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第153話 「クマちゃんあれお家じゃなくて――だから」
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「クマちゃんまだ休まないの?」
クマちゃんの終わりなきもこもこ高級リゾート計画を知らないリオは、吞気に尋ねた。
彼には、ルークのように愛らしいもこもこを腹の上に乗せ、もこもこもこもこ撫でまわしながら『あーめっちゃもこもこしてる……もこもこ』と、クマちゃんのもこもこを堪能しつつ夜景を楽しむ――という野望がある。
最強の男から愛しのクマちゃんを奪えるとは思わないが、十五分くらいであれば望みは叶うかもしれない。
皆が座っているソファに囲まれた、低いテーブルの上。黄色いヘルメットを被ったもこもこは、肉球が付いた猫のような両手をそっと胸元で交差し、幼く愛らしい声で答えた。
「――クマちゃん、クマちゃん――」
『――クマちゃん、高級ちゃん――』と。
クマちゃんは高級感のある建物を建てたいのです、という意味だ。
しかしもこもこの難解な言葉を理解できるのはルークだけで、面倒を嫌うルークは、リオがもこもこの言葉が分からなくても『聞けば分かんだろ』としか言わない。
クマちゃんの言葉をすべて理解したければ、リオが自力で頑張るしかないのだ。
「クマちゃんまたなんか格好つけてるでしょ……高級ちゃんてもしかして、このソファとランプのこと? もう十分綺麗だと思うんだけど」
もこもこの『高級ちゃん』よりも胸元で交差した猫のような、先の丸いもこもこのお手々が気になってしまう。
リオはふわふわすぎて起き上がりたくないクマちゃん製ソファに横になったまま、テーブルの上の〝恰好をつけているが愛らしいもこもこ〟を見た。
「素敵になったこの場所のように、高級感のある建物を建てたい、という意味なのではない? ――僕はクマちゃんのおかげでとても元気になったから、君と一緒に仲良く工事をしてもいい?」
なんとなくもこもこの言いたいことが分かるウィルは、リオに説明をしたあと、天才現場職人に優しく尋ねた。
赤ちゃんなクマちゃんはもうお休みする時間だと思うが、やりたいことがあるもこもこを止めるのは難しいだろう。
怪我をしないように近くで見守りたい。
それに、美しく高級感のある建物をクマちゃんと一緒につくる、というのはとても楽しそうだ。
だらだらしていたリオも起き上がり、
「えー。じゃあ俺も」
座ったままテーブルへ手を伸ばした。
「クマちゃん俺もーめっちゃ元気だから一緒にやろー」
彼は抱き上げたもこもこの邪魔なヘルメットをスポッと脱がせると、もこもこしていて可愛い頭に「あーマジもこもこ……めっちゃもこもこ……」と頬擦りをする。
クマちゃんはウィルの『君と一緒に仲良く工事を――』というお誘いに強く惹かれたらしい。
リオに頬擦りされ、美しい毛並みをぼさぼさに乱しながら「――クマちゃ――」と答え、猫のようなお手々を胸元で交差させたまま、深く頷いた。
『――仲良し、工事ちゃん――』と。
◇
皆で仲良く楽しく工事をするのであれば、クマちゃんが予定していたよりも、もっと丁寧な作業が出来るはずだ。
この部屋から出ずにそちらの壁に穴を開け、そこから魔法を飛ばそうと思っていたが――。
やはり、一度お外へ出てから作業をしよう。
うむ。今からするのは『仲良しな工事』なのだから、くっついたまま色々しなければならない。
難しそうだが、世界一仲良しなクマちゃん達なら不可能ではないだろう。
リオがぼさぼさにしたクマちゃんを、ルークがもこもこ専用ブラシで美しく整え「リーダーもうぼさぼさにしないからもっかいクマちゃん抱っこさせて」と、金髪が信用できないかすれた発言をしていると、彼の腕の中でいつも通り美しくなった現場職人が、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言った。
