上 下
158 / 438

第158話 のんびりしすぎな彼ら。時間は有限か。「クマちゃんその顔マジで――」

しおりを挟む
 クマちゃんは自身のハンコを押した素敵な貝殻を見て、うむ。と頷いた。
 これなら、クマちゃんからの贈り物ですよ、というのが一目で分かるだろう。
 ピンク色がキラキラしているのも可愛い。
 うむ。一つ目の贈り物は完成である。


 クマちゃんの愛らし過ぎる贈り物を間近で見てしまったクライヴが、服の胸元を強く握りしめ、「……く……う……」と苦し気に呟く。
 彼はリオが凭れていたふわふわの山の中へボスッ、と手を入れ、クッションを一つ奪い、気配を消した。
 マスターが「おいクライヴ、大丈夫か」と少し離れた場所を見つめ、声を掛けている。
 
「俺のクッション……」

 最高の寝心地になるよう整えていた巣を崩され、リオが寂しそうな声を出す。
 しかし隣からボフ、と飛んで来たクッションに「リーダーありがとー!」とすぐに元気になった。
 返事をすることすら面倒なのか、ルークは切れ長の美しい瞳をスッと動かしただけで『ああ』とも『細けぇな』とも言わない。
 クマちゃんに係わること以外すべてが面倒な彼は、もこもこが『クマちゃ……』と言わない限り、寛ぐ場所の形には拘らないようだ。

 巣の修理をしたリオは、ルークの膝に戻り生徒会長のお手紙を「クマちゃ……、クマちゃ……」と読んでいる愛らしいもこもこを見て思った。

 ――俺もクマちゃんの肉球の模様が付いたものが欲しい。

「クマちゃん俺にも押して。えーと……じゃあこれ」

 一番上のクッションを掴み、もこもこに差し出す。
 もこもこは頷き「クマちゃ」と言った。

 猫のようなもこもこの真っ白なお手々が、朱肉の入った容器にかざされ、ムニ、とインクが付けられる。
 クマちゃんはそのお手々を、リオのクッションの上へスッと動かした。

 ――ぽふ――。

 クマちゃんが真っ白なお手々を退けると、そこにはピンク色のキラキラ光った肉球の跡が残っている。

「やばい可愛すぎる……クマちゃんありがとー!」

 リオはじっとそれを見つめ、かすれた声で呟くと、クマちゃんに礼を言った。
 このクッションは自分専用にしよう。
 嬉しそうな彼は「クマちゃ」と頷いているもこもこを、ルークから奪った。
 丸くて可愛い頭に頬擦りしながら「あーもこもこ。マジもこもこ」とクマちゃんがもこもこであることを確かめ、

「クマちゃんそれ拭かなくていーの?」

インクが付いているであろうお手々を、そっと裏返した。
 しかし、クマちゃんの肉球はキラキラしない普通のピンク色で、被毛はいつも通り真っ白である。

「あれ、インク付いてなくね?」

 もしかして、一度押すとハンコ側のインクだけ消える仕組みなのだろうか、とリオが思ったとき。
 彼の側を通り過ぎた光の魚と共に、僅かに空気が動き、甘酸っぱい、果物の香りを感じた。

「ん? 何かイチゴの匂いすんだけど」

 かすれた声が呟く。
 その言葉を聞いたもこもこは、彼の手から自身の肉球をスッと取り返し、お昼寝中の子猫のような格好で、愛らしく手首を折り曲げた。
 可愛いピンク色の肉球は、キュッと丸められたお手々に隠され、見えなくなってしまった。
 仰向けに抱かれたクマちゃんが、つぶらな瞳で彼を見上げ、チャ、チャ、チャと小さく舌を動かしている。
 
 ――めちゃくちゃ可愛い。

「……可愛い……けどなんか気になる。クマちゃんその手もっかい見せて」

 何故か悔しそうな表情でもこもこを褒め、リオは丸めたお手々を優しく開こうとした。
 しかしもこもこは、猫のようなお手々の先にギュッと力を入れ、肉球を隠し続けている。

 ――怪しい。

「クマちゃん何か隠してるでしょ」

 リオは目を限界まで細め、もこもこした生き物を観察する。
 クマちゃんを顔の高さまで持ち上げ、愛らしすぎる白いお手々に鼻先を近付けた。
 名探偵リオはかすれた声で呟く。

「イチゴの匂いがする……」

 彼に持ち上げられ、短い足をぷらんと垂らしているもこもこは幼く愛らしい声で「クマちゃ……」と返した。

『クマちゃ……』と。

 いいえ、そんなことはないはずです、という意味だ。
  
「クマちゃん……イチゴ味のインク舐めようとか悪いこと考えてたでしょ」

 名探偵リオはもこもこに告げた。『クマちゃん、駄目!』と。
 クマちゃんはまるでひどいことを言われたもこもこのように、サッと両手の肉球で口元を隠し、瞳を潤ませ、もこもこもこもこと震えている。

