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第144話 クマちゃんリオちゃん。仲良しな二人の特別な仲直り。

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 クマちゃんはとても幸せな気持ちでリンゴジュースを飲んでいた。
 うむ。この美味しいリンゴジュースは、とてもみずっぽくてさっぱりとしている。
 何故か喉が渇いていたクマちゃんにぴったりである。
 残りは移動中にいただこう。
 少しずつ飲めるこのグラスであれば、袋の中でも大事なお洋服を汚さずに、様々な飲み物を楽しめるだろう。
 

「あれ、クマちゃんもういいの?」

 もこもこ専用の椅子に徹していたリオは、哺乳瓶から口を離してしまったクマちゃんにかすれた声で尋ねた。
 クマちゃんはお上品な所作で肉球をペロペロしている。

「あ、リーダー拭くもの貸して」

 クマちゃんの顎に水滴が付いているのを見たリオがもこもこを抱えたまま移動し、魔王のような男からふわふわの布の借りようとしたが、布ももこもこ専用ブラシも持っている彼にクマちゃんをスッと奪われてしまった。

「あ……」

 腕が寂しくなったリオの口から、切なげなかすれ声が漏れる。
 ルークにお顔やお手々を拭いてもらい、綺麗になっていくクマちゃんは嬉しそうだ。
 もこもこは幼く愛らしい声で「クマちゃ」と気合を入れ、ふわふわの布にじゃれつき、小さな黒い湿った鼻の上にキュッと皺を寄せ、獣のような顔でやわらかな繊維をもしゃもしゃしている。
 新品の高級な布はまたしてもくしゃくしゃにされてしまったが、今のリオはもこもこにとても甘い。

「いやそれ絶対安い布でいいでしょ」と言ういつもの小言も、あまり大きな声ではなかった。


「クマちゃん、さっきはごめん。グラス割れ……ヤベー感じになったの俺のせいだし」

 目を吊り上げ獣のような顔でふわふわの布をくしゃくしゃにしている獣へ、リオが声を掛けた。
 一度途切れたのは保護者達の圧を感じたためだ。
『割れた』などという繊細さに欠ける直接的な言い方をするなということだろう。

 ――彼の謝罪を聞いたもこもこの動きが、ピタリと止まった。


 大好きなルークとデザートの後の運動をしていたクマちゃんにリオちゃんが声を掛けてきた。
 彼は何故かクマちゃんに謝っている。
 リオちゃんは何かしたのだろうか。

『――スわれ――た――の俺のせい――』

 ジュースを吸ったのはクマちゃんである。
 クマちゃんはどこも吸われていない。
 しかし、リオちゃんはごめんなさいをして仲直りをしたいらしい。

 うむ。クマちゃんは全く怒っていないが、クマちゃんとリオちゃんが仲直りをするということは、仲直りの儀式をする必要があるだろう。
 
 
 リオはもこもこに謝ったが、クマちゃんは丸くて可愛らしい頭を少しずつ横へ倒し『クマちゃ……』という顔をしている。
 アレは事故であってリオは悪くないと言いたいのだろうか。
 なんて心優しいもこもこだろう。
 何故か深く頷いたクマちゃんが、片手の肉球を口元へ当て『――クマちゃん――』と納得したような動きをしている。
 何かに納得してしまったらしいクマちゃんは可愛いもこもこの口を動かし、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言った。


『リオちゃん、だっこ』と。 


 抱っこをねだられて嬉しいリオは、ルークの腕の中の愛らしいもこもこへ、迷わず手を伸ばす。

「クマちゃんおいでー。……あーマジもこもこ。すげーふわふわ。可愛い…………いや何か怪しくね?」

 彼は自身の腕に戻って来た丸くて可愛いもこもこふわふわの頭に頬を寄せ、もこもこのもこふわ感を堪能するが、何かがおかしい。
 もこもこが意味もなく彼に甘えてくることなど無い――。気付いた彼は強く警戒する。
 リオは目の前のふわふわで可愛いお耳をまふ――と銜えたい誘惑から逃れ、顔を上げた。
 
 愛らしいつぶらな瞳で彼を見上げるクマちゃんが、肉球の付いた可愛い両手に持っているものが気になる。
 もこもこは幼く愛らしい声で「クマちゃ……」と言いつつ、両手でそれを持ち上げている。