『お外で、仲良し工事ちゃん』と。
もこもこした職人の言葉に従い、外に出た四人と一匹とお兄さんとゴリラちゃん。
リオはルークとの交渉『クマちゃん抱っこさせて』に失敗し、彼の腕の中のもこもこを、腕を組んだままじっと見ている。
再びヘルメットを装備し、凛々しくなった現場職人クマちゃん。
肉球で握ったくしゃっとした白い紙に怪しいキノコでメモを取りつつ、「クマちゃん、クマちゃん」と仲間達に指示を出す。
『お兄ちゃん、お家ちゃん』と。
皆でお兄ちゃんのお家に入りましょう、という意味だ。
「クマちゃんあれお家じゃなくてベッドだから。みんなで入るもんじゃないから」
リオは花畑から浮いている天蓋付きのベッドへチラ――と視線を投げ、高貴なお兄さんの家の敷地がベッド一個分しかないと思っているひどい獣に『クマちゃん、間違っていますよ』と説明をする。
しかし自宅も別荘も展望台も持っている富豪なもこもこは深く頷き「クマちゃ」と言った。
『みんなちゃん』と。
みんなちゃんでお兄ちゃんのお家に入りましょう、という意味だ。
先程と何も変わっていない。
「えぇ……」という誰かの声は当然のように聞き流され、細かいことを気にしない男はもこもこを抱いたまま人様のベッドに堂々と腰掛け、いつものように長い脚を組んだ。
お兄さんに止められることも無く、全員で天蓋付きのベッドに座った彼ら。
反対側だともこもこが見えなくなるという理由で、全員ルークともこもこのいるほうに固まっている。
ベッドを囲っていた薄く透ける布は、四隅でゆったりと束ねられている。
それが邪魔になるわけではないが、長身の男達がベッドの片側に四人かたまって座っているのは非常に暑苦しい。
真ん中に座ったルークからもこもこを奪おうと目論むリオが彼の隣に座り、再びクマちゃんをぼさぼさにしようと企む悪漢を成敗するため、その隣にクライヴが座った。
そして空いている場所に座ったウィルは、ルークの腕の中のもこもこと「やぁクマちゃん。可愛らしい君の隣に座ることができて嬉しいよ」と仲良く握手をしている。
持ち主であるお兄さんはスルリと中へ入ると、大きな枕やクッションが置かれている場所へ、ふわりと背を預けた。
――どういう仕組みなのか、中に入ると靴は自然と消えるらしい。
長身の成人男性が五人横になっても余裕がありそうな、広すぎるベッドだ。
紺色と青色と深い緑を合わせたような不思議な色合いの紗が、夜の花畑に溶け込むように馴染んでいる。
皆で仲良くベッドにおさまり深く頷いたクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」とお兄さんへ話しかけた。
『お兄ちゃん、おかたづけ』と。
「――これで良いか」
もこもこに尋ねるお兄さんの、低くて美しい、頭に響く不思議な声。
クマちゃんの別荘横に置かれていた彼らの巨大クッション兼ベッド、日除け、敷物は、彼らの目の前で闇にのまれた。
「夜だと余計こえー」
背中側へ伸ばした両手をベッドに突き、かすれた声で呟く金髪は右半身に冷気を感じていた。クライヴがリオを見張っている。
彼は思った。
――怖いうえに寒い。
ルークの腕の中のもこもこは、計画書か、設計図か――謎の物体をキノコのペンで描き込んでいたが、平らな場所へ行きたくなったらしい。
ヨチヨチもこもこと子猫のように移動をすると、リオとルークの斜め後ろ辺りで作業を再開した。
「クマちゃん何描いてんの? つーかそこで描いたらもっとぐしゃってなるんじゃね?」
もこもこの作業スペースが歪まないよう、ベッドに手を突くのをやめたリオが、振り向きながらもこもこに尋ねたが、真剣なクマちゃんの耳に彼の声は届かない。
