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第129話 陰気な森でも楽しく過ごすクマちゃん達

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 謎の誘拐犯は滞りなく犯行を終えると「今度は何だ……便箋なら湖の家に置いたぞ」と苦い表情で犯人を説得する冒険者ギルドの管理者――彼を知る人間からは『え、マスターは酒場のマスターですよ』と言われている職業のはっきりしない被害者を連れ、薄暗い靄の広がる気味の悪い根城へ戻った。

 周囲の噂通り酒場のマスターのような風貌の被害者は「おい何だ、この変な色の靄は……」と嫌そうな声を出し、ピンク色のもやもやした何かに包まれている。

 彼が困惑していると怪しい色の靄の中から、犯人一味の悪だくみが聞こえてきた。

「……ちゃんこのタワシ使い方……だけど」

 かすれた声の人物が、タワシで事を起こそうと目論んでいる。

「……マちゃ、……マちゃ」

 隙間風のようなそれに混じり、赤子のような愛らしい声が聞こえる。
 ――決定権は赤子のような『……マ』が握っているようだ。タワシは後で使うらしい。
 ピンク色の靄の中でうっすらと、先に何かが付いた棒を持った金髪と、似た形状の物を持つ白黒の何かがうごめいているのが見えた。

 怪しい人影ともこ影に心当たりのある被害者が、

「――リオと白いのか……何持ってんだあいつら」

と、まるで変な色の靄に包まれてしまった人のような渋い声で呟く。
 靄で視界が悪いせいか、片手で目元を隠すように覆い、中指と親指をこめかみに当てている。

 高貴な誘拐犯は地面に落ちていた凶器を闇色の球体で包み込み、「おい、そのデッキブラシ……酒場のじゃねぇか?」淡いピンク色の中で正義を貫こうとする彼に渡した。
 手元に落ちてきたそれを仕方なく掴んだ彼が、

「――ん?」

と、何かに気付く。

 薄桃色に紛れぼんやりと浮かぶ金髪と白黒、その手と肉球が握るヒラヒラが付いた棒、かすれた『――ちゃんこのタワシ――』、幼く愛らしい『……マちゃ』、見覚えのあるデッキブラシ、その柄を飾る白いクマ――靄のように曖昧だった点と点が繋がる。


 そして、彼はついに「……じゃあアレは、ハタキか?」と、どうでもいい真実に辿り着いた。


 今回酒場から消えたのは、掃除用具のようだ。
 彼の頭を最近度々勃発する盗難事件とその容疑者――白いもこもこが『――クマちゃん――』と過る。
 しかし何度も捜査線上に浮かび上がるもこもこは、誰にもふわふわの丸くて可愛い尻尾を掴ませない。
 凄腕――凄肉球の窃盗犯には、特殊な能力をもつ厄介な共犯者がいるらしい。
 ――あの肉球を止められる者は今後も現れないだろう。

「また俺に苦情が来るな……まぁ白いのが欲しがるなら仕方ねぇが……」

 何度も耳によみがえる『――クマちゃん――』に頭を悩ませている被害者の鼓膜と脳を、

「――人手は多い方がいい」

低く美しい不思議な声が揺らし――もこもこした犯行に加担するよう彼を脅す。
 
 靄からの脱出が遅れれば、関係者以外の立ち入りを禁じた彼の本拠地が、「書類ここ置いておきます~誰も居ないけど~」という不届きものが積み重ねたそれで、大変なことになってしまう――。

 今度は彼の頭にもこもこした真っ白なお手々とピンク色の肉球が『――クマちゃん――』と過る。
 高貴な誘拐犯によると、犯人一味は凄肉球のもこもこに手を貸す人間を集めているらしい。
 深くため息を吐いた彼は片手でもう一度こめかみを揉むと、靄の中から「……マちゃん、……マちゃん」と聞こえる、愛らしく危険な存在が居る方へ、自ら近付いて行った。



「あれ、マスターなんで居んの?」

 クマちゃんが魔法を掛けたもこもこハタキをパタパタと光らせ、腕の中に抱えたもこもこと仲良く靄を消していたリオが、近付いて来た人物に気が付き声を掛けた。
 かすれた声は続けて「マスターやる気満々じゃん」とデッキブラシを持たされている彼に余計なことを言う。

「……それで、白いのは一体ここで何をやってんだ」

 大人なマスターはクソガキのかすれ声を聞き流し、彼の腕の中で小さなハタキをパタパタしている愛らしいもこもこへ尋ねた。
 耳だけが黒いもこもこの帽子を被ったもこもこが、幼く愛らしい声で「クマちゃん、クマちゃん」と言う。

『クマちゃん、お片付け』と。

「そうか……。お前は何をしてても可愛いな」
 
 答えを聞いても意味が分からなかったマスターだったが、彼はいつも通り愛らしいもこもこに優しく笑い「俺も手伝っていいか?」ともこもこの頬を擽るように撫でた。
 マスターが来てくれて嬉しいらしいもこもこが、彼の手を掴まえふんふんふんふんと歓迎の意を表している。