「はい、お手々綺麗にしましょうねー」
 
 リオは口元を隠すフリをしているもこもこが肉球を舐める前に、愛らしいお手々をふわふわの布で拭いた。
 魔法で少しだけ水を出し、念入りに。
 クマちゃんが子猫のような声で「クマちゃん! クマちゃん!」と叫んでいる。

『クマちゃんの! クマちゃんの!』と。

 いつもなら愛らしいもこもこの味方をしてくれる他の保護者達は

「あー。インクは、まずいんじゃねぇか……?」

「うーん……クマちゃんが成分を変えているのかもしれないけれど……」

「食いもんじゃねぇだろ」

座ったまま緊急会議を開いていた。
 もこもこが魔法で加工していたとしても、元がインクのそれを舐めるのは止めた方がいいだろう。

「クマちゃんその顔マジで傷つくんだけど……」

 お手々が綺麗になったクマちゃんを抱っこしているリオは顔を顰めた。
 腕の中のもこもこが〈きらいなにおいを嗅いだ時の猫の顔〉をしている。
 クマちゃんはもこもこの口を開いたまま、まん丸の瞳をさらにまん丸にして彼の顔を見上げていた。
 口元がいつもよりもふっと膨らんでいる。

「……クマちゃんお手紙書くんじゃなかったっけ」

 リオはもこもこに『あなたにはすべきことがあります』と告げ、肉球のことを忘れてもらうことにした。
 

 リオにイチゴ味のお手々を拭かれ、『リオちゃんはクマちゃんに意地悪なことをしましたね』と視線で訴えていたクマちゃんは、彼の言葉でハッと思い出した。
 そうだ。クマちゃんは生徒会長にお返事を書くのだった。
 マスターがくれた便箋はどこにあるのだろうか。


 緊急会議を終えたマスター達がリオともこもこを見守っていると、〈きらいなにおいを嗅いだ時の猫の顔〉を止めたクマちゃんが「クマちゃん……、クマちゃん……」と小さな声で呟いた。

『クマちゃん……、びんせんちゃん……』と。

「ん? 便箋ならあの家に置いたはずだが……ちょっと待ってろ」

 マスターは立ち上がり、数メートル先に見えているクマちゃんの別荘入り口へ向かう。
 彼はその途中で床へ手を伸ばすと、気配を消していた氷の紳士の腕を引っ張り、クライヴが立ち上がるのを確認せずにそのまま歩いて行った。
 起こされたクライヴは何事もなかったように立ち上がり、最初に自分が座っていたクッションの山へと戻る。

 
 クマちゃんの別荘から戻って来た彼の手は、便箋と封筒を持っているように見えたが、何故か片手で目元を隠し、こめかみを揉んでいた。

「マスター便箋少なくね? 全然五十枚あるように見えないんだけど」

 一生懸命もこもこを撫で、愛らしい顔に戻そうとしていたリオが、彼の手元を見ながら余計なことを言う。
 もこもこの小さな黒い湿った鼻の上に、皺が増えた。

「……もしかしたらクッションの下にあるのかもしれんが……。それより、あの綺麗なランプの素材は何だ?」

 マスターはリオの言葉のナイフをスッと躱す。 
 あの部屋で気になったことがあるのだ。
 籠のように編まれた寝椅子とクッションの山を覗き込み、数枚しか見つからない便箋を拾いながら、目に付いた物があった。
 室内を柔らかく照らす、美麗な睡蓮。
 本物の花びらのようなランプはガラスではなく、さらりとした手触りだった。
 まるで薄い布と、高級な紙を、合わせたような――。

「え、知らないけど。つーかその便箋何枚あんの?」

 金髪の男は彼が何を言いたいのか察することをせず、クマちゃんの便箋の枚数を尋ねた。
 彼の手は優しくもこもこを撫でているが、小さなお鼻の上に出来た皺は減っていないようだ。

「……五枚だ」

 マスターの渋い声は、いつもよりもさらに渋く聞こえた。
 クマちゃんの幼く愛らしい「クマちゃん!」という悲鳴が響いた。

『五枚ちゃん!』と。

 クマちゃんは生徒会長へのお返事を、便箋五枚に纏めなければならないらしい。



 その頃彼らは。

「聖なる泉を温泉代わりにしていいんすかね……」

 副会長は濡れた髪を雑にかき上げ、彼らに尋ねた。

「『みなさん、クマちゃんの温泉で元気になってください』……と私の可愛いクマちゃんが言ってる気がするよ……」

 生徒会長は長いまつ毛に付いた水滴を瞬きで払った。
 頬を雫が滑り落ちる。
 彼は言葉を続けた。

「とても癒されるね」

 被毛がクルンとした猫のような会計は、彼らに冷めた視線を向け、冷静に呟いた。
 濡れた髪はいつもよりも更にクルンとしている。

「……元々美クマちゃんの花畑のおかげで、疲れてませんよね」

 淡いピンク色のお湯に、可愛らしいピンク色の花びらがふわりと落ちた。
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