もこもこは肉球とキノコと柔らかいベッドでぐしゃっとなった紙に一生懸命ペンを走らせている。
――細かいことを気にする人間と違い、紙がぐしゃぐしゃになってもクマちゃん画伯には関係ないようだ。
何かが完成したらしいもこもこが、鞄の中を漁り、可愛い肉球でせっせと絵の具を出している。
「クマちゃんそこで絵の具出したらお兄さんのシーツもぐちゃぐちゃになるよ」
この中で一番真面目な男がもこもこに声を掛けるが、真剣なもこもこは手を止めない。
もこもこのママ兼パパ、ルークは『細けぇな』と口に出すこともせず、作業を見守っている。
集中しているクマちゃんの邪魔をしないためなのか、『細けぇな』と言うのが『めんどくせぇ』のかは、本人にしか分からない。
真っ白なシーツは芸術的な色合いになったが、お兄さんは全く気にしていないようだ。
不思議な力でどうにか出来るのだろう。
少しも渇いていない絵の具を載せた紙を持ち、もこもこがルークのもとへ戻って来た。
彼は長い指で紙を掴み「うめぇな」と綺麗な色合いのそれを褒める。ふわりと吹いた魔法の風が、クシャクシャの紙を乾かした。
準備が終わったらしいもこもこがごそごそと杖を取り出し、もこもこに魔石を渡したいクライヴが、リオをベッドの内側へぐぐぐ、と退かした。
「絵の具やばい絵の具やばい」かすれた声が花畑に響く。
内側へ、というのと、絵の具の付いていない場所に、というのが彼の優しいところだ。
数センチ左にずれると、もこもこがぐちゃぐちゃにしたカラフルシーツがある。
上半身をベッドにぐぐぐ、と倒されたリオが「普通にひどいと思うんだけど」とぼやいているが、当然誰も聞いてくれない。
黒革に包まれた男の手が彼の上を通り過ぎ、魔石がルークの横へカチャカチャと積まれていく。
彼に杖を預け鞄をごそごそ漁ったもこもこは、ルークの大きな手の上に、そっと大事な模型を載せた。
広々とした湖畔の花畑。湖を囲むたくさんの巨大クッション。
そんな中、敢えて一つのベッドに全員で座る、仲良しすぎる彼ら。
皆と一緒が大好きなもこもこは、仲良しな仲間達が狭い場所で仲良くしていることを確かめ、満足そうに頷いた。
うむ。ベッドと一緒になったような不思議なお家は、皆で集まるのにぴったりな、素敵な大きさである。
もっと狭くてもいいと思うが、それだと寝ている時に落ちてしまうのかもしれない。
きっとお兄ちゃんは寝相が良くないのだろう。
早く皆で寝られる、広くて高級感のある建物を作らなくては。
すべての準備を整えた現場職人は、小さな黒い湿った鼻の上にキュッと皺を寄せ、乾いたばかりの完成予想図を肉球でクシャクシャにしつつ、願いをこめて杖を振った。
真っ白な模型と魔石、もこもこの握っていたクシャクシャの紙が、淡い輝きを放ちながら風に舞い、フワフワと進んでゆく。
そして、別荘から離れ、森の近くで止まったそれは、突然爆発したかのように光を強めた。
別荘の壁が爆発した時から様子を窺っていた冒険者、ギルド職員達が『ギャー、目がー!』と騒ぐ、美しくない声があちこちから聞こえる。
少し眩しいが直接見ても問題はない、人体に優しい癒しの光はすぐにおさまった。
彼らが目を開けると、そこにあるのは真っ白な柱、紗のように透ける薄い布、天井を覆うガラス、あちこちに飾られた植物と、木の実のように生るランプ。
「すっげぇ綺麗ー!! これ、もしかして温室?」
白と緑、歪みのないガラスとランプで作られた建物を見て、腹筋を使いひょい、と起き上がったリオが、素直な感想を口にした。
ぼんやりと淡く光る花畑に建つそれは、あまりに幻想的で美しい。
木の実の形のランプは少しずつ色の違う赤、黄色、ややオレンジがかったもの、色の付いていないものなど様々だ。