「では説明は僕がするよ。詳しい事は僕たちにも分からないのだけれど――」

 魔力に反応し強い輝きを放つモップを地面に立てた掃除用具が似合わない男が、連れてこられたマスターへ説明を始める。
 腕の装飾品が揺れ、シャラ、と綺麗な音が響いた。

 ウィルはこの森で見つかったらしい泡と、自分達が住む森でもこもこが封鎖した洞窟の話をすると「――もしかしたら、全く関係がないかもしれないけれど」と言って言葉を切った。
 マスターはもこもこが使う石鹼のことをルークに尋ね、彼が面倒そうにそれに答え、クライヴとウィルが真面目な顔で何かを話し合っている。
 


「じゃー俺らは続きやろー」

 難しい話が苦手なリオはマスターとルーク達にそれらを任せ、陣地を広げる遊びのようなそれを可愛いもこもこと共に楽しむことにした。
 腕の中でクマちゃんが「クマちゃん」と言い、深く頷いている。
 もこもこも賛成のようだ。

 彼らは再びパタパタしながら前進し、数歩先で障害物を発見すると「ここの樹灰色過ぎじゃね?」ともこもこハタキで仲良くそれをパタパタした。

 ハタキが光った場所からキラキラと色が広がる。
 灰色がかって見えた幹は生き生きと姿を変え、光は枯れかけた葉へ向かっていった。
 そして彼らのもとへ、瑞々しい緑と、微かな花の香りが届く。
 
「花も咲いたと思うんだけど、やっぱこっからじゃ見えないっぽい」

 頭上の靄を見上げ、リオが呟く。
 彼の腕の中のもこもこが深く頷き「クマちゃ」と言った。

『お花ちゃ』と。



 難しい話を切り上げ「ごめんねクマちゃん、僕たちもすぐに手伝うよ」と戻って来たウィル達と共に靄を晴らしてゆく。

「リーダーのデッキブラシやべぇ……何かゴゴゴって聞こえてきそう」 
 
 ルークが魔力を籠めたそれを見たリオが少し離れた場所で呟く。
 強く輝き、魔王のような彼の魔力を溜め込んだもこもこデッキブラシは、近付きたくない何かを放っている。
 彼のかすれた声を聞いた腕の中のもこもこは、ハッと動きを止め、ふんふんと小さな黒い湿った鼻を鳴らすと、自身の持つハタキを先程よりも早く、パタパタパタパタと動かし、幼く愛らしい声で「クマちゃ」と言った。

 
『ゴゴゴちゃ』と。

 ゴゴゴと鳴りそうな凄いハタキにしたいらしいクマちゃんは、自身の口でゴゴゴと言うことにしたようだ。


 凍ったデッキブラシに容赦なく冷たい魔力を流し込んでいたクライヴが、片手でそれを握ったまま突然その場に片膝を突き、苦しみだした。
 黒い革の手袋をはめた手で胸元の服を強く握りしめ、長いまつ毛を伏せた彼の口元が微かに動く。

『――自分……で…………ゴゴゴ――』と。

「クマちゃん何、『ゴゴゴちゃ』って。なんか可愛くて腹立つんだけど」

 リオは目を限界まで細め、もこもこの可愛さに抵抗している。

「愛らしいクマちゃんのハタキが一番素晴らしいね。癒しの魔力がこちらまで伝わってきて、幸せな気持ちになるよ」

 愛らしいクマちゃんに癒されたウィルが優しい笑みを浮かべ、もこもこのハタキを褒める。
 可愛いもこもこは大好きな彼とお揃いが良いのだろう。
 しかし悪しき力を癒しの力に変えるなどという、神業のようなことが出来るのはもこもこだけだ。
 その上、今までにもこもこが作ったものは、自分だけが使えるもこもこ専用のそれではなく、酒場の仲間達が簡単に使えるものばかりだった。
 ウィルは先程クマちゃんが彼らのために用意してくれた、手の中のもこもこモップに一瞬チラリと視線を向け、やはり、と考えた。
 この中で一番凄いのも、心優しいのも、愛らしいのも、間違いなくもこもこである。


 愛しのもこもこが愛らしく「クマちゃ」とハタキをパタパタしているのを見たルークは微かに目を細め、

「お前が一番に決まってんだろ」

低く色気のある声で、もこもこの愛らしい耳がパタパタしてしまいそうな事を言った。

「俺酒場であーゆーこと言って女の人喜ばせる悪い男見たことある」

 色気の有り過ぎるルークの声はリオの微妙な記憶の引き出しをシュッ!! と開いた。
 どうでもよすぎて普段は開かない引き出しが開いてしまったようだ。
 ――因みにその七年以上開いていない『それはもう全部いらない物ですね』と誰かに指摘されそうな物置、のような引き出しに入っていた『悪い男』は、既に酒場を出入り禁止になっている。
 しかし、リオが『悪い男』と言うようなルークの危険な発言は、田舎の森から街へ出てきたばかりの田舎娘――田舎もこもこのようなもこもこを、両手の肉球でもこもこした口元を押さえ「……クマちゃ……」と涙ぐませるほど喜ばせてしまったらしい。

