもこもこで幸せな朝。「もー……」「クマちゃ」

しおりを挟む
 古城のような学園の裏手。白いもこもこの魔法により誰でも入れるようになってしまった結界内。
 愛と癒しの力に包まれた、薄桃色に輝く森の中。ひっそりと隠れるようにつくられた、美しく幻想的な露天風呂。 

 クマちゃんからの愛に胸を締め付けられ、もこもこへの愛おしさとあまりの愛くるしさに体から力が抜け、花びらのタイルの上に転がっていた彼らだったが、もこもこ達が去った数分後にハッと覚醒した。

 愛するものの気配が無くなってしまったことに気付いた生徒会長は、顔の上のクッションをずらした。

「私の可愛いクマちゃん……次はいつ、君に会える……?」

 夜空を見上げ、別れたばかりのもこもこへ思いを馳せる。
 彼の言葉に返事をするように、花びらと光の雫がひらひら、きらり、と降って来た。
 
「会長ー、クマちゃんの手紙、何て書いてあるんですか?」

 副会長はおもむろに立ち上がると、二つのクッションに挟まれ、もう一つを体にのせた生徒会長に近付き、尋ねる。

「俺も気になります」

 倒れても丸太を手放さなかった会計が、それを撫でながら話を聞きに来た。

「そうだね。早く読んでみよう……もしかしたらまた、聖クマちゃんとして私達に伝えたいことがあるのかもしれない」

 上体を起こした生徒会長は大切な貝殻を胸元に仕舞いつつ、真面目な表情で頷いた。

「そのクッション一個貸してください」

 会計は生徒会長の横に置かれた肉球模様のクッションを指さした。
 三つ、ということは。
 当然、生徒会長、副会長、会計で分け合い、仲良く使ってくださいということだろう。

「そっすね。三つもあるんで」

 副会長は『同じものが複数存在する』ということを強調した。
 もこもこの肉球模様がすべて同じという意味ではない。
 クマちゃんの愛らしい肉球の模様は、それぞれ少しずつ風合いが異なる。
 そんなことは彼にも解っているが、ここでそれを言うと、天使の肉球クッションを貰うことが出来なくなってしまうのだ。

「そんな……! ――でも、そうだね。私には世界で一つだけの、私の可愛いクマちゃんが一生懸命、私のためだけに描いてくれた、世界一素敵な似顔絵があるから……」

 美形だが鬱陶しい生徒会長が無自覚に、鬱陶しい自慢を始める。

「…………」

 副会長は鬱陶しい男が自慢するそれが羨まし過ぎて『あーそっすね』の一言が言えなかった。
 妬ましさで歯が欠けるかもしれない。
 野性的な目つきの彼は、大人になるため深呼吸をし、そっとクッションへ手を伸ばした。

「…………」

 会計は心の中から溢れ出る、闇に近い何かを抑え込むのが精一杯だった。
 彼は頷きもせず、片手でクッションを持ち上げた。


 キラキラとした光の雫と、温泉の上を漂う湯気に心の闇を浄化された彼らは、癒しのアイテム、天使なクマちゃんの肉球模様のクッションを抱え、生徒会長の斜め前に座った。
 会計の横には大事な丸太が立てられている。
 彼の魂の欠片であるそれが無ければ、鬱陶しい人間と美しくない喧嘩を始めることになったかもしれない。

「私の可愛いクマちゃんの肉球文字……。凄く可愛い。…………どうやって読めばいいんだろう」

 生徒会長は便箋の上の肉球模様を、人差し指と中指でス、となぞった。

 露天風呂のある広場に、子猫の鳴き声のような、「クマちゃ」という声が響く。

 愛らしい声は『ク』と言っているように聞こえた。

「……私の可愛いクマちゃんの声だ」

 彼は感動したように声を震わせた。

「……最高の手紙っすね。クソ可愛すぎて心臓止まるんじゃないかと思いました」

 口調が若干乱れている副会長が真剣な表情で頷く。

「……凄いですね。脳が痺れます」

 冷静ではない会計が静かに呟く。

「じゃあ、あとはこの最高に愛らしい、私の可愛いクマちゃんの言葉を繋ぎ合わせれば……」

 彼らは顔を見合わせ、ゆっくりと頷いた。

 暗号の解読は進む。
 自分も肉球の模様をなぞりたい、という美しくない争いを挟みながら。



 柔らかな寝床の上ですやすやと眠っていたクマちゃんは、自身を包み込むように撫でる、大好きなひとの大きな手の感触に、ふわりと意識を浮上させた。
 ふわふわでとても気持ちがいい。もう少し目を瞑っていたい。
 夢を見たような気がする。真っ白な場所で『――レベルが――』と誰かに言われた、かもしれないが、少しも思い出せない。
 うむ。思い出せないということは、あまり重要ではないのだろう。