もこもこの素晴らしい魔法でつくられたそれの美しさに気を取られているリオは、別荘とガラスの温室、あと一センチでもずれていればどちらかが衝撃で壊れていたのでは――というほど、二つの建物が密着していることに気付いていない。
もこもこは何でも一緒が好きなのだ。
ルークは腕の中のもこもこを長い指で優しく擽り、
「すげぇな」
と低く色気のある声で褒める。
彼の短い言葉は分かりにくいが、クマちゃんにはちゃんと『可愛い』や『綺麗』という彼の気持ちが伝わっていた。
クマちゃんはふんふんふんふんと湿ったお鼻で彼に、嬉しい、ありがとうを伝え、ルークは片手でクマちゃんの、嬉しい、ありがとうを受け止めながら、杖と絵の具を片付ける。
氷のような瞳を、愛らしい色合いのランプに照らされたガラスの温室へ向け、クライヴが静かに呟いた。
「ガラスの、クマ耳――……」と。
彼は衝撃を受けていた。
温もりなど感じないはずのガラスが、クマの形で愛らしくなっている。
クライヴは初めて、ガラスに愛情を感じた。
「美しいし、とても愛らしいね。あのガラスの天井についた同じ素材の耳が、特に。――一目でクマちゃんの建物だと分かるよ」
半球を描くガラスの天井へ視線を向けた南国の鳥のような男が、愛おしい者に向けるような笑みを零す。
美しいものを見るのが大好きな彼にとって、天才建築家クマちゃんの作品を一番に見られるのは、非常に幸せなことだった。
絵で描くことはできても実際に建てるのは不可能な建物まで、もこもこした天才の肉球にかかればどんなものでも再現出来てしまう。
この規模のガラスの温室を作るのに必要な金貨は、一体どれほどだろうか。などと、つい必要のないことを考えてしまった。
それに、山積みの金貨を集めることが出来たとしても、ここまで幻想的で美しく、可愛らしいものを作れるのは、やはりクマちゃんだけだろう。
頭を振った彼は、余計なことを考えるのを止め、もこもこへと視線を移した。
クマちゃんと過ごす時間は楽しく使った方が良い。
「中を見てもいい?」
ウィルは涼やかな声で、クマちゃんに優しく尋ねた。
クマちゃんの終わりなきもこもこ高級リゾート計画を知らないリオは、吞気に尋ねた。
彼には、ルークのように愛らしいもこもこを腹の上に乗せ、もこもこもこもこ撫でまわしながら『あーめっちゃもこもこしてる……もこもこ』と、クマちゃんのもこもこを堪能しつつ夜景を楽しむ――という野望がある。
最強の男から愛しのクマちゃんを奪えるとは思わないが、十五分くらいであれば望みは叶うかもしれない。
皆が座っているソファに囲まれた、低いテーブルの上。黄色いヘルメットを被ったもこもこは、肉球が付いた猫のような両手をそっと胸元で交差し、幼く愛らしい声で答えた。
「――クマちゃん、クマちゃん――」
『――クマちゃん、高級ちゃん――』と。
クマちゃんは高級感のある建物を建てたいのです、という意味だ。
しかしもこもこの難解な言葉を理解できるのはルークだけで、面倒を嫌うルークは、リオがもこもこの言葉が分からなくても『聞けば分かんだろ』としか言わない。
クマちゃんの言葉をすべて理解したければ、リオが自力で頑張るしかないのだ。
「クマちゃんまたなんか格好つけてるでしょ……高級ちゃんてもしかして、このソファとランプのこと? もう十分綺麗だと思うんだけど」
もこもこの『高級ちゃん』よりも胸元で交差した猫のような、先の丸いもこもこのお手々が気になってしまう。
リオはふわふわすぎて起き上がりたくないクマちゃん製ソファに横になったまま、テーブルの上の〝恰好をつけているが愛らしいもこもこ〟を見た。
「素敵になったこの場所のように、高級感のある建物を建てたい、という意味なのではない? ――僕はクマちゃんのおかげでとても元気になったから、君と一緒に仲良く工事をしてもいい?」
なんとなくもこもこの言いたいことが分かるウィルは、リオに説明をしたあと、天才現場職人に優しく尋ねた。