 腕の中のもこもこの反応に気付いたリオの口から、

「えぇ……」

という、喜びではないかすれた声が漏れる。
 可愛い格好で動きを止め、熱心に彼を見つめているクマちゃんを抱えているリオは、色気が多すぎる無表情な男の危険な褒め言葉に感動し、つぶらな瞳を潤ませ喜ぶ田舎もこもこに強い不安を覚えた。

 不安なリオの頭に浮かぶ、田舎もこもこ物語。
 最近森から出てきたばかりの垢抜けない田舎者――田舎もこ。
 純粋で愛らしい田舎もこは、もこもこの胸をドキドキと高鳴らせ「クマちゃ……」と呟き、身一つで都会へと旅立つ。
 住み込みで酒場のアルバイトを始める田舎もこ。
 田舎もこは時々酒場にやってくる悪い飴玉売りの男に「そこの可愛い田舎もこチャーン。丸くて良い飴あるヨーン。砂糖の塊みたいに甘いヨーン」と甘い言葉を囁かれ「クマちゃ……」と胸をときめかせてしまう。
「丸い飴玉ひとつで便箋百万枚だヨーン」と嘯く悪い飴玉売り。
 田舎もこは急いで二階の部屋へと戻り「クマちゃ……」と肉球で便箋を数え、後をつけた飴玉売りから「五十枚しかないヨーン。足りないにも程があるけどそれでいいヨーン」と突然大幅値下げされたそれに騙され「クマちゃ……」と全便箋を渡し、大事に舐めようとした高額な丸い飴玉は恐ろしい大家に見つかり、「危ねぇだろ」と砕かれ、田舎もこの心が「クマちゃ……!」と砕かれ――。

 リオの金髪に住む田舎もこが、悲しみに暮れ床に転がりキュオーと泣き叫び、悪い飴玉売りが「丸すぎて発売禁止になった飴玉もあるヨーン」と近付いて来たところで、腕の中の本物のもこもこがもこもこと動き出し、ハッとした彼はクマちゃんの視線の先を追った。


 鳥肌が立つほど魔力が籠められたデッキブラシを持ったルークが、突然それを上空へと放り投げた。
 ――ヒュン――風を切る音と共に投げられ鋭い槍のように空へ進むデッキブラシが、宙に漂う靄を切り裂いてゆく。

「こわっ! リーダーこわっ!」

 恐ろしい力が籠ったデッキブラシはもう掃除用具ではない。
 リオは上空で力を放ち続けるそれを見上げ「隕石くらい怖い」とかすれた声で呟いた。
 何故か落ちてこないそれは、ルークが何かをしたのだろう。色々と怖い。

「うーん。確かに凄い力を感じるけれど、結界の中なのだから外の生き物に被害はないのではない?」

 リオが怖がっている理由を『生き物が死滅しそうで怖い』という意味だと解釈した南国の優しい鳥が、他の鳥は安全であると告げる。

「えぇ……俺ら今めちゃくちゃ結界の中いるじゃん……つーか外の生き物より中の生き物の心配して欲しいんだけど……」

 普通の人間な金髪は、イカレ気味な彼らとの心の距離を心配した。
 今一番危険なのは中の生き物――すぐに結界を張れない自分だ。
 ――もこもこの周囲に張られている小さな結界の中には潜り込めそうにない――。

「まぁ、結界があるなら大丈夫だろ。少し待てば周りも見えてくるんじゃねぇか?」

 自身の持つデッキブラシに魔力を籠めていたマスターが上空へ視線を向けて言い、「丁度そこに休めそうな――見覚えのあるテーブルがあるからな……」と遠い目をして疲れたように呟いた。
 マスターが『丁度そこに――』と言った場所では、自身の手で掃除をせず、己の力で操るゴリラちゃんに掃除をさせているお兄さんが、見覚えのあるテーブル席で休んでいた。
 ――酒場に置いてあるものとそっくりなテーブルと椅子だ。

「ふつーに酒場のやつじゃん。そのうち酒場からテーブル消えんじゃねーの」

 口の悪いリオが盗品へ近付き、椅子を引くと「全然疲れて無いけど休憩しよークマちゃん」と腕の中のもこもこの肉球から小さなハタキを取り上げ、座席の背凭れ付近に二つ揃えて置いた。
 親切なお兄さんが出してくれた追加のテーブルに、渋い声の誰かが「……二つか」と言い、ルーク達とクマちゃん、お兄さんとクライヴとマスターとゴリラちゃんに別れ、静かに座る。

 そうして彼らは始めたばかりの作業を中断し、早すぎる休憩を挟むことにした。
 数分後には上空で力を放つ隕石と同じくらい怖いデッキブラシが、もこもこが思わず「クマちゃ!」と言うくらい広い空間を作ってくれるだろう。

 少し薄くなったピンク色の靄の中、テーブルに片肘を突くだらけた格好のリオが膝の上の愛らしいもこもこの頬を擽り「クマちゃ……」と言われたり「え、クマちゃん何か微妙に反応おかしくない?」ともう一度別の場所を撫で「クマちゃん」と言われたり「いや何が違うか全然分かんないんだけど」と言ったりする仲良しな声が響いていた。
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