 ふわ、ふわ、と被毛を撫でてくれる彼の瞳を見たくなったクマちゃんは、ぱち、と丸いお目目を開けた。
 うむ。黒いシャツしか見えない。少し視線を上げると、彼の手がクマちゃんのおでこを優しく擽った。
 大変だ。
 目が閉じて口が開いてしまう。クマちゃんは彼の瞳が見たいのに。このままだともう一度夢を見ることになるのではないだろうか。
 急いで彼の手を掴まえ、おはようの挨拶をする。
 クマちゃんは起きます、と。
 小さな鼻をピト、と彼の手にくっつけたが、スルッと逃げていってしまった。

『行かないでください』とお願いする前に戻って来た長い指は、小さな黒い鼻にトン、と優しくふれ、『おはよう』の挨拶を返してくれる。
 クマちゃんは切れ長で美しい、水の中の若葉のような瞳を見つめ、もう一度彼の指にお鼻をくっつけると、『ルークだいすき』という一番大事なことを伝えた。

 大好きな彼に『わかってる』と返してもらって幸せなクマちゃんが小さな黒い湿った鼻をキュ、と鳴らし、辺りを見回すと、目元に布を掛けふわふわの寝床で休んでいる金髪が見えた。
 リオちゃんはまたお寝坊さんのようだ。うむ。ここはクマちゃんが優しく起こしてあげるのがいいだろう。
 ルークはクマちゃんの視線の先に気が付いたのか、一緒に起き上がり、膝にのせ、数度撫でてから、すぐ側のふわふわ巨大クッションにのせてくれた。
 うむ。素晴らしい。さすがルークである。

 クマちゃんは、リオちゃんそろそろ起きる時間ですよ、と優しく声をかけてあげることにした。
 まずはあの目元の布を、そっと外してあげるのがいいだろう。


 リオはもこもこの癒しの力に包まれ、ぐっすり、幸せに休んでいた。
 ふわ、と彼の鼻先で、高級石鹼とイチゴの香りの風が吹いたが、眠りを妨げる要因にはならない。
 夢と現実の狭間で、川のせせらぎと、陽が翳るのを感じた。雲が空を横切ったらしい。

 ――そろそろ起きなくては。

 夢の中でそう思うのと、何者かが先の丸い硬い物で、彼の頬をカリカリカリカリカリ! とするのはほぼ同時だった。

「なになになになになに!! めっちゃカリカリされたんだけど!」

 己の頬を押さえ、金髪の男が跳ね起きる。体に悪そうな起き方だ。
 顔の上からひらり、と布が落ちた。
 何だ。今の感触は。細くて固くて、そう――先の丸い、獣の爪のような。
 リオは目を限界まで細め、周囲の気配を探った。
 ――居る。奴が。
 彼が自身の右肩越しに視線を落とすと、先程まで彼の頭があった辺りに、真っ白でもこもこした生き物が丸まっているのが見えた。

「クマちゃん! 変な起こし方すんのやめて欲しいんだけど!」

 リオは少しだけ厳しい目つきで『クマちゃん、駄目!』ともこもこを叱る。
 彼の『クマちゃん――起こし――て欲しいんだけど!』を聞いたもこもこが丸まったまま頷き、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言う。

『リオちゃん、おきた?』と。

「あれで目あけない冒険者は寝てるんじゃなくて八割死んでると思うんだけど。つーかクマちゃん俺の話聞いてないでしょ」

 彼は『わたくしはしっかりとあなたの話を聞いておりますよ。そんなことより――』と全く人の話を聞いていない猫ちゃんのようなクマちゃんに『なんて人の話を聞かないもこもこだ』という目を向け、もふ、ともこもこした体を掴む。
 いつものように愛らしいもこもこを腕に抱えたリオは、彼をつぶらな瞳で見上げ「クマちゃ」と両手の肉球を伸ばしてくるもこもこに顔を寄せると、