赤ちゃんなクマちゃんはもうお休みする時間だと思うが、やりたいことがあるもこもこを止めるのは難しいだろう。
怪我をしないように近くで見守りたい。
それに、美しく高級感のある建物をクマちゃんと一緒につくる、というのはとても楽しそうだ。
だらだらしていたリオも起き上がり、
「えー。じゃあ俺も」
座ったままテーブルへ手を伸ばした。
「クマちゃん俺もーめっちゃ元気だから一緒にやろー」
彼は抱き上げたもこもこの邪魔なヘルメットをスポッと脱がせると、もこもこしていて可愛い頭に「あーマジもこもこ……めっちゃもこもこ……」と頬擦りをする。
クマちゃんはウィルの『君と一緒に仲良く工事を――』というお誘いに強く惹かれたらしい。
リオに頬擦りされ、美しい毛並みをぼさぼさに乱しながら「――クマちゃ――」と答え、猫のようなお手々を胸元で交差させたまま、深く頷いた。
『――仲良し、工事ちゃん――』と。
◇
皆で仲良く楽しく工事をするのであれば、クマちゃんが予定していたよりも、もっと丁寧な作業が出来るはずだ。
この部屋から出ずにそちらの壁に穴を開け、そこから魔法を飛ばそうと思っていたが――。
やはり、一度お外へ出てから作業をしよう。
うむ。今からするのは『仲良しな工事』なのだから、くっついたまま色々しなければならない。
難しそうだが、世界一仲良しなクマちゃん達なら不可能ではないだろう。
リオがぼさぼさにしたクマちゃんを、ルークがもこもこ専用ブラシで美しく整え「リーダーもうぼさぼさにしないからもっかいクマちゃん抱っこさせて」と、金髪が信用できないかすれた発言をしていると、彼の腕の中でいつも通り美しくなった現場職人が、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言った。
『お外で、仲良し工事ちゃん』と。
もこもこした職人の言葉に従い、外に出た四人と一匹とお兄さんとゴリラちゃん。
リオはルークとの交渉『クマちゃん抱っこさせて』に失敗し、彼の腕の中のもこもこを、腕を組んだままじっと見ている。
再びヘルメットを装備し、凛々しくなった現場職人クマちゃん。
肉球で握ったくしゃっとした白い紙に怪しいキノコでメモを取りつつ、「クマちゃん、クマちゃん」と仲間達に指示を出す。
『お兄ちゃん、お家ちゃん』と。
皆でお兄ちゃんのお家に入りましょう、という意味だ。
「クマちゃんあれお家じゃなくてベッドだから。みんなで入るもんじゃないから」
リオは花畑から浮いている天蓋付きのベッドへチラ――と視線を投げ、高貴なお兄さんの家の敷地がベッド一個分しかないと思っているひどい獣に『クマちゃん、間違っていますよ』と説明をする。
しかし自宅も別荘も展望台も持っている富豪なもこもこは深く頷き「クマちゃ」と言った。
『みんなちゃん』と。
みんなちゃんでお兄ちゃんのお家に入りましょう、という意味だ。
先程と何も変わっていない。
「えぇ……」という誰かの声は当然のように聞き流され、細かいことを気にしない男はもこもこを抱いたまま人様のベッドに堂々と腰掛け、いつものように長い脚を組んだ。
お兄さんに止められることも無く、全員で天蓋付きのベッドに座った彼ら。
反対側だともこもこが見えなくなるという理由で、全員ルークともこもこのいるほうに固まっている。
ベッドを囲っていた薄く透ける布は、四隅でゆったりと束ねられている。
それが邪魔になるわけではないが、長身の男達がベッドの片側に四人かたまって座っているのは非常に暑苦しい。
真ん中に座ったルークからもこもこを奪おうと目論むリオが彼の隣に座り、再びクマちゃんをぼさぼさにしようと企む悪漢を成敗するため、その隣にクライヴが座った。
そして空いている場所に座ったウィルは、ルークの腕の中のもこもこと「やぁクマちゃん。可愛らしい君の隣に座ることができて嬉しいよ」と仲良く握手をしている。