『リオちゃ……』と。

 彼の名前を可愛い声で呼びながら、そのブツをリオへ渡そうと、一生懸命もこもこの短いお手々を伸ばし『クマちゃ』してくる。
 可愛い。
 可愛すぎて断れない。

「ありがとクマちゃん……でも俺『俺の像』とか全然いらないんだけど…………」

 クマちゃんに渡されたのは金色に輝く青年の像だ。
 特に髪の毛がキラキラしている。
 制作素材はマスターの金貨である。
 なんて受け取りにくい物を渡してくるもこもこだろうか。
 片手ですっぽり隠せるほど小さなそれは、よく見ると左目部分が青とピンクの宝石、右目が琥珀のようになっており、非常に精巧で素晴らしい作品であると分かる。
 街に落ちていたらすぐに本人のもとへ届けられるだろう。 

 本人に渡して満足したらしいクマちゃんは、ぼーっとどこかを眺めながら何も考えていないような可愛い顔でチャ……、チャ……、チャ……、と舌の調子を確かめている。
 非常に可愛いが、何故か頭に齧りつきたくなる。

「………………ありがとークマちゃん」

 リオは手の中のそれをあまり見ないようにして愛らしいクマちゃんに礼を言う。
 手の温度で温くなったそれを軽く握ったまま、もこもこの頬を人差し指の背でそっと擽る。
 クマちゃんはふんふんふんふんと小さな黒い湿った鼻でリオの手を湿らせ、『どういたしまして』をしてくれた。
 ――可愛い。
 本当に可愛すぎて――苦情が言いにくい。

 しかしこのもこもこは、リオが喜ぶと思ってこの憎らしい純金像を作ってくれたのだ。
 赤ちゃんのクマちゃんには『俺の像マジかっけーマジ金ピカ。格好いいから財布入れて持ち歩くわ』という人間があまり多く無いということが分からないのだろう。
 チャ……、チャ……、としていたもこもこがハッとしたように動きを止めた。
 そしてまたお腹の鞄をごそごそと漁っている。
 今度はどうしたのだろうか。

「クマちゃ」

 もこもこが『クマちゃ』と取り出したのは可愛いクマちゃん像だ。
 ――『儀式ちゃん』と聞こえた気もするが、気のせいだろう。
 本体は純金でリボンは赤い宝石なのだろうか。どちらも魔法が掛かっているせいか、キラキラと輝いている。

 可愛いクマちゃんが可愛い金色のクマちゃん像を、精巧すぎて愛くない金色のリオの像にキン、とぶつけ、愛らしい声で、

「クマちゃん」

と言った。

 なんだか分からないが愛らしくて胸がギュッと痛んだ。

「何クマちゃん。お揃いってこと?」

 いつもよりも優しい眼差しのリオが、腕の中のクマちゃんに尋ねる。
 しかしクマちゃんは頷かず、もう一度リオの像へキン、と像をぶつけ、

「クマちゃん」

と言った。
 もこもこと自身の像で両手が塞がっているリオが「クマちゃん何したいのか全然分かんないけどめっちゃ可愛い」と言いながらもこもこの頭に幸せそうに頬擦りをした。
 もこもこの謎の行動の意味など気にならないくらい、彼は幸せだった。
 
 しかし仲良しな二人を微笑ましげに眺めていたウィルが、リオにとっては『教えてくれなくてよかったんだけど……』という大事な情報を教えてくれた。

「リオ。クマちゃんは君に『リオちゃん』と返して欲しいのだと思うよ」

「普通にツライんだけど」

 酒場の自室でならともかく、ここはおしゃれなカフェテラスで客も通行人もそれなりにいる。
 今のところ苦情は来ていないが、騒がし過ぎる彼らに視線が集まっているのだ。
 ――まさか、先程の『儀式ちゃん』というのはこれの――。

 リオの腕の中から再びキン、という金属音と「クマちゃん」という愛らしい声が聞こえる。
 自身の起床と共に『あなたも起きて下さい。さぁ早く!』と人間を起こす猫のようなところのあるクマちゃんを止められる人間はいない。
 可愛いクマちゃんが仲良しのリオちゃんと仲直りの儀式をすると決めてしまったならば、もこもこを愛する人間であるリオは『……よろしくお願いします……』とそれに参列するしかないのだ。
 
「リオ」
 
 低く色気のある声が、おしゃれなカフェテラスに静かに響いた。
『やれ』と。
 再び気配を消していた氷の紳士も、もこもこと行動を開始したもこもこの後方支援をするため意識を取り戻し、彼を氷の矢で射るような冷気の漂う視線を向けている。
『白いのが待っているだろう』と。