お帰り転生―素質だけは世界最高の素人魔術師、前々世の復讐をする。

永礼 経
ファンタジー
特性「本の虫」を選んで転生し、3度目の人生を歩むことになったキール・ヴァイス。 17歳を迎えた彼は王立大学へ進学。 その書庫「王立大学書庫」で、一冊の不思議な本と出会う。 その本こそ、『真魔術式総覧』。 かつて、大魔導士ロバート・エルダー・ボウンが記した書であった。 伝説の大魔導士の手による書物を手にしたキールは、現在では失われたボウン独自の魔術式を身に付けていくとともに、 自身の生前の記憶や前々世の自分との邂逅を果たしながら、仲間たちと共に、様々な試練を乗り越えてゆく。 彼の周囲に続々と集まってくる様々な人々との関わり合いを経て、ただの素人魔術師は伝説の大魔導士への道を歩む。 魔法戦あり、恋愛要素?ありの冒険譚です。 【本作品はカクヨムさまで掲載しているものの転載です】

のほほん異世界暮らし

みなと劉
ファンタジー
異世界に転生するなんて、夢の中の話だと思っていた。 それが、目を覚ましたら見知らぬ森の中、しかも手元にはなぜかしっかりとした地図と、ちょっとした冒険に必要な道具が揃っていたのだ。

超時空スキルを貰って、幼馴染の女の子と一緒に冒険者します。

烏帽子 博
ファンタジー
クリスは、孤児院で同い年のララと、院長のシスター メリジェーンと祝福の儀に臨んだ。 その瞬間クリスは、真っ白な空間に召喚されていた。 「クリス、あなたに超時空スキルを授けます。 あなたの思うように過ごしていいのよ」 真っ白なベールを纏って後光に包まれたその人は、それだけ言って消えていった。 その日クリスに司祭から告げられたスキルは「マジックポーチ」だった。

プラス的 異世界の過ごし方

seo
ファンタジー
 日本で普通に働いていたわたしは、気がつくと異世界のもうすぐ5歳の幼女だった。田舎の山小屋みたいなところに引っ越してきた。そこがおさめる領地らしい。伯爵令嬢らしいのだが、わたしの多少の知識で知る貴族とはかなり違う。あれ、ひょっとして、うちって貧乏なの? まあ、家族が仲良しみたいだし、楽しければいっか。  呑気で細かいことは気にしない、めんどくさがりズボラ女子が、神様から授けられるギフト「+」に助けられながら、楽しんで生活していきます。  乙女ゲーの脇役家族ということには気づかずに……。 #不定期更新 #物語の進み具合のんびり #カクヨムさんでも掲載しています

善人ぶった姉に奪われ続けてきましたが、逃げた先で溺愛されて私のスキルで領地は豊作です

しろこねこ
ファンタジー
「あなたのためを思って」という一見優しい伯爵家の姉ジュリナに虐げられている妹セリナ。醜いセリナの言うことを家族は誰も聞いてくれない。そんな中、唯一差別しない家庭教師に貴族子女にははしたないとされる魔法を教わるが、親切ぶってセリナを孤立させる姉。植物魔法に目覚めたセリナはペット?のヴィリオをともに家を出て南の辺境を目指す。

辺境伯令嬢に転生しました。

織田智子
ファンタジー
ある世界の管理者(神)を名乗る人(?)の願いを叶えるために転生しました。 アラフィフ?日本人女性が赤ちゃんからやり直し。 書き直したものですが、中身がどんどん変わっていってる状態です。

巻き込まれ召喚・途中下車~幼女神の加護でチート?

サクラ近衛将監
ファンタジー
商社勤務の社会人一年生リューマが、偶然、勇者候補のヤンキーな連中の近くに居たことから、一緒に巻き込まれて異世界へ強制的に召喚された。万が一そのまま召喚されれば勇者候補ではないために何の力も与えられず悲惨な結末を迎える恐れが多分にあったのだが、その召喚に気づいた被召喚側世界(地球)の神様と召喚側世界(異世界)の神様である幼女神のお陰で助けられて、一旦狭間の世界に留め置かれ、改めて幼女神の加護等を貰ってから、異世界ではあるものの召喚場所とは異なる場所に無事に転移を果たすことができた。リューマは、幼女神の加護と付与された能力のおかげでチートな成長が促され、紆余曲折はありながらも異世界生活を満喫するために生きて行くことになる。 *この作品は「カクヨム」様にも投稿しています。 **週1(土曜日午後9時)の投稿を予定しています。**

貧乏育ちの私が転生したらお姫様になっていましたが、貧乏王国だったのでスローライフをしながらお金を稼ぐべく姫が自らキリキリ働きます!

Levi
ファンタジー
前世は日本で超絶貧乏家庭に育った美樹は、ひょんなことから異世界で覚醒。そして姫として生まれ変わっているのを知ったけど、その国は超絶貧乏王国。 美樹は貧乏生活でのノウハウで王国を救おうと心に決めた! ※エブリスタさん版をベースに、一部少し文字を足したり引いたり直したりしています

処理中です...