持ち主であるお兄さんはスルリと中へ入ると、大きな枕やクッションが置かれている場所へ、ふわりと背を預けた。
――どういう仕組みなのか、中に入ると靴は自然と消えるらしい。
長身の成人男性が五人横になっても余裕がありそうな、広すぎるベッドだ。
紺色と青色と深い緑を合わせたような不思議な色合いの紗が、夜の花畑に溶け込むように馴染んでいる。
皆で仲良くベッドにおさまり深く頷いたクマちゃんが、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」とお兄さんへ話しかけた。
『お兄ちゃん、おかたづけ』と。
「――これで良いか」
もこもこに尋ねるお兄さんの、低くて美しい、頭に響く不思議な声。
クマちゃんの別荘横に置かれていた彼らの巨大クッション兼ベッド、日除け、敷物は、彼らの目の前で闇にのまれた。
「夜だと余計こえー」
背中側へ伸ばした両手をベッドに突き、かすれた声で呟く金髪は右半身に冷気を感じていた。クライヴがリオを見張っている。
彼は思った。
――怖いうえに寒い。
ルークの腕の中のもこもこは、計画書か、設計図か――謎の物体をキノコのペンで描き込んでいたが、平らな場所へ行きたくなったらしい。
ヨチヨチもこもこと子猫のように移動をすると、リオとルークの斜め後ろ辺りで作業を再開した。
「クマちゃん何描いてんの? つーかそこで描いたらもっとぐしゃってなるんじゃね?」
もこもこの作業スペースが歪まないよう、ベッドに手を突くのをやめたリオが、振り向きながらもこもこに尋ねたが、真剣なクマちゃんの耳に彼の声は届かない。
もこもこは肉球とキノコと柔らかいベッドでぐしゃっとなった紙に一生懸命ペンを走らせている。
――細かいことを気にする人間と違い、紙がぐしゃぐしゃになってもクマちゃん画伯には関係ないようだ。
何かが完成したらしいもこもこが、鞄の中を漁り、可愛い肉球でせっせと絵の具を出している。
「クマちゃんそこで絵の具出したらお兄さんのシーツもぐちゃぐちゃになるよ」
この中で一番真面目な男がもこもこに声を掛けるが、真剣なもこもこは手を止めない。
もこもこのママ兼パパ、ルークは『細けぇな』と口に出すこともせず、作業を見守っている。
集中しているクマちゃんの邪魔をしないためなのか、『細けぇな』と言うのが『めんどくせぇ』のかは、本人にしか分からない。
真っ白なシーツは芸術的な色合いになったが、お兄さんは全く気にしていないようだ。
不思議な力でどうにか出来るのだろう。
少しも渇いていない絵の具を載せた紙を持ち、もこもこがルークのもとへ戻って来た。
彼は長い指で紙を掴み「うめぇな」と綺麗な色合いのそれを褒める。ふわりと吹いた魔法の風が、クシャクシャの紙を乾かした。
準備が終わったらしいもこもこがごそごそと杖を取り出し、もこもこに魔石を渡したいクライヴが、リオをベッドの内側へぐぐぐ、と退かした。
「絵の具やばい絵の具やばい」かすれた声が花畑に響く。
内側へ、というのと、絵の具の付いていない場所に、というのが彼の優しいところだ。
数センチ左にずれると、もこもこがぐちゃぐちゃにしたカラフルシーツがある。
上半身をベッドにぐぐぐ、と倒されたリオが「普通にひどいと思うんだけど」とぼやいているが、当然誰も聞いてくれない。
黒革に包まれた男の手が彼の上を通り過ぎ、魔石がルークの横へカチャカチャと積まれていく。
彼に杖を預け鞄をごそごそ漁ったもこもこは、ルークの大きな手の上に、そっと大事な模型を載せた。
広々とした湖畔の花畑。湖を囲むたくさんの巨大クッション。
そんな中、敢えて一つのベッドに全員で座る、仲良しすぎる彼ら。
皆と一緒が大好きなもこもこは、仲良しな仲間達が狭い場所で仲良くしていることを確かめ、満足そうに頷いた。