「リーダー…………結界張って」

 窮地に追い込まれた金髪は最強の冒険者に非常識な要求をする。
 しかし意外と仲間想いなルークは、理由も聞かず自分達の周りに強力な結界を張った。
『めんどくせぇな』と言うほうが面倒なのだろう。

 店の窓際とテラス席から「……結界?」「え、敵襲?」「何が起こってるの……?」と動揺する客達の声が聞こえる。
 外の音は遮断しない臨場感のある結界だ。
 ――結界の外側で、空気が張り詰めている。
 店には少々迷惑が掛かっているが、彼らにとっては愛らしいもこもことリオ、一人と一匹の仲直りの儀式のほうが重要だった。

 肉球付きのもこもこのお手々でクマちゃんの像を持っているクマちゃんが、彼の手が持つ金のリオ像にそれをキン、とぶつけ、幼く愛らしい声で「クマちゃん」と言う。
 結界に護られ少し安心したリオがクマちゃんの像へ自身の像をキン、と小さくぶつけ、かすれきった声で「…………リ……ち……」と言う。
 かすれた声が聞こえなかったクマちゃんが同じ動作でキン、と二つの像を鳴らし、幼く愛らしい声で「クマちゃん」と言った。
 観念したリオがキン、と像をぶつけ返してから「……リオちゃん」と言いたくなさそうにぼそぼそと呟いた。


 森の街のおしゃれなカフェテラス。魔王のような容貌の最強の冒険者が張った結界内。
 その中でついに怪しい儀式が始まってしまった。


 ――キン――クマちゃん――キン――……リオちゃん……――キン――クマちゃん――キン――……リオちゃん……――キン――クマちゃん――キン――……リオちゃん……――キン――クマちゃん――…………。


 特に喧嘩はしていない一人と一匹の、仲直りを願う純粋な心が籠められた、高く愛らしいもこもこの声と弱った人間のかすれ声が、平和なカフェテラスに張られた結界内に響く。


 ――キン――……リオちゃん……――キン――クマちゃんクマちゃん――キン――……えぇ……――キン――クマちゃんクマちゃん――キン――……リオちゃん、リオちゃん……――キン――クマちゃんクマちゃんクマちゃん――キン――……えぇ………………。


 愛らしいクマちゃんと災いを招きそうな仲直りの儀式をしながら、リオは心の底から反省した。
 もう絶対に、クマちゃんを泣かせたりしない――。


 
 結界を出た彼らはざわめく客達の声を背に、何事も無かったようにおしゃれなカフェを後にした。
 人のお金を素材にした、純金と宝石で作られた自分達の像をぶつけ合い、互いの名前を甘く呼び合う――癒しの獣ならではのおそろしい儀式に参列してしまった人間は「もうあのカフェ行きたくないんだけど……」といつもよりも更にかすれた声で呟いている。

 クライヴの紳士的なエスコートでもこもこ袋へモフワリと戻った美しく高貴なもこもこは、袋の中で先程残したリンゴジュースを味わっているらしい。
 もこもこの幸せを象徴する淡く可愛らしい花が、氷の紳士と袋の周りにフワ、フワ、と浮かんでいった。
 うっかり耳を澄ませたクライヴが、チュ……、チュ……、という可愛い音を聞いてしまい、袋を抱える手をぶるぶると震わせている。

「いいなー」

 もこリオ・仲直りの儀でしっかりと心を入れ替えた金髪が、歩道からもこもこ袋へ視線を移し心の声を漏らす。
 過酷な儀式を終えた後でも、彼のもこもこ袋への想いは変わっていないらしい。

 スッと凍てつくような視線を向けられた金髪が、サッと視線をどこかへ向けた。

「あれ、何か人集まってる」

 もこもこ占いのおかげで目の良いリオが何かを見つけ、「ちょっと見に行こー」と仲間達を誘う。
 白き生き物に色々なものを見せてやりたいクライヴは、彼の大切なもこもこ袋を狙う悪の金髪を懲らしめる計画を延期し、黒革の手袋に包まれた手で袋をそっと、優しく撫でた。

 氷の紳士の『顔を出しても問題ない』の合図に気付いたもこもこが、もこもことお上品に袋の外へ顔を出し、幼く愛らしい声で「クマちゃ」と言った。

『クマちゃも』と。
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