「もー……、クマちゃんおはよ」

すべてを諦め、丸くて可愛いもこもこの頭にもふ、と『おはよう』のキスを落とした。
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

お帰り転生―素質だけは世界最高の素人魔術師、前々世の復讐をする。

永礼 経
ファンタジー
特性「本の虫」を選んで転生し、3度目の人生を歩むことになったキール・ヴァイス。 17歳を迎えた彼は王立大学へ進学。 その書庫「王立大学書庫」で、一冊の不思議な本と出会う。 その本こそ、『真魔術式総覧』。 かつて、大魔導士ロバート・エルダー・ボウンが記した書であった。 伝説の大魔導士の手による書物を手にしたキールは、現在では失われたボウン独自の魔術式を身に付けていくとともに、 自身の生前の記憶や前々世の自分との邂逅を果たしながら、仲間たちと共に、様々な試練を乗り越えてゆく。 彼の周囲に続々と集まってくる様々な人々との関わり合いを経て、ただの素人魔術師は伝説の大魔導士への道を歩む。 魔法戦あり、恋愛要素?ありの冒険譚です。 【本作品はカクヨムさまで掲載しているものの転載です】

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

善人ぶった姉に奪われ続けてきましたが、逃げた先で溺愛されて私のスキルで領地は豊作です

しろこねこ
ファンタジー
「あなたのためを思って」という一見優しい伯爵家の姉ジュリナに虐げられている妹セリナ。醜いセリナの言うことを家族は誰も聞いてくれない。そんな中、唯一差別しない家庭教師に貴族子女にははしたないとされる魔法を教わるが、親切ぶってセリナを孤立させる姉。植物魔法に目覚めたセリナはペット?のヴィリオをともに家を出て南の辺境を目指す。

プラス的 異世界の過ごし方

seo
ファンタジー
 日本で普通に働いていたわたしは、気がつくと異世界のもうすぐ5歳の幼女だった。田舎の山小屋みたいなところに引っ越してきた。そこがおさめる領地らしい。伯爵令嬢らしいのだが、わたしの多少の知識で知る貴族とはかなり違う。あれ、ひょっとして、うちって貧乏なの? まあ、家族が仲良しみたいだし、楽しければいっか。  呑気で細かいことは気にしない、めんどくさがりズボラ女子が、神様から授けられるギフト「+」に助けられながら、楽しんで生活していきます。  乙女ゲーの脇役家族ということには気づかずに……。 #不定期更新 #物語の進み具合のんびり #カクヨムさんでも掲載しています

貧乏育ちの私が転生したらお姫様になっていましたが、貧乏王国だったのでスローライフをしながらお金を稼ぐべく姫が自らキリキリ働きます!

Levi
ファンタジー
前世は日本で超絶貧乏家庭に育った美樹は、ひょんなことから異世界で覚醒。そして姫として生まれ変わっているのを知ったけど、その国は超絶貧乏王国。 美樹は貧乏生活でのノウハウで王国を救おうと心に決めた! ※エブリスタさん版をベースに、一部少し文字を足したり引いたり直したりしています

辺境伯令嬢に転生しました。

織田智子
ファンタジー
ある世界の管理者(神)を名乗る人(?)の願いを叶えるために転生しました。 アラフィフ?日本人女性が赤ちゃんからやり直し。 書き直したものですが、中身がどんどん変わっていってる状態です。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

全能で楽しく公爵家!!

山椒
ファンタジー
平凡な人生であることを自負し、それを受け入れていた二十四歳の男性が交通事故で若くして死んでしまった。 未練はあれど死を受け入れた男性は、転生できるのであれば二度目の人生も平凡でモブキャラのような人生を送りたいと思ったところ、魔神によって全能の力を与えられてしまう! 転生した先は望んだ地位とは程遠い公爵家の長男、アーサー・ランスロットとして生まれてしまった。 スローライフをしようにも公爵家でできるかどうかも怪しいが、のんびりと全能の力を発揮していく転生者の物語。 ※少しだけ設定を変えているため、書き直し、設定を加えているリメイク版になっています。 ※リメイク前まで投稿しているところまで書き直せたので、二章はかなりの速度で投稿していきます。

処理中です...