うむ。ベッドと一緒になったような不思議なお家は、皆で集まるのにぴったりな、素敵な大きさである。
もっと狭くてもいいと思うが、それだと寝ている時に落ちてしまうのかもしれない。
きっとお兄ちゃんは寝相が良くないのだろう。
早く皆で寝られる、広くて高級感のある建物を作らなくては。
すべての準備を整えた現場職人は、小さな黒い湿った鼻の上にキュッと皺を寄せ、乾いたばかりの完成予想図を肉球でクシャクシャにしつつ、願いをこめて杖を振った。
真っ白な模型と魔石、もこもこの握っていたクシャクシャの紙が、淡い輝きを放ちながら風に舞い、フワフワと進んでゆく。
そして、別荘から離れ、森の近くで止まったそれは、突然爆発したかのように光を強めた。
別荘の壁が爆発した時から様子を窺っていた冒険者、ギルド職員達が『ギャー、目がー!』と騒ぐ、美しくない声があちこちから聞こえる。
少し眩しいが直接見ても問題はない、人体に優しい癒しの光はすぐにおさまった。
彼らが目を開けると、そこにあるのは真っ白な柱、紗のように透ける薄い布、天井を覆うガラス、あちこちに飾られた植物と、木の実のように生るランプ。
「すっげぇ綺麗ー!! これ、もしかして温室?」
白と緑、歪みのないガラスとランプで作られた建物を見て、腹筋を使いひょい、と起き上がったリオが、素直な感想を口にした。
ぼんやりと淡く光る花畑に建つそれは、あまりに幻想的で美しい。
木の実の形のランプは少しずつ色の違う赤、黄色、ややオレンジがかったもの、色の付いていないものなど様々だ。
もこもこの素晴らしい魔法でつくられたそれの美しさに気を取られているリオは、別荘とガラスの温室、あと一センチでもずれていればどちらかが衝撃で壊れていたのでは――というほど、二つの建物が密着していることに気付いていない。
もこもこは何でも一緒が好きなのだ。
ルークは腕の中のもこもこを長い指で優しく擽り、
「すげぇな」
と低く色気のある声で褒める。
彼の短い言葉は分かりにくいが、クマちゃんにはちゃんと『可愛い』や『綺麗』という彼の気持ちが伝わっていた。
クマちゃんはふんふんふんふんと湿ったお鼻で彼に、嬉しい、ありがとうを伝え、ルークは片手でクマちゃんの、嬉しい、ありがとうを受け止めながら、杖と絵の具を片付ける。
氷のような瞳を、愛らしい色合いのランプに照らされたガラスの温室へ向け、クライヴが静かに呟いた。
「ガラスの、クマ耳――……」と。
彼は衝撃を受けていた。
温もりなど感じないはずのガラスが、クマの形で愛らしくなっている。
クライヴは初めて、ガラスに愛情を感じた。
「美しいし、とても愛らしいね。あのガラスの天井についた同じ素材の耳が、特に。――一目でクマちゃんの建物だと分かるよ」
半球を描くガラスの天井へ視線を向けた南国の鳥のような男が、愛おしい者に向けるような笑みを零す。
美しいものを見るのが大好きな彼にとって、天才建築家クマちゃんの作品を一番に見られるのは、非常に幸せなことだった。
絵で描くことはできても実際に建てるのは不可能な建物まで、もこもこした天才の肉球にかかればどんなものでも再現出来てしまう。
この規模のガラスの温室を作るのに必要な金貨は、一体どれほどだろうか。などと、つい必要のないことを考えてしまった。
それに、山積みの金貨を集めることが出来たとしても、ここまで幻想的で美しく、可愛らしいものを作れるのは、やはりクマちゃんだけだろう。
頭を振った彼は、余計なことを考えるのを止め、もこもこへと視線を移した。
クマちゃんと過ごす時間は楽しく使った方が良い。
「中を見てもいい?」
ウィルは涼やかな声で、クマちゃんに優しく尋ねた。
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